#02 襲撃
放課後、職員室を訪れた始貴はお説教という名の担任の愚痴を延々と聞かされた。
三時間ほど続いたそれが終わり、解放された頃には既に辺りは真っ暗になっていた。
少しずつ寒くなり始める季節。
吹き付けてくる風が冷たくて、始貴は思わず体を震わせた。
家までの帰り道にあるスーパーに寄り、夕飯の買い物を済ませてから帰路につく。
スーパーから家までは歩いて十分ぐらいの距離。その十分の間に何も起こらず、無事に家につく事を祈る始貴だが、彼の不幸体質はそんな願いを嘲笑うかのように彼にとって望んでいない展開を引き寄せてくるのだ。
閑散とした住宅街を歩く。
人っ子一人いない光景に始貴は僅かに違和感を感じる。いくら閑散とした住宅街と言っても、いつもならば会社帰りのサラリーマンや学校帰りの学生とすれ違うのだが、今日は誰一人として見かけない。
普段と違う僅かな違和感に不信感が沸き上がってくる。
何か嫌な事が起こりそうな気がして、足早に住宅街を抜けようとした時――。
バサリ、と鳥が羽ばたくような羽音と共に頭上にふっと影が差した。
思わず顔を上げて、星が煌めく夜空を見上げて、自らに迫ってきている『何か』を目にして、咄嗟に横に飛んだ。
受け身も取れずに勢い良く地面を転がったせいで、全身が痛みを訴える。それと同時に耳を
転がった体に衝撃と熱風がぶつかる。爆発の影響で湧き上がる黒煙が視界を阻む。それでも始貴は、自分の身に起こった状況を理解しようと顔を上げた。そして、彼の視界に飛び込んできた『白』。
黒に染まる夜闇と対照的な白が視界を埋め尽くす。しかし、始貴が目を奪われたのはそれではない。
バサリ、とまた羽音が鳴る。
夜闇を覆い尽くすように広がる白い羽。ふわり、と白い羽が一枚、宙を舞い、地面に倒れたままの始貴の元に落ちて来る。ソレは始貴が触れるより先に跡形もなく霧散する。
もう一度、始貴は空を見上げた。
そこには先程と変わらない光景が広がっている。
夜闇に浮かぶ月を背にして、始貴を見下ろしている『何か』。
その『何か』は普通の人間には決してある筈のない真っ白な羽を羽ばたかせて、夜空に浮かんでいる。
それは高名な画家に描かれた絵画のような美しさで人の目を奪い、
夢でも見ているのではないかと思う程、非現実的な神々しさを放ち、
見る者全てを拒絶するような冷酷さで、
そこに浮かんでいた。
美しい金の髪。何の感情も感じさせない
始貴が想像する姿がそのまま反映されたような『何か』を始貴は呆然と見上げる。
何一つ理解できない状況で、ただ一つ思考が出した答えは目の前の『何か』を表わす言葉だった。
――『天使』。
その言葉ほど、目の前の『何か』を的確に表現する言葉はないだろうと思えるほど、その言葉は目の前の『何か』の存在を証明していた。
空想上の生き物としか言われていないそれは、感情というものが一切見当たらない瞳で始貴を見下ろしている。
その瞳に射抜かれた瞬間、始貴の体は糸で縫い付けられたかのように動きを止めた。
スッと始貴に向かって突き出された掌。掌を中心に空間が歪む。
始貴が理解できない、理解できる筈もない、何か得体のしれないものが渦巻いていくのが分かった。
それは、力だ。
ただ破壊のみを目的とした禍々しくも神々しい力。
恐らく最初の一撃もあれを放たれたのだろう。
あんなのが直撃すれば、人間の体なんてものは跡形もなく消え去るだろう。先ほどの一撃が地面を大きく抉ったように。そう、本能的に理解する。
あれはヤバイものだと、全身が警鐘を鳴らす。逃げなければいけないと理解しているのに体が動かない。ただ呆然と大きくなっていく白い力の渦を見つめる事しか出来なかった。
目の前の天使は、無情に、無慈悲に、無感情に、その力の塊を始貴に向かって放つ。
近づいて来る力の渦を始貴は何をするでもなく、呆然と見つめている。
(……俺、死ぬのか? ……それも良いかもしれないな。これで、もう誰も巻き込む事はない)
目を瞑り、近付く力を感じながら、その時を待つ。瞬間、始貴の脳裏に走った二人の姿。
楽しそうに笑う少年と優しく微笑む少女。
その二人の姿を思い出した瞬間、始貴は目を見開いた。
目の前には力の塊。
避けられる筈がない。そう理解しても動かずにはいられなかった。
金縛りにあったようにぴくりとも動かない体に、全身の筋肉に、命令する。
避けろ、と。
動け、と。
始貴の命令に反応するように体が動きを見せた瞬間、轟音が走った。激しい衝撃に始貴の体は呆気なく吹き飛ばされる。
何度も体を地面に打ち付けられ、全身から悲鳴が上がる。けれど、彼は生きている。
何故、自分が生きているのか分からず、状況を理解しようと視線を彷徨わせる。
先程の衝撃のせいで再び湧き上がった黒煙が視界を奪い、何一つ状況を理解できない。それでも、先程まで自分がいたであろう場所に視線を移す。
ゆっくりと黒煙が晴れていく。
その中に見えた新たな人影。
風に靡く二つの紺の長い髪の束。強気そうな吊り上がった紫苑の双眸が始貴を捉えた。
始貴とそう年の変わらなそうな少女は始貴を見るなり、瞳を鋭くさせる。
「いつまで寝てるのよ!? 死にたいの?」
凛としたよく響く声で一喝され、始貴は目を丸くさせて、目の前の少女を見つめる。
少女のその声に、その顔に、鋭い瞳に、始貴は強烈な既視感に襲われた。
誰かに似ているような。
どこかで会った事があるような。
目の前の少女を知っているような。
そんな感覚に囚われる。だが、始貴が少女に問いかけるより先に天使が動いた。
先刻、始貴に向かって放った強大な力……いや、先程よりも禍々しさを増した力が少女に向かって放たれる。
危ない、と始貴が声を上げる前に少女は天使が放った力を一瞥すると余裕そうに笑った。
「言葉も話せない低能な天使風情が
その光は天使の放った白い光を打ち消すと、その後ろに浮かんでいた天使の体を貫いた。ぐらり、と傾いた体が落下してくる。
少女は軽い足取りでその体に近付くと、貫通して穴の空いた体に手を入れて、何かを引きずりだした。
光り輝く何かを取り出した少女は落下していく体を冷えきった眼差しで見下ろす。
天使は奪われた何かを取り返そうと弱々しく手を伸ばすが……少女はその体を踏みつけると、にっこりと笑った。
「狙った相手が悪かったわね。……さようなら」
そう言って、天使を蹴落とすと、少女は眩いほどに光り輝く何かを口に放り込む。その瞬間、落下していく天使の体が霧散した。
最初から何もなかったかのように跡形もなく消え去った天使。
その光景を始貴は呆然と眺めていた。
夢でも見ていたのではないかと思えるのだが、始貴のすぐ傍に降り立った少女の存在が、たったいまの出来事が現実のものだと証明していた。
「……まず。流石低能ね。驚きの不味さだわ」
誰に言うわけでもなくそう呟いて、不愉快そうに眉を寄せる少女。そして、始貴の存在を思い出したように視線を向ける。
その視線に始貴はびくりと大きく肩を揺らした。
「木野枝始貴。貴方、狙われてるわよ。精々気を付けることね」
何故、目の前の少女が自分の名前を知っているのか。
何故、自分は狙われているのか。
何故、あの天使は消えたのか。
何故、自分は襲われたのか。
何も分からなかった。
何一つ理解出来なかった。
これも自らの不幸体質が引き寄せた一種の不幸なのか。
ぐるぐると脳裏を巡る様々な思考。
そして、言いたい事も聞きたい事も沢山ある始貴が出した答えは……。
「……う」
「う?」
「うわぁあああああああ!」
一刻も早くこの場から逃げる事だった。跳ね上がるように飛び起きて、脱兎の如く、走りだす。
「あ、ちょっと!」
背後から少女の声が聞こえたが、始貴は足を止めることなく走り続けた。
言いたい事も聞きたい事も沢山あった。だけど、知ってしまえばもう後戻りは出来ない気がして、逃げ出した。
彼は非日常など望んでいない。平和で平凡な毎日を送りたいだけなのだ。
全てから逃げるように家に駆け込み、全てを拒絶するように鍵を掛ける。
家に逃げ込んで安心したのか、扉に背中を預けて、ずるずると座り込む。全力疾走した事により乱れた息を整えながら、先程の情景を思い出して、今更体が震えだした。
「……っ。い、一体何だったんだ……」
突然襲ってきた空想上の生き物の筈の天使。
現れた謎の少女。そして、一瞬にして消えた天使。
狙われていると言った少女の言葉。
考えれば考える程、意味が分からなくて、あれは全部夢だったのではないかと思える程、非現実的な出来事。
夢であってほしい。
あんな非現実的な事に巻き込まれたくない。あんな事に巻き込まれたなんて信じたくない。
いくらそう思ったところで吹き飛ばされた衝撃で、ずきずきと痛みを訴える体が逃げる事を許してくれなかった。
「……いくら、大抵の事に慣れてたとはいえ、これはないよな」
カタカタと震える体を落ち着かせる為にいつだって嫌な事があった時と同じように膝を抱え、頭を埋めて、目を閉じた。
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