始まる俺と終わる君


「……う」


 夕焼けによって赤く染め始められた河原で、木野枝始貴は意識を取り戻した。

 ひどく頭が痛み、表情を歪める。

 ゆっくりと起き上がり、始貴は何故自分がこんな所で倒れているのかを考える。しかし、何も思い出せない。ただ、どうしようもない喪失感を感じて、けれど、何故そんなものを感じるのか分からずに首を傾げた。

 状況を確認しようと周囲を見渡すと、近くに野球ボールが転がっているのに気付く。


「……また、ボールが当たったのか?」


 言葉にすれば、そうだったような気がしてきて、始貴は溜め息をついた。

 恐らくボールが当たって、そのまま意識を失っただけなのだろう。

 そう結論付けて、始貴は自分の鞄を探して、もう一度周囲を見渡す。すると、彼の視界に飛び込んできたのは、橋の下で無心に地面を掘っている犬の姿だった。


 犬に苦手意識がある始貴は僅かに表情を強張らせる。見つからない内にその場から離れようか考えるが、何故か心が引っかかる。無心で地面を掘っている犬の姿がやけに気にかかるのだ。

 暫しの逡巡の後、意を決して犬に近付くことを決めた。

 ゆっくり、ゆっくりと、犬を刺激しないように歩み寄る。犬は近付いて来る始貴に気付いていないようで、地面を掘り続けている。


「……こ、ここを掘れば、いいのか?」

「ワン!」


 犬相手に情けないほど、震えた声で話しかける始貴。その声に反応を示した犬が顔を上げて、吠える。

 それはその通りだと言っているようで、始貴も手伝う事にした。

 しかし、素手で石だらけの地面を掘るのはかなりの労力が必要だろう。

(スコップか何かがあれば楽に出来るかな)

 始貴がそう考えた時だ。


「タロちゃん、お待たせ。はい、スコップよ。これで、掘れるわね……って、あら?」


 スコップを手にした人の良さそうなおばさんが駆け寄ってくる。恐らく地面を掘っている犬の飼い主だろう。

 おばさんは始貴を見るなり目を丸くして、それから、にっこりと笑う。


「貴方もタロちゃんに催促されたのかしら?」

「え、あ……は、はい」

「そう、ありがとうね。そうだ、もしよかったら、おばさんの代わりに掘ってもらえるかしら? おばさんじゃ、骨が折れそうだわ」

「は、はぁ」


 ニコニコと人の良さそうな笑顔に押されて、始貴はスコップを受け取る。

 タロちゃんと呼ばれた犬は未だに地面を掘り続けている。

 始貴は犬とおばさんを交互に見た後、地面にスコップを突き刺した。


「それにしても、タロちゃんってば、どうしたのかしらね? 急に駆け出して、地面を掘り始めるんだもの。おばさん、驚いちゃったわ」

「……何か、見つけたのかもしれません」

「あらあら、お伽話のように『ここ掘れワンワン』って、ところかしら。それなら、お宝かしらね?」

「……どうでしょう」


 ニコニコと笑うおばさんに対して、始貴の表情は硬い。

 彼はここに埋まっているものがお宝だとは到底思えなかった。出来る事ならば、見たくないもののような気がした。けれど、地面を掘る手を止める事が出来ないのは、自分の心の奥で何かが訴えているような気がするからだ。

 暫く掘り続けていた始貴だが、スコップの先が何かに当たった気がして、勢い良く土を掘り返した。

 瞬間、土の中から現れたものを目にして、始貴はスコップを滑り落とした。


「あら? 何か、見つかった……」


 始貴がスコップを落としたことで、見物していたおばさんが瞳を輝かせながら、始貴の視線の先を覗き込み……目を見開いた。

 驚愕に満ちた表情が徐々に青ざめていき、唇がわなわなと震えだす。そして、目の前の恐怖に耐え切れなくなったのか、その口から悲鳴がこぼれ落ちた。


 始貴達が見つけたもの……それは、人の腕だった。

 土で薄汚れたソレを見つけた始貴達は慌てて警察に連絡した。

 すぐにやって来た警察達が本格的にその場所を掘り返すと、一人の少女の遺体が見つかった。

 近隣にある時雨女子中学校の制服を着た少女は、捜索願いが出されていた少女と一致したらしく、どうやら彼女は十日程前から行方不明だったらしい。


 警察で話を聞かれた時に教えてもらった内容は、ただそれだけだ。

 始貴にとっては、顔も名前も知らない筈の赤の他人。

 何の関わりのない人の死を悼んで泣けるほど、始貴は博愛主義者ではない。

 それなのに、始貴は泣いていた。

 会ったこともない。話したこともない。顔も名前も知らない筈の人の死がどうしようもなく悲しくて、泣いていた。

 始貴自身、自分が何故泣いているのか分からなかった。けれど、拭っても拭っても溢れだす涙を止める事は出来なかった。



 木野枝始貴は、これから先も一週間だけ一緒に過ごした少女を思い出すことはないだろう。

 人に疎まれる事に諦めていた始貴に笑ってくれた少女の事を思い出すことは出来ないだろう。

 彼女と過ごしたたった一週間の記憶を思い出せないだろう。

 少年が覚えていなくても、誰もが少年と少女の関わりを知らなくても、確かに少女は存在して、少年と一緒に過ごしていた。

 その出会いが何かを変えたのか、それとも何も変わらなかったのか。それは、まだ分からない。


 少女の最後の願いが、孤独な少年を支えてくれる人達が現れてくれるという願いが、叶う事になるのはもう少しだけ先の話。

 けれど、それと同時に少年の運命が更に苛酷さを増していくことは、まだ誰も知らなかった――。

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