幽霊少女のお願い


 家に帰って来て、シャワーを浴び終えた始貴が目にしたのは、何故か自宅のリビングで寛いでいる麗香の姿だった。


「……なんで、いるんだ?」


 引き攣った表情でようやく絞り出した声に麗香は見ていたテレビから視線を外して、始貴を見て笑う。


「やだなー、離れられないって言ったでしょ。それに私、普通についてきたんだけど、気付かなかった?」


 ケラケラと楽しそうに笑う麗香に全く気付かなかったとは言えなくなる。何とか言葉を探そうと思案する始貴を尻目に麗香は何も考えていなそうな脳天気な笑顔を浮かべている。


「そうだ。ここまで歩いてきたけど、やっぱり誰も私に気付かなかったし、木野枝君の家族に見つかることもないだろうから、心配しないで」


 麗香としては何気ない一言の筈だった。けれど、その言葉を口にした途端、始貴の表情が強張った事に気付き、彼女は不思議そうな顔をする。


「どうしたの?」

「……あ、いや、いないから」

「え?」

「俺の家族、もういない。亡くなってるんだ……」


 その言葉に麗香は自分の失言に気付いたのだろう。申し訳なさそうに眉を下げて、瞳を伏せた。


「ご、ごめんなさい」

「いや、鶴来さんが謝る必要なんてない。俺は気にしてないから」


 気にしていないと言いながらも暗い表情の始貴に麗香は何を言えばいいか分からなくなる。重くるしい沈黙がリビングを満たす。

 声を出すのも躊躇われるほど重い空気に麗香は空気を変えようと視線を彷徨わせる。けれど、目ぼしいものは何も見つからず、結局は閉口するしかなかった。


「……鶴来さんは、俺に取り憑いてるんだよな?」

「え? う、うん。多分、この状況はそうだと思う」

「随分と曖昧なんだな」

「うっ、し、仕方ないでしょ! 私だって、こんな事になった理由分かんないし! そもそも、私は……」


 言葉を詰まらせてしまう麗香に始貴は前髪の隙間から、不思議そうな黒の瞳で麗香を見返した。彼は何も言わない。麗香の言葉を待っているようだ。

 麗香自身、言うかどうか迷っていたが、真っ直ぐ見つめてくる黒の瞳に耐え切れず、渋々口を開いた。


「……私は、自分が何であそこにいたのか。何であそこから離れられないのか、分かんないんだもん」

「分からない?」

「うん。気付いたらあそこにいたの。私が思い出せるのは自分の名前と自分が死んだということだけ。私がどこの誰なのか、どうして死んだのか何も分からないの」


 今度は始貴が黙りこんでしまう番だった。

 二人の間に再び重い沈黙が満ちる。


「……その制服」

「え?」


 不意にポツリと呟かれた言葉に麗香は顔を上げる。すると、麗香の着ている服を見つめている始貴の姿が飛び込んできた。麗香もその視線に釣られるように自らの制服に目を落とす。

 ごく一般的な黒いセーラー服に白いスカーフ。特に変わった所はないように見えた。けれど、相変わらず始貴は観察するように麗香の制服を見つめていた。


「ど、どこか変?」

「え、いや……変とかじゃなくて、その制服って確か、『時雨女子しぐれじょし』のものじゃなかったか?」


 時雨女子。

 その言葉を耳にした瞬間、麗香は大きく目を見開いた。

 彼女の脳裏に唐突に流れだした映像。それは、彼女の記憶だった。

 急に頭を押さえて前のめりになった麗香に始貴は大層驚いた様子で、彼女に声を掛けた。


「ど、どうした? 俺、言っちゃいけないこと言ったか?」

「ううん、違う……大丈夫」


 大丈夫と言いながらも未だに頭を押さえながら、苦痛に耐えている様子だ。始貴は何かをすることすら出来ず、オロオロと麗香の顔色を窺っている。


「……そうだ。私は、時雨女子中学に通ってた……」


 思い出した記憶を口にすることで、その記憶が正しいか確認するようにブツブツと呟く。


「年は15。中学三年生。家族はお父さんとお母さん。それから、二つ上のお姉ちゃんの四人家族。成績は普通で、特に特筆した事もない、普通の生活をしてた……してたよね?」

「……鶴来さん?」

「~~っ、あー! 駄目だ! 思い出せない!」


 頭を押さえながら俯いていた麗香が急に勢い良く頭を上げた事に始貴は大きく肩を揺らす。驚いた様子で、麗香を見る。しかし、当の麗香本人は始貴の様子に気付くことなく、苛立ったように乱暴に髪を掻いた。


「……思い出せないって、何が?」

「死んだ理由よ! 死んだ理由! ああもう! あの河原で目を覚ます前の記憶が曖昧すぎて何も分からない! なんか腹立つー!」

「病気とか?」

「それはないと思うけど……。そういう大きな病気になったことないし」

「それなら、事故?」

「うーん、確かにその可能性が一番高そうだね。……ああでも、なんか釈然としないなぁ」


 腕を組んで考えこむ麗香。その様子を黙って見守っていれば、唐突に麗香が何かを思いついたように大声を上げた。


「そうだ!」

「な、なに?」

「木野枝君、手伝ってよ!」

「手伝うって、何を?」


 にんまりと悪戯を思いついた子どものように笑う麗香に始貴は嫌な予感がして、無意識に一歩後退る。だが、彼女は始貴の様子などお構いなしに笑顔で言葉を続けた。


「私が死んだ理由を一緒に探して!」


 予想と違わない言葉を吐き出されて、始貴は即座に首を横に振った。


「む、無理無理! 協力してあげたいのは山々だけど、それは出来ない」

「なんで?」

「言っただろ。俺の傍にいると危ないんだ。だから、無理だ。君は早く俺から離れないと、不幸になる」

「だから、離れたくても離れられないんだってば」

「そ、それはそうなんだけど……何か方法ないの? このままじゃ、君が危ない」

「さあね。私は何も分からない。けど、こういうのって、私が成仏すればいいんじゃない?」


 その言葉に始貴は妙案だとばかりに瞳を輝かせる。


「そ、そうだな。なら、早く成仏してくれ!」

「それ、私に死ねって言ってるようなものよね」

「え? あ、い、いや、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだけど……」


 先程の表情とは打って変わって、まるで飼い主に怒られた犬のように落ち込んでしまった始貴に麗香は笑った。


「あはは、冗談だよ。まあ、元々死んでるし、成仏するのは構わないんだけどさ……せめて、自分が死んだ理由ぐらい思い出したいんだよね」

「…………」

「だから、お願い! 私が死んだ理由を探すの手伝って!」

「けど……」

「お願い! 頼れるのは貴方しかいないの! それに私が成仏しない限り、木野枝君から離れられないと思うよ?」

「うっ……」

「早く成仏してほしいなら、手伝ってもらったほうが早いと思うんだけどなー?」

「うう……」

「まあ、私は成仏しないなら、しないでいいんだけどなー?」

「うううう……」

「協力してくれないと、悲しくて呪っちゃうかもしれないけどなー?」

「わ、分かったよ! 手伝えばいいんだろ?」


 麗香のお願いという名の脅迫に押し切られてしまい、結局始貴はそう答えるしか出来なかった。始貴が頷くと、麗香はパッと表情を明るくさせる。


「本当!? ありがとう、木野枝君!」

「……はぁ。先に言っておくけど、本当に何があるか分からないから、気をつけて」

「分かってる。それに大丈夫だよ。私、幽霊だし。既に死んでるから、何が起こっても無問題!」


 始貴の警告の意味を本当に分かっているのか分からないほど、お気楽そうに笑う麗香。


(なんで、こんな事に……)


 これも自らの不幸体質が起こしたものなのかと思い、始貴は大きく溜め息をついた。

 こうして、木野枝始貴は十五歳の冬に幽霊に取り憑かれ、その幽霊の死んだ理由を探すという出来事に巻き込まれたのだった。


◇◆


 木野枝始貴が鶴来麗香という幽霊少女に取り憑かれて、一週間。

 自分が死んだ理由を一緒に探してほしいと頼まれてから、一週間。

 その一週間の収穫といえば……正直な話、何も無かった。

 何故かといえば、様々な場面で始貴の不幸体質が発動してしまい、結局何も分からずじまいになってしまうのだ。


 最初の三日間は川に落ちたせいで、風邪をひいてしまい、寝たきりだった。

 風邪が治り、インターネットで最近の事件や事故を調べようとすれば、何故かパソコンが壊れてしまい、何も調べられなくなった。

 電気屋に行ってみても、原因不明と判断されてしまい、諦めるしかなかった。それならば、と携帯端末で調べようとすれば、通行人にとぶつかって手から滑り落ちたスマートフォンは見事に道路に落ちて、その上を無情にも車が通り過ぎていった。


 図書館にある新聞記事を探しに行けば、運悪く図書館の休館日だった。

 麗香の通っていた『時雨女子中学校』に向かおうとすれば、乗った電車の中で痴漢と間違われて、誤解が解けるまでに半日以上掛かってしまった。

 何か行動を起こそうとするたびに襲ってくる不幸に麗香は既にげんなりとしていた。それに比べて、始貴はこの程度の不幸などいつもの事だとばかりに苦笑するだけだ。


 この一週間、一緒に行動するようになってから、始貴に襲いかかってきた不幸は最早挙げだしたらキリがない。

 転ぶのは日常茶飯事。犬に追い掛け回されるのも日常茶飯事。ボールが当たるのも日常茶飯事。

 小さなものから、大きなものまで、色んな事が起こりすぎて、逆に感心するほどだ。

 いくら幽霊で怪我することがないとはいえ、始貴の感じる痛みを共有してしまう麗香は疲労しきった様子で、そんな彼女を始貴は申し訳なさそうに見ていた。


「……ごめん、俺のせいで」

「い、いいって。無理を言ってるのは私だし! それに痛みがあるっていっても、最初だけだし、木野枝君と違って怪我とかしてないし、心配しないで!」

「ごめん」


 気にするなとばかりに両手を横に振る麗香だが、始貴の表情は晴れることはない。そんな彼に話題を変えようと麗香は口を開く。


「そ、それより、今日はどうする? 今日こそ、時雨女子に行ってみる?」

「いや、今日は……」

「何かあるの?」

「学校があるから、放課後にならないと時間があかないんだ」


 その言葉に麗香は思い出す。

 幽霊である麗香と違って、始貴は生きている人間だ。しかも、年は麗香と同じ。だとすれば、彼が学校に通うというのは至極当然の事。それなのに、そんな当たり前の事を麗香は忘れていたのだ。

 もっともこの一週間、風邪で寝込んでたりして、始貴自身が学校に行かなかったからというのも理由の一つだろう。


 その時、僅かに麗香の中に芽生えた感情。

 それは嫉妬だった。自分とは違い、生きている……麗香も過ごす筈だった当たり前の日常を過ごしている始貴に対する嫉妬。

 自分の中に芽生えた醜い感情を振り払うように麗香は首を振って、何事もなかったかのように笑顔を浮かべた。


「そ、そっか。そうだね、学校行かないとね! よし、それなら行こう! 早く行こう!」

「え、まだ支度出来てない」

「あ、あははー、もう嫌だな! 早くしないと遅刻しちゃうよ」


 何故か慌てた様子の麗香に急かされて、始貴は急いで支度を始めるのだった。

 学校に向かう道すがら、珍しく何も起こらないことに麗香は安堵した様子で、始貴の隣に浮いていた。その姿は異様だが、道行く人達は麗香のことなど見えていない為、気にした素振りもなく過ぎ去っていく。


「……今って、十二月なんだよね」

「ああ」


 不意に今の月を確認されて、始貴は不思議に思いながらも頷いた。隣に浮かぶ麗香の表情はどこか悲しげだ。


「……木野枝君は、高校ってどこ行くか決まってるの?」

「とりあえず」

「あはは、そうなんだ。私もね、行きたい高校あったんだ。お姉ちゃんが通ってるとこなんだけど、制服が可愛くてさ、憧れだったんだ」

「……そう、なんだ」

「まあ、生きてたとしてもそこに入れたとは思えないけどね。私、そんなに頭良くないし。あ、それよりも! 木野枝君はどこに行きたいの? 応援してあげるよ! あ、なんなら、問題見てきてあげようか」

「いや、流石にそれは……」

「あはは、分かってるよ。冗談だってば! それで、どこなの?」


 麗香の言葉に始貴の視線が彼等の横を通り過ぎる少年達へと向かう。

 彼等は赤いシャツに黒いブレザーの制服を身に纏っている。きっちりと首元まで閉められたボタンと黒のネクタイが彼等の生真面目さを表しているようだった。

 始貴の視線を追った麗香も男子生徒達を見るなり、目を見張る。


「あそこって……櫂苑かいえん高校? もしかして、櫂苑に行きたいの!?」 

「ああ。あそこなら、電車に乗らないで行ける距離だから」

「え、でも、大丈夫なの!? だって、あそこ超進学校だよ!? エリート集団だよ!?」

「多分。不幸が重ならなかったら、平気」

「……嘘。木野枝君って、頭良いんだね」


 信じられないといった様子で、項垂れる麗香。


「何か失礼だな」

「あ、あはは、ごめんごめん! 冗談だよ! ちょっと意外だったっていうか……ほら、ね! ここ数日の木野枝君を見ていると信じられないっていうか……ね!」

「別にいいけどさ」

「あはは、ごめんってば。……でも、櫂苑か」

「どうかしたのか?」

「ん? 偶然だなーって。私が行きたかったのも櫂苑だったんだよね」


 その言葉に今度は始貴が僅かに目を見張った。

 麗香は笑顔だけど、その笑顔は悲しげだ。


「あは、もし、私が生きてたら、もしかして、同じ高校に通ってたかもしれないね」

「…………」

「や、やだなー。そんな顔しないでよ。ちょっとした冗談だから。大丈夫だよ……私は、自分が死んだ事をちゃんと認めてるから」


 明らかに無理矢理笑っていると分かるほど、痛々しい笑顔を浮かべる麗香に始貴は悲しげに眉を下げた。

 始貴は何も言うことが出来ない。

 始貴は生きていて、麗香は既に死んでいる。まだ生きている始貴が麗香に言える事なんて何もなかったのだ。生者の自分が何を言っても麗香を傷つけてしまいそうで、結局始貴は何も言えずに黙り込むしかなかった。


「ほ、ほら、学校見えてきたよ! 行こう?」


 気まずい雰囲気を壊すように笑う麗香に始貴は頷く事しか出来なかった。

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