4――酒に飲まれて死に急ぐ(前)


   4.




「じ、自殺ぅ!?」


 徳憲は仰天したのち、たまらず飛びのいた。一番避けていた結論だったから当然だ。

 第一、自殺では状況的に合わなくないか?


「忠岡さん、自殺はおかしいですよ。冷凍貯蔵庫は鍵がかかっていたんですよ? その中で愎島さんは亡くなっていた……つまり密室です。ということは――」

「外から施錠した犯人ホシが居るって言いたいんでしょー?」

「そうですよ! 判っているじゃないですか!」


 忠岡も心得てはいるのだ。自殺者が冷凍貯蔵庫の外から鍵をかけられるわけがない。合い鍵を持ち去った加害者が居るに決まっている。

 これが最大の争点であり、犯人追跡の物証となるはずなのだ。


「犯人ってゆーか、自殺幇助者が居たことになるのかなー? んー、でも知らずに鍵を閉めただけって線も強いよねー」


 もったいぶってにんまりほくそ笑む忠岡が、いかにも底意地悪そうだった。

 焦らす気か? 徳憲をからかっているのか? あまり人の良い趣味とは言えない。もちろん彼女の性格が元より最悪であることは、百も承知だけれども……。


「結局の所ー、鍵を閉めた人が故意だったのか、自覚はなかったのかによってー、罪の重さも変わるのよねー?」


 じっと見つめられた。

 童顔の干物女に熱い眼差しを向けられても、徳憲はちっとも嬉しくないが、彼女の言わんとしていることは把握できる。以心伝心で沁み込んで来る。


「それはもちろん、ガイシャが死ぬと知りながら手助けする行為が自殺幇助です。反対にガイシャの存在に気付かず行なった場合は、単なる偶然、不幸な事故です」

「よーし、言質を取ったよー」


 パチンと指を鳴らそうとした忠岡だったが、手の脂で滑ってうまく鳴らせず、スカスカと虚しい摩擦音が鼓膜をくすぐった。

 日頃から研究にかまけ、ろくに手を洗わないせいだ。目の前にやることがあれば食事も睡眠も忘れて没頭してしまうのが、忠岡という人間である。


「んむー」指を引っ込める忠岡。「合い鍵はー、怒木慫子さんが持ってるはずよー」

「ええっ?」


 徳憲はぽかんと口を開いた。忠岡は口の端を吊り上げて笑った。


「愎島さんが凍死した晩ってー、慫子さんが閉店の締めも担当してたのよねー? 店や倉庫の戸締まりをしに見回りしたはずよー。スーパーの守衛とかもやるだろーけど」

「じゃあ、そのときに冷凍貯蔵庫へ侵入する愎島さんに出くわしたと?」

「ちがーう」がなる忠岡。「二人が万が一鉢合わせよーものなら、気まずくて自殺どころじゃなくなっちゃうよー?」

「はぁ……まぁ、ばったり顔を合わせて嫌な空気になるのは、想像できますけど」


 となると……どういうことだ?

 愎島が自殺を志すほど心を病んでいたのは前述した通りだ。

 地悶にそそのかされて東尋坊へ旅立ったものの、踏ん切りが付かず戻って来た。この足取りは電車や駅のカメラ、車なら高速道路のモニターを調べれば出て来るだろう。

 生還した愎島は、再び地悶に相談がてら、飲み歩いた。泥酔状態で別れた彼は、沈鬱な精神状態のまま、気が付くと慫子の居る職場に辿り着いていた……。


「裏口の倉庫側から立ち入った愎島さんはー、慫子さんの姿を遠くから目撃したのよー。でも彼女から『仕事と心中すれば!』なーんて言われちゃった手前、愎島さんは彼女に合わす顔もなく、やっぱり死のーと思い立ったんだわー」


 あたかも彼女から逃げるように。隠れるように。

 そして彼女の言い付け通り、職場で『仕事と心中』するように。


「合い鍵で冷凍貯蔵庫を開けてー、中に入るときー、合い鍵を外に落としたんだわー」

「落とした? ああ、酔っていたせいで?」

「そーそー。そこへ慫子さんが戸締まりに来てー、事務室の鍵で冷凍貯蔵庫を施錠! そのとき足下に落ちてた合い鍵を発見して、拾って帰ったんじゃないかなー?」

「ああ……慫子さんはを落としたと思い込んだと?」

「そゆことー。合い鍵の存在は秘中の秘だからー、隠匿して当然よねー? まさか愎島さんが来てたなんて思わないだろーし」


 こうして密閉された冷凍貯蔵庫が出来上がったわけか。

 遠からず、彼女の懐から二つの合い鍵が見付かるはずだ。うっかり愎島の合い鍵を拾ってしまったのだから。そのとき初めて、慫子は事の真相に気付くのだろう。


「意図的に閉じ込めたんじゃないからー、自殺幇助罪ではないはずよー。もちろん慫子さん自身がどー供述するかによるけどー」

「不運な事故だと思いたいです……」頭を抱える徳憲。「愎島さんが冷凍貯蔵庫へ身を潜めた拍子に、合い鍵を落としてしまった。見回りに来た慫子さんは何も知らず貯蔵庫を閉め、落ちていた合い鍵を自分のものと勘違いして拾い去った……」


 これなら、愎島の自殺(または事故)と、貯蔵庫の密室状態は両立する。


「酔っ払っていたせーで、低体温による睡魔の訪れも早かったんじゃないかなー? あるいはー、せめて楽に死ねるよーにと、携帯してた睡眠導入剤を飲んだのかもー」


 酒の酩酊と、睡眠導入剤。

 両方あれば、あっさり睡魔に見舞われるだろう。

 寝ている間に凍死できる。苦しまずに死ねる。


「自殺か事故かは、本人のみぞ知る所よねー。何にしてもー、これで解決! 誰も悪い人なんて居なかったんだわー。自殺の遠因となった店長には今後反省してもらうとしてー、ひとまず一件落着よー」

「み、妙に結論を急ぎますね……」

「いーのいーの! ほら、帰った帰った!」


 忠岡は急いで切り上げて、大きく背伸びをしてみせた。

 彼女は小さい。目一杯両腕を広げても、徳憲の身長を超えることはなかったが、やり遂げた彼女はとても満足そうだったし、徳憲の目には大きく映った。

 まるで小柄な振りして周囲を欺き、巨大な悪意を腹の底に飼っているような――。




   *



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る