3――暴飲のメカニズム(後)


「はいはーい、忠志くん、こんちゃー。なーに、まーたあたしの助力が欲しくなっちゃったわけー? ひょっとしてー、あたしのことを好――」

「違います!」


 喰い気味に否定した。

 発言を遮られた心理係はぷくーっと頬を膨らます。フグか。


 科捜研を再訪した徳憲は、化学科ではなく文書鑑定科の研究室へ赴き、忠岡ただおか悲呂ひろと対面していた。


 彼女は三十路手前の研究員で、心理学博士号や臨床心理士を持っている。当然ながら心理学研究に一家言を持っており、ポリグラフ検査も担当している才媛だ。

 惜しむらくは、その優秀な腕とは裏腹に、言動はぐーたら、身なりも締まりがなく、ブラウスも白衣も薄汚れてヨレヨレ、髪の毛は伸び放題でボサボサ、化粧もせずろくに顔も洗って居なさそうな童顔など、どうにもズボラな干物女なことであった。

 日々の研究に明け暮れる余り、身だしなみがおざなりになっている。


「むーっ。まだ最後まで喋ってないでしょー? どーして邪魔するのよーっ」

「最後まで聞かなくても察しが付きます。およそ俺の気持ちと正反対の、おぞましい仮定と憶測を口外するつもりだったでしょう?」

「えーそんなことないよー」椅子の上で足をブラブラさせる心理係。「あたしは単にー、忠志くんがあたしのことを好きなんじゃないかなーって」


「違います」三〇秒ぶり二度目の否定。「そんな恐ろしい妄言は金輪際、うそぶかないで下さい、くれぐれも!」


「うわーすごい必死の形相だわー。あたしと君は同じ『忠』の字を持つ仲なのにー」

「その程度の一致で好きだと思われてたまるかっ!」


 徳憲は盛大に舌を打った。


「今日はポリグラフの依頼に来ました。窓口の第一法医科にも手続きしています」

「あー、スーパーマーケットの事件?」

「知っているんですか?」

「化学科の二人が騒いでたからねー」何もかも筒抜けな忠岡。「鑑識から法医科の方に検死解剖も回ってたしー、そりゃー気付くなってゆー方が無理でしょー?」

「はぁ……まぁ、なら話は早いです」


 徳憲は詰め寄った。

 忠岡がわざとらしく「きゃー顔が近ーい」などとからかい混じりの嬌声を上げたが、徳憲は微塵も動じない。


「ふざけてないで、引き受けてもらえますか? その場合、ポリグラフの質問内容も作成しなければいけないので、相談にも乗ってもらいますよ――」

「ふーん、ポリグラフで犯人ホシを釣ろーって魂胆ねー? でもさー、それって本当に容疑者マルヨウなのー?」

「はい?」


 疑問符を投げ付けられて、徳憲は眉をひそめた。

 忠岡はしてやったりと口の端を吊り上げる。


「ガイシャに対してー、加害者がどんなことを考えて犯行したのかー、きちんと整理した上で目星付けてるのかなー?」

「そ、それはもちろん……」

「確かガイシャってー、過労と失恋で酒に溺れるよーになったんだよねー?」

「うわ、本当に全部耳に届いているんですね」

「ふははー、ひれ伏すが良いわー」なぜかふんぞり返る忠岡。「人はなぜ酒を飲むのか、心理学的に解説してあげよーかー?」

「心理学にも飲酒の講釈なんてあるんですか」

「大ありよー。お酒を飲もーとする心理的欲求には、二つの動機があるのよー。一つは外在的動機……祝杯の酒宴や冠婚葬祭、付き合い酒と言った社交上の理由ねー」

「もう一つは?」


「内在的動機よー。こっちが心理的に厄介ねー。ヤケ酒、晩酌の酒、疲労や緊張をほぐすストレス解消の飲酒……心の痛みを忘れよーとして、傷心が癒えるまで延々と飲み続けるのー。結果、アルコール依存症にかかったりー、アルコール中毒になったりするのよー」


「依存症……ですか」

「今回の事件はー、そーしたガイシャの嗜癖しへきが重なった、数奇な経緯と言えるわねー」

「な、なるほど……と言っても心理学の専門家でもない限り、犯人はそこまで理論的に分析したわけじゃなく、直感でやらかしたんじゃないですかね」


「そーね。少なくとも店長ごときじゃー専門知識は持ってなさそーだもん。つーわけで店長はマルヨウから除外ね」


「えっ?」まぶたをしばたたかせる徳憲。「地悶じゃない、とおっしゃるんですか」

「当ったり前でしょー? 忠志くんの目は節穴なのー? そんなんだから巡査部長に降格しっ放しなのよーニブチンめー」

「ひどい言われようだ……! 大体、俺の降格だって忠岡さんのせいだし、次の昇格試験までまだ期間が空いていますし――」

「うっさいなーそんなことはどーでもいーのよー」

「じ、自分から話を振ったくせに……」


「とにかくー、あたしの見立てでは、店長は潔白シロよー。ポリグラフ検査で裁決質問を作るとしてもー、副店長の交際相手の名前とか、合い鍵の隠し場所を聞けば一発で白黒付くだろーけど、シロ判定に終わりそーだなー」


「どうして断言できるんですか。やってみないと判りませんよ」

「だってー、あたしが思い付いた真相はんだもーん」


 忠岡は半眼でじろりと睨んだ。

 徳憲は面食らって身じろぎする。

 真相が全く違う? ていうか思い付きかよ。その場の発想で事件を断言されても困るのだが、その思い付きは信用に値するのか?

 徳憲の考えた捜査方針の『ストーリー』は、またもや的外れだったということか?


「まだ気付かないのー? 本当にニブチンねー」

「もったいぶらずに教えて下さいよ。店長以外の犯人ということは、まさか怒木――」

「殺人とは限らないってことよー」


 怒木慫子の名前を出すより先に、忠岡が早口で制した。

 その名を口に出すな、とでも警告するような発言だった。


「殺人じゃなかったら一体……」

「原点に戻ろーよ。終始一貫してるのは愎島副店長のでしょー? これが一番手っ取り早くてー、誰も傷付かないオチじゃなーい?」




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