3――暴飲のメカニズム(前)


   3.




 おおむねのストーリーは出来上がった。

 徳憲が考えた筋書きは、以下の通りだ。


 不出来な地悶店長は、優秀な愎島副店長にコンプレックスを感じていた。若い身空で業績も上々。店員からの信頼も厚く、経営陣にも評判が良い。年齢次第では次期店長に就任できるだろうことも、地悶の耳に入っているはずだ。

 地悶は左遷されてここに来た。さらに追い出される羽目になったら、いよいよチェーン店のお荷物だ。それだけは避けたい。何としてでも踏みとどまりたい。


(いつしか地悶には、愎島への嫉妬と憎悪がわだかまるようになったんじゃないか?)


 捜査本部のデスクで、徳憲は紙とボールペンにストーリーを書き連ねた。

 愎島が過労に陥ったのも、地悶の嫌がらせだったかも知れない。自分の地位を脅かしかねない部下を潰すためだ。


(充分にあり得る。働き者の愎島は、何でも仕事を引き受けた。彼は高卒、学歴がなかったから、人一倍働いて実績を出そうとしたんだ)


 だから、仕事を押し付けられても嫌がらなかった。どんなに忙しくても、それも良い経験になると解釈して、進んで苦労を買って出ていたのだ。

 苦労は進んでやれ、とよく言われる。しかし、それは体よく苦労を背負わせるための方便でしかない。

 都合よく利用されているに過ぎない。ましてや体を壊すなど言語道断だ。


(愎島さんは鬱と不眠症を患い、睡眠導入剤を服用するようになった……休みもろくになく、恋人からも手ひどく振られた……『仕事と心中しろ』とまで罵られた)


 全てが地悶に利する展開となった。

 過労と失恋で生きる気力を失い、死ねとまで言われた愎島は、本当に死に場所を求めるようになった。

 東尋坊へ足が向く。


 しかし、日本には他にも自殺の名所がある。なぜ東尋坊が選ばれたのだろう。

 そこへ行くよう、地悶が何らかの形でそそのかしたのか?


(改めて話を伺い、東尋坊と地悶の因果関係を聞き出せれば……!)


 徳憲は席を立った。

 示し合わせたように本部の扉が開き、部下の捜査官たちが闖入して来る。

 タイミングぴったりだな、と徳憲は笑みを湛えた。部下の一人がこう叫ぶ。


「地悶店長の任意同行をしました! 取調室で待たせています」

「よくやった! すぐ行く」


 徳憲は廊下を突っ切り、取調室へ急ぐ。

 記録係の制服警官が一人待機するだけの狭い室内に、ぽつねんと座して待つ地悶店長の委縮した姿が見て取れた。

 部屋の中央に置かれた木製の机と椅子に、徳憲は手を置き、尻を落とした。


「先日の聞き込みに続き、今日は任意でご足労願いまして、大変感謝いたします」

「ワタシに何の用ですかな? 重要な話があると聞いたんで、関係者としてはやむを得ず同行したまでですが……」


 地悶の目は泳ぎがちだ。

 徳憲を正視しようとしない。店のエプロンを付けたまま連れ出された格好であり、出来ればすぐにでも戻りたがっている。


「単刀直入にお聞きします。地悶さんは、東尋坊をご存じですか?」

「…………は?」


 ぎょろりと店長の双眸が見開かれた。

 思い切り徳憲を睨んで来る。さっきまで目も合わせなかったくせに。

 これは脈ありか、と徳憲は確信した。手応えありだ。あり過ぎて困るほどに。


「ひょっとして店長は、福井県が出身地ですか?」

「な、なぜそれを」


 図星だった。挙動不審にそわそわと体を揺すり始めた辺り、実に判りやすい。


「愎島さんの靴底から、東尋坊の土砂が検出されたんです。つまり彼は生前、それも靴底に残留するようなごく最近に、東尋坊へ立ち寄ったんです」

「それが一体……」

「恐らく先日の休みに向かったと思われます。店長が与えた休日ですね」

「まさかワタシが、そこへ行くようそそのかしたとでも言う気ですかな? ワタシはただ純粋に彼を休ませたくて、二日間の暇を出しただけであって――」

「しかし愎島さんは一日で帰って来たそうですね。二日休めたはずなのに、一日だけで」


 徳憲は決して店長を犯人呼ばわりはしないが、暗に追い詰めるよう言葉を選んだ。

 心理的に逃げ道を塞ぎ、自白させるよう会話を推し進める。刑事事件を何年も担当して来たから、そこは百戦錬磨の自信があった。


「鬱と失恋で死にたがっていた愎島さんに、自殺の名所として東尋坊を紹介した人物が居ると考えています」

「それがワタシだと?」

「そこまでは言っていません」明言は避ける徳憲。「人生に疲れた愎島さんは、東尋坊の噂を聞いて旅立った……でも結局、恐怖心や未練が勝り、死ねずに日帰りで戻って来た」


 自殺するはずが、生還してしまった。

 思わせぶりに語る徳憲の前で、店長はがたがたと歯を鳴らしている。顔面蒼白だ。


「帰還した愎島さんは、改めて地悶さんに相談したんじゃないでしょうか? 二人で飲みながら、酒の勢いで愚痴をこぼす。あなたは彼の本音を全て聞き及んでいた――」

「ワタシに罪をかぶせようという魂胆ですか!?」

「当夜のお話を詳しく掘り下げたいだけです」


「ワタシは無実です! ワタシは何もしていません! 確かにあの晩、愎島はいつもより酒のピッチも早かったし、ヤケになってたらふく飲んではいましたが!」


「では、東尋坊を教えたのは――」

「東尋坊だって、休日前にあいつが自殺だなんて言い出すから、うっかり故郷の名所をこぼしただけです! まさか本当に行くなんて思いませんって!」


 教えはしたのか。

 だが飽くまで口を滑らせただけで、自殺を教唆したわけではないらしい。


「愎島さんは睡眠導入剤を服用していましたね。その日も持ち歩いていましたか?」

「ひょっとしてその薬をワタシが彼に飲ませたとでも?」


「いえいえ」手を振る徳憲。「でも、ガイシャの手許に睡眠導入剤が常備されていれば、泥酔した隙にそれも飲ませて、完全に意識を奪えますね。冷凍貯蔵庫へ閉じ込めるのもたやすそうです。運ぶのは大変かも知れませんが」


「ワタシはやっていません!」

「やだなぁ、可能性の話ですよ」


 徳憲は澄まし顔で述べた。

 かなり揺さぶりをかけた。地悶はいつボロを出すだろう。彼が愎島を亡き者にしようとする条件はそろっている。自殺幇助か、あるいは殺人罪か――。


「東尋坊で飛び降りるのは勇気が要りますけど、寝ている間に凍死するのは楽ですよね。苦痛を感じず、いつの間にか死ねますから」

「勘弁して下さい刑事さん!」バシン、と机を叩く地悶。「むしろ逆です! ワタシは愎島を励まし続けたんですよ! 彼が本当に東尋坊へ行ったと聞いて、説教したんです!」

「飲みに誘ったときに、ですか?」


「そうですよ! でもワタシの説教も耳障りだったのか、愎島は気を紛らわすように酒ばかり飲んで……いつもより早く泥酔してしまったんで、二軒目で解散しました!」


「店長はその後、アリバイはありますか?」

「まっすぐ帰宅して眠ったんで、特にないですけど……!」

「ご家族は?」

「ワタシは異動してここに来たんで、一人暮らしです。妻子は遠くに住んでいます」


 つまり、アリバイがない。


(やはり店長がガイシャを凍死させた線が濃厚か? 泥酔したガイシャの持ち物から睡眠導入剤と合い鍵をくすねるのは簡単だ……!)


「何ですかその目は! 刑事さん、信じて下さいよ! そりゃワタシは愎島をやっかんでいましたが、だからって抹殺を企むほど愚かじゃありません!」

「そう言われましてもね――」

「本当です! ワタシはウソをつきません! 何ならウソ発見器にでもかけて下さい!」


 ――ウソ発見器。

 ポリグラフ検査のことか。


 それは現代的な科学捜査の一つとして、科捜研の文書鑑定科・心理係が執り行なう業務である。

 重要参考人の言質を取る意味でも、心理分析は悪くない選択肢かも知れない。


「判りました。科捜研の心理係に掛け合ってみましょう」




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