2――酒に溺れて自殺したい(後)
実ヶ丘捜査本部に戻った徳憲は、改めて鑑識の報告書を再読した。
遺留品の欄に、倉庫の鍵はない。愎島の自宅の鍵と、車のキーくらいだ。
徳憲は苦々しくこめかみを押さえた。
瞑目する。思考する。
砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲んで、頭を働かせる。
(怪しいのは、地悶店長と慫子さんの二人だ。特に地悶は、ガイシャが死ぬ寸前まで飲み歩いていた人物だ)
店長自身はガイシャを気遣っている口調だったが、実際には自分の仕事を押し付けていた、間接的な加害者だとも言える。
(ガイシャは次期店長に昇格できるとの噂もあった。そうなれば、地悶は再び左遷の憂き目に遭う。自らの保身のために、ガイシャを過労で潰そうと画策したんじゃないか?)
次第に愎島は鬱になり、自殺もほのめかすようになった。
地悶は好機と悟り、酔っ払った愎島を冷凍貯蔵庫へ閉じ込めた――? 彼が複製した合い鍵の存在を、地悶は知っていたのだろうか?
(店長はボンクラだともっぱらの評判だった。二度も三度も異動になったら、いよいよ立つ瀬がなくなる。若くして台頭する副店長へのやっかみもあったかも知れない。飲み会で肩を持つ振りして酔い潰し、凍死させた疑いはあり得るストーリーだ)
同様に、慫子も疑いがかかる。
もしも地悶がシロだった場合、残る容疑は慫子しかない。
慫子は閉店の締めも任される日があった。事件前夜がまさにそうだった。倉庫の確認をしに行った慫子へ、酔っ払った愎島が現れ、復縁を迫ったとか。
拒否した慫子は、愎島を冷凍貯蔵庫へ閉じ込め、合い鍵を奪って施錠した――?
このどちらかで間違いないだろう、と徳憲は考えた。
あとは科捜研からの分析待ちだ。特に化学科の怒木は、今回の事件をどう思っているのか興味深い――。
RRRR。
「ん、電話だ……もしもし?」
『――やぁやぁ徳憲くん、ぼかぁ怒木だよぉ』
噂をすれば影が差す、というのは現実にある。
科捜研からのいらえを望んだ直後に、よもや本人から連絡が入るなんて運命的な縁を感じずに居られない。
「怒木さん、何か鑑定結果が出たんですか?」
『細かい内容はメールに添付して送信しておくけどぉ、簡潔に言うと、ガイシャの死体からは微量の砂粒が検出されたよぉ』
「砂粒……?」
思いも寄らない話題を振られ、徳憲はまぶたをしばたたかせた。
死体の検分と言えば法医科を浮かべるが、怒木は化学科である。何を調べたのだろう。
「その砂粒が、何かあるんですか?」
『ガイシャの靴底に入り込んでいたのさぁ。砂は東京近辺のものではなく、もっと言えば関東の土質ですらなかったんだなぁ』
化学第二係の職掌には、土壌や微粒子、微小物の鑑定も含まれる。
事件現場と人との関連性を示す上でも、土壌や土質、砂塵などの鑑定は現代科学捜査で重視されているのだ。
例えば実在の事件『世田谷一家殺人事件』では、犯人の遺留品に微量の砂が混じっていた。この砂はアメリカのモハージュ砂漠の土壌と一致した。つまり犯人はその土地へ行ったことがある人物に絞られるわけだ。
『ガイシャから検出された砂粒は、北陸の観光地・
「東尋坊!? って、自殺の名所の?」
あまり歓迎できない異名だが、実際に自殺防止を呼び掛ける看板が現地に散見されるほどの『自殺の名所』だから仕方ない。
風光明媚な観光スポットでもあり、名前の由来となった大昔の僧侶『東尋坊』がこの崖から突き落とされた逸話から、飛び降り自殺の志願者を引き寄せるようにもなった。
「つまり、愎島さんは東尋坊へ行ったと? 何のために?」
自殺しに行ったのか?
しかし彼は飛び降りず、なぜか倉庫で凍死していた。
『さぁ……でも東京から北陸まで行く場合、何らかの交通手段を使うからねぇ。電車のカメラや駅員の目撃、車なら高速道路のカメラとかに記録されているはずだよぉ』
「いつ行ったんだろう。休日も満足に取れなかったのに……いや、一日だけ休んだのか」
徳憲は思い出した。
地悶が述べていたではないか。先日、休みを取らせたと。
本当は二日休ませたかったのだが、一日で切り上げて出勤したのだと――。
『おおい徳の字、元気にやってるかあい?』
「!?」
すると、電話の向こうが別人の声に変わった。
受話器の奥では怒木が『あっ慂沢くぅん、駄目だよぉ勝手に電話をかすめ取っちゃあ』などとうろたえている。
慂沢友悸。化学科第四係の研究員だ。酒好きで、斜に構えた中年男性。
「慂沢さん、どうしたんですか突然」
『いやぁオレサマも分析結果が出たんでなあ! 見れば怒木の旦那も電話してたんで、ついでにオレサマも報告したくて割り込んだのさ!』
割り込んだ、と明言した。
何とも傍迷惑な御仁である。そうまでして伝えたい成果があったのか。
『オレサマは死体のアルコール検査をしたんだがよお! 揮発性の高えアルコール検査にゃあ「ヘッドスペース・ガスクロマトグラフィー」を使うんだぜえ。揮発性物質はガイシャの血液や臓器から成分を抽出して検査するんだが、気化させた物質をヘッドスペース以下略に吸収させて反応を調べたっつう寸法さあ!』
「はぁ……それで?」
『ガイシャ、飲み過ぎ。ありゃあ急性アル中になってもおかしくないぜえ? どんだけ飲まされたんだっつう話。よもや酔い潰すために同伴者が煽ったんじゃねえだろうなあ』
「酔い潰すために? そうか、そういう考え方もあるのか」
愎島が酒に溺れたのではなく、本当は地悶が酒に酔わせて殺そうとした?
『睡眠導入剤も検出されてるぜえ。ガイシャは鬱&寝不足だったらしいから、常用していたのかねえ? もしくは、酔い潰すついでに誰かが一服盛ったか――なあんてね』
睡眠導入剤!
ますます他殺の線が濃くなって来た。
「ありがとうございます、慂沢さん」
『いいってことよ。オレサマだって無類の酒好きだ、酒が関わる犯罪にゃあ頭を悩ませてるし、心を傷めてるんだぜえ』しらふなのに呂律が回っていない慂沢。『オレサマが懸念してるのはさあ、こうした事件が広まることで、ますます酒のイメージが悪化することなんだよ。若者の酒離れ、酒類の売上は年々減少し、高え酒税の問題もある……まあ税金は煙草の方が矢面に立ってるけどなあ』
「飲酒運転とかの悪いイメージが広まって、お酒を飲む人はさらに減りましたしね」
『そうそう! そうなんだよ! もちろん飲酒運転は駄目だぜ? けどそれ以上に周りが委縮して「飲まねえのが無難」って風潮になっちまったじゃん。確かに酒はしばしばトラブルを起こす。酔った勢いで人を殴る、殺す、女を犯す、車で轢く。犯罪じゃなくてもアルハラ問題、夫婦や親友間も酒が原因で喧嘩別れしちまうことだってある』
なまじアルコールの鑑定に携わっていると、そういう事件ばかり目の当たりにしてしまうのだろう。
酒がもたらす社会的影響と、犯罪発生率の密接性。
心のタガを外してしまう酒の恐怖。
酒は百薬の長であるが、それ以上に闇も多い。酒は脳を支配する。心を縛る。依存症や中毒の心配だってある。人の道をたやすく踏み外すことも――。
『今はまだねえが、もしも酒の規制なんて世論が騒ぐ事態になってみろ。小さな事件の積み重ねで、それはいつ起きても不思議じゃねえ。だからオレサマは不安なんだよ、安易に酒を引き合いに出すなって。酒のせいで事件が起きたんじゃねえ、当事者たちの、本人の問題なんだぞってさあ』
「判ります、モノのせいにして逃げちゃいけませんよね。よくアニメやゲームのせいにするマスコミとかも同じですけど」
『おうよ。だから頼むぜ徳の字。ガイシャがなぜ東尋坊へ行ったのか、それさえ判りゃあ事件は必ず解明できる。酒のせいにはしねえでくれ。オジサンからのお願いだ』
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