2――酒に溺れて自殺したい(前)


   2.




「スーパーの防犯カメラには、副店長の姿は映っていませんでした」


 という部下の一報を受けた徳憲は、外面的には素っ気なく振る舞ってはみたが、内心の落胆は否めなかった。

 スーパーに赴いた徳憲は、さっそく店内を調べて回った。中でも守衛から提供された防犯カメラは真っ先に手を付けたものの、あいにく役には立たなかった。


「カメラはどこに設置してあるんだ?」

「店舗の入口と裏口だけです。倉庫には付いていません。金目のものがある入口のレジ付近と、裏から入れる事務室の金庫周りのみですね。今はカメラ代も馬鹿にならないんで、ダミーカメラでごまかしている店が多いんですよ」

「そうか」


 まぁ、そんなことだろうとは思った。

 昨晩、倉庫へ被害者以外の誰が近寄ったのかは、依然として不明のままだ。事務室の防犯カメラも夜中に人が来た記録は一切なかった。


「これで問題点は絞られて来たな」


 徳憲は自分なりに考えをまとめる。ストーリーをひねり出す。

 部下も守衛も目を丸くした。


「というと?」

「倉庫の鍵をいつ、誰が持ち出したのかだ。鍵がないと冷凍貯蔵庫には入れない。しかし昨夜、それを持ち出した者は確認できなかった……となると」

「夜でなければ、早朝ですか? 今朝、出勤した誰かが鍵をくすねて閉じ込めたと?」

「そう。死亡推定時刻が特定できない現在、凍死したのが夜中とは限らないからな」

「しかし早朝シフトと言っても、一番早く店に来た人だって午前六時とかですよ。事件発生が七時前。わずか一時間足らずで、あそこまで凍るでしょうか? 検死の結果にもよりますけど……」


「もしくは昨晩、閉店前に事務室から鍵をくすねて退勤した」指を鳴らす徳憲。「鍵を事務室に戻した振りして、持ち去った。その後ガイシャを倉庫に閉じ込め、一晩かけて凍死させる。犯人は今朝の出勤と同時に鍵を事務室へ返しておく」


「ああ、なるほど……」

「ゆうべの締めのシフトと、今朝の早朝シフトに共通する店員が居れば、それが犯人ホシだ」


 徳憲はそう呟きながら、ちくりと胸を痛めた。

 ――怒木慫子。

 科捜研の、怒木の娘。


 昨晩の締めも、早朝シフトも、彼女が出勤していたではないか。


 あつらえたように死体の第一発見者でもある。

 殺人は第一発見者を疑え、というのは警察の常套句だ。


(まさか、あの子が……? あんなに青ざめていたのに? 実は自分の犯行だとバレないかヒヤヒヤしていただけか? あるいは狼狽する演技?)


 徳憲の胸中で邪推が渦巻く。

 彼女は副店長と付き合っていたという。しかし最近は不仲という説もある。

 色恋沙汰は人を狂わせる。愛が憎しみに変わることもしょっちゅうだ。何があってもおかしくない。


 徳憲は守衛室を後にした。すぐ隣は事務室になっていて、地悶店長が待ち構えている。

 チェーン店の雇われ店長だ。警察が出入りするのは店の評判に関わるので、あまり歓迎してくれない。とはいえ人が死んでいる以上、協力せざるを得ない。


「店は営業を再開しました、事情聴取はワタシがここへ呼び出しますんで、出来るだけお客様の目に付かぬようお願いします」

「承知しています」頷く徳憲。「まずは、地悶店長から確認を取りたいですが」

「……ああ、そうですよね」


 事務室のスチールテーブルとパイプ椅子に手をかけ、地悶は大義そうに腰を下ろした。

 改めて話を聞きに来たのは、言うまでもなく愎島副店長が死亡するまでの経緯だ。


「愎島は働き者でした。まだ若いのにバリバリ切り盛りしてくれました。ワタシの仕事がなくなるほどに、ね」

「優秀な右腕だったんですね。業績も良かったんですか?」

「それはもう。全店舗で月間一位の売上を出して、経営陣から表彰されたこともありますよ。彼はまだ二五歳でしたが、高卒と同時に入社したので、キャリアはそこそこあるんです。この店のことは何でも知っていましたし、他店から異動して来たワタシ自身、愎島から教わることも多かったです」


 地悶はハハハと苦笑した。

 負い目のようなものを感じさせる面差しだ。年下かつ立場も下の者に劣っているというのは、彼自身もやりにくい側面があったに違いない。


「人一倍働き者だった愎島と比較されて、ワタシは怠慢店長だのサボり魔だの、愎島に仕事を押し付けているだの、パート連中から陰口を叩かれたりもしました」

「えっ? それは心ないですね」

「まぁ、事実ですから」ますます自嘲する地悶。「現に愎島くんは、働き過ぎて日に日に痩せ衰えました。副店長に昇格してからは、ワタシのフォローをしつつ現場のチーフもこなすという激務にさらされ、休日返上で出勤していました」


 サービス業の闇が、ここにあった。

 徳憲は苦虫を噛み潰す。


「過労、ですね」

「ええ。ワタシは無理せず休むよう忠告したんですが……少しずつ彼は心を病み、ふさぎ込むようになって行きました」


 生真面目な働き者ほど責任感に縛られ、ときに心身の限界を超えてしまう。

 慫子と不仲になったのも、仕事にかまけ過ぎたせいだろうか?


「どれくらい休まなかったんですか、愎島さんは?」

「一ヶ月無休だったこともザラでした。さすがにマズイんで、先日ワタシがきつく言い付けて、強引に休ませましたけど」

「先日、ですか」

「はい。二日休ませたんですが、愎島は店が心配だと言って、二日目には出勤して来ました」やれやれと嘆息する地悶。「ワタシは彼と話をすべく、飲みに連れて行きました。彼も酒の力で気分を晴らしたかったのか、異様に早いピッチでした」


 酒に溺れてしまったか。

 確かに飲酒がストレス解消になることはある。ただし、やり過ぎると依存症の危険性も高まるが――。


「会話の内容を詳しくお願いします」

「最初は仕事の悩みでしたね。人手不足やシフトの調整、経営陣からのノルマをどうこなすか……先日も、新商品やコラボ商品の見通しが出なくて愚痴っていましたよ。そのせいで休みも取れない、恋人とも別れそうだと。もう死にたいって言っていました」


 死にたい?

 のか?


「鬱状態からの自殺は、心境的にあり得ますね。失恋も拍車をかけそうです」

「飽くまでも伝聞ですよ? ワタシは愎島の恋人なんて知りませんし」


 地悶はかぶりを振った。

 交際相手は秘密のようだ。職場恋愛は周りがうるさいから伏せていたのだろう。

 徳憲は曖昧に相槌を打って、話を切り上げた。


「判りました。念のため、最後にハシゴした居酒屋を教えていただけますか?」

「駅前商店街の焼き鳥屋と、外れにあるバーです」

「ありがとうございます。では次に、怒木慫子さんを呼んで来てもらえますか」


 徳憲はさらなる事情聴取を要求した。

 現状、台風の目ともくろんでいるのが慫子である。愎島の恋人だったことを知らない地悶は、彼女が第一発見者ということもあり即諾してくれた。

 ほどなく怒木慫子が事務室へ入る。

 反対に地悶はフロアへ出て行った。業務を代行してくれるのだろう。


「こ、こんにちは」未だにオドオドする慫子。「まだ、何かお話が……?」

「初動捜査ではありがとうございました。もう少し尋ねたいことがあって来ました」

「はぁ……」

「愎島さんと交際中、何か彼に変わった様子はありませんでしたか?」

「は……っ?」


 慫子は息を詰まらせた。

 なぜそれを知っているんだと咎めるような敵視を――初めて感情のこもった視線を――徳憲めがけてぶつけて来た。


「ど、どこでそれを……あ、もしかしてお父さんが?」

「済みません、こっそり話を聞いて来たんです。彼に異変はありませんでしたか?」

「異変、というか……」双眸から消える感情。「いつも店長から仕事を押し付けられて、朝から晩まで働き通しでした」

「押し付けられた?」

「愎島さんの方が業務をこなせるし、パートからも人気があったんです……店長はぶっちゃけ、お荷物ですから。あっ、これ聞かれてないですよね?」


 慫子は声を潜め、周りに目を光らせた。

 大丈夫、誰も居ないし聞き耳も立てていない。


「今の店長はお飾りです……愎島さんが実質的にお店を回していました。まだ彼は年齢が若くて、そのせいで副店長止まりですけど……三〇を過ぎたら店長に昇格するって確実視されていました。今の店長はまた他店へ左遷されるでしょうね」

「左遷ですか」

「もともと店長がうちへ来たのも、人事異動という名の左遷だったみたいです。チェーン店ですからね、前の店でポカをやらかしたらしく、異動になったそうです」


 パートタイマーからも辛辣な評価を喰らう地悶の、普段の振る舞いが想像できた。

 どんな雇用契約かは知らないが、グループの社員として雇っているのなら、経営陣もなかなか首を切れないのだろう。仕方なく店長職をたらい回しさせている。


「なるほど。それで慫子さんは、頑張り屋な副店長に魅かれたんですね」

「え、ええ……最初のうちだけ、ですけど」


 慫子は言いづらそうに唇をすぼめた。

 うつむいて、ほぞを噛む。もじもじと体をゆする。仕草が痛ましい。

 そうか、もう二人は別れたのだ。熱はとっくに冷めている。昔のことを蒸し返されるのは心苦しいに違いない。


「愎島さんは仕事が忙しくて、ろくにデートも出来ませんでした……初めは家にも招待したんですけど、次第に来なくなり、メールやラインすら途絶えて……かなり参っていたようです。鬱というか無気力というか……寝不足もひどくて、今にも死にそうでした」

「鬱ですか。心を病んで、自殺をほのめかすようなことは言っていませんでしたか?」

「自殺……いえ、どうでしょう……あ、でも」

「でも?」

「でも……」わななく慫子。「私、愎島さんへ叫んじゃったんです……彼があまりにも仕事を優先し過ぎで、プライベートで全然遊べなくて、嫌気が差して――」



『そんなに仕事が大事なら、仕事と心中すれば!』



「――って捨て台詞を吐いちゃって、それっきり別れることにしたんです……」


 心中。

 死を示唆する断絶宣言だ。過労で疲れ果てる中、恋人に容赦ない一言を叩き付けられたら、立ち直れず自殺したくなるのも無理はない。


「あの、私、決して本心じゃなくて……」おろおろと言い訳を始める慫子。「カッとなって、つい……愎島さんとは、私がパートに入った当初から目をかけてもらっていて……」

「それは存じていますよ」

「そ、早朝シフトや、閉店後の締めも一緒のことが多くて、それがきっかけで付き合うようになって……合い鍵で倉庫内の廃棄品を都合してくれましたし……」

「ん? 合い鍵があったんですか!」


 思いがけない言葉を拾えた。


「あ、これも内緒なんですけど」罰が悪いにもほどがある慫子。「閉店の戸締まりをする際、個人で鍵を持っていると融通が利いたんです。それで、私と彼で一つずつ……」


 合い鍵を作ったのか。

 ということは、事務室に保管されている正規の鍵を使わずに済む。

 防犯カメラに映ることなく、冷凍貯蔵庫を出入り可能――。


「その合い鍵はどこに?」

「え……まさか、それが犯行に関係あるんですか? 合い鍵の存在が表沙汰になると困るんですけど……」

「そんなことを言っている場合じゃありませんよ! 愎島さんの死体からは、合い鍵は発見されていません。倉庫の鍵を何者かが奪い、彼を閉じ込めたんです!」

「では……彼の合い鍵を隠し持っている人物が……犯人?」

「そうなりますね」


 徳憲は断言した。

 その犯人候補に、慫子も含まれていることは、黙っておいたが。




   *



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