2――未解決の巣窟(後)
眼帯刑事に連れて来られたのは、コンピュータディスプレイがずらりと並べられた検索ルームだった。
警察が集めた古今東西の犯罪資料が保管された、ビッグデータの宝庫である。
すでに何名かの捜査官が利用しており、捜査に引用する情報をピックアップしては印刷したり、はたまた手持ちのメモリーディスクに保存したりと、事件解決に勤しんでいる。
「これですわな」
眼帯刑事は、一台のパソコンに手を付けた。
椅子に座る時間すらもどかしいとばかりに、立ったままマウスを操作する。
画面に立ちあがったのは、一本のソフトウェアだった。
『DNA型情報検索システム』
それを見た直後、愉本が目を輝かせた。
法医科の研究員らしい反応だ。特に彼女はDNA分析を得意とするから、この手の情報端末には目がないのも合点が行く。
「え~、え~、これってもしかして~、今まで犯罪者たちが残したDNAの一覧が載っているやつですか~?」
「そうですわい。ここには、DNA鑑定技術が熟練された二〇〇四年十二月以降の、国内で採取されたあらゆる刑事事件のDNA鑑定結果が記録されているんですわ。加害者、重要参考人、事件関係者、被害者のDNAに至るまで余さず」
「おお~~っ。いやんっあふんっ、体がうずいちゃう、遺伝子が欲し~っ!」
「現在では三〇万件以上ものDNA情報が保管されていますわい」
「これ知っています」便乗する徳憲。「犯罪者の再犯を検索するときにも使えますよね。特にレイプ犯の場合、現場に遺留した体液のDNA情報を検索すると、前科者が引っかかることが多いんです。一発で犯人が判るんです」
このシステムは警視庁の他、神奈川県(横浜)や愛知県(名古屋)、兵庫県(神戸)、宮城県(仙台)、石川県(金沢)と言った、各地の主要都市にも設置されている。いずれは全都道府県に配備される予定だ。
「実は憶寺懲ノ介というご老体、DNAを検索すると昔の事件にヒットするんですわい」
「前科者ってことかしら~?」
愉本が嬌声を上げた。
体をよじらせ、身悶えし始める。狂おしい気持ちであることは伝わったが、傍目にはセクシーポーズでよがっているようにしか見えない。
「憶寺懲ノ介は過去にも一度、事件を起こしているんですわい。恐らくまだミオパチーを患う前でしょうがな」
実際、システムには憶寺の若かりし写真が表示された。
若い身空で犯した過ち。罪状は『殺人未遂罪』だった。
殺しこそしなかったが、被害者を意識不明の重体に追い込んでいる。血気盛んなギラギラした目付き、猛獣のごとき口腔と歯並びを見るにつけ、昔から荒っぽかったようだ。
今の憶寺にも面影がある。挑発的な野性味あふれた目付きは全く変わらない。
「過去の傷害事件でも、やはり騒音トラブルが原因だったようですわい」
「!」
愉本の元カレを殺した事件と寸分たがわぬ動機ではないか。
「要するに、憶寺懲ノ介は神経質なんですわ。隣人の出す物音が異様に気に障る、耳に残る。そうした神経症かも知れませんわな。昔は精神医学も未熟だったんで、その辺は追求されなかったようですが、今ならそっち方面の診断も出来そうですわな」
「騒音に敏感で~、過去にも同様の事件を引き起こしていたのね~……これはも~、こいつの犯罪で決まったよ~なものだわ」
愉本はますます盲信した。
「そこで提案ですわい」
こちらへ向き直った眼帯刑事の左目が、二人を捉えた。
片目なのに鋭い眼力である。徳憲と愉本が思わず身じろぎするほどの眼光をたぎらせ、眼帯刑事はこう告げる。
「事件を掘り返すに当たって、まずは憶寺懲ノ介の精神状態を確認する必要がありますわい。奴が当時のことをどれくらい覚えているのか。科捜研には心理学の専門家が居ますわな? 憶寺に心の検査をして欲しいんですわい」
「心理学の専門家、ですか」
「そうですわい。徳憲さんからの鑑定依頼ということで一つ」
「俺がですかぁ?」
徳憲は間抜け面で自分を指差した。
彼もすっかり頭数に入れられてしまっている。
「ん? 実ヶ丘署で任意捜査していたんですわいな?」
「いや、成り行きで同伴しただけですけど……まぁ今は目立った事件もなく手すき状態ですが」
「あ~ら、なら手伝ってくれても良いんじゃな~い?」
愉本が抜け目なく飛び付いた。
徳憲に抱き着き、体を押し付けて来る。
面倒なことになったな、と徳憲は舌を巻いたものの、すでに遅い。
おまけに『心理学の専門家』と来た。
そんな人物、科捜研で手を貸してくれそうなのは、一人しか思い当たらなかった。
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