転
3――今スグ人形ヲ捨テロ(前)
3.
翌日。車を特定した捜査班は、非常に迅速な動きを見せた。
警視庁内にある別組織・捜査支援分析センターに防犯カメラの調査を依頼した所、該当するメーカーの青いセダンが見付かったのだ。
事故現場である実ヶ丘駅の裏手から逃走し、しばらくは細い路地や民間道路を辿っていたのだろうが、いずれ大通りや目抜き通り、国道へ出なければならなくなる。
その際、街の防犯カメラに何度か車両が映り込んでいた。
実ヶ丘市の
「恐らくこの付近です」
徳憲警部補は、海浜区の閑静な住宅街をしらみつぶしに見て回った。
海が近いため、潮の香りが鼻腔をくすぐる。粘ついた湿気が肌に障るものの、遠く広がる海原の風光は明媚であり、八月の蒸し暑さを和らげた。
徳憲と交通課の禿頭は、やがて一軒のガレージに着目する。
「青いセダン、ありましたね!」
徳憲が柵へむしゃぶり付いた。
禿頭も追いかける。さすがに敷地内へ立ち入ることはしなかったが、門前にかじり付く後ろ姿は警察とは思えないほど不審者だ。
駐車された青いセダンは、尻を外側へ向けている。フロントマスクはガレージの奥に隠れていた。人を轢いたとしたら前面に痕跡が残るだろうから、出来ればそっちを観察したい所だが――。
「車のフロントを隠すように駐車していますね」
徳憲は勘付いた。
ガレージの奥側なら、轢き逃げの痕跡が人目に付かずに済む。そして何より――。
「あのサイドミラー、ひび割れていますぞ」
禿頭はさすが、よく気が付く。
その通りだった。畳まれたサイドミラーだったが、どうにかして見る角度を変えれば、うっすら亀裂が入っているのが垣間見えた。
「確か現場には、割れたガラス片があったなぁ……」
徳憲は神妙に思い出す。禿頭も頷いた。
「ありましたな、巡査部長殿」
「あれはサイドミラーの欠片かも知れません。轢いた衝撃で割れたのか、それとも他の要因があったのかは定かじゃありませんが――」
何にせよ車両が一致した以上、家の主に質問しない手はない。細かい疑問もまとめて尋ねれば済むことだ。
インターホンを鳴らし、家人の応答を待つ。
世間では盆休みということもあり、家族そろって滞在しているようだった。まずは妻らしき声が応対し、徳憲たちが警察だと告げた途端にハッと声を殺した。ややあって玄関からそっと顔を出す。
門を開けて招き入れられた徳憲が警察手帳を掲示すると、青ざめた表情で旦那を呼びに戻った。
小さな息子の姿が、廊下を横切った。まだまだ新しい家庭だ。仮に夫が轢き逃げ犯だとしたら、家族の崩壊は免れまい。懲役、免職、一家離散の危機もあり得る。だがそれは自業自得だ。警察は心を鬼にしなければならない。
(気の毒だけど、犯罪は犯罪だ)
徳憲は先日のあらましを手短に話した。
たちまち旦那が鬼気迫る形相で硬直する。身に覚えがあるようだ。犯人で確定か。
「防犯カメラに、逃走するあなたの車が映っていたんです」
「お、同じ型の車じゃないんですか。あの車種は数こそ少ないがマニアックな人気モデルだし、うち以外にも乗ってる人は居るでしょ」
「そうであることを確認するためにも、お車を見せてもらって良いですか?」
「そ、それは……」
言い淀んでいる。もうひと押しだ。
そのとき子供が寄って来て、無邪気に両親へのたまった。
「そういえばパパ、車をぶつけたって言ってたね? しばらく車に乗るのはよそうって。駐車するときも、今まではバックで車庫に入れてたのに、この間から前向きで停めっ放しだし」
「シッ!」
「馬鹿、余計なことをほざくな、あっち行ってろ!」
子供を追い払う夫婦を見るにつけ、徳憲はやる瀬ない溜息をついた。
「言い逃れは出来ませんよ」
「ううっ……」
夫はがっくりと肩を落とした。
隣では妻も同様に、意気消沈している。どうやら轢き逃げを知った上で黙っていたようだ。車の傷を隠し、轢き逃げを秘匿しようと試みた共犯者――。
完全に観念したのか、夫婦は車のキーを持って来た。ガレージから出した車両の前面には、なるほど人を撥ねたらしき傷とへこみが見て取れた。
わずかに付いた赤い汚れは、血痕だろうか。怯間の返り血で間違いなかろう。そして割れたサイドミラー。自動で折り畳まれているが、手でも動かせるので開いてみる――。
――蜘蛛の巣のように、放射線状に亀裂が走っていた。
おや、と徳憲は違和感を抱く。
「普通の割れ方じゃないですね」
「一点に強い負荷がかかると、こういう割れ方になるんですよ」
禿頭がしかつめらしく解説する。
Pフォンで写真を撮り、画像データを警視庁の中央管理システムへ転送した。独自回線で全国に繋がれたこのスマホは、捜査に必要な画像や動画をすぐさま専門班へ回し、分析してくれる体制が確立されている。
「分析結果が戻って来ました。やっぱりこれ、銃弾の
「やはりそうですか……」
禿頭の直感は的中した。
弾丸を喰らったガラス片やミラーは、このような放射線状の傷を刻みやすい。
「わ、私のせいじゃない!」責任転嫁する夫。「そう、運が悪かったんです。ちょうど近くで立てこもり事件があって、道路が封鎖されたじゃないですか。だから裏道をショートカットして帰ろうとしたまでです。なぁ?」
「そ、そうです」後追いする妻。「あれは買い物の帰りでした……裏道を抜ける途中、遠くから銃声のような音が
銃声。
確か怯間も呟いていた。
目撃者も「銃声がした」と述べていた。
「いきなりサイドミラーが砕け散ったから、びっくりしてハンドルを切り損ねて……気が付いたら、近くを歩いていた人間を轢いてしまったんです」
夫は力なくうなだれた。
真偽は判断しかねるが、話を聞く限りではつじつまが合う。
「なぜすぐ通報しなかったんですか」
「こ、怖くなってしまって……人を轢いたら重罪じゃないですか。まだ家のローンも残っているし、仕事も失いたくない、捕まりたくない、そう考えたら逃げるしかなくて……」
「轢いた被害者に恨みとかはなかったんですね?」
「も、もちろんです。見ず知らずの他人ですよ」
怨恨ではなく、偶然轢いただけ。
それは間違いなさそうだ。
「銃弾が飛んで来た、ということですかな」
禿頭が問いかける。徳憲は同意した。
「ですね。流れ弾かな? 立てこもり事件は数発の発砲があったそうです。立てこもり犯も猟銃を持っていて、銃撃戦になったと聞きました」
別件との検証も必要になって来た。
轢き逃げと立てこもり事件。発生現場が近かったので、流れ弾がこっちへ来ても不思議ではない……?
「現場の再調査をしましょう。サイドミラーを割った銃弾が落ちているはずです」
「しかし、本当に落ちていたら、初動捜査で見付かると思いますよ。もしくは、屋外の道端ですから、人波や風に流されて、すでに紛失してしまった恐れも――」
「それでも探すしかないですよ!」
徳憲は押し切った。
手がかりは銃弾だ。弾丸の種類や線条痕が判れば、どの拳銃から撃たれたものかが判明する。立てこもり事件との関連も、それで明らかになるだろう。
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