2――ハルマゲドンを告げる天使のラッパのような(後)


 徳憲は大急ぎで覆面パトカーを走らせた。目指す先は、実ヶ丘市民病院だ。ICUや病室もちょうど一室だけ空いていたらしく、怯間の手術はスムーズに進んだ。


 交通課の禿頭と二人で到着するなり、先んじていた捜査官らと合流を果たす。

 怖川は来ない。彼は現場に残り、鑑識課と行動することを選んだ。怯間に会うのは、事件が解決したあとでも遅くはない、と彼の双眸が物語っていた。

 怯間の病室に案内され、入口のドアが開かれる――。



「フハハッ……鎮まれ我が右腕よッ! 怪我でときどき勝手に痙攣する右腕よッ! 我が体内に眠りし邪竜の怨念が復活したがッているかのようだッ!」



 ――怯間がベッド上で何事か叫んでいた。

 肩から胸にかけて包帯をぐるぐる巻きにされ、ところどころ頭部や手足にも包帯と添え木、湿布が見て取れた。

 中でも右腕は骨折したらしく、大仰にギプスがはめられている。己の意志で動かせないため、寝たきりの怯間は暇つぶしに独り言を口上していたと見える。


「クックック、これもまた宿命かッ……我が右腕に宿りし真の力を解放すれば、たちまち世界が滅びてしまうからなッ。こうして身体を拘束されているのは、地球の安全が保証されている証でもあるのさッ……フハハ、フハハッ、フゥハハハァ――」

「元気そうですね、怯間さん」

「――フヒャアッ!?」


 徳憲に話しかけられて、怯間の声が裏返った。

 自分の世界に浸りすぎて、周りが見えていなかったらしい。現実に引き戻されて慌てふためく怯間だったが、どうせ絶対安静で身動きなど取れやしない。せいぜいキリッと決め顔を気取るのが関の山だ。


「フ、フンッ。見られたからにはやむを得んッ! 我が身をくるんだ包帯は、いわば封印の術式だッ。我が肉体を束縛する結界として作用しており――」

「寝言はどうでもいいです、あまり面会時間が許されていないので」


 ぴしゃりと徳憲が遮った。

 怯間は不満そうだったが、しぶしぶ従う。また覚醒したばかりで体力がないのだ。面会時間が短いのは仕方がない。


「このたびはお気の毒様でした」会釈する徳憲。「手短に聞きます。怯間さんを轢いた車両や運転手の顔を覚えていたら、ぜひ教えて下さい。事故当時の状態も、思い出したことだけ簡潔に」

「フハハッ。我の知恵を借りようと言うのだなッ? 良いだろう、この稲妻を司りし白銀の堕天使である我が頭脳、電光石火の情報認知能力と空間把握能力をもッてすれば、いかなる事象も千里眼のごとく見透かせるであろうよッ」

「いや、普通に思い出して下さい」

「…………。銃声が鳴ッたんだ」


 気張るのも疲れたのか、怯間は声のトーンを落とした。


「銃声?」

「そうだッ。あれは例えるなら、ハルマゲドンを告げる天使のラッパのような――」

「普通にお願いします」

「…………。その音が響いた途端、そばを通ッた一台の車がハンドルを乱し、我めがけて肉迫したのだッ」

「やはり銃声が鍵なのか……交通課さんはどう思いますか?」

「予断は禁物です。帰りがけに科捜研へ寄ってみましょう」禿頭の提案。「物理科と鑑識課が回収した遺留物に、ヒントが隠されているかも知れませんぞ」

「はぁ……」

「交通課はこの手の犯罪には慣れっこですから、直感がそう告げるのですよ」


 そう言われては反論できない。車の事件は交通課が専門だ。

 言われるまま徳憲は病院を辞し、科捜研へとパトカーを向かわせた。前述もしたが、鑑識課では調べきれない詳細な鑑定を、科捜研に任せるのが警察のセオリーだ。


 警察総合庁舎の七階に広がる、科学捜査研究所。

 第一法医科で受付を済ませ、物理科の戸を叩く。中へ招き入れてくれたのは、他でもない怖川だった。

 研究員は他にも居るが、彼はずっと徳憲を待っていた素振りである。調べものに目処が付いたのだろうか。ならばそっちから連絡を寄越せと言いたかったが、黙って待ち続けるのがいかにも怖川らしい。


 さまざまな実験機材や鑑定機器が並ぶ室内を、怖川は自分のデスクまで先導した。

 デスクトップ・パソコンのマウスをクリックする。武骨な手に覆われて視認できないマウスを器用に動かし、一つのソフトを起動させた。


「これは?」


 徳憲が問う。

 怖川は一言も教えない。代わりに口を開いたのは、交通課の禿頭だった。


「部品の分析表ですな。塗膜片やガラス片などのわずかな欠片かけらさえあれば、それがどの車種に使用されたモノなのかを割り出してくれるのですよ」

「――――……」


 こくこく、と怖川は相槌を打った。

 指を伸ばした先には大きな箱型の装置があり、中で塗膜片が光を当てられていた。赤外線のマークが表示されている。光の反射や吸収率を測定し、材質を鑑定しているのだ。

 別の台では顕微鏡で断面を観察したり、X線による元素解析も行われたりしていた。


「ソフトによれば、車種は特定できたようですぞ」パソコン画面を読み上げる禿頭。「現場に残された痕跡や断片から、車両を特定できる科学力……さすが科捜研ですな」

「――――……」


 怖川は鉄面皮のような顔面を、少しだけほころばせた。

 はにかんでいるようだ。

 この仏頂面が相好を崩すなんて珍しい。それはそれでちょっと怖い。


「このメーカーで青いセダンと言えば、かなり持ち主は限られそうですね」Pフォンを取り出す徳憲。「捜査チーム各班に連絡。街の防犯カメラから該当車両を追跡し、すみやかに持ち主を確保せよ!」


 方針は決まった。

 ストーリーは出来上がりつつある。

 ともすれば早々にスピード解決できるかも知れないが、徳憲は誤認逮捕という苦い思い出を考慮して、慎重に捜査を進めた。




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