2――ハルマゲドンを告げる天使のラッパのような(前)


   2.




「あっどうも、実ヶ丘署強行犯係の徳憲とくのりと申します!」


 警察手帳を身内に提示する必要はないが、徳憲忠志ただしは見せておいた。

 正面には、交通課の私服捜査官が立っている。クールビズの禿げた中年男性だ。


 事故現場である実ヶ丘駅の裏通りは、人っ子一人見当たらない。人払いを済ませて縄張りを張っては居るものの、それでも繁華街ともなれば多少は野次馬が群がるものだが、この裏手には人垣すら形成されなかった。

 ビル影のせいで陽光すら射し込まない、真の日陰。現代の死角――。


「轢き逃げ事件と聞いて、実ヶ丘署から馳せ参じました! よろしくお願いします!」

「合同捜査、よろしくお願いしますぞ」


 交通課の私服捜査官と握手を交わす。

 交通事故は通常、交通課の警官が処理するものだが、轢き逃げとなると話が変わって来る。傷害事件として所轄から捜査班が派遣され、交通課と合同で捜査するのだ。


「君、階級は?」

「俺ですか? 巡査部長です」苦笑する徳憲。「この間、ドジ踏んで誤認逮捕しちゃいまして。責任を取らされて降格処分になったんですよ、とほほ……」

「ああ、実ヶ丘署きっての敏腕刑事と噂されていた警部補さんに、まさかのミソが付いたやつですな。まぁ気を落とさず。たった一度の失敗でしょう。今までの功績を考えれば、上の方も切り捨てやせんはず。じき復活のチャンスが巡って来ますとも」

「ははは……お気遣い感謝します」


 徳憲より一回りほど年上の先輩に慰められるとは、どうにも背中がこそばゆい。

 とはいえ、確かに引きずっていても仕方がない。徳憲は気を取り直し、改めて仕事に邁進するのみだ。過去の失態にくよくよしても始まらない。

 徳憲は、真夏の日差しから隔離された裏通りを見回すと、忙しなく動き回る鑑識課や部下たちに指示を出した。


「逃走車の目撃情報や、街頭の防犯カメラも、忘れずに洗い出すように!」


 轢き逃げした車両の逃走経路あとあしを追いかけるには、何はなくとも目撃者が不可欠だ。轢いた瞬間こそ無人だったかも知れないが、逃走車はいつか必ず人目のある大通りに出るはずだし、あとから現場を通りがかる一般人だって居ただろう。


 一つ一つの情報を手繰り寄せれば、必ず犯人に辿り着ける。また、街の各所に設置された防犯カメラにも、逃走車両が映っているだろう。何時にどの方向へ逃げて行ったのかを追跡すれば、おおまかな居場所を突き止められる。


「それにしても、被害者がまさか警察の身内だとは、驚きましたな」


 禿頭を撫でながら、交通課が呟いた。

 徳憲は苦々しく唸る。


「ええ。科捜研の物理科に勤務する、怯間恐真さん二九歳……俺、この人と顔見知りなんですよ。何を隠そう俺が降格になった事件の鑑定を依頼していましたから」

「ほう。それは因果なことで」

「でも、彼がのは不幸中の幸いでした!」

「そうですな。病院へ運ばれたのが比較的早かったようです。肩から肋骨にかけて負傷したものの、致命傷は免れたと聞きました」


 そう。

 怯間はまだ、死んでいない。


 轢かれて間もなく、ホビーショップから駅へ向かう通行人に発見されたのだ。迅速な搬送と緊急手術のおかげで、命に別条はなかった。しいて言えば、まだ意識は戻っていないことが唯一の気がかりか。


「一応、彼の所属する科捜研にも臨場要請を出しましたけど――」


 徳憲はちらり、と他方を一瞥した。

 そこにはちょうど到着したらしい、科捜研随一の巨躯が威風堂々とそびえ立っている。服装は白衣から作業服に着替えていた。

 身長二メートル近くもある、筋骨隆々の大男だ。

 いかつい強面は、確実に初対面の相手をおびえさせる。刈り上げた髪と剃り込み、鷹のように鋭い眼光、真一文字に引かれた唇は近寄りがたく、歩けば地響きが鳴りそうだ。


「やぁ、怖川ふかわさん」


 徳憲は手を振って挨拶した。

 正直、彼もちょっと怖かったが、知らない仲でもないため無視するわけにはいかない。


 巨漢の名は、怖川惶太郎こうたろう


 見ての通り、超が付く武闘派だ。そこらへんの警察より腕が立ちそうだが、あいにく彼は研究職である。科捜研の物理科・機械係に勤務する頭脳労働者だ。

 今回事故に遭った怯間とは、同僚に当たる。

 怯間真と川惶太郎、二人の字を取って『コンビ』とも呼ばれている名物研究員である。

 めったに口を利かない怖川は、徳憲と対面しても黙ったままだった。


「――――……」


 頭だけ下げて、それを挨拶代わりとした。

 徳憲も気にしない。直属の部下だったら「声を出せ」と叱る所だが、怖川は畑違いだ。

 怖川は鑑識に混じって、現場の遺留物を這いつくばうように探し回った。

 科捜研の仕事は、鑑識の手に負えない高度な遺留品分析にある。初動捜査に臨場した場合も、まずは鑑識課と一緒になって証拠品をかき集めるのが肝要だった。


「ええと、その、大変でしたね」言葉を選ぶ徳憲。「科捜研は土日、休みでしょう? なのに出動を依頼してしまって」

「――――……」


 それくらいどうってことない、と言いたげに怖川は首を左右に揺らした。たくましい肩の筋肉に首が埋もれていて、かぶりを振る動作が微妙に不格好だ。

 警察は非番の日でも、有事に備えていつでも出勤できるよう自宅待機するのが原則だ。科捜研にも当てはまるのかは不明だが、怖川が臨場要請に応じたのは心強かった。


「――――……」


 怖川は無音で拳を握りしめ、わななかせる。

 憤っているのか?

 怖川が現場を調べるたび、肩は怒り、鼻息を荒げ、全身から殺気がほとばしった。怯間の轢き逃げ被害を憎み、激昂しているようだ。


(同僚が大怪我を負わされたら、そりゃ腹立つよなぁ)


 警察は苦楽を共に過ごす『仲間意識』が根強い。

 同僚ならば特に、連帯感を持ちやすい。

 徳憲は今さらながら、それを目の当たりにした。怖川と怯間は、特に仲が良いとのことだ。共通の趣味でもあるのだろうか。

 そう言えば今日、怯間は趣味の買い物で実ヶ丘駅へ来たらしいが――?


「タイヤこんを撮影します」


 鑑識課の声が聞こえた。

 振り返れば、現場に残された轢き逃げ車両の貴重な痕跡を記録している。

 タイヤをスリップさせた形跡が、アスファルトにこびり付いている。他にも、事故の衝撃による擦過痕さっかこん、車の塗装がガードレールにこすれた塗膜片とまくへんなども採集された。

 怖川はすぐさま鑑識の輪に加わり、情報共有に全力を挙げている。


(彼も彼なりに仲間想いなんだな。よし、俺も負けて居られない)


 警察の本分をまっとうしよう。

 降格で不貞腐れていたが、拗ねていても仕方がない。幸い、巡査部長に降格しても署内ではまだまだ信頼が厚く、徳憲は捜査チームの主力メンバーに数えられている。所轄は常に人手不足だから、そうそう切られることはない。


「じゃあ俺たちは聞き込みをしに行きましょう」

「そうですな」


 禿頭の交通課と連れ立って、現場周辺を足で稼いだ。

 事故当時、不審な逃走車両を見なかったか。特に怯間が入店したホビーショップの利用客ならば、近辺を歩いていたと踏んで、重点的に尋ねて回った。


「ああ、すげぇ勢いで遠ざかるクルマなら見たよ」

「本当ですか!」


 果たして収穫はあった。

 と言ってもその一件のみだが、確かに目撃者は存在したのだ。

 年若い男子学生が、夏だというのに青白い肌で陰気に答えてくれる。その手には、店で購入したらしい美少女フィギュアを詰め込んだ買い物袋が握られていた。

 怯間もこういうのを集める趣味嗜好の持ち主だったということか。それも中二病というカテゴリーなのだろうか。徳憲には判らない。


「どんな車でしたかな?」


 禿頭が食い付く。

 学生は眩しそうに禿頭を見返すと、懸命に記憶を掘り起こしてくれた。


「青いセダンだった気がする。車種やメーカーは判んない。戦艦なら何でも即答できるけど、クルマは興味なくて」


 変わった若者だな、車より戦艦の方が身近なのか。

 ホビーファンというのは不思議な連中だ。そっちの趣味がない徳憲には理解が難しい。


「あと、何かパーンパーンって銃声みたいなのも聞こえたっけ」

「銃声? ああ……」頭に手を当てる禿頭。「近くのビルで立てこもり事件があったんでしたな、SITが出動していましたぞ」

「そんなことが……」


 なぜか徳憲が目を丸めた。

 実ヶ丘駅周辺で、二つの事件が同時に起きていたなんて。

 銃声が鳴ったということは、銃撃戦にまで発展したのか? 民間人に累が及ばないよう道を封鎖したとは思うが、それでも銃声は響いてしまうようだ。


「立てこもり犯の確保と、轢き逃げ事件の発生は、ほぼ同時刻だったようですな」

「へぇ……」


 徳憲はまばたきすら忘れて、ぐるりと天を仰いだ。

 林立する建物の合間から、立てこもり事件のあった雑居ビルが垣間見える。あっちも事後処理で警察が多数詰めているようだ。ビルの窓越しに、屋内を歩き回る姿が窺えた。


「ひょっとしたら、銃撃戦の音に驚いた車両がハンドルを切り損ねて、怯間さんを轢いちゃったのかも知れません」

「その線はありそうですな……おや?」


 前に進もうとした禿頭が、踏み出した右足を地に下ろす直前、慌ててひっこめた。

 足下に何かが光っている。

 日陰でも目がチカチカするそれは、細かく打ち砕かれたガラス片のようだった。


「ガラス片?」


 徳憲はしゃがみ込んだ。白手袋を付けてから、つまんでみせる。


「ふむ。これも車の遺留物ですかな?」

「鑑識さん! これも拾って行って下さい!」


 徳憲が鑑識課に呼びかけた。

 即座に集まって来た数名の鑑識作業員と、科捜研の怖川が物々しい。特に怖川は血眼であり、目を皿のようにして証拠集めに没頭していた様子だった。必死である。


「窓ガラスでも割れたんでしょうかね、それともミラーか――」


 RRRR。


「――な?」


 徳憲の携帯電話『Pフォン』が鳴った。

 警察から支給される、仕事用の特別な携帯電話だ。独自回線とインターネット通信が備わっており、民間に情報が洩れない特殊なプロテクトがかかっている。

 通話相手は、怯間を病院まで付き添ったという捜査官の番号だった。


「おっ。この番号は確か、病院まで連れ立った交通課さんだ。もしもし?」

「――――……っ!」


 病院、という言葉に怖川が反応した。

 徳憲をじっと凝視している。武骨な男に熱視線を送られるのは少し怖かった。


「はい。はい。そうです、俺が強行犯係の徳憲です。ええ、そうですか……おお!」


 徳憲は何度か頷いたのち、ガッツポーズを取った。

 怖川と禿頭が目を見張る中、徳憲は周りにも聞こえるよう復唱してみせる。


「怯間さんが目を覚ましたそうです! はい、まだ小康状態ですが、少しだけなら面会も可能だと……判りました、すぐそっちへ伺います!」


 通話を切った。

 巨体をそわそわさせる怖川に、徳憲は親指を立ててみせた。


「怯間さんの意識が回復したらしいので、さっそく話を聞きに行きましょう! 元気なうちに事故の状況を聴取しなければ!」




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