1――日頃の激務で疲弊した白銀の翼を休める


   1.




 ――時刻は昨日に遡る。

 都内某所の一軒家には『怯間』の表札が掲げられていた。

 ここには一風変わった父子が暮らしている、という噂がある。


「おい恐真! 何だあの散らかった寝室は! 盆休みの初日だというのにだらしない!」

「黙れッ、生活様式の多様性を認めぬ下賤な父よッ! あれのどこが散らかッているのだッ? 我が崇高な趣味嗜好を理解できぬとは実に嘆かわしいッ! 同じ血の繋がッた親子とは思えんわッ!」

「何が崇高だ。部屋中ではないか! 中二の頭から全く成長しとらん! わしは父親として情けないし恥ずかしい!」

「フンッ! そんな古色蒼然とした罵詈雑言など、我が耳には届かぬわッ! 幾億の星々が降り注ぎし天界を追われたこの怯間恐真、今さら二次元フェチシズムを侮蔑された程度でうろたえるとでも思ッたかッ!」

「儂に刃向かう気か! 今すぐ人形を断捨離しろ!」

「だが断るッ! 明日も新たなフィギュアを買いに行く予定なのだッ! 例え父上が一日千体のフィギュアを捨てようと、我は一日千五百体のフィギュアを購入するぞッ!」


 怯間恐真は父を無視して寝室にこもり、翌朝まで熟睡した。

 ベッドを囲むように飾られたフィギュアの群れは、彼を見守る使い魔のようだ。


 ――そして翌日、盆休み最初の土曜日に、実ヶ丘駅へ外出したのである。

 手にはプライベート用のスマートホンを持ち、職場の親友に電話をかける。


「フハハッ、我が盟友である科捜研・物理科に在籍せし怖川ふかわよッ! 聞こえるかッ?」

『――――……』


 同じ職場に勤める同好の志は、寡黙で有名な怖川惶太郎こうたろうだ。

 通話でも極端に口数が少ないため、電話越しには彼の呼吸音しか伝わって来ない。それでも怯間は構わず喋り続けた。むしろその方が自由に語れるから、相性が良い。怖川は無言を活かした聞き上手なのだ。


「というわけでだッ! この怯間恐真、日頃の激務で疲弊した白銀の翼を休めるべく、ここ実ヶ丘駅へと降り立ッたのだッ!」

『――――……』

「なぜここに着地したのか、貴様には判るなッ?」

『――――……』


 かすかに首をブンブンと縦に振るような空気音が伝わった。

 怯間は満足げに頷いて、駅の改札から一歩踏み出す。


「そうッ! ここにはホビーショップの穴場として知られる優良店舗が、ひッそり経営されているのだッ!」


 駅前で両手を水平にかざし、腰をひねってつま先立ちした。

 怯間なりの決めポーズだったが、周囲の通行人は皆、眉をひそめつつ彼を迂回した。どうやら不審者に間違われたらしい。時代の先駆者は常に孤独だ。

 怯間は気にせず、蟹歩きで道を移動し、裏路地から繋がる裏通りへ紛れ込んだ。


「この店は知る人ぞ知るフィギュアの殿堂ッ! プラモデルから超合金、アクション・フィギュアにガレージ・キット……ありとあらゆる二次元グッズがそろッているッ!」


 くるりと一回転して目もとに横ピースした怯間だったが、周囲に誰も居なかったので恥をかかずに済んだ。

 スマホの向こうでは怖川が相変わらず無言で呼吸音だけを伝えて来る。

 が、少しだけ羨ましそうに息を呑んでいる風采でもあった。

 怯間は高笑いで応じる。


「フハハッ! そう言えば怖川よ、貴様は物理科の機械係、三度の飯よりメカいじりが好きなロボットオタクだッたよなッ? 当然、中二心をくすぐるロボット・アニメのフィギュア、戦闘機や戦艦のプラモデルも興味津々のはずッ!」

『――――……』


 こくこくと頷く音が空を切った。

 類は友を呼ぶものだ。怯間は中二病による二次元オタク、怖川はメカマニアによる二次元オタク。ともに共通の趣味を持つ同志なのだ。


「今日は超人気の限定生産フィギュア、ネクロフィリア・ドラゴンの発売日ッ! 今から行く店ならば数も充分に入荷しているはずッ!」

『――――……』


 こくこく。


「我が高配に感謝したまえよッ? 怖川の分も我が資金で買ッてやろうではないかッ。なぁに、代金は後払いで結構だぞッ!」

『――――……』


 こくこくこくこく。

 ものすごい頷かれている。

 怖川も人の子、少年の心を忘れないメカオタクなのだ。そもそも理系や機械工学を志す輩は、大概がメカ好きである。その原点はロボット・アニメであることが多い。


「ハッハッハ! では今から店へ突撃するぞッ! 戦利品を期待して待ッていろッ!」

『――――……』

「まぁ同居人の父上が『そんなもの捨てろ』とやかましいのだがなッ!」

『――――……』


 それは悲しい、といわんばかりに怖川が電話口で嘆息を吐いた。

 いつだって求道者は世間から白眼視されるものだ。人形を愛して何が悪い。二人はそう思って生きている。職場の仲間だから連帯感も強かった。


「我が父上にも困ッたものだッ。若い時分に母上を亡くし、父子家庭で付きッきりだッたから、未だに子離れ出来ないのだッ。我がコレクションに嫉妬するとは許せ――ん?」


 はた、と怯間は足を止めた。

 裏通りの先にある雑居ビルを、取り囲むように警察が群がっていた。物々しい武装をした集団が、防弾盾を構えて隊列を組んでいる。

 ビル周辺には縄張りが敷かれ、誰も近寄れないよう封鎖されていた。


「SITかッ?」顎に手を当てる怯間。「刑事部の特殊部隊じゃないかッ! まさか、あのビルに凶悪犯がこもッているのかッ……?」


 怯間は初めて、立てこもり事件のことを知った。

 だが駅付近までは封鎖されず、この裏通りはギリギリで通行できるらしい。


「さッさと用事を済ませて帰るべきだなッ……余計なことに巻き込まれてはかなわんッ」


 触らぬ神に祟りなしだ。怯間は足早に裏道を通り過ぎた。目当てのホビーショップへ入るなり、限定生産フィギュアを二つ購入する……つもりだったが。


「何だとッ? フィギュアが残り一体しかないだッてッ?」


 誤算が生じた。

 いくら穴場とはいえ、さすがに人が殺到したらしい。売り場は乱獲されていた。


「残り一体……止むを得ん、我の分だけでも購入しようッ。怖川には何と謝ろうか……我が琥珀色の脳細胞をもッてしても、名案が浮かばんぞッ!」


 怯間は人形を一体だけ買い物袋に提げ、泣く泣く退店した。

 メールで怖川に詫び状を送信しておく。気が重たいものの、仕方がない。


「今日は踏んだり蹴ッたりだ……父上と喧嘩し、戦果も上がらず、間近でSITを目撃するとはッ……まぁ、我が父上も警官で、のだが――」


 人形嫌いの父もまた、刑事なのだ。

 しかもSITで働く超武闘派な実戦部隊と来た。厳格な実力主義者である反面、二次元や架空の存在を一切認めない堅物と化してしまった。


「ひょッとしてのかッ? 今日は非番だと思ッたが、有事の際は現場へ出動命令が下るのが警察組織だからなッ……」


 だとしたら、偶然を通り越して数奇だ。出先が同じ場所だなんて。

 何が悲しくて喧嘩した家族と同じ場所の空気を吸わなければいけないのか。


「フンッ。我には関係ないッ。とッとと帰ッてフィギュアをでよ――」



 銃声が聞こえた。



「――う?」


 駅方面へ歩き出した直後のことだった。

 今の音は何だと思う間もなく、裏通りをセダンが横切った。なぜかそのサイドミラーが砕け散り、ハンドルさばきを乱す。


 怯間はセダンに轢かれた。


 全身が痛い。血飛沫が舞い踊る。正気を保っていられない。

 空中を切り揉み回転して吹っ飛ぶ最中、視界の端に雑居ビルを収めた。


(父上――?)


 窓枠から、銃口をこっちに向けていた人影が見えた。遠いので錯覚かも知れないが。

 次の刹那には意識が途切れ、怯間は深い闇の底に引きずり込まれた。


「に、逃げろ!」


 車の運転手が顔面蒼白で急発進する様子が、怯間の覚えている最後の情景だった。




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