第二幕 倒叙コンプレックス
起
0――犯人の独白
0.犯人の独白――
(私には、殺したい奴が居る。この手に今、拳銃を持っている)
私は右手に携えた得物の重みを、誰よりも感じている。
ベレッタ92。92FS Vertec。
グリップにレーザーサイトを搭載した自動式拳銃だ。私たち第一特殊犯罪捜査課・特殊犯捜査第一係に貸し与えられる標準的な武器。
警視庁刑事部の中でもことさらやっかいな誘拐・立てこもり・ハイジャックなどを鎮圧する部隊に、私は所属している。
通称SIT。
本来なら今日は非番だったが、急な出動命令に借り出された。よほど切羽詰まった事件らしい。私はせいぜい防弾ベストを着込み、防刃フードを頭にかぶって現場に臨んだ。
雑居ビルを取り囲むSITの精鋭『突入班』は、もっと重装備だ。防弾ベストとヘルメットの他にアサルトスーツで身を包み、腰には閃光弾だの発煙筒だのも携帯している。
極め付けは、物々しい盾を前面に構えてずらりと並んだ壮観な光景だ。
見た目から機動隊のSATと間違われやすいが、微妙に違う。犯人を『生きたまま確保する』のが我々SITだ。銃器を使用する場合も、射殺しないよう念を押されている。
私は軽装のまま、ビルの裏口へ忍び込んだ。いわば尖兵だ。犯人が外の突入班に気を取られている間、こっそり潜入して隙を窺う役。あわよくばそのまま制圧もする。
(JR
私はビルの階段を早足で駆け上がった。
反対側の階段からも、
立てこもり犯は事務所の窓から外を見下ろし、SIT突撃班とにらめっこしている。
人質は一人居る。中年の女性事務員だ。最初は犯人のそばで銃口を突き付けられていたが、次第に邪魔になったのだろう、床に転がしたきり、注意を向けられなくなった。
これはチャンスだ。
人質を放置している今なら、
(一発か二発なら、撃っても平気だろう)
私は廊下の物陰から、改めて拳銃を構えた。
事務所は通路の中央にあるが、私が銃口を向けたのは……全く見当外れの、階段の外側に開かれた窓枠だった。
ガラスを開ければ、下界には実ヶ丘駅の裏路地が広がっていた。
路地は細い裏通りに繋がっており、人っ気は少ない。ビル周辺は警察が封鎖しているから無人に決まっているが、駅の方までは人の流れを止められず、ちらほらと人影が見受けられた。呑気な通行人どもだ。近くのビルで立てこもり事件が発生したのに。
(尤も、私にとっては僥倖だが)撃鉄を起こす私。(じきにあの裏道を……奴が通りがかるのだから!)
私は職務そっちのけで、私怨を晴らすつもりだった。
立てこもり事件にかこつけて拳銃を発砲できるチャンスが訪れたのだ。
標的は犯人ではなく、駅の裏手を通りすがる『奴』だ。
(私には、殺したい仇敵が居る。そいつが今日、あの裏通りへ立ち寄るという情報を掴んだ。さらに立てこもり事件が起き、拳銃を貸与された――)
――ならば、撃つしかあるまい。
恨み募る『奴』へ、弾丸で制裁しろという天啓に違いない。
あとのことなんざ知るか。私の気が晴れれば良いのだ。一応、立てこもり犯と銃撃戦になって流れ弾が外へ飛んで行った……と言い訳するつもりではあるが。
ふとビル内に視線を戻すと、同僚が事務所へ手を出そうとにじり寄っていた。もう少し待て、と遠く目配せする。
私が標的を射殺するまで、ここで待機しなければ意味がない。
(……来た!)
窓の下、地上の細道をのこのこ歩く人影が、私の目に飛び込んだ。
見間違うものか。二階から遠目に眺めただけだが、はっきりと見分けが付く。
派手な染髪の男だ。右半分が白、左半分が青。体中にシルバー・アクセサリーを装飾した、黒レザー一色の私服を着た変人。
奴の名は、
実は、このSIT部隊員の息子である。
奴は買い物袋を手に提げ、駅の裏口へ向かっている。逃がすものか。
(死ね……悪しき息子よ!)
私はSITの訓練で鍛えた射撃技術を、この一発に込めた。ベレッタ92のギリギリ射程距離内だ。せいぜい同僚に悟られぬよう、窓の外へ照準を合わせて――撃った。
銃声。
思ったより響いた。
ビル内外に反響する。
弾丸は狙い
よし、命中だ……と思った次の瞬間だった。
「!?」
運が悪かった。
そうか、表通りをSITが封鎖しているから、あのセダンは裏道を迂回しようと考えたのだろう。
それがまさか、弾丸の射線上に通りすがるなんて――。
パリーンという破裂音とともに、セダンのサイドミラーが砕け散った。
弾丸はミラーに当たったようだ。
運転手は突然の衝撃に驚き、ハンドルを切り損ねた。歩行者めがけて車体を突っ込む。
(――おおっ!)
車が、恐真を
前言撤回。今日は運が良い。
銃弾そのものは車に妨害されたが、その車が運転を誤って恐真に大打撃を与えてくれるなんて、身に余る僥倖だった。
恐真は銃撃ではなく、ただの交通事故として記録に残るはずだ。
壊れた人形のように血の海へ沈んだ恐真が、実に気分爽快だった。
「に、逃げろっ!」
運転手が一瞬だけ車を降りたものの、恐真の惨状に血相を変えて、すぐさま発車した。
(轢き逃げだな)
ますます私は運が良かった。
あの轢き逃げ犯が全ての罪をかぶってくれる。割れたサイドミラーも、事故の衝撃で割れたとごまかせるか? 道に落ちている銃弾を隠蔽しなければならないか。
「今の音は何だぁ!?」
サラ金事務所から廊下へ、立てこもり犯が姿を現した。
さっきの銃声を聞き付けたのだ。
そこに居た私と、反対側に居る
猟銃が火を噴いた。
私も
(立てこもり犯も発砲した。外の人間は銃撃戦が起こっていると考えるはずだ。一発くらい多めに撃っても不思議がられまい)
私はそれに便乗し、ベレッタ92を構えて一発撃った。
立てこもり犯に当たりこそしないが、威嚇するには充分だった。奴は逃げるように事務所へ引っ込んだ。よし、相手をひるませた。この機を逃してはならない。
「今だ!」
私が飛び出し、
立てこもり犯は人質のもとへ急ごうとする。盾にする気か? だが一歩遅かったな。私と
懐から手錠を引っ張り出し、立てこもり犯にはめ込む。
任務完了。犯人確保。
体重をかけて犯人の身動きを封じ、互いにガッツポーズを取る。
「ご苦労さん、余裕だったな」
私は
「最初の発砲音は何だったんだ?」
「私の威嚇射撃さ。事務所内に犯人の姿が見えたんでな。案の定、血相変えて出て来ただろう? 冷静さを欠いた犯人なんぞ敵じゃない」
ということにしておいた。
本当は裏通りへ撃ったのだが、さすがに他言できない。警察は発砲数をいちいち報告しなければいけないから面倒だ。でも、これでつじつまは合う。よもや私が外へ撃ったなんて誰も思うまい。
あとは事故現場に転がっているであろう銃弾を隠蔽すれば、このことは明るみにならない。
「もしもし、終わりました」
警察専用のスマホ『Pフォン』で、SITの班長へ連絡を入れた。
ほどなくビル内へ突入班たちが押しかけ、事後処理で騒がしくなった。
そして――。
「駅の裏に、男性が血まみれで倒れているぞ!」
――駅の方も騒がしくなった。
ようやく発見されたか。すでに恐真は重傷だ。出来ればそのまま死んで欲しい。これほどの偶然が重なった美しい交通事故なのだから、潔く死んでこそ華だろう。だから死ね。
(SITの仕事と恐真の用事が、たまたま重なった幸運に感謝しよう)
それは夏。盆休みの土曜日だった。
警察は土日関係なく勤務だが、科捜研は土日祝が休日である。その違いも重なり合った上での、偶然による事件だった。
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