4――だとしたら(後)
病院の中庭には、
「は? 私が犯人だって言うんですか?」
時田は目を見開いた。
捜査協力のはずが、よもや自分が疑われるとは思わなかったのだろう。すでに貝原が逮捕されているから、新たな嫌疑はかからないと
「まだ決め付けてはいません」
なだめる徳憲だが、科捜研から持って来た数々の鑑定結果を机上に並べると、時田の顔色が変わった。証拠品の持ち出し許可を得るのは大変だったが、効果は抜群のようだ。
「凶器に付着した粉末、毛髪のDNA、睡眠薬の種類……その他もろもろ。時田さんに関連があるものばかりです。説明してもらえますか?」
「実質的に決め付けているじゃないですか……っ!」
時田は情緒不安定な金切り声を上げた。彼女は心を病んでいる。刺激したら爆発する。
すかさず忠岡が身を乗り出した。両者の間に顔を滑り込ませる。
「時田さんも心の病気なんですよねー。精神安定剤だか睡眠薬だかを常用してますしー」
「……そこまで知った上で、尋問する気ですか」
「尋問だなんて人聞きの悪いー。あなたとは一度、初動捜査のときも会ったじゃないですかー。服用中の薬くらい知ってて当然ですよー」
「だったら……」
「あなたは貝原さんと岸根さんの三角関係で悩んでー、睡眠薬を飲むよーになったんですよねー? で、いよいよ貝原さんが岸根さんへなびかれたからー、あなたは焦ったー」
「あ、焦ってなんかいません……」
「えー? ほんとーにー?」
忠岡はいよいよ立ち上がり、時田を剣呑に見下ろした。
ちんまいナリして妙な威圧感がある。これも心理的なプレッシャーか。上から睥睨することで優位に立ち、相手を萎縮させる腹積もりだ。
徐々に語気も強くなって、相手を服従させんばかりの勢いだった。
「あなたは事件当夜ー、貝原さんが岸根さん
「し、していません!」
「室内はー、岸根さんが貝原さんと和姦しまくったあとでしたー。腹立ちますねー。あなたは岸根さんと直談判する振りして睡眠薬を盛ってー、昏睡した彼女を刺し殺したんでしょー? 返り血で足が付かないよーに、うつ伏せに引っくり返してー」
「やってないってば!」
「殺したあとはー、部屋の外に放火しましたねー?」
「どうして外なんかに……証拠隠滅するなら直接、室内で燃やすでしょう?」
「いーえ、証拠が燃えちゃ駄目なんですー」チッチッと指を振る忠岡。「放火は証拠隠滅のためじゃなく、ボヤ騒ぎで現場を早期発見させるためだったんですー!」
「ええっ?」
「早期発見されればー、直前まで被害者と寝てた貝原さんが一番怪しまれますねー。状況証拠も残ってる。あなたは自分を捨てた貝原さんに冤罪を着せよーとしたんでしょー?」
そうだ。忠岡はずっと放火の動機について考えていた。その答えがこれなのだ。
「やってないって言ってるでしょ!」
時田も席を立った。噛み付きそうな勢いだった。互いに額を突き合わせ、いがみ合う。それほど忠岡の口調が高圧的で、
さらに追い打ちとして、忠岡は白衣の内ポケットから物品をさらけ出す。
ビニール袋に密封された毛髪だ。短い。時田の頭髪と酷似していた。
「ALSで採取した時田さんの髪の毛でーす。あなたが現場へ足を運んだ証拠でーす!」
「嘘です! 私は岸根のアパートになんて行っていません……!」
「じゃー事件当夜は何してましたー?」
「き、帰宅してすぐ寝ました……一人暮らしなので証明は出来ませんけど……」
「アリバイなーし、アウトー」
忠岡は聞く耳を持たない。言質を取って罠に嵌めたようなしたり顔だ。
時田は憤懣やるかたない。顔面を紅潮させ、怒髪が天を突いている。わななかせた全身は、徳憲の目にも気の毒だった。
「本当に私は家で寝ていました……信じて下さい!」
時田は喰らい付くも、徒労だった。忠岡は語気をゆるめない。絶対に容赦しない。
「はぁー? トボけないで下さーい。あなたがやったんでしょー? 凶器のメスも、睡眠薬も、指紋よけのPVCグローブも、ぜーんぶあなたが調達できるモノばかり!」
「ち、違……!」
「いーから白状しろっつーの! あなたがやった! あなたがやった! あなたがやった! あなたがやった! あなたがやったあなたがやったあなたがあなたがあなたが!」
「ああああああっ……!」
怒涛の呪詛が、とうとう時田の心を砕いた。
もともと鬱気味だった時田である、強迫観念に訴えれば早々に折れるのは明らかだ。忠岡があえてそれを狙ったのだとしたら、何ともえげつない女傑ではないか。
精神病患者を救いたいとぬかしつつ、目的のためなら多少の犠牲もいとわない、臨床心理士にあるまじき腹黒さ。
「わ、わ……私が……やりまし、た……ああああっ……」
「自白いただきましたー。これにてお開きー♪」
忠岡は踵を返した。白衣のすそがふわりと舞う。
離席する途中、諸手を挙げて徳憲にハイタッチする余裕っぷりだ。黙して座っていた部下たちにもウィンクを投げ、ぼさぼさの長髪をなびかせて遠ざかった。
白衣のポケットから、携帯電話を取り出す後ろ姿が見える。
「終わりましたよー弁護士さん。どーですか、あたしの手並みはー?」
忠岡が声を弾ませている。遠のく彼女の話し声が、徳憲の鼓膜を揺さぶった。
「これで貝原さんは無罪放免ですねー? 病院と市民運動、よろしくお願いしまーす。まーあたしの手にかかればー、この程度の小細工は朝飯前ですからーあははー」
――小細工?
――朝飯前?
徳憲は耳を疑った。通話相手はあの顧問弁護士だろうか? いつの間に番号交換したのだろう、油断も隙もありやしない。彼女を追いかけようとも思ったが、ここで時田を放置するわけにはいかなかった。
今度こそ時田を署まで連行し、改めて尋問する。彼女は忠岡に押し付けられた通りの供述を、かすれた声で吐露し続けた。
*
時田慄子が真犯人として逮捕された。
貝原惷作は釈放され、誤認逮捕の民事訴訟をする予定もあるらしい。
(冤罪事件としてマスコミにも取り上げられ、貝原は時の人となった……心的障碍者に関する啓蒙活動も合わせて紹介され、世間に広く認知された……)
徳憲忠志は大量の報告書と始末書をしたためながら、苦々しくほぞを噛んだ。
(あのあと、貝原のポリグラフ検査結果が届いた……奴は
科捜研の鑑定は、包み隠さず時田が犯人だと告げている。
これで確定なのだ。二度と覆ることはない。
それでも、徳憲は思い返さずに居られなかった。
(忠岡先生の、最後の一言……)
あの不穏な発言。小細工と朝飯前。
忠岡は目的のためなら、手段を選ばない危うさがある。
(俺は初動捜査のとき、科捜研に臨場要請し、事件現場と病院に同伴してもらった)
本当は最初から、忠岡は貝原を知っていて、かばおうとしたのではないか?
捜査をミスリードするために、何らかの仕込みを入れたのではないか?
(初動捜査の病院で、忠岡先生は時田と接触していた……その際、時田の髪を一本拾ったんじゃないか?)
ナース帽は頭髪を乱さないためにかぶる装備だが、頭部の全方位を塞ぐわけではない。髪一本くらい抜け落ちるし、肩や背中に付くことだってある。
(それを持ち去り、事件現場へ臨場したときに遺留し、ALSで発見させたとしたら?)
そうすれば時田がアパートを訪れたという捏造が出来上がる。
偽装工作。
時田が「岸根のアパートになんて行っていません」と主張したのは事実だった?
(まさか……貝原は時田の
不自然なほど証拠品が時田を示していたのは、罠だったのか?
徳憲はデスクワークの手が止まった。恐ろしいことを今、思い付いている。どんでん返しをさらに裏返せば、それは元通りの表向きになる。
貝原は誤認逮捕ではなかった?
最初の逮捕こそが正解だったのに、忠岡の
無論、それでも矛盾は残る。他人に罪をなすり付ける意図があるなら、もっとうまく立ち回れたはずだ。婚約候補を両方とも闇に葬って、貝原に何の得があるのだろう。
もしかして、わざと『誤認逮捕』されたのか? 前述の通り、彼は一躍有名になった。啓蒙活動が広く知られた……売名行為のために女二人を犠牲にしたのか?
(だ、だが時田は自白している……本人が認めたんだ。直前に忠岡先生から脅迫めいた文言を浴びてはいたけれ――)
――ど?
徳憲は言い切る直前、一つの用語を脳裏に蘇らせた。
(フォールス・メモリー!)
冒頭で、顧問弁護士が息巻いていた語句だ。
フォールス・メモリーとは、ありもしない虚構をさも真実のように吹き込んで、偽の記憶を植え付けてしまう心理現象である。
始めはどんなに否定しても、何度も言い聞かされるうちに判断力が鈍り、いつしか信じてしまうという。
身に覚えがない犯罪でも、偽の記憶を刷り込ませれば、自分がやったと認めるそうだ。
こうした事例は、世界中で報告されている。日本の冤罪事件にも前例がある。
(忠岡先生は、時田を執拗に追及し続けた……
忠岡の目的は撹乱だ。
心理誘導と偽装工作で、忠岡の望む『ストーリー』が構築できれば良いのだ。
貝原を釈放した方が社会的に有益だから――。
(だとしたら……)
徳憲はごくり、と生唾を飲み込む。
(うちの心理係は――腹黒い!)
了
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