承
2――サキュバスは遺伝子が欲しい(前)
2.
ポリグラフ検査は、感情の動きによって細かく変遷する生理反応を記録し、被検者の発言が嘘か真実かを科学的に識別することを目的とする。
生理反応は「身体の呼吸波」「皮膚電気活動」「心拍や血管の脈波」が測定される。嘘をついたりごまかしたりした場合、よほどの精神鍛錬を積んでいなければ必ず測定値に変化が起こる。
わずかな緊張や気のゆるみ、外面の取り繕い、はぐらかし等、何をするにも神経シナプスを伝って電気反応が起こるし、血管も収縮する。呼吸にも乱れが生じる。
反面、誤診もあるにはある。検査に緊張して終始ソワソワしている者や、心的障碍者で通常の生理反応を示さない者、極端なあがり症などは、正常な測定が出来ない。
診断は全て検査官の腹一つであり、すなわち心理係研究員の力量に依存する。
「ほんじゃまー『緊張最高点質問法』で検査しますねーっと」
忠岡はあっけらかんと徳憲に告げた。
実ヶ丘署に用意された検査室は、ずらりと測定機器が並べられている。呼吸波測定機、皮膚電気測定機、脈波測定機。それらとコードで繋がれた端子を体の端々に接着し、被検者は検査官と質疑応答を取り交わす。
そばには警察官――今回は主任の徳憲――が立ち会い、検査に不正がないか監視する規則になっている。
「緊張最高点質問法って何ですか、忠岡先生?」
「んもー。忠志くん知らないのー? あたしと同じ『忠』の字を持つくせにー」
「いや字は関係ないでしょ」
「緊張最高点質問法はねー、犯人しか知らない情報を尋ねてドキッとさせる『裁決質問』とー、犯罪に関わりのない『非裁決質問』を織り交ぜてー、反応を探る方法よー」
「ああ……」
言われて徳憲は溜飲が下った。
無実の人間ならば、どの質問に対しても反応が薄くなるが、犯人ならば『裁決質問』だけにギクリと緊張し、明らかに『非裁決質問』と違う測定値を示すのだ。どんなにポーカーフェイスで取り繕っても、体は正直である。
「ぶつぶつ話してないで、早く終わらせてくれませんかね?」
貝原が急かした。
すでに椅子へ腰かけている彼は、実に泰然とした様子だった。そう、彼は精神科医である。いわば心理学の専門家だ。ポリグラフ検査の見識があっても不思議ではない。
いずれにせよ忠岡は、彼の催促にくすりと微笑んで、ウキウキで検査機を起動させた。
「はーい、そんじゃー始めますねー。質問の返答は全て『いいえ』で答えて下さーい」
質問する内容については、あらかじめ警察と打ち合わせして作成している。
徳憲は、万が一にも検査官が打ち合わせと異なる質問をした場合、検査を即刻中止できる権限がある。
(この事件……ガイシャは生前に強姦されたあと、胸部を刃物で一突きされた)状況を思い返す徳憲。(だが、その刃物が何なのかは報道に流していない。刃物のようなもの、と曖昧に濁してある。知っているのは警察と犯人だけだ)
それを踏まえて、忠岡には次のような質問を用意させた。果たして貝原は引っかかるだろうか――。
「①貝原さんはー、被害者が出刃包丁で刺し殺されたことを知ってますかー?」
「いいえ」
「②貝原さんはー、被害者が果物ナイフで刺し殺されたことを知ってますかー?」
「いいえ」
「③貝原さんはー、被害者がサバイバルナイフで刺し殺されたことを知ってますかー?」
「いいえ」
「④貝原さんはー、被害者がハサミの刃で刺し殺されたことを知ってますかー?」
「いいえ」
「⑤貝原さんはー、被害者が医療用メスで刺し殺されたことを知ってますかー?」
「いいえ」
全ての解答を、貝原は冷静沈着に否定した。肯定したら自白になってしまうので、すべからく「いいえ」と答えるに決まっている。そう返事するよう指示されているし。
問題は、この中に一つだけ「正解」が潜んでおり、犯人ならばその質問にのみ生理反応を示したはずだ。
忠岡は事務的に検査を終えて、貝原から検査機の端子を取り外した。
「これでおしまいでーす。部屋の外に警察官が待ってますんで、指示に従って下さーい」
「弁護士に掛け合って、一刻も早く帰れるよう相談します」
「そーですねー。あたしも同感でーす」
退出する貝原を見送った忠岡は、てきぱきと機材を片付ける。
居残った徳憲は、やきもきしながら彼女に詰め寄った。
「で、どうだったんですか? 検査結果は」
「んー? すぐに結果が出るとでも思ってるのー? しばらくは分析と検討タイムよー」
「でも、一つだけ生理反応したでしょう? 犯人なら凶器を知っているんですから」
「ざっと見た感じー、どれも大差ないのよねー。さすが精神科医は、平常心を保つのが上手だわー。もしくは本当に何も知らないのか」
「そ、そんな」
「あははー。マジに
「信じられない……」
徳憲は落胆した。肩を落とし、うなだれて、ついには地団駄まで踏んだ。
ちなみに正解は⑤――『医療用メス』である。
貝原の勤め先は市民病院で、精神科の他に外科も当然ある。手術に使用するメスは数多く常備され、そこから一本くすねたようだ。
それが出来るのは院内を自由に行き来できる関係者だけであり、つまりは貝原の仕業という線が濃厚だった。精神科医だって他の医局と交流はあるのだから。
徳憲もそれを信じている。
「奴が無実なんてあり得ません! もう一回、科捜研に調べ直して欲しいくらいです!」
「科捜研にー?」片付けの手が止まる忠岡。「初動捜査のときー、すでに一度、うちに依頼して死体の解剖や犯行手口の鑑定まで全部やってたじゃなーい? DNA鑑定だって、科捜研の法医科に調べさせた結果でしょー?」
本件が科捜研に持ち込まれたとき、各科は総力を挙げて協力したが、徳憲が功を焦ったのだ。まだ鑑定中の用件も残っていたのに、弁護士が指摘した「警察の勇み足」はあながち間違っていない。
「じゃー科捜研まで一緒に来るー? あたし今から機材を持って帰るけどー、良かったら案内したげるよ?」
「そう……ですね。鑑定中の進捗も聞きたいですし、同伴してもらえると話が早いです」
徳憲はひとまず乗っかった。
忠岡が貝原の肩を持とうとしているから、そばで見張っていたいし、単純にアウェーへ立ち入るときはガイド役が居ると話を通しやすい。
段取りを整えながら、徳憲は改めて事件の全容を思い返した。
事件発生は先月にさかのぼる――。
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