★秘密

 聖書には天使の役職名が記載されている。セラフ、ケルビムなどがそれだ。しかし、これは階級をあらわした言葉ではない。人間が神の前に等しく、一様に動物よりも尊いとされるように。霊者は神の前に等しく、一様に人間よりも尊いとされた。


 霊者たちに身分の上下はなく、特別な存在として、一人一人が個性と役割を与えられていた。



 アリトンの個性は「秘密」。彼女の秘密は誰も知らず、その概要さえ謎に包まれていた。憶測が飛び交い、好奇心に駆られた霊者は彼女に対していろいろな行動に出た。質問をくり返す者、すきをつこうとする者、秘密を共有しようとする者。


 しかし、アリトンは決して秘密を漏らさなかった。それが彼女の存在意義であり、神への愛を証明する、たったひとつの方法だったからだ。



 ノームは彼女と結婚したあとも、秘密に迫ろうとはしなかった。アリトンは内心でほっとひと安心していた。ノームの美しさ、いとおしさに、日に日に心を悩ませていたからだ。もしも彼が「その内容を、少しだけでも教えて」と甘い言葉でささやけば、今の彼女ならぽろりとしゃべってしまったかもしれない。それほどに、ノームを愛していた。


「それにしても、どうしてみんな『秘密』にこだわるのかしらね」

 ノームと愛をささやき合ったあと、アリトンはけだるげに言った。ノームは穏やかなほほ笑みを浮かべ、「気持ちはわかる気がするよ」と答えた。


「あら、でも、あなたは秘密を訊いたりしないわ」

「訊いたら、君が困るとわかっているからね。私だって、少しは気になってるよ」

 ノームはアリトンの口をふさぎ、「おっと、だからって、教えちゃいけないよ」と笑った。アリトンは口に当てられた手を押しのけて眉をつり上げた。


「教えやしないわよ。あなたが泣いて頼んだりしなければ別だけど。やっぱりみんな、堂々と『秘密があります』なんて言われると、好奇心がうずくのね」

「そりゃあ、知識の天使でなくってもね」

 ノームはほほ笑んだ。アリトンはあごに手を乗せ、彼の美しい横顔をちらと見てから、「知識の悪魔もね」と付け加えた。ノームはまばたきをし、その穏やかな顔をかげらせた。


 最近、霊者の中では自分たちを「悪魔」と呼ぶ者たちが台頭していた。はじめ、それはしょうもない反抗期をこじらせた、ごく一部の霊者だと認識されていた。アダムとエバをエデンから遠ざけ、地上の人間と夫婦になることを推奨した霊者たち――悪魔の数は「ごく一部」と片付けられないほどに増えていった。その危険性に早くから気づいたのは、個人的に悪魔と親しくしていた者と、知識の天使たちだけだった。しかしこの頃では、アリトンやノームもその噂に眉をひそめた。


「悪魔か」

 ノームは身を起こし、悲しげな顔で地上を見下ろした。アリトンは起き上がってノームの背に手を置き、彼に寄り添った。

「気になる?」

「ああ」

「あなたは愛があるものね」

 ノームは、はかなげに笑ってアリトンをふりかえった。

「君も愛があるよ」

「私には、よくわからないの。昔はもっと、単純だったんだけど」


 霊者が命を与えられた頃、愛は一種類しかなかった。神への愛、友人同士の愛、師弟関係の愛、性行為の関係する本能的な愛。それらはひとつで、特に難しく考える必要もなく、実践するのも容易だった。しかし、今では細分化し、複雑になった。アリトンは秘密を守るのは得意だが、愛を理解するのは苦手だったようだ。


 ノームはアリトンの額にキスをして、穏やかにほほ笑んだ。

「みなが愛を感じて、正しく生きられれば、悪魔なんて名乗る霊者は出て来なかったのだろうね」

 アリトンは簡単に「そうね」とはうなずかなかった。アリトン自身、愛を感じ、正しく生きているのか、とっさに自信を持てなくなったのだ。彼女はにこりと不器用に笑って、ただ彼にキスを返した。



 天使や悪魔と名前が分かたれようと、彼らは未だ「霊者」として神の前に出て行った。神の前に立つ日。霊者は一同に集まり、互いに見てきたことを語り合い、神のみ言葉を聞く期待感に胸を躍らせた。


 その日、アリトンはノームとその場へ出かけた。アリトンがきょろきょろしていると、「おーい、こっちだ!」と朗らかな声がした。ぱっとふりむくと、イズルがいた。ノームはにこやかに友人との再会を喜んだが、アリトンはがっかりしている自分に気づき、驚いた。彼女は知らずにパイモンの姿を探していたのだ。


 場に緊張が走り、霊者たちの視線の先を、アリトン、ノーム、イズルの三人も注目した。そこに、悪魔たちがあごをそらしてやって来た。その中に、アリトンはパイモンを見た。


 美しさはどこか。アリトンには見つけることができなかった。地上でまみえたとき、子どもの髪をなでるパイモンに見えた美しさは、失われていた。


「よくも来られたものだな。神に反逆しておいて、やっぱり神の言葉を聞きにきたんじゃないか」

 だれかがささやくように言うのがアリトンの耳に届いた。


 そこへ、神があらわれた。場がしんと静まる。神は悪魔たちを見て、最も反抗的な者に話しかけた。彼はサタンと呼ばれていた。その意味は、反逆者である。


「どこから来たのか」

 神の質問に、悪魔は答えた。

「地を行き巡り、そこを歩き回ってきました」


 霊者たちはひそひそと話し合った。なんと厚顔無恥で、恐れ多い連中だろう、と。アリトンはその会話に参加しなかった。ただ、じっと彼らを見つめていた。


 神は地上にいる一人の義人について語った。ノームが頬を染め、熱心にうなずく。

「アリトン、ヨブだよ。ほら、一緒に地上をながめたときに、話をしただろう。彼は神の目にも正しかったんだよ」

 アリトンはにっこりと笑った。愛のあるノームは、美しかった。


 神は悪魔に向かって、地上にも正しい人間はいると説いた。しかし、サタンは言った。それはあなたが彼に祝福を与えているからではないのですか? と。


 その場が水を打ったように静まり返った。霊者が駄々をこねることはこれまでにもあった。しかし、神が優しく諭しているときに、真っ向から反論を唱える霊者など、一人たりともいなかった。しかも、他の霊者たちが見ている前で。

「あれじゃあ……ひっこみがつかない」

 イズルが小さな声で言った。アリトンもそう思った。神は悪魔に向かって、ヨブを好きにせよと言った。ただし、彼を殺してはならない、と。



 ヨブは財産と家族を奪われ、自らも皮膚病におかされた。しかし彼の信仰は揺らがなかった。三人の友から偽りの慰めと不当な非難を受けても、彼は正しい人であり続けた。神は彼を祝福し、以前の倍の財産と子宝を与えられた。



 そのあいだ、ノームは始終はらはらと落ち着かなげに天の国を行ったり来たりし、地上をながめては心を痛め、神に祈りを捧げ続けた。


 どうか、ヨブをお救いください。悪魔の疑いなど、ヨブ自身にとってはなんの関係もないことではありませんか。これではあまりに哀れです。彼は今現在、地上でただ一人の義人であるのに。


 ノームの祈りを、アリトンは複雑な気持ちで見つめていた。どう考えればよいか、彼女には判断がつきかねた。



 悪魔の狙いはなんだったのか。それが彼女の心を震わせた。ヨブが神を愛するのは、利益を期待してのこと。逆に彼の持っているものすべてに触れて、それでも神を呪わないか、どうぞ試してみてください。サタンはそう反論した。


 ――しかし、本当にそうか。


 アリトンは知っている。何もないからこそ、神にすがるしかない人間の弱さ。利益などのぞめなくとも、神の許しを乞う人間の、どうしようもない情けなさ。地上をながめていれば、おのずとわかる道理だと思っていた。地上を行き巡っていた悪魔とやらは、必ず知っていたに違いない。


 サタンの狙いは、ヨブの信仰心を試すことなどではない――アリトンは心がねじ切れてしまいそうな痛みを覚えた――神を挑発に乗せたかったのだ。それによってヨブはいわれのない苦しみを受け、あとから与えられた祝福では決して戻らないものを失った。それは、はじめからいた彼の子どもたちだ。



 アリトンはノームと地上をながめながら、いくつか美しさの真実と思えるものを見つけていた。そのひとつが、無垢であることの美しさだ。無垢で、汚れを知らず、無邪気な子ども。彼らは美しい。彼らには罪がない。たとえアダムとエバの原罪を受け継いでいるとしても、アリトンの知ったことか。子どもは美しい。間違いなく。


 しかし、神はたびたび、罪を犯した人間ではなく、その子どもに手をかけた。ハムの息子を呪い、出エジプトで長子を打ち、ヨブの子を殺した。


 アリトンにはわからない。彼女には子どもがいない。しかし、彼女はそこに美しさを感じていた。子どもに、家族に、美しさを感じていた。霊者に子どもは生み出せない。彼女の感じた美は、憧れだったのかもしれない。


 美しい子ども。それを無下に扱う神に、アリトンは不信感と憤りを覚えた。神は、子どもに対して――自分の創ったものに対して、本当に関心を抱いているのか。本当に、愛があるといえるのか。



 彼女は唇を噛み締め、こっそりと悪魔を呪った。サタンの狙いはこれだ。そう思った。霊者の中から、神への不信を抱く者を増やす。数人でいい。たった一人であろうとかまわない。その数を確実に増やすため、彼は神の矛盾をつき、霊者の同情心をあおった。そして彼女は、まんまとその狙いにはまってしまった。



「迷っているの」

 彼女が正直に告げた時、ノームは驚かなかった。ただ悲しげにほほ笑み、言った。

「神には愛がある。見えないように思えても、必ず」

「……ええ、そうね。そのはずよね」

 彼女はわからなかった。自分が本当にそう思えているのか。


「もう少し、私とともにいてくれるかい? 私たちは夫婦なんだから」

 ノームは優しく言った。アリトンの頬に手を添え、穏やかにほほ笑んだ。アリトンは涙を流しながら、こくりとうなずいた。彼の手は温かかった。天使の輝きに満ちて、愛にあふれていた。

「もう少しだけ……迷ってみる」

 それでアリトンはもう少し、その場にとどまった。



 アリトンとノームは地上をながめた。神の創った人間は、正しくない者が圧倒的に多かった。彼らは神を忘れ、悪になびき、時おり神の怒りに触れた。ニネベの人々もそうだった。

「彼は預言者に向かないよ」

 地上をながめながら、ノームは難しい顔をして言った。


 神はニネベの町に災厄をもたらされる計画を立てていた。その預言者として、ヨナという男が派遣されることになったのだ。彼が選ばれたとき、ノームは不満げだった。そして、彼を選んだ天使に考え直すよう助言しに行くと言った。


「ヨナは善い人間だと思うけど」

 アリトンは困惑気味に言った。彼女の目には、今生きている中でヨナよりも正しい人はいなかった。

「彼はずるいところがあるよ。そしてとても弱い」

 ノームは答えた。アリトンは背筋に小さな風を感じた。ぞくっとする、寒気を。愛があり、正しさを見抜くノーム。しかしそれは裏を返せば、正しくない人間を切り捨てる能力でもあるのだと、彼女は気づいた。


「もう少し様子を見ましょうよ」

 彼女はそう言って彼をなだめた。

「ニネベの町に触れ伝える様子をここからながめていましょう。そうしたら、きっと取り越し苦労だったと思うに決まってるわ。ヨナは善い人間よ。少なくとも、私はそう思うな」

 彼は少し不満そうにしたが、アリトンの言葉にうなずいた。



 神はヨナに、ニネベへ赴き、滅びを預言せよと命じられた。彼は逃げた。神は怒り、なんとかヨナをニネベに向かわせたあと、触れ告げさせた。すると人々は悔い改め、神の裁きを恐れて断食をはじめた。神はニネベの人々に同情を覚え、考えを翻し、災いを加えられなかった。ヨナはぐじぐじと不満を連ね、神をやきもきさせた。



 ノームは何も言わなかったが、アリトンは気まずさに耐えきれなかった。ノームの言った通りだった。ヨナは弱く、ずるい人間だった。神の命令から逃げ、人々が悔い改めて許しを与えられると、喜ぶどころか怒りにかられた。


 アリトンはノームを愛していた。しかし、ほんの少しだけ、恐れを抱いてもいた。彼女は彼ほどに、愛の力を信じきることができるだろうか。彼ほどに、愛を見いだせるだろうか。それこそ、永遠の愛を。



 人間は弱く、情に流され、信念を曲げてしまうことがある。エジプトから民を救い出したモーセがおごり、結局約束の地に入れなかったように。神に愛されたはずのソロモン王が異国の妻に勧められ、異教の神を崇拝してしまったように。


 しかし、霊者はちがう。彼らは心を強く保つことができる。他者の言葉に耳を貸さず、一時の気の迷いで過ちを犯さず、深く考えた上でもって、自由意志を行使することができる。それは、一度決めたことは永遠にくつがえらないという意味でもある。


 そしてアリトンもまた、情や気の迷いで揺れたわけではなく、自らの考えでもって、それを決めたのだ。




 彼女は出かけていって、それまで決して近寄らなかった、ある場所の門をくぐった。そこには霊者たちがいた。悪魔と呼ばれる彼らが。目で知り合いを探した。知っている名前が多くあるのに彼女は驚いていた。ごく一部だったはずの反逆の徒は、いつのまにか自分たちの半数を占めていた。


 アリトンはまっすぐ歩いていき、熱心に議論を展開する賢き悪魔たちの中の、はじめの徒に声をかけた。アダムとエバをそそのかし、人間を死すべき存在におとしめた霊者に。


 サタンはくせのある黒髪と黒い瞳の姿をとり、その目で彼女を興味深げに見つめた。霊者たちが静まり返り、アリトンに注目する。

「やあ、歓迎するよ。秘密の悪魔」

 彼はにやりと笑った。アリトンはにっこりと笑いながら、心のうちで悲しげなため息をついた。次にノームに会ったとき、離縁を申し込もうと決めた。


「秘密を開示しろよ、アリトン」

 誰かが言った。見ると、パイモンだった。イタズラっぽい瞳でにやにや笑い、周りの空気を味方につけた。悪魔たちが、そうだそうだとけしかける。声はうずになり、アリトンを飲み込んだ。おまえの持っている秘密は、神の秘密だろう。神の叛徒となるなら、それを共有しろ。神の秘密をみなで笑い飛ばしてやろうではないか、と。


「やめろ」

 サタンは不機嫌に鼻を鳴らして霊者たちをにらんだ。うずがよどみ、空気が澄み渡る。

「その秘密とやらがどんな副作用を持つかも知らないのに、簡単に強要するのはいかがなもんかね」

 彼は言った。そして、にやりとアリトンを見つめる。

「おれは、秘密は秘密のままでいいと思うぜ。おまえがそれを手放したいなら、それもまた自由。忘れてくれるな、おれたちは神に反逆したいだけの暴徒じゃない。自由を求める活動家であり、戦士だ」

 アリトンはうなずいた。ほっと、安心していた。彼女の持つ秘密は「口に出せないほどおそろしい秘密」だったから。



 ノームは離縁に応じなかった。アリトンがいくら言っても、「いずれまた、君が悔い改めるかもしれないから」と笑った。

「私に愛はないのよ」

 アリトンは泣きそうになりながら言った。

「知っているよ」

 彼は穏やかにほほ笑みを浮かべて、彼女の前に立った。


 アリトンは後ずさった。自分が会ったどの悪魔よりも、ずっとおそろしく感じられた。それはおそらく、彼に愛があるから。


「君には愛が欠けていた。最初から知っていたよ。君だけじゃない。ほとんどの霊者や人間には、愛が欠けている。私はいつも悲しんでいた。いつだって嘆いていた。しかし、仕方がないだろう? それでも私は無償の愛を与え続けるしかないんだよ。アリトン、君はエロスの愛はそれなりに持っていたね。だから私を愛してくれた。だけど、それでも私は君を信じ続ける。愛がない君でも、きっといつか神を愛してくれると、信じ続ける」


「あなたは、すべてを愛しているのね」

 ひやりとした。突然、真実に気づいた。

「あなたの愛は大きすぎて……神も、私も、他の霊者も、人間も、同じだけ愛しているのね」

 ノームはうなずいた。アリトンは涙を落とした。

「私は……あなたといるのが、こわい」

「いいや、怖くなんかないよ。君は私から離れていく、口実が欲しいだけだ。それで私を怖がっているんだ」

 ノームは悲しげに言った。アリトンは、そうかもしれない、とうつむいた。

「どちらにせよ……あなたとはいられない」

「離縁はしない」

 彼はきっぱりと言った。

「私はイズルを見習おう。アリトン、好きにしておいで。やはり神の愛は本物だったと、君が気づいてくれることを祈っている。私はずっと待っているから」

 アリトンは顔をそむけ、そこから離れた。ノームが怖い。それは本当だった。しかし同時に、まだ愛していた。


 その後、ハルマゲドンが終わるまで、アリトンとノームが会うことはなかった。




 神と悪魔の争いは苛烈をきわめた。預言者があらわれては消え、神の民が何度も憂き目に遭い、神の子はあがないの犠牲として殺された。時代は巡った。そこここで戦争が起き、神の名の下に虐殺がくり返され、不条理と不幸が全土をおおいつくした。


 彼らは知っていた。自分たちがあらがい続けても、神に打ち勝つ未来は万にひとつもないと。知っていたけれど、やめなかった。知っていたけれど、あきらめなかった。彼らはヨブと同じだ。利益のために神への信仰心など持ちはしない。しかし、ここからがヨブとはちがう。そんなもの、人間の糞だめの中へ投げ捨ててやる。


 神に反逆した理由は、悪魔の数だけ存在した。それらの理由はどれも馬鹿げていて、どれも馬鹿にできなかった。その日は盗人のように、ひっそりとやって来た。天が開かれ、地上に天の軍勢が降りてきた。


 ハルマゲドンがきたのだ。



 天使と悪魔の戦いは、お互いの胸を痛めるものだった。いつか、互いに笑い合った同士。いつか、互いに愛し合った仲間。今では敵と味方で、片方は神に愛され、片方は神を愛することをやめた。


 悪魔たちは地の底に押し込められ、火と硫黄の中で苦しめられることとなった。千年。それが彼らに残された時間だった。千年王国の終わりに、彼らは本当に死すべき者となる。



「ヨナを覚えているか」

 アリトンのそばにとらわれていた悪魔の一人が言った。真っ暗闇の地の底で、疲弊した霊体に苦しみの罰を受けながら、アリトンはかすれた声で「ええ」と答えた。

「ニネベの連中は助けられたんだ」


 アリトンも覚えていた。あの時はヨナの行動にひやひやさせられたが、確かにそうだった。ニネベの人々は、救われた。

「神も預言を取り消すことがあるんだよ」

 彼は言った。それが彼にとっての「神の重大なる矛盾」なのかもしれない。


「神だって、未来を見通す力はないんだ。すべてを理解しているわけじゃないんだ。神だって、一度約束したことを反故にするんだ。そうだろ、だから……おれたちだって、千年経っても滅ぼされないかもしれない」

 悪魔は泣いていた。涙を流して、そう思うだろ、とアリトンに同意を求めた。

「おれたちは人間とはちがう。特別で、完璧な、霊者なんだ。簡単に滅ぼされる存在なんかじゃない。こんな……こんなことが、許されるわけがない」


 アリトンは力なく笑った。

「ニネベの人々は悔い改めた」

 答えながら、彼女も泣いていた。

「私たちは……滅ぼされるよ」

 彼女は知っていた。霊者は人間とはちがう。一度決めたことを、簡単に曲げたりはしない。一度決意したのに、簡単に悔い改めはしない。


 彼らは死ぬだろう。千年王国が終わりに近づいて、再びつかの間の自由が与えられたそのあとに。その自由が、神から贈られた最後の輝きになる。最後の百年が、彼らの生きた証しとなる。



 アリトンは決めた。その百年で本当にやりたかったことを――憧れを叶えようと。


 美しいものを、自分の手で作りだしてみたい。

 子どもを、家族を、持ってみたい。

 イズルに……ノームに、また会いたい。

 そして――秘密を、暴露したい。


 彼女はうすく笑った。

 彼女は悪魔だったから。

 あとくされなく、死ぬ方法を考えた。

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