*ことの起こった由来書き
朝、私は早くに目が覚めて、むくりと起き上がった。あたりはまだ薄暗くて、今年で一番寒い朝だと思った。
私は毛布をマントのようにかぶり、ドアを開けた。すると、暖炉に火がついていました。暖炉の前のテーブルに、誰かがおしりを付けて火をながめていた。はじめ、それが誰かわかりませんでした。暗くて、輪郭だけが真っ黒に見えた。そのシルエットはイトナでもアリトンでもなかった。コタローでした。
私はコタローのとなりに座った。コタローは何も言わなかった。じっと、炎が揺れ動くのを見ていた。それでしばらく、沈黙が二人のあいだを満たした。
「地下室から出してもらえたの?」
コタローはうなずいた。それで私は、ゆうべの出来事が夢ではなく、アリトンは本当にどこかへ行ったのだとわかった。
それがうれしいことなのか、悲しいことなのか、私にはわからなかった。ただ、コタローはさみしそうに見えた。彼は天使を捨てて悪魔に頼ろうとしていたのに、アリトンがいなくなってしまったから。彼は寄る辺を失って、途方に暮れていた。
私とコタローはしばらく暖炉の火を見つめていた。窓から日が差しはじめ、辺りがすっかり明るくなってもそうしていた。炎はあたたかくて、近寄りすぎると熱さをともない、最後には身を焦がす死の使者です。それは愛に似ていた。
私はノームを思い浮かべ、胸の苦しみを覚えた。私は死にたかった。つらかった。けど、生きたかった。幸せだった。ものごとには、それぞれ二面性があるのかもしれない。もしかしたら多面性かもしれない。だとしたら、生きることはとても疲れる。
地の底では硫黄と炎がうずまいて、悪魔をいたぶり続けるのだという。アリトンはきっと、そこにいるのだろうと思った。天使が追いかけられない場所は、地の底しかないから。ノームがアリトンをあきらめる場所は、そこしかないから。
炎を見つめながら、私は涙を流した。アリトンは今まさに、炎に焼かれて苦しんでいる。私があと22年、生きられるようにするために。トーキョーで家族ごっこを続けられるようにするために。
私は不愉快だった。くやしかった。アリトンを嫌いになりたいのに、彼女は私の好きにさせてくれない。彼女は最後まで、私を苦しめ続ける。ひどいと思う。けど、アリトンがひどいのは、仕方ないことです。彼女は悪魔だから。悪魔は悪いことをして、笑っていられるから。
日が高くなると、イトナとガズラが起きだしてきた。ガズラは「コタロー、出してもらえたのか」と笑ったけど、イトナは何が起きたのかを知ったようだった。アリトンは行く前に、私だけじゃなくイトナとコタローにもあいさつをしたようだった。
イトナはひどく悲しんでいた。彼は一番かたくて座り心地の悪いソファに座り、こぶしを握っていた。ガズラは首をかしげて「お腹すかない?」とみんなに問いかけた。私たちは無言だった。
とうとうコタローが立ち上がって、私たちに言った。
「ノームに抗議しよう」
彼はイトナにも伝わるように、手話を交えてそう言った。イトナはあきらめきった顔でぼうっとコタローを見ていた。私は唇を結んで、何も言わなかった。
「おまえら、いいのか? アリトンは身を切る思いで地の底へ下ったんだ。本来ならあと22年は自由の身だったのに、おれたちのためにそれを捨てた」
「アリトンは自分の意志で選んだ」
イトナが示した。
「おれたちが横からつべこべ言う資格はない」
「もしかしたら、そうかもな」
コタローはしかめ面で答えた。
「アリトンは天使に戻ることもできた。悔い改めて、カエラをバラバラにして、おれたちを見捨てることもできた。だが、あいつは悪魔で居続けることを選んだんだ。その上で、おれたちのためになることを選んだからこそ、こうなったんじゃないのか。アリトンは神に与えられた自由意志を行使しただけだ。だが、ノームのやったことは脅しでしかない」
「アリトンは、神様から与えられたものは、なんだろうと否定すると言った」
私は言った。
「アリトンは自分の心でさえも、いじくって否定すると言った。だから私を作ったんだとも言った。アリトンは自由意志を行使したかったんじゃない。神様と、神様を愛するノームを否定したかっただけ」
コタローは何も知らないのだ、と私は気づきました。コタローは、アリトンがひどいことを言ったとき、地下室にいた。めちゃくちゃなことを言って、死の準備をしたアリトンを知らない。覚悟を決めたアリトンを知らない。だからコタローはアリトンを助けたいと言い出せるのだ、と私は思った。
コタローは私を見て、顔をしかめて言った。
「へえ、そうか。おまえは、アリトンのために何かするつもりは一切ないんだな?」
私はコタローから顔をそむけた。コタローが私を責めるのが、いやでした。
「コタローは言ったよ。親を愛する必要はないって」
私は言った。
「だから私も、アリトンを愛する必要はない。アリトンは私にさよならを言った。そして勝手にいなくなった。私は何もしたくない」
コタローはだまり込んだ。そして、それもそうだ、と認めた。
「おれは……強制はしない。いやなら、何もしなくていい。ただ、おれはやる」
「何をするつもりだ?」
イトナが尋ねた。コタローは少し考えてから、手話を交えて言った。
「ノームの担当地区は諏訪だ。車なら三時間ありゃ行ける。人質を取って、アリトンへの脅しを無効にさせる。あいつだって、自分のせいでアリトンが地の底に戻ったと知ったら、いい気分はしないだろうさ。おれたちの要求はそんなに無茶なもんじゃない。奴に取り消すきっかけをやるだけだ。ノームだってホッとするんじゃないか?」
「じゃ、必要悪ってわけだね」
それまでだまって聞いていたガズラがのんびりした調子で言った。それまでガズラを忘れていたコタローが、はっとして彼を見た。
「おまえも手伝ってくれんのか?」
「運転手が必要でしょ」
ガズラは笑った。そして私を見た。
「それに、ノームのためにもなるんなら、行かないと。おれはカエラの味方だもん」
私は唇を噛んだ。どう考えればいいのかわかりませんでした。アリトンを救うことは、ノームを罪悪感から救うことにもなって、つまりはノームの愛を守ることです。
私はため息をついた。悲しい気持ちでいっぱいだった。やっぱり、私は何もしたくなかった。けど、コタローは私に「気前の悪い女」とは言わなかった。
彼はイトナに、手話で「おまえはどうする?」と示した。イトナはコタローを見て、私を見て、またコタローを見た。彼は目を伏せ、下に向けた人差し指を前へはね上げた。これは「行く」を意味する手話です。
コタローは暖炉に立てかけた猟銃を手にした。彼とともに、それは地下室に置いてあった。彼はガズラとイトナに向かって怖い顔をし、言った。
「約束しろ。これから人質に取る信者を、絶対に迷子に引き入れないと」
「なんで?」
ガズラが聞いた。なんでもだ、とコタローは言った。私には理由がわかりました。
コタローは自分こそ迷子になったけど、本当はみんなに神様を好きでいてほしいと思っている。なぜなら、迷子は22年後に滅ぼされるから。信者でいれば、楽しく暮らせるから。
コタローが神様の悪口を言っているのは、あまり目にしません。それは彼が厭世家だからで、あらゆる理由で、彼は神様の力を信じているから。それは、悪魔が神様を嫌いだけど、神様の全知全能については信じているのと似ている。
コタローは信仰をなくしたけど、神様の存在は信じている。信頼はなくしたけど、存在は信じていて、畏れてもいる。だからコタローは、イトナとガズラに約束させた。信者たちに対して、どうふるまうかを約束させた。
自分たちを、危険で、頭がおかしくて、決して相容れない別の人種だと思わせると。信者に、迷子への同情を覚えさせたりはしないと。間違っても、自分たちの仲間にするようなへまはしないと。信者を悪の道には引きずり込まないと、約束させた。
人質をとったら家に連れ帰ることになった。知らない人がたくさん来て、地下室に入れられることになった。けど、それはノームがアリトンへの脅しを撤回するまでの、短いあいだだとコタローは言った。
私は気にならなかった。迷子だろうと信者だろうと、うちに来る人は勝手にすればいい。コタローとイトナとガズラは、そういうわけでその日のうちに出発した。
私は暖炉の火を見つめていた。彼らが出かけていっても、しばらくはそこから動けないでいた。それから、ふと立ちあがった。私の肩から毛布がはらりと落ちて、床に丸まった。私はそれを拾って、暖炉に投げ込んだ。
毛布によって空気を遮断された火は、くすぶって煙を吐き散らした。しかし、やがて息を吹き返して、めらめらと毛布を飲み込んだ。火のいきおいは赤い舌に似ていた。言葉とキスの両方で、私をもてあそぶアリトンの舌に似ていた。
私はお腹をおさえた。とてもお腹がすいていたのに、この家には何も食べ物がなかった。昨日まであったはずの食べ物は、全部ガズラのお腹に入ってしまった。
外へ出て、食べ物を求めれば、迷子が分けてくれるのは知っていた。けど、同時に迷子たちは、私にセックスを求めることも知っていた。私は家を出た。その日、私は帰ってくるまでに、三人の迷子とセックスをしました。
罪悪感があった。変だと思いました。私は何も感じないはずの、人形なのに。私は自分がなんなのか、わからない。空腹は満たされたけど、心はからっぽで、悲しくて涙を流した。自分がどうしたいのか、わからなかった。
アリトンは、神様は、自分が創ったもののその後をちゃんと考えて、そしてそれは正しかったのでしょうか。私には疑問です。けど、そもそもそんな問いは、お門違いなのかもしれない。親はきっかけにすぎない。だから、仕上がりにまで責任を問うのは間違いなのかもしれない。
責任を問うということは、永遠に自由にはなれないということだから。私は自由になりたいから。
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