▽傍観する天使

 吹きすさぶ風。均衡感覚がでたらめになる中で、景色がばさりと変わった。浮遊感が消え、重力がのしかかる。


 コバはひざを折り、地に手をついて吐いた。背になおざりな手が乗せられ、「大丈夫か」と声が降ってくる。答えようにも、吐き気がこみ上げる。

「また人間を運んだのか、スメル」

 太い男の声がした。あきれたような、コバに対してあわれむ響きを持った声。コバは口の中のものを吐き出し、なんとか顔を上げた。海があった。


 はじめて見る青い海。島だった。陸地から長い橋が渡された、小さな島。木々は色づきはじめ、潮騒がうるさいくらいだった。


「気分はどうだ。ちゃんと聞こえるか」

 兄の顔をした天使がコバを助け起こす。二人は砂浜に建つ、小さな家のバルコニーにいた。ロッキングチェアに腰かけて新聞を読んでいた大柄な男が、心配そうにこちらを見ている。

「おいスメル、無理させんな。もう少し休ませてやれ」

「……仕方ない」

 スメルは身を起こし、大柄な男に向き直った。彼女の担当天使はにこりともせず、丸坊主の大柄な天使にあいさつした。


「久しぶりだな。最後に会ったのは三百年前か」

「おまえの噂なら、五十年前に聞いた」

 大柄な天使は新聞紙をたたみ、コバを気遣った。

「おまえのパートナーを恐喝した、おっそろしい厭世家の話をな。彼女だろ?」

「ああ、コバだ。コバ、あいさつなさい」

「無理をさせるなと言ってんだろ。おまえはも少し、人間の身になれ」

「私は霊者だ。人間の身にはなれない」

「想像力を働かせろと言ってんだ。カタブツめ」

 大柄な天使は不機嫌に立ち上がり、コバにかがみ込んだ。

「気分は」

「……すみません、床を汚してしまって……」

「気にすんな。中へ入ろう。潮風は気持ちがいいが、当たりすぎんのもよくない」


 ふわりと身体が浮いたかと思うと、コバは男に抱き上げられていた。この男は信用できるのだろうが、それでも不安が彼女の心を満たした。彼女の記憶の中の男には、どれもいい思い出がない。


 大柄な天使は髪を剃り上げ、するどい目と、豊かな筋肉を持っていた。一見すれば恐ろしげな容姿であるが、コバをいたわる様子は、赤子をいたわる母のようだ。

「人間を運ぶときは車を使え。ったく、かわいそうだろ」

「車か。わかってはいるが……あれは遅いし、めんどうだ」

「なんでおまえが堕天しないか、ほんとに不思議だ。怠惰は大罪のひとつだろ」

「失礼な。私ほど神の律法に忠実な天使はそういない」

「行動だけは、な」

「行動だけなら充分だ」


 大柄な天使は二人を中へ入れた。清潔な木の家だった。吹き抜けの部屋の中央に薪ストーブが置かれ、厚い木の板のテーブルと、ゆったり座れそうなソファが並んでいる。並んだ棚に、いろいろなものが雑多に置かれている。男はコバを長ソファに寝かせた。その肘掛けにスメルが寄りかかり、男を紹介した。

「天使イズルだ。えらそうに説教をくれているが、こいつもたいした天使じゃない」

「この辺で痛み分けにしとくか」

 イズルはにやっと笑ってしゃがみこみ、コバに笑いかけた。

「なんか飲むか?」

「……はい……」

「よしよし。あたたかいのと冷たいの、どっちがいい?」

 コバは不安げにスメルを見やった。スメルは肩をすくめ、うなずいた。

「では、あたたかいものを」

「ちょっくら待っててな」


 イズルはひざを叩いて立ち上がると、台所へ立った。スメルも立ち上がり、家の中を見物しながらゆっくり歩く。壁には絵がかけられ、手作りのぬいぐるみや人形が棚に飾られていた。

「いかめしい姿をとるくせに、ずいぶんとかわいらしい趣味だな」

「信者たちがくれたんだ。いいだろ」

 イズルはにこにこしながらやかんに水を入れ、火にかけた。


「スメル、紅茶とほうじ茶、どっちがいい」

「べつに、どっちでも」

「相変わらず、はり合いのない奴だな」

 イズルはカウンター越しに首をのばしてコバを見た。

「コバはどっちだ。紅茶とほうじ茶」

「えっと……」

「彼女はほうじ茶を知らないよ。さっき死んだんだ。記憶は中世で止まっている」


 がたんと、火が止められた。イズルが真剣な顔で、スメルをじっと見つめている。

「死んだ?」

「そしてこのとおり、復活した。彼女の信仰心には敬服する」

「死んだって、どういうことだ。スメル、彼女は前も一度、死ななかったか?」

「正確には二度。千年王国で死んだのは三度目だな」


 イズルは信じがたい目でスメルを見つめていた。スメルは棚の上に置かれたらくだのぬいぐるみを持ち上げ、ふんと鼻を鳴らした。

「なかなかよくできている」

「スメル……おれはこういうことはあまり言いたくない。それぞれの考え方があるからな。神は自由意志を認めているし、おれはそれに口を出したくない」

 スメルはため息をついた。

「なら、何も言うな」

「だが、言う。もう少し、相手を尊重したらどうだ」

 イズルはもう一度やかんを火にかけた。それからコバへ目を向け、言った。

「ほうじ茶を試してくれ。気に入るかもしれない」

「……はい」


 コバは居心地の悪い思いで横になっていた。やがてお湯がわき、二人の天使が腰かけたので、コバも身を起こした。めまいはするが、吐き気は治まっていた。


「そら、熱いから気いつけて飲めよ」

 コバは湯気の立つお茶に息を吹きかけ、飲んだ。熱くて取り落としそうになったのを、イズルが人間離れした動きで受け止めた。

「おっと、舌をやけどしたか?」

「いえ、大丈夫です。すみません」

「怖がるなよ。さっきっから謝られてばっかだな、おれ」

 イズルは舌を出して、しししと笑った。笑うと、目が細くなって見えなくなる。なんてうれしそうに笑う人なんだろう、と思った。いや、正確には、天使。


「イズル、ノームの死は知っているな」

 スメルは一口飲むなり、さっさと本題に入った。途端、空気がぴりっと張りつめる。イズルはかたい表情に戻り「ああ」とうなずいた。


「大騒ぎだよ。なんだってこんなことが……」

「ノームの死に立ち会った人間がいる。名前はカヤだ」

「ああ、話には聞いた。行方不明らしいが、まだ見つからないのか?」

 イズルは首をかしげた。

「エデンにいりゃ、すぐに見つかるはずだろ?」

「エデンの外にいるから、見つからないんだ。彼女は事件のあと、迷子の手によって拉致された」

 イズルはハッとしてスメルを見つめた。天使といえど、すべての情報が共有されているわけではないのだ、とコバは知った。


「それじゃ、トーキョーにいんのか? そうか、だからおれに会いに来たんだな?」

「そのとおり。用がなければおまえになんか会いに来ない」

 スメルはさばさばと言って、湯のみをあけた。

「もう一杯もらえるか」

 イズルはぼう然として自分の湯のみを見つめていた。「おい」とスメルが言いながら、自分で茶を注ぐ。


「おまえの担当する厭世家がトーキョーにいるはずだが。コンタクトをとりたい。現在の居場所はわかるか?」

「……いや……」

「なんだ、だいたいでも把握していないのか? 武器を携帯しているとはいえ、放置していれば悪魔や迷子に何をされるかわかったものではないぞ」

 コバはスメルを見た。スメルはコバを放置していたからこそ、彼女は死んだのではなかったか。


「……スメル。おまえがノームの事件を追うことになったのか?」

「まあな。貧乏くじさ。あのとき一番近くに私の厭世家がいたというだけの理由だ。おまえの厭世家がエデンの内側にいれば、おまえが担当する事件だったものを」

「……ノームはどうなった。なんかわかったのか」

「何も。遺体は――そう呼んでいいのかわからないが――ノームの家に安置してある。人間の姿をとったまま、変化がない。祈ってはみたが、復活は果たさなかった。ノームに信仰心が欠けているとは思えないから……霊者は死んだ場合、よみがえらないということらしい」


 スメルはもう一口、茶をあおいだ。

「まあ、身体がないからな。霊者が死ぬとどうなるかは憶測ばかりで判然としなかったが、ついに明らかになった」

「……そうか……」

「ノームの担当する厭世家は泣き通しだ。エードというんだが。仕方がないから、気のすむまで泣かせてやっているが、もうダメだろうな。彼女は『引退』するだろう」

 イズルは複雑な顔でうなずいた。

「そうだろな」

「私は今、カヤを追っている。コバにカヤを追わせていたのだが、どうやらそのせいで悪魔に殺されたのでな」

「悪魔に? 確かか」

「頭蓋骨が形を失うほど踏みつぶされていた。無垢な人間がそこまで残虐な方法で殺すか?」

 コバはびくりとした。頭蓋骨が……?


「カヤをさらって、ノームの死の状況を分析したがる悪魔がいるのだろう。そのもくろみがうまくいけば、終わりの日以上の混乱が起きるのは目に見えている。霊者を殺す方法が存在したとしたら、悪魔は気に入らない天使を殺してまわるぞ」

「……気に入らない悪魔も、殺してまわるんだろうな」

「それに、神にも試すだろう。放っておけば22年で滅ぼされる連中だ。なりふりかまわずやってのけるさ」


 沈黙が小さな家の中を満たした。コバは息を詰め、二人の天使のやり取りを、絶望的な気持ちで聞いていた。自分が殺されたばかりに。きちんとカヤを見つけて記憶を消しておけば、こんなことには。


「おまえの担当する厭世家に心当たりをたずねたい。コタローと言ったか。どの辺りにいるかだけでも教えてくれれば、あとは勝手に探して、こちらで説明する」

「悪いが、コタローは協力できない」

 スメルは眉をひそめた。

「どういうことだ」

「コタローは……三ヶ月前に、引退した」


 スメルは立ち上がっていた。イズルは目を伏せ、湯のみをじっと見つめている。

「知らなかった。厭世家が王国の政から離れて引退するときは、14万4千人の担当天使に情報を共有する決まりがあったはずだが?」

「……事情がちがうんだ」

「わからないな。おまえは正義感だけはあると思っていた。律法を無視する奴だとは思えないが」

 イズルの顔に、苦虫をかみつぶしたような悲壮がありありと見てとれた。

「おれにはわからん。正義のなんたるや……」

「話をそらすな。おまえの厭世家は今どこでどうしている」

「……おれは、ただ、人には人の考えがあると思ってるだけだ」

 イズルは頭を抱え、深いため息をついた。コバの担当天使は冷たくそれを見おろしていた。


「あいつは……今、トーキョーにいる」

「引退したのにか?」

「わかんだろ、スメル。おれから離れてエデンの外にいるってことは……迷ってるからだ」

 スメルは言葉を失った。それから、やや気色ばんだ様子でかすかに首をふった。

「信じられない」

 コバは話についていけなかった。それに気づいてか、イズルが力なく笑った。

「選ばれし14万4千人の一人が、神に疑問を持ったんだ。不思議だろ。間違いなく義人だったはずなのにな。選んだのはノームだが」

「そうか……では、ノームはそれで……?」


 スメルは緊張気味に部屋を歩き回った。ぶつぶつと、考えをまとめている。

「厭世家から迷子が出た……ノームはこのことを知ったのだろうな? トーキョーには確か、アリトンもいただろう?」

「目ざといねえ、スメルは」

 イズルは肩をすくめた。そうだ、とスメルは立ち止まってイズルを指差す。

「おまえはアリトンと親友だったな? それでノームは事態を知った。ノームは14万4千人を選んだ張本人だ。責任のひとつも感じるだろう。それで……待てよ。わからないな。コタローはどうして迷子になった? 誰の差し金だ?」


 イズルは首をふり、観念したように言った。

「……アリトンだ」

「では、ノームを殺したのは、アリトンか?」

「ちがう」

 イズルが太い声で叫んだ。が、すぐにうつむいた。

「わからん。あいつはときどき、よくわからない行動をとる。おれは何も知らない」

「どうかな。イズル、おまえはノームの死の兆候に気づいていたんじゃないのか?」


 スメルは腕を組み、イズルを不快な目で見おろした。

「おまえはコタローとアリトンを会わせた。そしてアリトンはコタローを誘惑し、迷子に引き入れたわけだ。ノームはもちろん、すぐに気づく。それで、責任を感じたノームに対して、アリトンは邪険な態度をますます強める。おまえはそれを、全部横から把握していた。なのに傍観か?」


「おれはアリトンとは縁を切ったんだ!」

 イズルの咆哮にも似た怒鳴り声に、コバは心臓が飛び上がった。イズルは立ち上がり、動じないスメルをにらみつけていた。大柄な天使は悪魔のように大きく盛り上がり、すべてを飲み込んでしまいそうに見えた。


「あいつはコタローを七年も監禁した! そのあいだ、コタローは家畜よりもひどい扱いを受けたんだ。おれは自由意志を尊重する。だが、さすがにあれはアリトンもやりすぎだ。あいつはついこないだ、ノームから自分の人形を守るための方法を聞いてきやがった。なにかいいアイディアはないかとさ。おれから厭世家を奪っておいてだ! あいつにはほとほとうんざりした。おれはもう、関係ない」


「……くそみたいな天使だな」

 スメルが言った。

「なぜおまえが堕天しないのか、本当に不思議だ」

 イズルは顔をゆがめた。空気の抜けた風船のように、急に老けこんで見えた。

「……止められたとでも言うのか?」

 大柄な男から発せられたとは思えない、かすれた声だった。


「おれに何ができた? コタローはアリトンがいいと言った。おれなんかより、アリトンがいいと言ったんだ。引き止める筋合いなんかあるか? だからって……まさかノームが死ぬ事態になると、誰が予想できた? 霊者が死ぬなんて、神以外に誰が知り得た?」


 スメルはだまり込み、しばらくしてから口を開いた。

「たしかに、厭世家が迷子になったからといって、ノームが死に至るとは思わない」

「……そうだろ」

「だが、ノームが殺された理由は、その件がからんでいる可能性が一番高い」

 イズルは鼻で笑った。スメルが眉をひそめて首をかしげる。

「冗談を言ったつもりはないが」

「なら、笑わせんなよ。『ノームが殺された』?」

 イズルは首をふりながら、一人がけのソファに深く沈み込んだ。


「ノームはそんなに間抜けな天使じゃなかった。あいつはすごい天使だった。愛があり、賢く、いつでも穏やかで……すべてをきっちり見通す目を持っていた」

 イズルは太い指をからませ、祈るように手を組んだ。

「あいつが殺されたとは思えない」

「では、自殺だとでも?」

「……わからん。わからんが……霊者を殺す方法なんて、あるはずがない。そんなもの、あればとっくに知れ渡っているはずだろう?」

「しかし、アリトンは秘密の悪魔だ」

 イズルは硬直したように固まり、二の句が継げないようだった。


 秘密の悪魔。

 コバは口の中で復唱した。

 恐ろしい響きだった。


「あいつが保持しているのは『口に出せないほど恐ろしい秘密』だ。その内容も概要も、神以外には知り得ない。もしあの悪魔の秘密が、霊者を殺す方法だとしたら?」

「おれは……それでも、アリトンはやってないと思う」

「そう思いたいのだろう」

 スメルはばさりと切り捨てた。イズルは肩を落とし、ため息をついた。

「そうかもしれない。おれは近くで見ていたから……アリトンが堕天する前は……あいつらは本当に、仲が良かったんだ」

 イズルは今や、小さく見えた。

「ノームは本当に、すごい天使だった。なのに……もういないのか」


 スメルはだまっていた。よどんだ、喪に服した空気が部屋をただよった。スメルは一刻も早く、この部屋の空気を入れ替えたいという顔をしていた。あるいは、ここから出て行きたいという顔を。彼は「我々はもう行く」とイズルに告げた。


「情報に感謝する。アリトンの家をたずねよう。それで何かわかるかもしれない」

「悪魔にケンカを売る気か?」

 イズルは困ったように笑った。スメルは肩をすくめた。

「真相を明らかにするだけだ。そして、情報の流出を防ぐ。最終的な裁きは22年後にまとめて行われるだろう。それは私の管轄ではない」

「おまえらしいな」


 イズルは少し笑い、立ち去りかけたスメルをとどめた。

「お願いだから、あの家にいる、カエラという迷子には何もしないでくれ」

 スメルは眉をひそめた。コバは立ち上がって、彼の横についていた。

「なぜだ」

「さっき言ったろ。アリトンは人形を作って、大切にしてんだ。自分の心を半分入れていて、意思がある。カエラには罪がない。見つけても、そっとしておいてやってくれ。どうせあと22年で、滅ぼされる子だ」

「意思のある人形か。悪魔はときどき、理解しがたいことをするな」

「おれもそう思うよ」

 イズルはため息をつき、コバに笑いかけた。

「コタローによろしくな。おまえとちがって迷いはじめちまったが、根はいい奴だ。会ったら、よろしく伝えてくれ」

 コバはうなずいた。



 イズルは二人を見送った。砂浜の先に舗装された道路があり、車が何台か止めてあった。道路に沿って家が並び、穏やかな顔をした信者たちが歩いている。彼らはイズルに気づくと、幸せそうにあいさつした。イズルも、うれしそうな顔で声をかける。それは、先ほど見せた怒りの表情とはまるでちがっていた。


 コバは故郷の村を思い起こした。幸せで、平穏で、難しいことを考えずとも生きていける世界。ここにはそれがある。


「あの車を使え。それと、もう遅いから、アリトンの家に行くのは明日にしろ。人間には睡眠と食事が必要なんだ。それくらい、悪魔だって知ってるぞ」

「わかったわかった」

 スメルは迷惑そうに顔をしかめつつも、疲れきったコバを見てうなずいた。

「後部座席で寝ていろ。私が運転する」

 道は陸地まで続く橋につながっていた。イズルは白い車を示し、少し待てと言って、家に引き返した。


「車とは、なんですか」

 コバが尋ねると、兄の顔をした天使は「それも説明しなければならないのか」という顔でめんどうくさそうに答えた。

「馬のない馬車だ」

「それに乗れば……先ほどのように吐かなくてすむのでしょうか」

「人によるな」

 コバはつばを飲んだ。あまり迷惑をかけたくない。

「私は歩きます」

「勘弁してくれ。江ノ島から浅草まで歩いたら丸一日かかる」

 コバは「すみません」と言って黙り込んだ。イズルが毛布と食料を持って戻った。


「ノームの担当していた地区は、誰が割り当てられることになりそうだ?」

「私だろうな」

「へええ、怠惰なおまえが?」

 スメルは車の後部ドアを開けながら肩をすくめた。

「ノームの死因を調べる必要があるからな。元の仕事は別の天使に投げる。仕事の総数はむしろ減るから願ったりだ」

 イズルは呆れたように鼻を鳴らした。

「やっぱ、怠惰な天使だな」

「ノームの死は……信者たちには、なかったことにしてもらうつもりだ」

 イズルはハッとして、それから神妙にうなずいた。

「それがいいだろう。無用な疑念は、千年が終わるまでは少ない方がいい」


 コバは天使たちがなんの話をしているのかわからなかった。なかったことにするとは……記憶を消すということだろうか? わからない。しかし、具体的なことは何も知らずともいい、と思った。

 気にしてはいけない。平穏で幸せな世界には、難しいことを考える必要などないのだ。それらはすべて、神と、その従者である天使たちに任せておけばいい。


 だから……コバは天使たちに気づかれないよう、ひっそりとこぶしを握った。だから、コバが心配するべきことは何もない。これでいい。いいはずだ。



 スメルは後部座席をフラットにし、イズルがくれた毛布と枕を敷いてコバを乗り込ませ、自分は運転席に座った。

「ちゃんと運転できるか? めんどくさがり屋」

「失礼な奴だな」

 スメルが顔をしかめながらエンジンキーを回す。車がうなり、コバははじめての振動にぎょっとした。


「またな、コバ。その信仰心があれば、いずれまた会う」

 イズルはコバに手をふり、車の屋根に乗せていた手を離した。スメルとコバを乗せた車はゆっくりと海を渡り、内陸へ、エデンの外へと走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る