第三章
▽兄
彼女は当時、マグダレーナという名を持っていた。
ポルスカ、読者の言語に正せばポーランド、の農村地帯。マグダレーナは疫病で両親を失い、兄とふたりで森の端に住んでいた。
小さな畑を耕し、森に分け入って薬草やキノコを採取し、時にはノウサギやシカを狩って細々と暮らした。彼らの家は村外れに位置していた。南から川が流れ込み、村の中心には、十字架をかかげた教会が君臨していた。
マグダレーナと兄は働き者だった。村の人間にほどこしを受けたことはなく、迷惑をかけたこともない。しかし、兄は妹の行動にほとほと困っていた。
「明日こそは、ミサに行くぞ」
土曜の夜。年季の入った二人の家で、兄、ピョートロが夕食のスープを飲みながら言った。室内にはほこりひとつ落ちていないし、煙突にはススひとつついていない。マグダレーナはするどい目で兄をにらみ、肩をすくめた。
「止めはしないわ。行ってらっしゃい」
「おまえも行くんだ、マグダ」
兄の顔はどこか青ざめていた。日々の糧は足りているはずだ。労働も、きつすぎることはない。確かに暮らしは貧しかったが、二人で生きていくには充分だとマグダレーナは考えていた。とすると、兄の心労は自分由来のものだろう、とも理解できた。しかし、だからといって信念をくつがえすことはできない。それは彼女にとって、信仰をくつがえすのと同義だった。
「教会には行かない」
マグダレーナはきっぱりと言い、スープを口に運んだ。ピョートロがなにか言いかけるのを、ぎろりとにらんで制す。
「あの人たちはおかしいわ。お互いを監視しあって、常に悪魔がいないかどうかを見張ってる。そんなことをしなくても、神はきちんと見ておいでなのに」
「マグダ……そんなことを言ってると……」
「だから、教会には行きたくないの。神父様のお説教だって、いつも暗い話ばかり。悪魔とか魔女とか……聞いてられない」
ため息をつき、横を向いて目を閉じると、口の中で祈り、兄に向き直った。
「村の人を怖がらせて、あおっているようにしか見えないわ。聖書にはもっと、神やみ使いや愛について書かれているはずなのに」
「悪魔に打ち勝つ方法をみなが聞きたがるから、神父様も応えてらっしゃるんだよ」
ピョートロは辛抱強く言った。妹が兄の言うことを聞かないのは、今に始まったことではない。それでも、今回は従ってもらうつもりだった。兄の威厳にかけても。
「みんな、不安なんだ。自分たちの中にいる悪の芽をつんでおきたいんだよ」
「どうして?」
マグダレーナはスプーンを置き、眉をひそめた。からかったり、皮肉をこめているのではない。改めて疑問を持ったのだ。
「どうして不安なの? 信仰を持っていれば、悪魔なんて怖くないでしょう。神がいてくだされば、魔女なんて関係ないでしょう?」
「マグダ……冗談を言っているなら、よせ」
「いいえ、ピョートロ。本当にわからないの」
「悪魔はたしかに、神様よりも弱いさ。だけどおれたち人間は、悪魔より弱いんだ」
マグダは顔をしかめ、背もたれに寄りかかった。
「意味が分からない」
「マグダ……少しは人に合わせないと……」
「悪の芽をつむ? そんなの神の仕事でしょう。私たちはひたすら、神を信じていればいい。モーセの信仰が紅海を割ったのよ、ピョートロ。キリストの信仰が水をワインに変えた。本物の信仰心があれば、悪魔は人間に手も出せないわ」
「そういう問題じゃないんだ。おまえの言ってることは正しい。正しいけど……」
「ピョートロ。私は行かない。悪魔だの魔女だのとわめく教会には、行きたくない」
沈黙が二人を包んだ。ろうそくの火が風で揺れる。兄の顔は血の気を失っていた。彼はスプーンを握りしめていた。指の関節が白くなるほど、強く。
「……教会が間違っていると言うのか、マグダ」
マグダレーナは兄を見た。怯えた顔の兄を。
はやくに両親を亡くし、ふたりで生きてきた。信頼できる人間、死んでほしくない人間はお互いだけだった。その兄が、恐ろしい言葉を妹の口から聞こうとしている。当時の価値観において、殺人の告白にも似た言葉を聞こうとしている。
マグダレーナは兄を真正面から見すえ、うなずいた。
「『あなたの敵を愛しなさい』と書いてある。人間は、たとえ悪魔だろうと魔女だろうと、排除していいわけがない。教会のやっていることは神の意志に反するわ。私は賛同できない。私が信じているのは――教会じゃなくて、神なの」
兄の手が震え、テーブルの下に隠れた。彼は妹を見つめ、泣きそうな声で言った。
「誰にも言わないでくれ」
兄の声は震えていた。妹のような気高い声は、彼には出せなかった。
「おれの他には言うな。誰にも言うな。でないと……肉親はおまえだけなのに……」
兄の目から涙がこぼれた。
「……おまえまで、魔女裁判にかけられる」
彼女は息を吹き返した。咳き込む喉には痰がからまり、うまく呼吸が戻らない。目がかすみ、視界がぼやけた。背に温かな手が伸び、支えられるのがわかった。半身を起こし、かろうじて息をする。喉をおさえる自分の手が、震えている。縄をかけられ、息が止まったあの絶望が、まだ手触りとして残っていた。死んだと思った。あのとき確かに。いや、本当に死んだのか……?
「落ち着いて。ゆっくり息をしなさい。あなたは生きている」
男の声がした。兄の声に似ている、と彼女は思った。しかし、兄ではない。兄は、こんなに冷静な話し方など、ついぞしたことがない。
最後に兄の声を聞いたのが、遠い昔に思われた。あのとき……村の広場に引きずり出され、人々が叫び通していた。彼女の首に縄がかけられ、興奮に火がついてわなないた。祈りを捧げる彼女に、声が聞こえた――見ろ、呪文を唱えている。やっぱり魔女だったんだ!
――なんと浅はかで哀れな人たち。恐怖をごまかすために、そう思った。蜂の巣のような声の中に、兄の声がした。彼女の名を呼ぶ、兄の声。
かすれた視界がぼんやりと戻る。知らない場所だった。青空の下、四角い建物がひしめくように並んでいる。どれも黒ずんで半壊し、そのすき間から青々とした緑を芽吹かせている。人の気配はない。ここはおそらく、見捨てられたかつての都市。自分が生まれ育ったところよりも暑く、それでいて身体は慣れている。ここはおそらく、ポルスカとは遠く離れた、どこかなのだ……。
彼女は知らず、涙を流していた。ゆっくりと視線を戻し、自分を支えていた人物を見て、あっと叫んだ。
「ピョートロ!」
兄そっくりの人物は、めんどうくさそうな、しらけた目で彼女を見つめ、仕方ない、と諦めたように息をついた。
「私はあなたの兄ではない」
彼は言った。その声は兄と同じだった。しかし、言葉は落ち着いて海のように深く、着ている服には、しみもツギも見当たらない。
「兄ではないが、あえてその顔に似せている。この顔はあなたを愛した実績がある。あなたが手っ取り早く私を信頼してくれるには、この姿でいるのが一番効率がいい。よって、あなたと仕事にあたる時は、この姿で通している」
言葉は半分も理解できなかった。しかし彼は気に留めずに、立てるか、と聞いた。彼女は応えようとした。が、力がうまく入らない。そのときはじめて、自分が知らない服を着ていると気づいた。七部丈のセーターに、黒いひざ丈のスカート。はじめて見たのに、身体にしっくりとなじんでいる。
男は「無理をしないように」と声をかけ、彼女の肩を抱いて背をさすった。子どものころ、母親がそっと抱いてくれたように。安心が彼女の中に広がって、緊張感がほぐれていく。
「……あなたは……兄ではないのなら、誰なのですか……?」
彼女は畏怖の念を抱いていた。その話し方が、身のこなしが、とりまく雰囲気すべてが、人ならざるものに思えた。神父にもシスターにも、これほど神を感じたことはない。彼は彼女の背をさすりながら、前を見て答えた。
「私は天使スメル。あなたの担当だ」
……やはり。彼女は理解した。
「天使様……」
天使と名乗った男は感情のない目で遠くを見続けていた。
「終末の預言は知っているね。み言葉は現実になった。あなたは死後、神の御意志によってよみがえらされたのだ。これよりマグダレーナの名は捨て、コバと名乗りなさい。コバとはヘブライ語で、いくつか意味を持つ。義務ある者。したたかな心。それがあなたに期待された役割だ」
彼女はうなずいた。涙が頬を伝った。彼女は間違っていなかったのだ。神によって、こうして救いとられたのだ。
コバは再び自分の身をかんがみた。がれきの上に、彼女はいた。血にまみれ、服はやぶけて肩がはだけている。スメルは「すまない、気がつかなかった」と言って肩に手を当てた。服は元通りに繋ぎあわされ、血に染まった布は真新しくなった。
神のみ技だ、とコバは理解した。彼の信仰が奇跡を起こしている。この方は、本当に神の従者であり、み使い。
「それでは、大かん難の日は過ぎ去ったのですね。確かに、終わりが近いと思っていました。兄は。兄はどこにいるのでしょうか。ハルマゲドンは生き残って……?」
コバは口を閉ざした。天使スメルがうんざりしたように自分を見ていると気づいたからだ。
「あなたが死んでからハルマゲドンまでには、さらに500年ほどの時を要した」
スメルの言葉は冷たく響いた。伝えるべきことを伝える、あとは自分の管轄ではない、そういう言葉の流れだった。
「そしてさらに、ハルマゲドンより1000年ほどの月日が流れている。あなたが千年王国で死に至ったのは三度目だ。責任は私にあるのだろうな」
「……私は……天使様、いったい何を言われているのか、私には理解できません」
「さすがの私もときどき迷う。これ以上、あなたに無理をさせていいのか……」
天使スメルは目を落とし、コバの視線を避けた。泣いているのだろうか、とコバは思った。しかし、再び彼女に向けた目は、からりと乾いていた。
「しかし、結局はあなたに頼りきっているのだよ」
天使スメルがにこりと笑う、その顔は、見慣れた兄とまるきり同じだった。
この人はいい人だ、と、コバの本能に直接訴えかける。天使なのだから、それは当然のこと。しかし、何かがちがう。その笑顔は、相手を安心させるために造られた顔ではないか。彼女を安心させるために造られた、兄の顔と同じように。
「コバ。なにか思い出せないか。あなたはここで、何者かによって殺された。おそらく悪魔だろう。無垢な人間には到底及ばないような、残虐な有様だったからな。どうだろう。少しは思い出せないか」
「私は……」
コバは混乱しつつも、やっとのことで答えた。
「近所の子どもに、魔女だと噂を流されて……あっという間でした。兄がかばってくれましたが、今度は兄までもが疑いをかけられたので、私は……」
「そうじゃない。マグダレーナではなく、コバの話だ。本当に何も思い出せそうにないか? あなたのために特別な祈りを捧げた。なにか効果はあると思うのだが」
コバは必死で記憶をたぐったが、マグダレーナとして生まれ、生きて、殺されたことしか思い出せなかった。コバとしての命は、知らない。たった今、この天使にそう呼ばれるまで、彼女にはコバとしての記憶がない。
「私は……何も……」
スメルは舌打ちし、ぶつぶつと口の中でつぶやいた。もう彼女には興味を失ってしまったかのように。
「カヤを一旦取り逃がしたことまでは、手記に記してあった。ということは、再びカヤを追いつめた段になって、悪魔と遭遇したか。人質を取った迷子と、その悪魔がつながっていた可能性もある。そもそも迷子は、どうしてカヤを連れ去った? ノームを殺した女が、都合良くエデンの外に連れ出されることがあるだろうか。できすぎている……カヤははじめから迷子と通じていたのかもしれない……すると、カヤは悪魔にそそのかされてノームを殺した……?」
「……あの」
「なんだ」
スメルは顔を上げた。はじめからずっと、コバのことだけ考えていたかのように。コバは心もち気後れしつつ、切り出した。
「……ここはエデンの園、なんですよね。約束された楽園……」
スメルはしばし考え、首をふった。
「ここは『エデンの外』と呼ばれている、悪魔たちの領分だ。千年王国の終わりに、悪魔たちは地の底から一時的に解放される。そのための外側なのだよ」
「では……私はどうして、こんなところに天使様といるのですか」
「あなたは仕事の都合で外に派遣され、そこで悪魔に殺されたのだ。そして私の祈りによって復活を遂げた。しかし神の酔狂で、その記憶は失われている。おそらくは、何も覚えていない状態でも、神を愛すのかという試練なのだろうが」
スメルはため息をつき、困ったものだ、とでも言いたげに肩をすくめた。
「あなたはすでに三度も殉職し、そのたび復活するほどの信仰を示し続けている。なのに神は相変わらず記憶を消してしまわれる。まったく、任務のために少しは記憶をとどめさせてほしいものだ」
コバは唇をなめ、不安げに天使を見つめた。兄と同じ顔。しかし、兄ではない、誰か。彼がもし悪魔だとして……どうして、コバにそれを見分けるすべがあるだろう。
「私を疑っているね」
スメルの言葉に、コバはびくりとした。
「私は……」
「いい。いつもあなたは、はじめに私を疑う。そしていつでも、悪魔なら立ち去れと、神の名を引き合いに出す。慣れたよ」
「……あなたは、本当に愛ある天使様なのですか」
「……さあ、どうだろう」
スメルはうすく笑ってみせ、コバの真正面にかがみ込んだ。
「あなたは千年王国で、978年もの時を生きた。あなたには二世の夫があり、12人の子らと、数えきれないほどの孫がいる。厭世家と呼ばれる14万4千人の一人として、天使に付き従い、政の一端を担っている。その天使が私だ。あなたはよく働き、確固たる信念で、決して揺らがない。何度死に、何度記憶を失っても、ぶれることがない。私は愛のある天使とは言えないだろう。あなたと仕事をするのは、とても楽だ。私は天使の中でも、怠惰なほうでね。あなたは私にほとほと呆れていただろうが、これでも天使の一人には間違いない」
コバは言葉を失い、じっと意味を考えていた。スメルは首をかしげ、笑みのない顔でコバを見た。
「どうかな。まだ私を悪魔と疑うだろうか」
「……14万4千人。それしか、選ばれなかったのですか」
コバはつぶやいた。スメルがうなずく。
「正しき道はせまく、けわしい。通れる者は限られている」
「私は……14万4千人というのは、天の国に行く者で……あとの大勢の善人は、地上の楽園に行くものとばかり考えていました……」
「そうだね」
スメルはコバの目を見つめた。
「聖書の解釈は人の数だけ存在した。しかし、真実はひとつだ。地上はぬぐい去られた。選ばれたのは14万4千人。それしか、生き残らせるべき人間がいなかった」
コバはスメルの瞳を見つめた。急に、合点がいった。なぜ、彼が兄の顔を真似ているのか。オリジナルが、すでにどこにもいないからだ。オリジナルがいなければ、コピーはオリジナルと同じ意味をもつ。あるいはそれ以上の意味を。
「兄は、選ばれなかったのですね」
スメルは兄の顔で、ただうなずいた。笑みはなかった。しかし、取りつくろった悲しみもなかった。それは彼女の目に、誠実に映った。
コバは一粒だけ涙を落とした。14万4千人。その少なさはおのずと知れた。それほど少ない確率の中で、ピョートロが選ばれているはずがない。
彼は悪人ではなかった。しかし、神を愛した善人かと問われれば、自信をなくす。兄は神の言葉よりも、村人の目を気にした。聖書の教えよりも、教会の解釈を受け入れた。信仰よりも、妹の身を案じた。だから、兄は。選ばれなかったのだと、理解できた。理解はしたが、涙の一滴は、どうしてもおさえることができなかった。
あの村で生き残った者は、おそらくコバ一人。それほどの確率。それほどのほまれ。自分も神の愛に応えなければならない。それが彼女にできる、精一杯の信仰だ。
「――天使様。どうか、この私になんなりとご用命を下さい。どんなことでもやってのけます。たとえあなたの個人的な用件だろうと、私は全力でそれにあたりたいのです。あなたは神のしもべ。私はその従者です」
コバは背筋を伸ばし、まっすぐ兄に似た天使を見つめた。スメルはコバを見おろし、少し笑った。飾りではない、本当の笑みを、はじめて見たと思った。
「ああ、そうだな。あなたは私の個人的な用件だろうと全力を尽くす。こちらが思ってもみないほどに」
「なにか過去に不作法がありましたか」
「……いや、それはいい。そうだな、まずは、私のことはスメルと呼びなさい。この地には天使が大勢住まわっている。一人ひとり、名で呼ぶように」
「はい」
「……といっても、ここはエデンの外。私以外の霊者は、悪魔くらいのものだがね」
「悪魔など恐れません」
コバは言った。心からそう思った。
「知っている。君は誰も畏れない。神以外は、誰も」
スメルは再び微笑みを浮かべ、すっと立ち上がると、コバに手を差し伸べた。
「立てるか」
二度目の言葉に、今度こそコバは応えた。スメルの手を握り、立ち上がる。かかとの高い靴にはぎょっとしたが、よろめきはしなかった。身体が慣れているらしい。
「これを」
スメルが差し出したのは、見たことのない形の剣だった。片刃で、ゆるやかな曲線を描き、刀身は細長い。恐ろしいほどシンプルで、美しい。
「かつてこの国で使われていた刀だ。身を守るために使いなさい」
「……千年王国では、武器はなくなるのでは」
「普通の人間は持ち合わせない。厭世家だけが持てる決まりがある。人間は愚かだが、ルールを遵守していれば争いは決して起こらないものだ。あなたは神の命令ではなく、神の許しのもと、自分の意志でこれを携帯する。正当防衛の権利は守られているから、安心して持っていなさい」
コバはうなずいた。正当防衛は、必要なことわりに思えた。それでなくとも、永遠に生きられるというこの国で、三度も死んでいるらしいのだから。
「私は、何をすれば」
「……昨日、エデンで一人の天使が死んだ」
コバはハッとしてスメルを見つめた。
「……よくあることなのですか」
「創世以来、初だ。天使であろうと、悪魔であろうと、霊者が死んだのは」
スメルは、わかるな、という顔でコバを見た。彼は彼女より少し背が低かった。
「きっかけになったのは27歳の信者だ。彼女をめぐって、おそらくあなたは殺された。彼女を取り戻すために……あるいは記憶を消すために、探し出さなければ」
記憶を、消す。
コバは思い至った。記憶がすっかり失われた自分のように、その人間の記憶を消すのだ。なぜなら、天使が死んだ全容が悪魔の手に渡れば……どんな悲劇が起こるか、考えるまでもない。
「その悪魔の名は」
「わからない。悪魔の数が多すぎる」
コバはそっと辺りを見回した。誰もいないように思えるが、今この瞬間も、悪魔が息をひそめて自分たちを見つめているかもしれない。
「この地区を担当していた厭世家にコンタクトをとる」
スメルが言った。コバは目をしばたいて、歩きはじめたスメルのあとを追った。
「厭世家がエデンの外にいるのですか」
「あなたと同じように、武器を携帯して人間を導く任についている。たしか日本人の厭世家だった。コタローと言ったか……」
コバはかすかに首をかしげた。妙なアクセントの名前だ。日本という国は聞いたことがないが、そこではよくある名前だったのだろうか。
「厭世家がどこかは知れないが、担当天使の居場所はわかる」
兄の顔をした天使はコバの肩を抱きかかえ、言った。
「少し飛ぶ。目と口を閉じていなさい。手加減して人間を運ぶのは、骨が折れる」
「ロトの手をひいた、み使いも同じ気分だったのでしょうか」
コバが言うと、スメルは顔をしかめた。
「あれはめんどうだった。やつの妻が、人の話を聞かない女でな」
コバが頬を染めてなにか言う前に、スメルは地を蹴った。コバは目を閉じ、スメルにつかまった。怖くはなかった。兄とともにいるような、安堵があったから。
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