*迷いの羊

 神様はすべての仕事をしたように人々は思っている。けど、実際はちがう。

 神様が自分でこなしたことは、命を吹き込んだことだけだとアリトンは言った。なぜなら神様はプロデューサーで、監督だった。


 神様は自分の手足として、よく働く霊者を作った。一人が疲れてしまわないように、大勢に仕事を分担させた。それで、実際に神様が働くことはほとんどなかった。神様は彼らの働く様子を見て、うまくできたらほめるだけで良かった。



 昔、悪い王様につかまった三人の若者がいた。彼らの名前はシャデラク、メシャク、アベデネゴといった。三人の若者は、ちゃんと神様を愛していたので、悪い王様に捕虜にされても平気だった。三人は王様の命令よりも神様のルールを守ったので、ある日死刑になった。


 三人は燃えさかる炉の中に投げ込まれた。しかしこのとき、三人は炎の中に平気で立っていた。なにより人々を驚かせたのは、三人だけではないことだった。人々は炎の中に四人の若者が立って、熱心に話し込んでいるのを見た。それで、王様は三人を炉の中から呼び戻し、四人目の男について質問した。シャデラク、メシャク、アベデネゴは「神のみ使いだ」と答えた。


 これは天使のことです。


 霊者には神様に似た力が備わっているので、三人の若者を炎から助けることができる。そして身体がないので自分が燃えてしまうこともない。


 つまり、人間が困っていたら、わざわざ神様が出ていくまでもなく、霊者が助けるということ。これは人間が動物を助けるのと似ています。もしも羊が谷から落ちて困っていたら、霊者が出ていくまでもなく、人間がなんとかしなければならない。


 人間が動物のめんどうをみてやるのと同じように、霊者も人間のめんどうをみてくれる。だけどもし、人間が動物とセックスをしたら、その人間は他の人間に白い目で見られる。ちょっと頭のおかしい人として。あるいは変態として。


 だから、霊者が人間とセックスをすると、やはり他の霊者からは白い目で見られます。ちょっと頭がおかしいやつとして。あるいは変態として。


 だから本当に愛し合ってエロスがあるならまだしも、遊びで人間とセックスをしようという霊者はあまりいません。それは悪魔も同様です。



 アリトンは迷子のめんどうをよくみる。それは悪魔である以前に、彼女が霊者だから。人間の世話をしてやるのが好きだから。


 アリトンは私とセックスをする。しかし、彼女は迷子とはしません。アリトンがセックスをするのは、遊びにくる悪魔と私だけです。私が人間ではないから、彼女は私とセックスをしても平気らしい。だからアリトンは、頭がおかしくはない。もしくは変態ではない。


 終わりの日にも、人間は作った人形とセックスをすることがありました。しかし彼らは変態とは呼ばれなかった。私もただの人形なので、セックスをしてもかまわないのかもしれない。



 このあいだの話をします。

 私はアリトンと悪魔と天使のことを考えていた。


 その日、私はパソコンのキーボードを叩くイトナと背中を合わせて座っていました。暖炉のある大きな部屋で、私はときどき手を伸ばして彼の手に触れた。ガズラは隅で何かを食べ続けていた。


 彼は私がまとわりついても怒りません。私が生まれたばかりのころ、彼はセックスにも応じてくれなかったし、私をいちいち追い払った。けど、すぐに許してくれるようになった。たぶんアリトンに言われたからです。だからイトナは優しいと思う。


 私は彼に、アリトンとセックスしたことがあるか聞いた。すると彼は首をふった。

「なぜ?」

 するとイトナは肩をすくめた。

 これは「わからない」か「知ったこっちゃない」か、もしくは質問をはぐらかすときに使う「答えたくない」の三通りの解釈ができます。私は顔をしかめてほっぺたをふくらませた。これは「不満だ」という意味の表情です。


 私はイトナの答えが三通りもあって、そのどれをとっても納得できなかったので、不満だった。すると彼は手話をした。

「カエラは特別。だからアリトンはカエラとする」

「それは私が魂を持っていないから?」

 おそらくそれが原因で、私は人間ではなく人形なのだろうと思った。しかしイトナは首をふった。そして示した。

「カエラはアリトン自身だ」

 私はよくわからなかった。


 私の心は確かにアリトンからもらったもので、私の考え方はアリトンから受け継いでいると言えます。けど、それはアリトンのほんの一部であって、私は私だと思った。私はアリトンじゃない。


 私はイトナの手を握って、少し考えてから訊いた。

「私を作ったのがアリトンだから、私はアリトンなの?」

 イトナはまた肩をすくめたので、ますますわからなくなって、もう一度訊いた。

「イトナを作ったのは神様だから、イトナは神様なの?」

 するとイトナはすぐに首をふった。


 しかしそれなら、やっぱり私もアリトンではないと思う。

 イトナは賢いけど、この件に関してはバカだと思う。


 私はイトナから手を離し、立ち上がって部屋をつっきり、外へ出た。ガズラが顔を上げて「おおい、カエラが一人になるぞ」と言った。イトナがため息をついてパソコンを切り、立ち上がる気配がした。


 イトナは私を一人にしてくれない。カエラを一人にするなと、アリトンに言われているから。私はイトナを待たなかった。少し怒っていました。


 いつもなら、私はイトナと手をつないで歩きます。けど、この時はそうしなかった。胸のうちからむかむかして、顔を見るだけでつねってやりたくなったから。それで、イトナがうしろからついてくるのがわかったけど、私はほうっておいた。


 私とイトナとガズラが住んでいるのはトーキョーの都心部です。崩れかけた建物がひしめきあっていて、割れた地面から木々が一生懸命生えて緑をつけている。家の近くにはコンクリートで固められた川がある。その向こうにはコンクリートの橋が架かっていたけど、今は崩れて柱しかありません。遠くに水色の、とても高い塔がある。


 これはこの国で一番高い建物だと、うちに来る厭世家が教えてくれた。終わりの日、この島国ではこの塔より高い建物はなかったそうです。もちろん他の国では、もっと高くて立派な建物もたくさんあった。けど、トーキョーのあった日本という国には地震が多かったので、あまり高いものは建てられなかった。


 地震はハルマゲドン前にはよくあったそうです。地面がゆれて建物が崩れ、海が襲いかかり、人がたくさん死ぬ。なのでトーキョーの建物は頑丈なのが多い。地震が来ても簡単には壊れないように、工夫がされている。


 それで、ハルマゲドンから千年ちかくたってもまだ使える建物がたくさん残っています。なので私が住むエデンの外がトーキョーで良かったと思う。どうせ千年たったらここもエデンの園へ取り込まれて、迷子たちは滅びる。けど、とりあえず私はここに生きています。



 私はアリトンにもらったきれいな白い靴で、川の向こうの高い塔をめざして歩きはじめた。私はアリトンにもらった細身のドレスを着ている。髪の毛は細くしなやかで、暖かみのある輝きがあってすきとおるようにきれい。この髪は白にちかい色をしていて、腰まで伸びていて、誰もがほめてくれる。


 アリトンが一番きれいだと思った人間の髪を奪ったものなので、ほめられるのは当然です。私は誰よりもきれい。それはアリトンが美しいものを見分ける眼を持っているから。この世で一番美しいものをかき集めたのが私です。


 私が歩いていると、迷子たちがドラム缶に火をたいてなにか焼いていた。私は興味を持って近づいていった。そこには五人いました。そのうち二人は私がセックスをしたことのある人だった。


 彼らは私に気がついてちょいちょいと呼び、焼きたてのサツマイモをくれた。彼らのかたわらには焚き付けのために聖書がいくつか積まれていた。彼らには教養がないと知っていましたが、わざわざ燃やすなんてバカだと思います。でも、バカだから迷子になったのかもしれない。読めば神様の矛盾を見つけられるかもしれないのに。


 サツマイモはとても熱くて、私は渡されたときに落としてしまった。するとイトナが拾って、地面についた部分をはがして火の中へ捨てた。そして聖書のページをやぶりとってサツマイモをくるみ、私に差し出した。聖書のページはヨブ記だった。神様を愛していたのにひどい目にあった、あわれな男の話です。


 私はお礼を言ってそれを食べた。イトナのおかげで今度は落とさずにすんだ。サツマイモの皮は真っ黒に焦げていたけど、中はしっとりと黄色くておいしかった。でも食べると口の中の水分が奪われるように感じた。私は少しずつ口に含んで食べた。


 ドラム缶を囲んでサツマイモを焼いていたのは三人の男と二人の女だった。そのうち一人は初めて見る顔だった。私が見ると、彼女は居心地が悪そうに目をそむけた。


 男が一人、笑いながら言った。

「この子は新入りさ、カエラ。今度はこの子の相手をしてやったらどうだい」

 その場にいた新入り以外の迷子が笑った。女は、どうしてみんなが笑っているのかわからなかったし、私もわからなかった。新入りの女は私にあいさつしたので、私も「こんにちは」と言って笑いかけた。


 新入りの女はイトナにもあいさつした。するとイトナはほんのちょっとうなずいたきりだった。女はちょっとだけ傷ついた顔をした。きっと、彼の耳が聞こえないことを知っていたら、傷つかなかったかもしれない。あいさつを無視したのではないとわかるから。けど、誰も女に「イトナはしゃべれないよ」と教えてくれなかった。


 私はサツマイモを食べながらまた歩きはじめた。するとイトナもついてきたので、私はサツマイモを半分に割って、小さいほうをイトナに渡した。イトナはだまってそれを食べはじめた。私はうれしくなって、またサツマイモをほおばった。


 迷子たちはそこかしこにいて、働いたり、けんかしたり、おしゃべりしたり、四角の盤をはさんでゲームをしていた。これは白い石と黒い石を順番にしきつめていく遊びで、私はルールを理解することができない。しかし厭世家とイトナはときどき二人でこのゲームをします。


 もしもこれを読んでいる人が手話に詳しいなら、イトナが日本語の手話を使っていることに気づいたかもしれない。終わりの日には、耳の聞こえない人が一定数いました。なので、手話にも言語圏によって違いがある。しかしエデンではもう誰も手話を使わない。なぜなら人々は完璧になったから。耳の聞こえない人はいないから。


 しかしイトナは地上でたった一人の耳の聞こえない人です。


 彼は他人の心の声が聞こえるけど、誰にも内緒にしていた。なぜなら人間は、心の中で考えていることを他人に知られたくないと考えているから。それで、イトナの秘密は、私とガズラとアリトンしか知らない。だからイトナは、しゃべらなくてすむようにパソコンを使う。彼は他人の心の声なんか聞こえないふりをしているから。


 イトナに手話を教えてくれたのは厭世家です。私たちに会いに来る厭世家はコタローと言います。彼はイトナが耳が聞こえないことをあわれに思って、終わりの日の手話を私たちに教えた。


 コタローは日本人なので、教えてくれた手話は日本語でした。彼には昔、妹がいて、その妹は耳が聞こえなかったので、コタローは手話を知っていた。コタローは厭世家なので、心が優しいのでイトナに手話を使うようにすすめた。それでイトナは手話を教えてもらったはじめのころ、コタローと仲が良かった。


 コタローはイトナに日本のゲームを教えた。これも仲が良かったころに教えてもらった。二人はときどき、だまってそのゲームに興じている。ただしイトナは心の声が聞こえるので、ゲームに負けたことがない。しかしコタローは何も知らないので、イトナはとんでもなく頭がいいと思っている。それはとてもおかしくて、私はいつも、二人がゲームをしているとにこにこしてしまう。


 そういえば、最近コタローを見ていないので、どうしたのだろうと私は思った。一時期コタローは私たちの家に来なくなりました。しかし三ヶ月ほど前からまたやって来て、迷子たちに話しかけたりイトナとゲームをしたりした。


 もっと昔、七年前までは、コタローは頻繁にやって来て、アリトンや私に文句ばかり言った。それで、ついにはアリトンにひどい目に遭わされました。



 コタローは厭世家だから、一人でも多くの人をエデンに戻して、素敵な世界を作りたいのだと思う。けど、コタローの理想の世界は難しいと思います。なぜなら迷子は自由意志を使って、迷子になることを選んでいるから。彼らは増え続けているから。


 いまでは毎週のように、新入りを見かける。そして迷子たちは時々、助け合うようになっています。不思議な光景だけど、アリトンが言うには自然な流れであるらしい。文化は、人口が増えると崩壊する、とアリトンは言った。


 もともと、迷子になるのはとても悪い人だけだった。


 地の底が解き放たれて、悪魔が地上に出始めたとき、人間は信者でいるのが普通だった。エデンの園に住んでいたのに、わざわざ外へ逃げ出すのは、相当の変わり者でした。つまり、彼らは意志の強い悪人だった。


 けど、今ではちょっとした動機で外へ逃げ出す人が増えている。それはつまり、「悪人でいよう」という意思の弱い人が、悪人になっているということです。


 彼らは迷っている。

 だから迷子と呼ばれます。


 奪い合い、助け合わないのはエデンの外の文化です。しかし、もともとエデンの園に住んでいた迷子たちは、助け合うことが身体に染み付いている。彼らは神様に反対しようと思っても、意志が弱ければ「信者」のときと同じことをしてしまいがち。だから迷子たちの中には、助け合いの精神が浸透しつつある。


 もしかしたら、コタローががんばらなくても、迷子たちは平気かもしれない。エデンの外は文化が消えつつあるから。エデンの園のようになっているから。神様に異を唱える人の中に、それほど悪くない人たちが増えているから。


 少なくとも、私にサツマイモをくれた人たちは、いい人だと思う。

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