*左の頬にもキスを
私がこれを書いているのは、パイモンが「信者たちのために本を書いたらどうか」と言ったからです。
なぜなら、信者たちは無垢なので、教養がないと正しい判断ができない。それで私はこれを書きはじめた。イトナも賛成した。イトナは私に、いろいろな時間の使い方をしてほしいと手話で示した。彼は書くために、私に文字を教えてくれた。
パイモンは、私が知っていることをありのままに書けと言った。そうすれば、私の言葉には信憑性が生まれるから。信者たちは無垢だけど、迷子が書いたというだけで、彼らは疑い深くなるとパイモンは言った。
パイモンが次に来たときに、私は自分の書いたものを見せました。すると彼はほんの少し目を走らせただけで笑い出した。私は、何がそんなに面白いのかと聞いた。パイモンはお腹を抱えながら「文章がひどい」と言った。
彼は言った。
「なんで喋ると普通なのに、書くとロボットみたいになるんだよ」
私は意味が分からなかった。ロボットという言葉を詳しく知らなかった。たしか人工知能に関係する言葉です。
アリトンはそのときそばにいて、パイモンの手から私のノートを取りあげて目を走らせ、にっこり笑った。それはパイモンのように馬鹿にする笑い方ではなかったので、私はアリトンに笑いかけた。
「別にいいじゃない、味があって」
アリトンはそう言いながらパイモンにノートを返した。パイモンは笑いすぎて涙を拭きながら「人間って面白い」と言った。それから私のおでこにキスをして「かわいいじゃん」と言い、また続きを読みはじめた。私は人間じゃないけど、パイモンが私を人間扱いしてくれたので、笑い飛ばされたことはちっとも気にならなかった。
パイモンは私の文章を最後まで読んで、「悪魔側に偏りすぎだ」と言いました。
「これを読んだ信者たちは、きっと公正さを見いだすことができないだろうな」
私は公正さの意味が分からなかった。私はありのまま書いただけです。するとパイモンは教えてくれた。
悪魔にはただでさえ、人間を悪へ誘導する、という固定概念がある。だから、もう少し神様や天使よりの考え方も取り入れて文章を展開しなくてはいけない。でなければ、これはただの、神様が嫌いな迷子の愚痴になる、と。
そんなつもりはなかったけど、私の文章にはあまりにも「神様の悪口」が多いそうです。それで、信者たちはこれを読むと、理解する前に拒否反応を起こすらしい。だから、これから神様と天使を褒めたたえようと思います。
なぜなら、すべての人には教養が必要だから。私は信者が読んでくれるようにこれを書いているから。拒否反応を起こさないように、ちゃんと公正に書こうと思う。
それに、私は聖書について詳しい。それは、私が悪魔の子どもで、悪魔は誰よりも深く聖書を読み込んでいるからです。だから悪魔はいつでも、自分に都合のいいように、聖書の言葉を引用できる。
まず、神様はとても頭がいい。そしてなんでもできる。これは真実です。
神様は全知全能で、すべてのものを作り上げた。ここに異を唱える悪魔はいません。他の誰にも、神様のまねはできない。
たとえば、終わりの日に人間は人工知能を作った。それははじめ、人間よりも賢くなると懸念された。人間はゲームで勝てなくなり、解決方法を人工知能に考えてもらうようになった。どこに行けば客がいて、誰が仕事を辞めるつもりか、人工知能は魔法のように言い当てた。
しかし、人工知能には欠けているものがあった。それは非合理性です。人工知能は合理的にしか考えられない。それで、人間の感情や機微を読み取ることはできなかった。人間にもときどき、非合理性の欠けた人がいたけど、彼らは「発達障害」と呼ばれていました。なので人工知能は完璧ではなかった。
エデンでは今でも、人工知能が活用されている。食べ物や、電気や水道を供給するために人工知能を使っている。しかし、人工知能に人間のまねをさせたり、人間の頭に介入させたりする、前時代的な研究はもうありません。それは神様を冒涜することだから。どんなにがんばっても、神様の作ったものより完璧なものはないと知っているから。
人間の作ったどんなカメラのレンズよりも、人間の生まれ持った目にはかなわなかった。栄養学を一生懸命考えても、好きなものを食べている人のほうが長生きをしたりした。交配を重ねて優れたペットを作り出しても、病気になりやすかったりした。頑丈な家を建てても、いつかは朽ちて、土に還った。
人間だけではありません。何かを作ろうとしたのは、霊者も同じだった。アリトンは一人の人間を作ろうとした。けど、アリトンはゼロから作ることはできなかった。
アリトンは人間の体のパーツを集めて、何年もかけて繋ぎ合わせ、ツギハギしているのがわからないくらい、なめらかに表面を磨きあげた。しかし、アリトンが作った身体に命が宿ることはありませんでした。心を作り出せるのは神様だけだったから。息を吹き込めるのは神様だけだから。
それでアリトンは自分の心を半分切り取って、自分の作った人形の中に入れた。心には、命はあるけど記憶はない。記憶は魂や身体に宿るものだから、アリトンの心が半分入った身体は、アリトンだけどアリトンではない、まったく新しい命となった。
そしてそれが私です。
アリトンは私にカエラという名前を付けた。それは私がアリトンの子どもだから、アリトンは私を愛しているから、愛されるという意味を付けた。
アリトンはこんなにがんばってやっと一人の人間を作った。けど神様は、宇宙や大地や水の生き物や鳥や動物や植物や人間をこんなにたくさん作った。それはとてもすごいことで、だから神様は頭がいい。これは事実です。
次に天使を褒めようと思います。
私はあまり天使に会ったことがない。なぜなら、私たちの住んでいる場所は「エデンの外」だから、天使はここに来たがらない。ここに来るのは厭世家です。天使の命令で、迷子を導くためにやってくる。
私たちのところへやってくる厭世家はいつも怒っていて怖い。本当はエデンにいたいのに、天使に命令されて嫌々来ているから、いつも怒っている。
それでも、ときどき天使がやってくる。彼らは悪魔に会いに来て、悔い改めなよと言いに来ます。彼らは善意で言っているので、それは善いことです。
私が会ったことのある天使は二人います。その一人はイズルです。
イズルはとても大きな、たくましい男の格好をしている。ガズラとちがって、脂肪がついて太っているのではなく、筋肉がふくらんでいる。そして髪の毛が一本も生えていない。私はイズルを見ると、いつも頭が寒そうだなあと思う。
イズルはアリトンと仲がいい。不思議に聞こえるかもしれないけど、天使と悪魔にも友情はあるのだ、とアリトンは言った。
たとえば、終わりの日にはそこここで戦争があり、人々はお互いに殺し合った。しかし、それは国や宗教の対立にすぎなかった。個人間では仲良くする人もいたし、エロスを抱いて結婚する人もいた。それは個人的なことなので、お互いの所属は関係なかった。
そしてイズルは公正です。なぜなら、イズルはアリトンが神様を愛さないことに関して、文句を言わない。それは神様がくれた自由意志による結果だと、イズルはちゃんと知っていた。イズルはアリトンの自由意志を尊重するし、自分の自由意志を行使して、神様を愛している。
彼は自分とアリトンを分けて考えているので、正しいと思う。たとえアリトンと考えがちがっても、仲違いをする理由はない、と彼は考えている。
イズルには、私は五回だけ会った。けどそのうち三回はちらりと見ただけで、正確には二回しか会ったことがないので、どんな天使なのか、よく知らない。少なくとも、彼はアリトンとセックスしていかなかった。そして私ともセックスをしなかった。それは彼が神様のルールを守るべきだと信じているから、仕方がないから私も理解できる。
まだアリトンが天使だったころ、イズルはアリトンとあちこち旅して回った、友達同士だった。それで、二人は今でも仲がいい。天使は細かいことで文句を言わないので、器が大きいと思う。
イズルと会った二回、アリトンは私とガズラとイトナを呼んで、暖炉の前に座るように言った。これはアリトンが作ってくれた暖炉で、二階へ煙突がつらぬいていて冬でもあたたかい。
イトナは仕事があるとことわって、暖炉のそばへ来なかった。彼はパソコンをいじるので忙しいふりをしたけど、本当は天使が怖かったのだと思う。彼はエデンでずっと天使を尊敬していたので、迷子になった今、申し訳なくて、とても天使に顔向けできないと思っているのです。
それで私とガズラだけが暖炉のそばに座った。アリトンとイズルは私たちに、昔話をして聞かせた。それはまだ人間が創られる前の、まだ霊者が一種類しかいなくて、みんなが仲良く暮らしていた時代の話です。
イズルは、大地を踏み固めるために創られた恐竜の話や、地球から遠く離れた星に作った庭や、炎と硫黄と煙で作った手慰みの話をした。アリトンは、霊者たちの失敗談や、おどけ話、イズルに似合いそうな髪型の話をして、みんなを笑わせた。
そんな話を悪魔と一緒に楽しくできるので、イズルはとても善い天使だと思う。
もう一人の天使は、私はまだ一回しか会ったことがない。彼はノームという。
パイモンと同じ金色の髪をしているけど、胸まで届くほど長くて、美しくうねっている。彼は私が今まで見た誰よりも美しい。そう言ったら、ガズラは「カエラのほうが綺麗だよ」と言った。だけど私はそう思わない。私はちゃんと鏡を見ます、だけどどう見てもノームのほうが美しい。
だからガズラは馬鹿だと思う。
ノームはアリトンのいない日にやって来た。それはほんの一週間前のこと。
真っ白の服を着て、人間とは思えないほど美しいので、私はアリトンに会いに来た悪魔かと思った。なぜなら、悪魔は人の目をごまかすのが好きだから、美しい姿をとったり、善いイメージの白を着るのが好き。
しかしノームは自分を天使だと言った。イトナはしかめ面をして、帰ってもらうようにと私に手話で示した。すると、ノームは手話を理解してうなずいた。
霊者は迷子たちとちがって、イトナの手話を知っている。それは人間の言語体系のひとつだから、霊者は頭がいいから、終わりの日に使われていた手話を覚えている。
私はノームを引き止めた。私はまだ、天使とセックスをしたことがなかったので、よかったら帰る前にセックスしようと言った。すると彼は困った顔をして丁重に断った。なぜなら、彼は天使だから、人間とはセックスをしてはいけないと信じているから、仕方がない。
けど、ノームがあまりにも美しかったので、私は食い下がった。私はアリトンが作ったから、魂がないから、人間ではない。だからセックスをしても大丈夫だと言った。すると彼は首をかしげた。それから「アリトンがあなたを作ったんですか」と聞いた。それはとても丁寧な言い方で、私に対してこんなふうに話す人は、迷子にも悪魔にもいません。
私はうなずいて、私の心は半分しかなくて、それはアリトンの心だ、と言った。するとノームは私の目をじっと見た。あまりにもじっと見られたので、私は居心地が悪くなった。自分が何か悪いことをしてしまったような気持ちになった。そんなことは初めてだった。
彼の目は、私の瞳の奥を透かして、心を直接のぞき込もうとしているみたいだった。それで、私も彼の心をのぞき込もうとしたけど、うまくできなかった。彼は霊者なので、心をのぞくことはできない。けど、霊者も人間の心をのぞけないはずです。
彼はさみしげに笑って、私の心をのぞくのをやめてくれた。そして彼は言った。
「握手しませんか」
それで私は彼と握手しました。
はじめはただ手をつなぐだけだった。しかしずっとそうしていると、だんだん心が満たされた。イトナやアリトンや、他の悪魔や迷子たちとセックスをするときに似ていた。おなじくらい、胸の真ん中があたたかくなった。
「あなたはいつも、誰かとセックスをしたくなってしまうんですか?」
ノームに聞かれて、私は答えた。
「そう」
「今も誰かとセックスがしたいですか?」
「そうでもない。手を握っていたらどうでもよくなってきた」
彼はにっこり笑った。それは心からの笑顔で、私のためだとわかる笑顔だったので、私も笑い返した。
「握手すると、セックスとしたときと同じくらい、幸せになった。そうなるってわかっていたの? あなたはすごいね」
するとノームは言った。
「あなたは心が欠けているから、誰かと肌を合わせていたいだけです。特別、性欲が強いわけではない」
「アリトンも同じことを言ってた。私がセックスをしたくなるのは仕方ないって」
ノームは私をじっと見て、もう一度口を開いた。
「心が欠けていれば、常に不安に苛まれ、他者の心を求めてしまいます。でも、セックスをする必要はありません。こうして肌と肌を合わせていれば、あなたには効く」
ノームは握手した私の手にもう片方の手を重ねてくれた。私は言った。
「けど、私はセックスが好き。それにキスするのもされるのも好き」
「では、私のほっぺたにキスしてくださいませんか」
それで私は背伸びしてノームの右のほっぺたにキスをした。するとノームが左の頬も差し出したので、そちらにもキスをした。
彼は霊者なので、臭くはなかったけどいい匂いもしなかった。ノームは握っていた私の手を持ち上げて、手にキスをしてくれた。そしてにっこり笑ったので、私はこれが幸せかと思った。ノームは、また来ると言って、エデンの園に帰った。
その日、私はずっとイトナの手を握っていた。セックスをしなくてもそれで平気だったので、同じくらい満たされていたので、ちょっと会っただけでそれを教えてくれたノームはすごいと思う。
それで、私の知っている天使は全部です。
私は神様に会ったことがない。だから神様が頭がいいことは知っているけど、本当にいい人かどうかはわからない。けど、二人の天使はとてもいい人だった。彼らが心から崇拝する神様は、きっと頭がいいだけじゃなくて、本当にいい人かもしれないと思う。けど、やっぱり私は神様には会ったことがないので、正確にはわかりません。
人間は神様には会えない。もしもその姿を見たら、人間は死んでしまうらしい。それで、神様を絵や像にするのは禁じられている。けどそのせいで、ますます神様がどんな人か、わかりにくくなっていると思う。
イズルやノームは神様を愛しているけど、アリトンやパイモンは愛するのをやめた。イズルやノームのことは好き。しかしアリトンやパイモンのことも、私は好き。だからどちらの言い分が正しくて、どちらの言い分が間違っているのか、私にはわからない。自分ではとても決められません。
なのでこれを読んでいる人は、あなたが自分で決めてください。
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