第12話 現在七岩

 長い長い時が流れた。何がいけなかったのだろう、どこで間違ったのだろう。大岩の姿に閉じ込められたまま、わしは一人もんもんと悩み続けた。


 ……ということは無かった。妖魔はそう長く悩めるようにはできていない。正誤を気にすることもあまりない。退屈も、普通はそんなに気にならない。やることがなくなった妖魔は、無限にぼーっとしているうちに草木や石にかえってしまうパターンを辿ることが多い。死なない生物とはそういうものだ。


 しかし前も言ったように、わしは退屈する性質たちだった。残念なことに。筆舌に尽くしがたい退屈がわしを襲った。見える景色はひたすらススキ野とコバルトブルーの空ばかり。変化といえば、時折、キジが飛んできて、わしの毒にあてられて地に落ちることくらいだ。だいたい数年に一羽の頻度だったろうか。最初の頃はそれにずいぶん慰められた。毒を放つのは楽しいことだし、キジの落下地点や鳴き声を予測して一人ビンゴを楽しむこともできた。


 だが、無限の時の中ではあらゆることのカラクリが明らかになってくる。わしは、キジが現れるタイミングや角度、高度、またそのキジの性格、雌雄といった事象が、いくつかの単純な法則によって説明できることに気付いてしまった。一度分かってしまえば、太陽が上る方角を当てるよりも簡単だ。キジの挙動については遥か未来までカレンダーに起こすことができ、ゲーム性はどこにもない。一つの娯楽が永遠に魅力を失ってしまった。


 それからというもの、わしは無数の一人遊びを試した。覚えている出来事や音楽をできる限り細部にわたって脳内再生してみるとか、頭の中で麻雀をやるとか、そういうやつだ。これ系は上達するまでが面白く、極まってしまうと比較的早く飽きる。あまり一度に上達しないように、一回やったらしばらくぼーっとして、忘れたころに再開するのがコツだ。ことに対戦ゲームの場合、時間を空けることで過去の自分と対戦している感じにするのがよい。


 いったい何千匹のキジが飛んできては落ちただろう。ススキ野には変わらず秋風が吹き、空には鱗雲うろこぐもが流れ続けていた。わしの精神は少しずつこぼれはじめ、記憶もおぼろになってきた。何か、やるべきことがあったような気がする。しかしもうよく分からない。わしの意識は薄くなっていった。


 何かがわしを持ち上げて、トラックの荷台に積んだ。積んだと思う。まどろみの中に、トラックが山道を下っていくのを感じていた。


 * * * * *


 金槌で殴られたようなショックで目が覚めた。


 血だ! おびただしい血が噴き出ている。人間の血だ。わしの岩肌が赤く濡れる。わしの下敷きになって、複数の人間が押し潰されているようだ。その中にはあの有栖川ありすがわ伽炉瑠きゃろるもいた。


 わしを積んだトラックはそのまま東京に向かい、朝の新宿駅に侵入したらしい。壁をぶち破り、改札を乗り越えて階段を駆け下りる。そこでトラックは横倒しに倒れ、積まれた三つの大岩がホームに勢いよく放たれる。人々は逃げ惑うヒマもなく、ボウリングのピンよろしく四方に蹴散らされた。


 血だ! 深海から急速に引き上げられたかの如く、わしの意識が光に満ちる。新鮮な血を岩いっぱいに吸い込み、たちまち五感が開かれる。全身が泡立ち、石と瓦礫に分解していく。やがて大岩の形は失せ、わしの肉体がホームに立っていた。封印が解けたのだ。


「おわああああ!! わしの髪がーっ!!」


 喜びより先に驚愕が訪れた。わしの亜麻色のストレート・ロングが煤けた黒髪に変わってしまっていたのだ! しかも白髪しらがが大きく混じり、まだらに灰を被ったような有様を呈している。


「そ、そんな……。岩の期間が長すぎたのか? あおーん、これじゃお嫁に行けないのじゃよ~」


 わしが嘆き悲しんでいると、足の裏に触れるものがあった。


「む? この清浄な感じは……。僧の死体か」


 踏みつけていたのは、灰色の衣をまとった僧の死体だった。それも恐らく高徳な僧らしい。なるほど、この僧のエナジー血液ドリンクが封印を解いてくれたわけか。常人の血にもエナジーはあるが、一発で封印を解くほどの力にはならない。


「ありがたや、ありがたや。どれ、残った血を吸い取っておくかの」


 わしは身をかがめ、平たく潰された僧の身体に口をつけようとする。その時、有栖川ありすがわ伽炉瑠きゃろると目が合った。


「あ、あんたは……? いや、おれは……。通勤中だったはずだが、何がどうなったんだ……?」


 キャロルは背広姿で倒れたまま、目だけを動かしてわしに話しかける。わしは血をすすりながら答える。


「まだ息があったか。恨むでないぞ、おぬしらを蹂躙した大岩は確かにわしじゃが、わざとではないのじゃ。岩の身では、転がるに任せるしかなかったのじゃ」


「……何を言ってるんですか? 全然分からない。おれは会社に向かわなくては……。う、ぐぐっ」


 キャロルはホームに手をつき、よろよろと立ち上がる。背広は朱に染まっているが、どうやらキャロル本人の血ではないらしい。何と、奇跡的に無傷で助かったのか。他の人間がクッションになったのかもしれない。


「おっ、その襟元に僧の血が……。もったいないのじゃ」


 わしは目ざとく、キャロルの襟に高僧の血が付着しているのを見つける。何といっても、これほどのエナジーにはなかなかありつけるものではない。わしはキャロルに飛びつき、染み付いた血を吸おうとする。


「うわっ、何やってんだあんた! 痴女か!」


 キャロルは驚いて跳ねのけようとするが、わしは首に手を回して身体を固定する。


「じゅるる……。む、誰が痴女じゃ。わしが誰だか分かっておらぬようじゃな」


「痴女でなきゃ妖怪か? 髪を振り乱した女が、全裸で……」


「いかにも妖怪じゃが、ただの妖怪ではない。聞いて驚け、わしはなぁ。天竺にては班足太子の塚の神、大唐にては……いや待て、全裸ってなんじゃ」


 わしは我が身を振り返る。そこにいたのは一糸まとわぬ黒髪の美女だった。なるほど、岩から出た時に衣服が失われてしまったようだ。わしは慌ててキャロルから離れる。


「こ、この恰好では……。高貴なわしとしては、さすがに行動できんのじゃ。よし、そこらに倒れてる女から服をいただくとするか……。あ、あれ、外れんぞ。これどうなっとるんじゃ、おいキャロル、手を貸せ」


「いやに決まってんでしょう、ゲームじゃないんだぞ。人の服を取るのは泥棒!」


「細かいこと言うでない! じゃあおぬしの上着をよこせ!」


「無理ですよ、今から出勤なんで……。ていうか、なんでおれの名前……」


 大岩で破壊された電車、死体だらけのホーム。あまりの非日常に感覚が麻痺したのか、この異様な状況を受け入れたくないためか、キャロルは未だに出勤できる気でいるようだ。「出勤中である」ということ以外何も分からなくなっているのだろう。


「……血まみれのまま出勤するのこそ無理じゃろ。いいからよこせ、それともわしをお嫁に行けなくさせる気か」


「ええ……。仕方ないな、貸すだけですよ……」


 キャロルがしぶしぶ背広を脱ぎ、わしの肩に掛ける。その時であった。


「動くな! 手を上げろ!」


 機動隊がホームになだれ込んできた。ポリカーボネートの楯が辺りを取り囲み、無数の銃口がわしとキャロルに向けられる。サイレンがけたたましく鳴り響き、TV局のヘリコプターが上空に殺到する。キャロルはきょとんとしている。


「え、え……? 何なんですか、え、映画の撮影ですか? すみませんね……」


「動くな! 手を上げろ!」


 どうやら当局はこの事態に対し、テロリストの脅威も視野に入れた感じで動き始めたらしい。……なぜか、わしはそうした現代社会の事情が理解できる。女ものの服の脱がせ方は分からないのに。それは男性の、有栖川ありすがわ伽炉瑠きゃろるの記憶がわしに混ざっていることの証拠であろう。だが、今は深く考えている場合ではない。キャロルは今にも銃殺されてしまいそうだ。


「仕方ないのう。ほれキャロル、わしに掴まれ」


「あの、何がなんだか……?」


「いいから! 脱出するのじゃっ!」


「動くなと言ってるだろうがーーーっ!!」


 絶叫する機動隊を尻目に、わしはキャロルの胴体を脇に抱えて跳んだ。ひと跳びで架線柱の上に、ふた跳びで駅ビルの屋上に。


「のじゃーっ!!」


 灰混じりの黒髪をはためかせ、東京の空を駆けた。

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日本の国のアリス、または複式夢幻主人公 戸塚こだま @tsukatan

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