第11話 首 塚

「のじゃーっ!!」


 ふすまを蹴り倒して、おれと茨木は寝室に押し入った。


「正尊……! 生きてるか!?」


 黒のカーテンをかき分け、安否確認を急ぐおれたちが見たものは。


「……おう、茨木……か……。それにお客人……」


 血だまりの中に突っ伏し、息も絶え絶えの酒呑童子だった。


「しゅ……しゅうちゃん!! 大丈夫!?」


 茨木が慌てて駆け寄る。その傍らで正尊が立ち尽くしている。おれは状況が呑み込めず、正尊に向けて問いかける。


「正尊! お、おぬしの仕業か? 何がどうなったんじゃ?」


「そ、それがしは何もしておらず……。共に酒を飲んでいたら、酒呑殿が急に血を吐いて昏倒せられたのだ」


「馬鹿な、鬼には効かぬ筈なのじゃ……! あ、いや、こっちの話じゃが」


 しかし、酒呑童子のはだけた胸元は赤・緑・青のまだらに染まり、毒に侵されていることが一目瞭然である。茨木は酒呑童子を抱き起こしつつ、どういうことかと目線を送ってくる。が、おれにも訳が分からない。


 その時、背後から物音がした。おれが蹴倒したふすまを踏みしめ、一人の男が侵入してきたのである。その男は抜身の太刀を携え、切先きっさきから血を滴らせている。


「やあ皆さん。ご機嫌はいかがです」


 それはミッチと名乗る源氏の男であった。


「み、ミッちゃん。どうしてここに……いや、どうやってここに」


 おれは驚きを隠せない。対照的に、ミッチは普段通りの柔らかな物腰で答える。


「お二方ふたかたの後を付けてきただけですよ。何かお困りのようですね?


 ……なーんて……。


 すり替えておきました。酒呑殿が飲んだのは神便じんべん人毒じんどくしゅにあらず。鬼にのみ効く毒、神便じんべん鬼毒きどくしゅだったのです!」


「す、すり替えたじゃと!?」


「いかさま、さよう」


 ミッチは事も無げに言い放つ。瞬時、茨木はミッチを睨みつけ、みるみるうちに殺気をたぎらせる。


「……きさま……。よくもこんな真似を……!」


 茨木の頭に巻かれた麻布がざわざわと波打ち、外れて落ちる。あらわになった黒髪が激しくうねる。


「……殺す……!」


 茨木は地を蹴り、稲光の如きいきおいでミッチに飛び掛かる。鬼の右腕は藍色に膨れ上がり一閃、グリズリーのような鉤爪がミッチの皮膚を裂き、首を胴から叩き落とす。……かと見えた瞬間、逆にくるくると吹っ飛んでいたのは茨木の腕の方だった。


「はは、頂いたぞ! 腕を出したな、茨木童子よ。これはこれで集めてたんだ」


 ミッチは左手で茨木の腕をキャッチし、右手で太刀を翻しながら言う。流れるような剣捌きである。おれはたまらず叫ぶ。


「な、何でこんなことをするんじゃ! わしを騙したのか!?」


「……え、キャロル殿は特に騙してないと思いますが……。


 いや、騙してるかな。私の本名は源頼光よりみつ、または頼光らいこうとも呼ばれる源氏の棟梁。妖魔退治が私の仕事ゆえ、この鬼どもを討つのです」


頼光らいこうじゃと……? 光るきみとあだ名される源氏の貴公子といえば、ひかる源氏げんじではないのかえ!?」


「それは小説のキャラでしょう。私はウォーリアー。


 このたびは酒呑童子を打ち取るため、大江山まできたって潜伏したはいいが、寝室に入る方法がわからず困っていたところ。思いのほかに、茨木殿が酒を差し入れるとの情報。酒を鬼毒酒にすり替え、さらにとどめを刺さんと踏み入った次第」


「じゃ、じゃあおぬしがその辺で斬ったり殺したりしていたのは……」


「目に見えぬ鬼のメイドどもです。このハウスのセキュリティーを削いでおく必要があったので……。あの白蔵主はくぞうすとかいう狐は、口封じに斬っただけですが」


 ミッチは説明を終えると酒呑童子のほうに向き直り、改めて刀を構える。室内の殺気が一段と濃くなる。……妖魔を斬り慣れた者に独特の、凛としていながら割れ欠けた人間性を伺わせる殺気。こいつは本当のことを言っている。


 酒呑童子が血だまりに手を突き、震えながら立ち上がる。


「ぺっ、卑怯なやり方を思いつくもんだぁ。鬼神に横道おうどうなきものを」


 ミッチは刀の切先を童子からそらさず、淡々と応ずる。


「いや、横道おうどう(曲がったやり方)の基準は人間と鬼とで異なる。ともかく、悔しかったらかかってこい」


「言われずとも。その頭蓋を噛み割って、中身をマヨネーズ和えにしてやる!」


 途端、酒呑童子の体躯が増大し、身の丈八尺の本性を現す。深紅の髪がさっと立ち上がる。二本の角が燃え上がり、まなこ日月じつげつさながらに輝く。牙がぎらつき、喉の奥から白煙が立ち上る。


「……だ、ダメだしゅうちゃん……!」


「かあーっ!!!」


 茨木の声をかき消し、酒呑童子の大音声おんじょうがとどろく。同時に酒呑童子の首がミッチ目掛けて恐ろしい速度で飛ぶ! 首を自ら切り離す鬼の体術だ。そこに火焔かえん妖術の勢いが加わる。これにはミッチも虚を突かれ、構えた太刀を弾き飛ばされる。あわや、牙が頭蓋に食い込み砕かんとする。


 が、酒呑童子の動きはそこで止まった。ミッチの頭に牙をかけたところで停止し、そのままずるずると滑り落ちる。剃刀のような牙がミッチの額を裂くが、噛み砕くほどの力は既になく。童子の首は地に落ちた。ミッチは顔面に流血しつつ、飛ばされた刀とは別の太刀を斜めに構えている。三本目の腕で。


「はは、文字通り奥の手だ。あらかじめ都で手に入れておいた茨木童子の腕。体内に取り込んでおいてよかった。さっき頂いた腕と合わせて、コンプリートだ」


 酒呑童子の首が足元に転がる。その顔は撫で斬りに斬られ、真二つに割れていた。


「……き、きっさまぁあ……!!」


 茨木が頭髪を激しくうねらせ、牙をむき出してミッチの喉笛を狙う。掴みかかる茨木に対し、ミッチは背中から四本目の腕を生やしていなす。振り向きざまに三本目の腕を翻し、茨木の首を打ち落とす。ミッチは勝ち誇って哄笑こうしょうを上げる。


「……茨木童子の腕が二本と、別の妖魔から入手した腕のストックが二本。人間としての手足と合わせて計八本! 八本足を揃えたことで、私は土蜘蛛の妖魔に変ずることができるのだ!」


「よ、よもや!?」


 驚くおれを後目に、ミッチの背後から黒煙がもくもくと湧き出す。辺りがよこしまな気配に染まる。たちまち紫の怪電光を発し、ミッチの腕を黒い繊毛が覆っていく。崩れ落ちるハウス、夜空に膨れ上がるオレンジ色の月。雷鳴と共に妖魔・土蜘蛛が誕生した。


「はははははは! 妖魔を狩る者は、自らも妖魔に和合することで最強となる。聖徳太子の教えだ!」


「さ、最強……! お、おおお……」


 おれの心臓が早鐘を打つ。目の前で強力な鬼神二体を下し、さらに土蜘蛛の力を手に入れた武士のサラブレッド。強い、文句なしに強い。そして冷酷で邪悪。……か……カッコいい!


「おおおお、頼光! わしとも戦うのじゃーっ!!」


「苦しゅうない、切り刻んでくれよう!」


 おれは十本の爪を×字に構え、狐火をまとってミッチに飛び掛かる。ミッチは生やしたばかりの蜘蛛の腕を振るい、くろがねの爪でおれと切り結ぶ。


「これじゃ、これがわしの求めていたもの! 戦いこそ妖魔のコミュニケーション。仲を取り持ってもらうなど、回りくどい真似をしてしまった。人間に毒されておったか。……いや、わしが人間なんじゃっけ? 何でもいい、ぶちのめす!!」


「やってみよ!」


 ハウスの瓦礫が降り注ぐ中、戦闘の火花がほとばしった。


 * * * * *


 打ち落とされて転がった茨木の首が語り掛ける。


「……しゅうちゃん、ごめんね。しくじっちゃった……」


 血の海に浸る酒呑童子の首が、舌を蠢かせて答える。


「ま、しゃあねえってこった」


「……鬼神に横道おうどうは似合わない。ボクがややこしい真似をしたせいで、こんなことに……」


「気にすんない、いつもの事じゃねえか。……それにれたち、来世は人間に生まれるぞ。そうすりゃお前も、好きなだけややこしい真似ができよう」


「え……。なんで分かるの……?」


れがあの源氏の男を呪うからだ。れはあの男の子孫に生まれ変わって、家系にわざわいをもたらしてやる。それが鬼神の習わしってもんだ」


「で、でも……。ボクは……」


「何だよ、一緒に来るだろ? れが源氏のプリンス、お前はその従者だ」


「……ついて行っていいの……?」


「ばかめ」


 酒呑童子の首がぐらりと転がり、茨木に口づけた。どちらかの目玉がこぼれて転がり、瓦礫の間に消えていった。


 これこそ三世さんぜ奇縁きえんの始め、酒呑童子が源義経に、茨木が弁慶に生まれ変わった後も、巡る因果の起点であった。そしてこのことが、弁慶に茨木童子の面影が残りながらも、別人と言える理由なのだった。


 ……「理由を説明する」とおれは言っておいた筈だ。言ってなかったっけ? 言ったと思うが、あまり記憶がはっきりしない。茨木たちの会話にしても、おれは耳で聞いたわけじゃないから十全かどうか自信がない。なぜならこの時、おれは……。


「面白き勝負であった。しかし、そなたの負けだ」


 土蜘蛛と化した頼光は、蜘蛛の腕でおれの額を掻きながら言う。額? この大岩のどこが額で、どこが頭と言えるだろう。くろがねの爪で掻かれると、おれの欠片は石粉となってぱらぱら落ちる。


「そなたを封印するのは骨が折れた……。お陰でいいチュートリアルになったぞよ。そなたはこのススキ野で歯噛みでもして暮らすがよい。歯は無いだろうがな。この声は聞こえているのかな?」


 おれは再び岩の姿に封印されていた。頼光の声は、かつて慣れ親しんだこつ伝導でんどうによって知覚することができる。そよぐ秋風も、コバルトブルーの空も。もしかすると、おれはもうずっとここにいて、最初から少しも動いていないのかもしれない。頼光が去ると、徐々にそんな気がし始めた。


 どこで何を間違ったのか……。こうして、おれの岩としての異世界ライフが始まった。

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