第10話 卒塔婆小町

 土佐坊正尊は暗闇の中で目を覚ました。ぬばたまの闇とはこの事か、辺りを見回しても視線はむなしく宙を掻くばかり。真の闇であるにもかかわらず、もやがぼんやりと立ち込めているのが分かる。その合間を縫って、光の筋が波状に漂っている。


 (……私は死んだのか)


 正尊は唐突に理解した。いま見えているのは瞼の内側の光景なのだ。目を見開こうとしても瞼は鉄のように重く、ぴくりとも動かない。まるで時間が止まってしまったかのようだ。目を閉じた最後の瞬間のまま時が終わってしまい、無限の闇の中に閉じ込められたのだ。


 死というものはこうなのだろうか。それにしても、自分の身に何が起きたのだったか……。


 その時一陣の風が吹き、枯葉が正尊の膝をくすぐった。と同時に月を隠していた黒雲が動き、薄明かりの中に草原が照らし出された。月はまたそでかたいて横たわる源義経、小野小町、土蜘蛛の妖魔らの姿をも照らす。それから、虫の音が聞こえ始めた。


(ああ……。そうだ、この者たちと野営の最中だった。


 ……大江山で死線をくぐったのは随分昔のことだ。それか数週間前だったか。あるいはあの時に実際死んでいて、以降は幻のうちにロスタイムを送っているだけなのかもしれぬ。


 だがいずれにせよ、今の私の使命は)


 正尊は一行の寝顔をちらと見やった後、ふところの小刀にゆっくりと手をかける。


 * * * * *


 シェアハウス「大江山」のねじ曲がった廊下をどたばたと駆け抜ける。そこは畳とふすまのラビリンス。目指す先、酒呑童子の部屋は内側から閉ざされており、本来誰も入ることはできない。しかし茨木が言うには、結界をくぐるための抜け道があるという。おれと茨木は全力疾走を続けていた。


「ま、まだ着かんのかえ、茨木? もう何十キロも走っとる気がするんじゃが」


 おれは前を行く茨木に問いかける。茨木は振り向かずに答える。


「……現実には数メートルも進んじゃいないよ。ここはそういう空間……」


「そうなの?」


「そう。このハウスは様々な時空を継ぎはぎして作られている。その繋ぎ目をうまく渡り抜ければ、しゅうちゃんの部屋に滑り込むこともできる。……何とか、正尊が生きているうちに辿り着かないと……」


「にしても、恋敵を助けるために走るとは。回り回って殊勝なことじゃのう」


「……恋敵を殺したら、かえってしゅうちゃんの思い出に残っちゃう。でも、これまでだったら気にせず殺してたような気もする。何だろう、恋愛が分かってきたのかな。おかしいな、こんな複雑な感情、鬼っぽくないのに……。


 ……ああ。キャロル、あんたのせいかも」


「のじゃ?」


「あんたは人間が混ざってるからね。あんたを見てると人間しぐさが伝染うつる」


「し、心外じゃのう。複雑な恋なんてコリゴリなのじゃ。わしは真っ直ぐなのがいいのじゃ……」


 おれたちは畳を蹴立て、ふすまを押しのけ迷路を抜けていく。どこかで誰かの悲鳴が聞こえる。……ミッチが何かを斬っているのだ。漏れ漂ってくる殺気を、今は味わっている場合ではない。黒いカーテンを掻き分けて、おれたちは結界の内側に入り込んだ。


 * * * * *


 めくるめくふすま、時空の狭間に揺らぐ鬼の住処。これらは古い記憶だ。おれがまだ妖狐だった頃。まだ土蜘蛛ではなかった頃。


 ……夢を見ていた。おれは目を閉じたまま、まどろみから意識を引き上げる。夜風が頬を撫でる。虫の音が草原に満ちる。


 おれは蜘蛛の腕に生えた微細な毛を逆立て、辺りの気配を伺う。義経の寝息、小町の寝息。近くで固まったまま動かない亡霊の気配。……そして、正尊。正尊が目を覚ましている。正尊は息を殺し、忍び足をしながら義経たちの方に近付く。その手には抜き身の小刀が握られ――。


「何をしておるのじゃ」


 おれは一瞬で正尊の背後を取り、右の蜘蛛腕でもって小刀を捕らえた。


「…………キャロル殿」


「おおっと、動くでないぞ」


 おれは正尊の首元に左の蜘蛛腕を回し、かぎ爪を動脈に押し当てる。


「なるほど正尊よ、おぬしは暗殺者であったか。


 ……シェアハウス『大江山』で会うた時、おぬしは何やら密命を抱えた様子であった。わしにとっては数世紀前のことじゃが、おぬしにとってはつい最近のことなんではあるまいか。あのハウスは時空の狭間にあるハウスじゃからの。おぬしは元々、こっちの時代に属する人間というわけじゃ」


「……となると、キャロル殿は、あの狐のキャロル殿と……」


「同一人物、とまで言うと語弊があるがの。おおむね同じキャロルじゃよ」


「なるほど、合点がてんがいき申した」


 正尊は落ち着き払って答える。この器量も、あの虚ろな印象も、暗殺者属性からくるものであったというわけだ。


「すまんが、いま義経を殺させるわけにはいかんのじゃ。……言い残すことがあれば聞いてやるぞ」


「……誤解にござる。それがし、この小刀で義経殿を害しようというつもりにはあらず」


「言い訳は見苦しいのじゃ。遺言がないなら、せーの……」


 おれは正尊の首を落とそうと、かぎ爪に力を込める。その瞬間、背後から異様な殺気が襲った。


「のじゃっ!?」


 おれは反射的に地を蹴り、横っ飛びに回避する。瞬間、おれのいた空間を白熱した火球が突き抜ける。枯れ草が蒸発する。何ということか、そこにいたのは固まっていたはずの大友黒主おおとものくろぬしの怨霊である。黒主は続けざまに火炎魔法を放ってくる。


「うわっ、ちょわっ、ちょっ!」


 蜘蛛は火に弱い! サブタイプの土属性がいくらか軽減してくれるにしても、まともに食らえば重傷は避けられない。


「ちょっ、タンマ、うぐえっ」


 必死に跳ね回るおれの体が、いきなり何かに押さえつけられた。重力攻撃である。背後に立つ山科荘司やましなのしょうじの霊が、おれの体に数十Gの重力を加えている。


「……ま、待つんじゃ! 話せば分かる……」


 草を噛んで這いつくばるおれの目の前で、深草少将ふかくさのしょうしょうの霊が太刀を上段に構える。その剣は女タイプのキャラに殺傷力プラス99の修正を誇る。絶体絶命!


「……見我身者けんがしんしゃ 發菩提心ほつぼだいしん  聞我名者もんがみょうしゃ 断悪修善だんなくしゅぜん……」


 その時、正尊の念仏が響いた。亡霊どもはびくりと震え、動きをこわばらせる。おれにかかる重力が少し緩くなり、おれは慌てて這って距離をとる。正尊は右手に小刀、左手に数珠を持って経を唱え続ける。


「で、でも……。念仏じゃダメなんじゃないのかえ? 奴らを固めきれなかったではないか」


 おれが問うと、正尊は目線を動かさずに答える。


「……この亡霊どもは、いくら攻撃してもHPを0にできなく候。それは、亡霊リーダーが付近に隠れているためにて候。リーダーを成仏させぬ限り、こやつらもまた成仏させられぬ。


 この小刀は鏡の代用品。念仏の力と聖なる明鏡が、亡霊リーダーの居場所を見破り申す!」


 正尊が小刀を掲げると、その刃が月光を受けて真白く輝いた。やがて光は念仏によって束ねられ、ビームのように一直線に放たれる。その先に照らし出されたものは……。


「きゃあああああ!!」


「こ……小町!?」


 小刀の光は小町の額を真っ直ぐに照らしていた。小町は脂汗を浮かべて悶える。正尊は念仏を続ける。


聴我説者ちょうがせっしゃ 得大智慧とくだいちえ  知我心者ちがしんしゃ ……即身成佛そくしんじょうぶつ!」


 途端、辺りはまばゆい光に包まれた。


 * * * * *


「小町……小町!」


 おれは手探りに小町を見つけ出そうとする。


「小町!」


「誰よ、人の名前を……気安く呼んで……くれるじゃない」


「小町! 大丈夫か、何がどうなったんじゃ」


 小町はゆるゆると目を開ける。その体は半透明に透き通り、手指や足の先から光の粒が立ち上っている。


「小町、おぬし……。か、体が消えていくではないか。体の末端のほうから光の粒に変わっていく……。ど、どうしよう、一体どうすれば」


「うろたえないで。単に成仏しかかってるだけよ」


「なんだ、成仏しかかってるだけか……。


 って、それあかんやつじゃろ! あわ、あわわ」


 慌てるおれを見て小町は笑みをこぼす。


「ふふ、おかしい。前にもこんなシーンがあったような気がするわね……。それとも役が逆だったかしら? あれは夢だったのかしら」


「な、何を言うとるんじゃ?」


「まあ、どっちでも同じことなのよ。


 キャロル、あたしはとっくに死んでたってこと。あたしはあの三体の亡霊とセットの亡霊なの。あたしが逃げ、あいつらが追う。終わりのないループに数百年も捉われ続けてきた。そこから解脱したくて天竺を目指したってわけ」


「そうなの?」


「そうなのよ、複雑な恋はコリゴリ。いや、これはあんたが言ってたんだっけ?


 なんにせよ今、ありがたい念仏のお陰で、三体の亡霊ともども成仏することができる。個々の人格は無くなり、一まとまりになってどこかに行く。今後は、そうね……。その卒塔婆をあたしたちだと思ってくれる?」


「え、この卒塔婆……。いや、これここに置いてくけど。持って行かんけど」


「何でもいいわ。義経様には、最後までお供できなくて申し訳ない。せめて和歌に気持ちを込めるとするわ。


 蜘蛛見ずの

 身は何処いづくとも

 かけまくも

 浮世の旅に

 迷い歩くも


 あんた達と会う前、あたしはさ迷うばかりの亡霊だった。あんたのお陰で目標のある亡霊をやれて、楽しかったわ」


「に、似合わんことを。和歌はともかく、素直すぎるじゃろ。おぬしはもっと面倒臭い奴じゃろ」


「念仏で性格が良くなったのよ。……もう時間ね。じゃあね……」


「小町……!」


 光の粒が渦巻き、小町と亡霊たちの姿が消える。気が付くと景色は元の草原にかえり、ヒヨドリが夜明けを告げていた。徐々に白くなっていく山際を後目に、横たわるものは巨石の卒塔婆ばかりである。

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