第9話 楓 狩
「なあ正尊よ、
ベッドはきれいに整えられ、部屋はすっきりと片付いている。しかし、暗がりのそこかしこに白骨が散らばっているのが正尊には見えた。否、目には見えねど、そのように感じた。見かけがどうあれ、ここは鬼の住処である。
「……恐れていないと申せば嘘になり申す。
正尊は落ち着いた声で、一語ずつしっかりと答える。酒呑童子は笑って言う。
「つくづく真面目な奴よのぉ。
酒呑童子は正尊に身を寄せ、その胸に
「すまねぇな、気がないことは分かってる。……長らく引き留めてすまなかったな。おかげで随分、東国事情に詳しくなれた」
「いや、とりたてて面白い話も出来ず。ただの田舎の
「なんのなんの、
そう言って、酒呑童子は机上のボトルに手を伸ばす。
「ブランデーにしようか……そういや、茨木がさっき新しい酒を持って来てくれてたなぁ。ブランデーを空けてから試すとしよう。ほれ、正尊よ、まずは一献」
「かたじけのうござる」
* * * * *
白昼、苔むした岩場に男の死体が横たわっている。その顔面は赤・緑・青のまだらに変色し、さながらディスコの如くである。その傍らに一升瓶が置かれている。――これぞ
「効き目は十分じゃのう。……しかし毒作りのスキルにおいて、殺傷力の高いものを作ることは特段難しくない。難しいのは遅効性の毒とか検出が難しい毒、病気に見せかけて殺す毒などじゃ。中でも、選択的に効果を発揮する毒が最も繊細で難しい。その点、この人毒酒は……」
「……ただいま、キャロル。毒酒、
背後から茨木が現れる。おれは振り向いて答える。
「うむ。投与から48時間経ったが、この実験台の男と違って、おぬしは無事のようじゃの」
「……うん、何ともない。鬼には効かず、人にだけ効く毒。さすがのスキルだね……」
「かっかっか、褒めても何も出んぞ。妖狐たるもの、これくらいできんと嫁の貰い手がないわ。……それはそうと、この実験台の男、どうしよう」
「その辺に埋めとけばいんじゃない。その辺を歩いてた人なわけだし……」
おれたちは不運な男を見下ろしながら話す。その顔面はまだらに変色した上、目玉や舌が溶け出して混ざりあい、外国のカラフルな駄菓子を思わせる。
「毒職人としては、死体を無造作に埋めたくはないのう。成分分析されたらワザを盗まれてしまう。ハウスの料理に混ぜて始末できんかの?」
「……え、これ食うの? ボクたちが? やだよ……いくら鬼には効かないからって……」
「そこを何とか」
おれたちが言い争っていると、木々の間から帯刀した男が現れた。……
「やあ、お
「お、おう
おれはどぎまぎしながら落ち葉を蹴り上げ、カラフルな死体をミッチの視界から隠す。
ミッチは涼しい顔をしているが、腰に下げた刀からは鮮烈な血の匂いが漂ってくる。今しがた、新たに何かを斬ってきたばかりに違いなかった。情け容赦のない、しかし上品な殺気の残り香……。
「た、たまらんのう」
「は?」
「何でもないのじゃ。おぬしも散歩かえ? また野狐でも斬ったか?」
「野犬に襲われまして。脚を一本落としてやったら、どこかに行ったようですが」
「そうかそうか。どうじゃ、戻ったら一杯やらんか。おぬしの武勇伝を聞いてみたいものじゃ」
「折角ですが、酒呑殿に呼ばれてまして。正尊殿が間もなく
ミッチは
「……
「言うたじゃろ、奴にここに留まる気はないって。酒吞ちゃんも、いい加減飽きたってことではないか」
「……いや……。
ダメだ!
茨木は慌てて駆け出し、ハウスへと急ぐ。
「今、正尊を死なせちゃダメだ! 逃がさないと……!」
* * * * *
最後の一滴がグラスに注がれ、ブランデーの瓶が空になる。
「もう無くなったかぁ。じゃ、
酒呑童子は神便人毒酒の封を開け、自分の盃になみなみと注ぐ。
「味見するか、正尊?」
「いや、今頂戴したブランデーをまず味わいたく候」
「おうおう、各自のペースで行くとしようや。乾杯」
二人は盃とグラスを突き合わせる。酒呑童子は一気に半分飲み干して言う。
「……うーん、確かに変わった味だな。でも、悪くねえ。ええと、どこまで話したっけかな」
「
「そう、そうだったな。正尊よ、
なんで追い出されたかって、罪もないイタズラよ。僧どもが山に社を立てやがるから、どでかい樹木に化けて邪魔をしてやっただけだ。先に住んでいたのは
そうしたら連中、高僧を呼んで来て
「……山野を追われる辛さ、
「だろ? まあ、そんなわけだからさ。
……おまえが本当に僧ならな。」
酒呑童子はそう言って盃を干し、二杯目の人毒酒を自分に注ぐ。正尊もグラスを傾け、しばし目を閉じる。氷が音を立てる。正尊は息をつき、ゆっくり目を開いて答える。
「
「えせ坊主だろ、おめえ」
酒呑童子が低い声で言う。それでも正尊は視線を正面に保ったまま、事も無げにグラスを傾ける。が。
「……カラだな、それ。待ってな、盃を出してやる」
酒呑童子がそう言って指を鳴らすと、戸棚がひとりでに開いて盃がすべり出た。同時に人毒酒の瓶がふわりと浮き上がり、空中で盃になみなみと注いで、正尊の手元まで送り届ける。
「こんな具合にな、このハウスには目に見えぬ鬼のメイドが大勢仕えてる。部屋の片付けはこいつらの仕事だし、監視カメラの役割も果たしてる。ハウスで
……いや、嘘は全然いいんだよ? 見慣れてくりゃあ、その僧のコスプレはなかなか可愛らしい。おめえは武人で、何か秘密の任務を負ってるクチだろ。そういう奴はよく来るんだ」
正尊の盃にさざ波が立つ。額に汗が浮かぶ。正尊は息を押し出すようにして言う。
「……身分を偽ったことは申し開きのしようもなく候、
「いやいや、だからそんなの構わないんだ。なあ、言ったろ。
酒呑童子は盃を干す。その牙に液体がつたってきらりと光る。白刃もかくや。正尊は目が眩み、盃の端から酒がこぼれ落ちる。それを見て、酒呑童子は気遣うように言う。
「おや、杯が重たいか?
その前に、ちょっと一筆したためて欲しい。
『ここに一生留まる』って誓いをな。立会人も呼んである。それとも、先に一杯飲むか?」
酒呑童子は人毒酒を口に含み、正尊の両肩を捕まえると、唇をゆっくりと近付けていく。その目の奥には火花が爆ぜる。シーツに滴り落ちたのは酒か、脂汗か。
かかる姿はまた世にも
たぐひあらしの山桜
よその見る目も如何ならん
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