第9話 楓 狩

 林間りんかんに酒をあたためて

 紅葉こうようくとかや


「なあ正尊よ、れをそう恐れてくれるな」


 かんにつけた銚子ちょうしを傾けながら酒呑童子は言う。そこは鬼のねや、鉄の扉で他から隔てられた童子の私室である。張り巡らされた黒いカーテンが灯火を透かしてゆらゆらと揺れる。ベッドサイドに座る童子は幼児の姿をとっている。その前髪は紅葉にまさって赤く、瞳は炭火のように暗く輝いている。


 ベッドはきれいに整えられ、部屋はすっきりと片付いている。しかし、暗がりのそこかしこに白骨が散らばっているのが正尊には見えた。否、目には見えねど、そのように感じた。見かけがどうあれ、ここは鬼の住処である。


「……恐れていないと申せば嘘になり申す。ながら、それはそれがしの未熟ゆえ。それがしは仏を頼む身なれば、酒呑殿が鬼であろうとなかろうと、本来恐れるべきではない。せめて、そのように努める所存にてそうろう


 正尊は落ち着いた声で、一語ずつしっかりと答える。酒呑童子は笑って言う。


「つくづく真面目な奴よのぉ。れがこうして稚児ちごの姿でおれば、ふつーの僧はもうちょい油断するものぞ。このご時世、僧の男色なんて珍しくないんだから。ほれ、こうしてしなだれかかってやれば」


 酒呑童子は正尊に身を寄せ、その胸に背中せなを預けてみせる。正尊は微動だにせず、視線を宙に投げたまま黙り込んでしまう。ややあって、酒呑童子は身を離す。


「すまねぇな、気がないことは分かってる。……長らく引き留めてすまなかったな。おかげで随分、東国事情に詳しくなれた」


「いや、とりたてて面白い話も出来ず。ただの田舎の一出家しゅっけゆえ、ご容赦願いたい」


「なんのなんの、れとてひな育ちよ。……そうだ、今宵は逆に、れの話を聞いてもらうとしようか。酒でも飲みながら、記念にな」


 そう言って、酒呑童子は机上のボトルに手を伸ばす。


「ブランデーにしようか……そういや、茨木がさっき新しい酒を持って来てくれてたなぁ。ブランデーを空けてから試すとしよう。ほれ、正尊よ、まずは一献」


「かたじけのうござる」


 * * * * *


 白昼、苔むした岩場に男の死体が横たわっている。その顔面は赤・緑・青のまだらに変色し、さながらディスコの如くである。その傍らに一升瓶が置かれている。――これぞ神便じんべん人毒じんどくしゅ。おれは男を見下ろしながら一人ごちる。


「効き目は十分じゃのう。……しかし毒作りのスキルにおいて、殺傷力の高いものを作ることは特段難しくない。難しいのは遅効性の毒とか検出が難しい毒、病気に見せかけて殺す毒などじゃ。中でも、選択的に効果を発揮する毒が最も繊細で難しい。その点、この人毒酒は……」


「……ただいま、キャロル。毒酒、しゅうちゃんのところに置いてきたよ……」


 背後から茨木が現れる。おれは振り向いて答える。


「うむ。投与から48時間経ったが、この実験台の男と違って、おぬしは無事のようじゃの」


「……うん、何ともない。鬼には効かず、人にだけ効く毒。さすがのスキルだね……」


「かっかっか、褒めても何も出んぞ。妖狐たるもの、これくらいできんと嫁の貰い手がないわ。……それはそうと、この実験台の男、どうしよう」


「その辺に埋めとけばいんじゃない。その辺を歩いてた人なわけだし……」


 おれたちは不運な男を見下ろしながら話す。その顔面はまだらに変色した上、目玉や舌が溶け出して混ざりあい、外国のカラフルな駄菓子を思わせる。


「毒職人としては、死体を無造作に埋めたくはないのう。成分分析されたらワザを盗まれてしまう。ハウスの料理に混ぜて始末できんかの?」


「……え、これ食うの? ボクたちが? やだよ……いくら鬼には効かないからって……」


「そこを何とか」


 おれたちが言い争っていると、木々の間から帯刀した男が現れた。……ミッチと名乗る源氏の男である。


「やあ、お二方ふたかた。人狩りですか?」


「お、おうミッちゃん。か、狩りというわけではないんじゃけど。散歩ついでというか、何というか」


 おれはどぎまぎしながら落ち葉を蹴り上げ、カラフルな死体をミッチの視界から隠す。細々こまごまと見られるのはまずい。

 ミッチは涼しい顔をしているが、腰に下げた刀からは鮮烈な血の匂いが漂ってくる。今しがた、新たに何かを斬ってきたばかりに違いなかった。情け容赦のない、しかし上品な殺気の残り香……。


「た、たまらんのう」


「は?」


「何でもないのじゃ。おぬしも散歩かえ? また野狐でも斬ったか?」


「野犬に襲われまして。脚を一本落としてやったら、どこかに行ったようですが」


「そうかそうか。どうじゃ、戻ったら一杯やらんか。おぬしの武勇伝を聞いてみたいものじゃ」


「折角ですが、酒呑殿に呼ばれてまして。正尊殿が間もなくたれる様子なので、今宵は別れを惜しんではどうかとのことで」


 ミッチはきびすを返し、ハウスの方へ戻っていった。おれがその背に見とれていると、茨木がぽつりとこぼす。


「……つのか、正尊……? しゅうちゃんがそう言ったって?」


「言うたじゃろ、奴にここに留まる気はないって。酒吞ちゃんも、いい加減飽きたってことではないか」


「……いや……。しゅうちゃんのいつものパターンからすると、それは多分嘘だ……。ものに出来なかった男は、最終的に殺しちゃうことが多い……。それは……むしろ……ダメだ……。


 ダメだ! しゅうちゃん的に、殺してむしろ思い出に残しちゃうパターンだ!」


 茨木は慌てて駆け出し、ハウスへと急ぐ。


「今、正尊を死なせちゃダメだ! 逃がさないと……!」


 * * * * *


 最後の一滴がグラスに注がれ、ブランデーの瓶が空になる。


「もう無くなったかぁ。じゃ、れはこっちを頂こうかな」


 酒呑童子は神便人毒酒の封を開け、自分の盃になみなみと注ぐ。


「味見するか、正尊?」


「いや、今頂戴したブランデーをまず味わいたく候」


「おうおう、各自のペースで行くとしようや。乾杯」


 二人は盃とグラスを突き合わせる。酒呑童子は一気に半分飲み干して言う。


「……うーん、確かに変わった味だな。でも、悪くねえ。ええと、どこまで話したっけかな」


比叡ひえのお山を追われた、というところまで承ってござる」


「そう、そうだったな。正尊よ、れは哀れな鬼なんだ。長年暮らした比叡山を追い出され、かつての実家も既になく。どこにも帰るところなんてない。


 なんで追い出されたかって、罪もないイタズラよ。僧どもが山に社を立てやがるから、どでかい樹木に化けて邪魔をしてやっただけだ。先に住んでいたのはれだよ。


 そうしたら連中、高僧を呼んで来てれを折檻しやがった。れはさんざ責められ、誓いを立てさせられた上でようやく解放された。『僧を殺生しない』って誓いをな。……だから今でも、れは出家に手を出すことはしない。好いた男を殺しちゃったり、つい無理やりってことは時々あるがな。お僧にそういう真似はしない」


「……山野を追われる辛さ、それがしにも身に覚えがござる」


「だろ? まあ、そんなわけだからさ。れを恐れないで欲しいんだ。


 ……おまえが本当に僧ならな。」


 酒呑童子はそう言って盃を干し、二杯目の人毒酒を自分に注ぐ。正尊もグラスを傾け、しばし目を閉じる。氷が音を立てる。正尊は息をつき、ゆっくり目を開いて答える。


それがしもかつて、住み慣れた故郷を追われた際……」


「えせ坊主だろ、おめえ」


 酒呑童子が低い声で言う。それでも正尊は視線を正面に保ったまま、事も無げにグラスを傾ける。が。


「……カラだな、それ。待ってな、盃を出してやる」


 酒呑童子がそう言って指を鳴らすと、戸棚がひとりでに開いて盃がすべり出た。同時に人毒酒の瓶がふわりと浮き上がり、空中で盃になみなみと注いで、正尊の手元まで送り届ける。


「こんな具合にな、このハウスには目に見えぬ鬼のメイドが大勢仕えてる。部屋の片付けはこいつらの仕事だし、監視カメラの役割も果たしてる。ハウスでれの目を欺くのは無理だ。


 ……いや、嘘は全然いいんだよ? 見慣れてくりゃあ、その僧のコスプレはなかなか可愛らしい。おめえは武人で、何か秘密の任務を負ってるクチだろ。そういう奴はよく来るんだ」


 正尊の盃にさざ波が立つ。額に汗が浮かぶ。正尊は息を押し出すようにして言う。


「……身分を偽ったことは申し開きのしようもなく候、ながら……」


「いやいや、だからそんなの構わないんだ。なあ、言ったろ。れは哀れな鬼なんだ。山奥に追い立てられて孤独に震えている、一介の妖魔に過ぎん。憐れんでくれ……。


 れは、おまえに留まって欲しいだけなんだ」


 酒呑童子は盃を干す。その牙に液体がつたってきらりと光る。白刃もかくや。正尊は目が眩み、盃の端から酒がこぼれ落ちる。それを見て、酒呑童子は気遣うように言う。


「おや、杯が重たいか? れが飲ませてやろうか?


 その前に、ちょっと一筆したためて欲しい。起請文きしょうもんってヤツだ。破れば地獄に落ちる、正式な誓いの文。れがかつて立てさせられたように……。


『ここに一生留まる』って誓いをな。立会人も呼んである。それとも、先に一杯飲むか?」


 酒呑童子は人毒酒を口に含み、正尊の両肩を捕まえると、唇をゆっくりと近付けていく。その目の奥には火花が爆ぜる。シーツに滴り落ちたのは酒か、脂汗か。


乱心みだれごころの花かづら

かかる姿はまた世にも

たぐひあらしの山桜

よその見る目も如何ならん

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