格闘姫と魔法陣技師

桜松カエデ

格闘姫と魔法陣技師

何故こんな事になったのかは言うまでもない。

 俺が女湯を覗いたからだ。

 いやだってしょうがないじゃん。男なら見たいよね? 

「あんたなにしてんだ! どっから降ってきた」

「え、えっと……屋上にある女湯から」

 俺は愛想笑いを浮かべ、さっきまでの出来事を鮮明に思い浮かべながらも、馬車の屋根にしがみ付いてしっかりと体を固定する。

 後方を振り返ると公共浴場を警備していた厳つい男たちが馬に跨って追いかけてきている。その表情たるやもはや鬼の形相と言ってもいい。

 そうか、あいつらも見たかったんだきっと。

「バカか! 早く降りろ」

 御者は突然空から降ってきた俺に物怖じすることなく、顔のしわを深くして馬車を左右に振り始めた。

巻き添えを食らって状況が掴めないにも関わらず、見事な手綱さばきだが一言だけ言いたい。

「前を見ろ! ちょちょちょ、そっちは裏路地だろうが!」

 直角にも等しい街の一画を馬車は速度を緩めずに曲がり大通りから外れると、両隣の壁に今にもぶつかりそうな細道へと侵入した。

 しかし後ろの男たちは諦めずに距離を詰めてくる。向こうの手綱さばきも見事なものだ。

「あんた早く降りろ!」

「何言ってんだ、降りたらガチムチの男たちに掴まるだろ!」

「女湯を除くからだろうが」

 馬車は猛スピードで狭い路地を疾走し道端にあった物を次々と跳ね飛ばしていく。そのため俺の頭上には凶器と化した花瓶や水桶がどんどん通り過ぎていくのだ。

 後ろを見ると彼らは長い棒の先に輪のロープが付いた道具を片手に持ち、目を爛々と光らせていた。

「おっさんもっと早く走らせろ!」

「なあに言ってる、これが限界だ。てかお前さんが降りればいいじゃろうが!」

 これじゃあエレナと合流する前に牢獄行だ。目的地の新都ベルニスまでもう少しだってのによぉ。

 うな垂れてしまったが、遠くで待つ幼馴染とまだ見ぬ女の子の姿をこの目に納めるまでは掴まれない! 

俺はすぐに顔を上げて揺れる馬車の屋根の上に立ちあがった。

「てめえらなんかに掴まるかよ! 一生男追いかけてろ」

 懐からチョークを取り出してしゃがみ込むと、馬車の屋根に円を書き、淵に沿って文字を並べていく。

「うーん、この重量なら六芒星と風かな。魔力の同線は下から上にして範囲は馬車のみ量的にはあまり多くなくていいか……」

「こりゃおどろいた。あ、あんた魔法陣書いてるのか!」

 俺が真剣に作業をしていると御者は振り返って目を見開いた。

「まあ魔法陣技師ですから」

 リズミカルに動いていた手を止めて視線を上げると、男たちはすぐ目の前まで迫って来ていた。

 しかし、この魔法陣さえできてしまえば、何てことは無い。

 その上に手をかざしてふっと息を吐き出すと同時に、体内を巡る膨大な魔力を調節しながら掌から魔法陣へと流し込む。

 お伽話では呪文を口にするような魔法が時々出てくるが、そんなものはいらない。

 すると我ながら綺麗に描いた魔法陣は緑色の光を放ち、うっすらと消えていく。

 一部始終を見ていた御者は。

「な、何をしたんだ?」

 と首をかしげ、すっとんきょな声を上げる。

「少しばかり、馬車の速度を上げないと俺が捕まるからな」

 うん、掴まるのだけはごめんだ。捉えられて女の子たちに罵倒されるのも悪くはないが、お先真っ暗にはなりたくない。

 俺の魔法が馬車に作用し、ふわりと僅かに浮き上がる。同時に荷重を逃れた馬車は勢いよく速度を上げた。

 これで何とか一安心。このまま新都ベルニスまで走ってくれれば小一時間もしないで到着だろう。

 しかし引っ張る馬は軽そうに走っているが、御者の顔色は優れない。

「あれ、どうしたの?」

 馬車の屋根の上から御者台の方へ顔を覗かせると、彼は蒼白になっていた。

「細道でこんな速度出したりすれば……!」

 俺達が乗った馬車は角を曲がれずに町一番の生活用水路へとダイブしたのだった。




「ふーん、それでそんな恰好になってるわけね?」

「いやまあ、何と言いますか。すいません」

 俺は水の滴る上着を絞りながら、首を垂れる。

生活水のおかげで体中が臭い。しかも目に見えて周囲の人たちが白い目を向けてくる。

 幼なじみのエレナと合流したのはネーデロイド国の首都、新都ベルニス。あの馬車から投げ出された俺は身を潜めつつ、やっとのことでたどり着いたのだ。

「闘技場へ遅刻すれば『疑似戦争』には出場できないのよ。私が間に合っても、あんたがいなきゃ勝ち目はないの。相手にも魔法陣技師がいるんだから」

「す、すいません」

「そうね。すぐにでもあの店のソフトクリームが食べたいわ」

 俺はその言葉を聞くや一目散に走り、目的の物を買ってきて恭しく差し出した。

「なあそろそろ機嫌なおせよエレナ」

「何言ってるのよカイト、私が機嫌を直さなかった事なんて一度も無いわよ」

 さらりと長い金髪を手で払ったエレナ・ケンヴィッヒはふふっとほほ笑んだ。

 両目を被う黒い眼帯で彼女が心から笑っているのかは分からないが、少なくとも愉快そうではある。

「まあいいわ。結局情報は何も得られていないのよね?」

「そんなことは無いぞ。右斜め後ろのパン屋と、その隣の肉屋には可愛い子がいる。街の入り口にいた花売りの子は少し背が高いけど大人びて……」

「誰が、そんなこと聞いているの? 罰としてもう一つソフトクリーム買ってきて」

 俺は脱兎のごとく飛び出しエレナから言われた一品を購入してすぐさま戻った。

 本当に甘い物には目が無いんだから、金がいくらあってもこまるぞ。

「んで、そっちは何かつかめたのかよ」

 さきにネーデロイド国へと足を運んでいたエレナの事だ、何かしら情報を掴んでいてもおかしくは無い。

 両目は見えないが、そのおかげで他の五感がすこぶるいいエレナは情報収集能力にもたけている。まあ、心の声が聞こえるなんて真似は出来ないのだけど。

「何もないわよ。魔法具取り扱っている所に行っても、噂だけらしいわ。やっぱり『魔眼』の生成なんて出来るのかしら?」

「『神眼』がいるのに魔眼が無いのは不自然だろう」

「そうだけど」

「ま、それはおいおい探すとしてだ。それよりも時間ないんだろ? 早く行こうぜ」

 そう言って俺は円形状のレンガ作りの建物に目を向けた。

 アーチ状の柱を基礎として建てられ、高さも幅もとんでもない大きさだ。周囲には人が行き交い、露店も軒を連ねている。

 街の中心部から歩いて二十分ほど離れているが、それでもこの賑わいには訳がある。

 この闘技場で行われる『疑似戦争』を皆見に来ているのだ。

 いや、正確に言えば『疑似戦争』に似せた私闘だ。

 隣に立つエレナは大きくため息をつくと。

「本当に調子いいんだから」

 俺達は近くにあった発券所で券を購入すると、大衆に交じって入場した。

 円形に作られている闘技場内は熱気にあふれ、観衆は声を上げ、壁のブロックが崩れてしまいそうなほどに熱狂している。

 俺は足早に駆けだして、闘技場中心が見える場所に位置取った。

「よかった始まる直前だ」

 俺は視線を闘技場へと注ぎ、目を見開く。

 東門と西門から優雅に出て来たのはドレスを着た女性だ。化粧もバッチリとして靴はハイヒールを履いている。髪や腕、胸元には煌びやかな装飾が光を反射し、思わず目を逸らしそうになる。

 観客が歓声をあげる中で、次に入場したのはタキシードに身を包んだ男性だ。

 合計四人。まるでこれからダンスでもするかのような出で立ちで闘技場には主役が登場した。

 それから一階の特等席、つまりは審判席に座っている教会の神父が立ち上がった。

「これより、二極神教会のルールに則り闘技を行うものとする。一つ、勝敗は相手が気絶するか降参するまで、または死亡するまでとする。一つ、魔法陣は両腕両足に一つずつとする。一つ、魔道具の使用は認めない。一つ、これらに反する場合は我々、二極神教会が制裁を下すものとする」

 まだ若い教会の神父は片腕を上げながら宣言すると着席した。

 するとそれを合図としたかのように、着飾った二人の格闘姫が飛び出した。まるで徒競走でもするかのように全速力でグラウンドの中央へ迫る。

「「今よ!」」

 衝突寸前に両者が叫ぶと、タキシード姿の男性が片手を突き出した。

 瞬間。

 なんと二人の女性の拳から炎が燃え盛ったのである。

 そして、そのまま彼女たちはあらんかぎりの力をつくして殴り合いを始める。

 頬に当たる熱の熱さも、さらには破れ燃えるドレスなんか一切合財気にせずに思う存分に殴り、蹴る。

 綺麗に結った髪がほどけ、首のネックレスが弾け飛び、ハイヒールが明後日の方へと飛んでいく光景は、まるで曲芸のようだ。

 やがて炎が消えると同時に、後方の男性、つまりは魔法陣技師が再び魔力を送り、女性の腕や足に書いた魔法陣を発動させる。

 片方が雷で、もう片方が風の魔法を発動させ再びぶつかり合った。

 観客もヒートアップし、歓声が大きくなって空気を震わせる。

 しかし俺は知っている。ここにいる観客の男たちの目的は彼女達が殴り合う姿なんかではない。もちろん俺も戦う女の子は好きだが、それ以上に。

「っしゃあああ! 西は白で、東は紫だ!」

 ドレスから見える下着がここの男衆を釘づけにするのだ。

 隣にいるエレナは頬をつりあげてあからさまに嫌悪感を見せたが、そんなもの知るものか。

 後ろで白のブラジャーが見えて大喜びしている男性に俺は思わず振り返って、頷き合う。

 綺麗な女性が殴り合い、ドレスが破れ下着がちらっと見える。少し時間が経つと殆ど下着姿だ。

 もうね、最高だね! 時々ポロリもあるからいいよね!

 鼻息荒く身を乗り出して私闘を見ていると、隣のエレナがわざとらしく咳払いをしたので俺はきりっと顔を正した。

「今日って審判しかきていないのかしら? こういう時は女王も来るらしいけれど」

「『疑似戦争』っていうか私闘に同席する義務は無いんだぞ。女王が来るのは見どころのある奴が出ている時だけだな」

 まだいくつも国が無かった頃、強大な国が西と東にあり常に戦争が絶えなかった。いつまで立っても決着がつかない為、休戦を申し込むために当時の女王二人が対面したのだが……気の短い女王同士は殴り合いに発展したのである。

どちらが勝ったのかは記されておらず、しかし大将を討ち取ったと言うことで戦争はおさまった。それから世界は『戦争』ではなく、領主や女王が殴り合って領土を奪い合う『疑似戦争』が主流となったのである。

女性の方は格闘姫、そしてそれを支援するのが魔方陣技師だ。

「女王が来ないなら遠回りすることになるわよ?」

「そんなこと言われてもなあ。さすがに女王の行動なんて把握できないぞ。でも地方領主になるために取り立ててもらえないのは痛かったな」

地方領主はその土地が狙われた場合、相手国の姫と戦わなければならない。そこで勝ならまだしも、負けてしまえば領土は奪われるのだ。だから、こういった私闘でも女王がやって来て人材を探す時が多々ある。

 まあ、一国の問題であるから女王も参加してタッグ戦が行われるのが常であるのだが。

「でも予定通りに行うんでしょ? 折角カイトが立てた計画だし、教会も賛成していたじゃない」

「その方が手っ取り早いってだけだ。『魔眼』なんて代物、たった二人で地道に探すよりは効率がいいしな」

 私闘であっても実力を認められれば、即出世コースに乗れる。それが格闘姫と魔法陣技師であるなら、相応の領土が貰えるはずだし、数多の情報をかき集めることができる。

俺達が探している『魔眼』の情報なんて手に入るのも時間の問題だろう。

いや、一刻も早く見つけた方がいい。魔法を強制的に発動させる『魔眼』が現れたとなると……今の『疑似戦争』は崩壊してしまう。

 俺は視線を闘技場の中心へと移した。

 どうやら決着はついたらしく、ほぼ下着姿同然の女性が一人中央に立っている。

「勝ったのは白か。うん、予想通りだ」



 『疑似戦争』は女王が相手に申し込めばその都度領土を争う殴り合いへと話が進められる。

 各国は優秀な格闘姫と魔法陣技師を探し、領土を統治させることに躍起になっており、女王に変わって国の代表となっている者もいる。国を治めるのは女王だが、戦うのは他の者という構図は決して珍しくは無い。

 そのおかげで世界各地の闘技場には必ずと言っていいほど湯治場も兼ねている公共浴場も備え付けてあるのだ。

「よし、見張りはいないな」

 地下に造られている浴場入り口を確認した俺は、うす暗い中で目を凝らし、のそりのそりと足を運び、耳をそばだてながら女湯へと続く通路を進む。

 本当は湯船まで行きたいのだけれど、流石に私闘前なのでばれたら困る。途中にある脱衣所まで行って猛スピードで引き返すしかない。

「相変わらず凄いバストねえ」

「やだあお肌すべすべ。もうこなくていいんじゃない?」

 キャッキャウフフと黄色い声を出す女性の声が聞こえてくる。

 この先は天国! 慌てるな、慎重に。だけどもう俺を止められるものは誰一人としていないぜ。

 まっすぐ進んだ先に見えるのが女湯へと続く木製の扉。そして少し手前で折れ曲がっているのが脱衣所だろう。

 壁に沿うようにして俺は足を運び、そっと脱衣所を除く。

 そこには天国が、心のオアシスが広がっていた。色とりどりの花が咲き乱れ、肌色の世界が眩しいほどに視界を埋め尽くす。

 おお! あのロングヘアの子は可愛いぞ。むむ、一番奥の女の子は胸がたまらん。愉快じゃのお。

「うへへへへ」

 だが、じゅるりと涎を垂らしていると不意に肩を叩かれた。

 まったく、こんな時に誰だ。至福の一時を邪魔するんじゃねえ。

 一発ぶん殴ってやろうかと思って振り返えると、そこには甲冑に身を包んだイケメンが笑顔で立っていた。

 青白い光彩を放つ瞳と、すっきりとした顔立ちはまるで絵画から出て来たようだ。

 指にはめているリングがきらりと光るのを見て、俺はそれが何であるのかすぐに理解した。この国の衛兵や貴族を指揮する時に使われる指輪だ。

それをはめているのは、ネーデロイド国のカトレア女王の側近だけ。本当は二つあるが、女王が信用しているのが一人だけだから、もう一つは彼女自身の指にはめてあると噂を聞いている。

 ふっとキザに髪をなびかせた彼は。

「俺はカルラ・コーンと言う者で女王の魔法陣技師だ。加えて言うなら街の警備も担当していてね」

 そう言うと腰にさした短剣を素早く引きぬき、俺の甲頭部を思いきり柄で殴りつけた。



「それであんた掴まったわけ?」

 エレナが腰に手を当てて呆れたように言うのを、俺は弁解するしかなかった。

「しょうがないだろ! 楽園が目の前にあったんだよ、俺を呼んでいたんだ」

「檻の中にいる奴がよく言うわね。はあ、対戦相手もどうするか迷っていたわよ。なけなしの金払って八百長仕組んだ意味ないじゃない」

 俺は鉄格子をがっしりと掴んで、ドレスに身を包んだエレナに詰め寄った。

「ここからだしでぐれええ」

 地方領主になるために、私闘と称して対戦相手に金を払いド派手な勝利を飾ると言う計画は木端微塵になってしまった。それなのに、こんな所に閉じ込められるなんて予想外だ。

「何言ってんのよ、無理に決まってるでしょうが」

「八百長で勝って、地方領主になるって算段がだいなしだ~」

 涙のしょっぱい味を口の中に広がらせて言うと、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「バカな考えをする奴もいる者だな。まあカトレア様なら貴様の実力など一発で見抜くだろうが」

俺が視線を動かした先には、悠々と歩いてくるカルラの姿があった。

 青を基調とした鎧を着こんでガチャガチャと音をたてながら近づいてくる。まるでこれから戦争にもいくかのような格好だ。

「女湯を覗こうだなんて、これだから庶民がやる事は理解不能なんだ。この地下牢で同じ空気を吸っているだけでも吐き気がするよ」

「ふん、てめえのご主人だって理解不能だろうがよ。あのカルルカンに挑んだって聞いたぜ。もちろん、結果は惨敗」

 ネーデロイド国の女王、カトレア・ネーデロイドはかなりの暴君だ。あちこちに戦争を吹っかけては土地の奪い合いをしている。この前なんかは無謀にも『絶対防御都市カルルカン』に攻め込んだらしい。

 あそこの女王は他国の領土を奪うことはせずに守るだけだが、格闘姫としての才能は世界一。その実、まだ一度も負けたことが無いと言う。

「あそこについて行ったのは代理の魔法陣技師だったからな。それよりも自分の心配しろよ。今どういう状況か分かっているのか?」

「お前に何が出来るってんだよ!」

「おいおい、怒るなって。それにそっちの御嬢さんも……ははは、なんだいその両目の眼帯は。見たかぎりだとどうやら格闘姫のようだけどね」

 カルラは小ばかにしたような笑みを作ってエレナの顏の前で手を振って小ばかにしたが

難なく彼女はその手を弾く。

「バカにしないで。これでも貴方よりは見えているつもりよ」

「それはそれは、失礼しました。まあ格闘姫ですから周りが見えない事にはどうしようもないですし」

 カルラはうやうやうしく一礼するも、その顔つきは変わらない。

「んで見るからに貴族みたいなお前は何しに来たんだよ」

 俺が問うとカルラは露骨に眉根に皺を作った。

「みたい、じゃなくて正真正銘の貴族だ。代々王家の魔法陣技師として仕えてきた家系で貴様たち庶民とは出来が違うのだよ」

 そりゃそうだ。こんな性格の庶民なんて見たことが無い。街で出会っていたらすれ違いざまに唾を吐きかけるに違いない。

「何が貴族だ、俺と同じで女湯にいたくせに」

 ふふんと俺は腕を組んで鼻で笑ってやった。浴場入り口にいたのならまだしも、こいつと出会ったのは脱衣所の直ぐそばだ。覗きに来ていたに違いない。

「ば、馬鹿を言うな! 貴様が女湯に入って行くのを見かけたから追ったに決まっているだろう。下種の勘繰りは止めろ」

 とカルラは腰の剣を引き抜いて切っ先を向けてきた。

「おいおい、貴族だったらそんな姑息な真似するなよ。どうせなら正々堂々としないか?」

「ふん、馬鹿が。貴様ごときと勝負しろだと?」

「除き魔が」

「き、き、貴様! その言葉を二度も使ったな! いいだろう、私闘で決着をつけようじゃないか!」

 その言葉を待っていました! 話しが速くて助かるぜ。ここで奴をぎゃふんと言わせれば、一気に名前が広がって女王の耳にも届くはずだ。ほんとプライドだけ高い貴族様は相手にしやすい。

「それではもし貴様が負けた場合は、生涯この独房で過すと言うことでいいな?」

 あくまでも私闘となる場合、両者が合意すれば闘技場で殴りあって決めることができる。

カルラが言った無茶な要求も勝負で負ければ従うしかない。

 とは言ったものの、俺一人で決めるわけにもいかないしなあ。

「私はカイトを助け出せるなら構わないわ。それこそ、手っ取り早ければなんでもいいのよ」

 流石は幼馴染だ。俺の気持を察してくれている。

「ふん、格闘姫も大変だな。こんな変態を庇うだなんて、何を考えているのやら」

「私たちにはやるべき事があるのよ」

「そうかい。ま、せいぜい頑張れ。期待はしてないがな」

 踵を返したカルラはひらひらと手を振ると去って行った。

 完璧に姿が見えなくなるのを待って俺は盛大なため息をつき、その場にドスンと座り込んでエレナを見上げる。

「よかったわね。出してもらえそうよ」

「弱そうなやつだから問題なーし」

「でも私たちとは場数が違いすぎるわよ。それにカイトは……」

心配そうな雰囲気を漂わせるエレナを俺は手で制した。

「はいストップ。そこまで。どこで聞き耳立てている奴がいるか分からないからな」

 確かにそれなりの回数をこなしてきていた風格はあった。女王の魔法陣技師にして街の警備を司っているのは納得だ。さて、どうやって戦おうか。

 そう思っていると不意に俺の腹が空腹をアピールしてきて辛気臭い雰囲気を飛ばした。

 掴まってからまだ何も食べていない。これじゃ餓死してしまう! 可愛い女の子も午後は目にしてないし、やっぱりここは地獄だ。

「あのーエレナさん、何か食べ物もってます?」

 物欲しそうな視線を向けると。

「この格好で食べ物持っているように見えるのかしら?」

 ドレス姿の彼女はくるっと一回転して見せた。

 ああ、ここが独房でなければすぐにでも飛びついていたのに。

「ね、何も持ってないでしょう。ふふ、さーてパフェでも食べに行こうっと」

 エレナはそう言いながら胸元から小さな小銭袋を取り出して、これ見よがしに音をたてた。

「ちょっと待て、それ旅費だよな! 残り少なかったろ」

 俺達を目立たせるために八百長を頼んだ人物にいくらか払ったのだが、今見る限りでは予想よりも減りが早いように見える。

「カイトが捕まるのが悪いんでしょう。ほら、今日は二食分ういたから豪華にしようと思うの。それに……」

「それに?」

「せっかくこんな格好して戦う気満々だったのに!」

 エレナは綺麗な足で鉄格子を蹴りつけ、くの字に曲げると肩を揺らして立ち去ってしまった。

 何を怒っているんだあいつは。ああ、そうか相手を殴りたかったのか。もしこの檻が無かったら俺が殴られたかもしれない。こわやこわや。




 翌朝、目が覚めたのは言うまでもなく独房の中なのだが。

「エレナさん、いや嬉しんですけどね。重いでふっっ!」

「最後の言葉を言ったらもう一度踏みつけるわよ」

「くそっ、本性を現しやがったか」

 思い起こせば、俺が遅れて合流した時もこうやって掴まった時も大人しかった。新しい街に来て浮かれていたが、こいつが優しいはずはなかったのだ。

 しかも新都ベルニスに着いてから手当たり次第にデザート食いまくったに違いない。思ったよりも重いぞ。

 だいたい、寝ている俺の顏の上に座っている時点でもう天国なのか地獄なのか分からない。

 顔半分が柔らかい感触でもう半分が冷たいコンクリートか……うん、天国にいる気分だな。

「本性ってなによ。私カイト以外にはこんな態度取らないのよ」

「それを本性って言うんだよ。まったく、砂糖が切れたんだろ早くアイスでも食ってこい」

「さっき食べたわよ。だけど途中でカルラとかいう奴に馬鹿にされたの『庶民はそんなも食べるのか、宮廷ではもっと甘い物が出るぞ』ってね」

 ああ、だからいつもよりご機嫌斜めってわけですね。

「くやしい~絶対に食べてやるわ」

 むきーっと悔しそうに唸るエレナは顔の上で何度も飛び跳ねた。

「ぐふぉっ、い、痛いって。顔の上で跳ねるのやめろ」

 俺は勢いよく起き上がると、エレナのヒップを強引に跳ね上げた。

「んな事よりもだ、ここに入れたって事は招待状はあるんだろ」

 相手に宣戦布告するための書状を招待状と呼ぶ。これが届くと対戦を申し込まれた相手は必ず闘技場へと向わなければならない。そうしないと教会から敗戦のお達しが来るからな。

 まあそのルールがあるおかげで、牢屋にいても決闘当日、もしくは翌日には解放される。

 この制度を悪用して盗人が仲間を取り返しに来ることがあるが……残念ながら神聖な決闘に置いて、犯罪者が勝つ確率は低い。というか決闘が終わって仲間を解放しても面が割れているし、すぐに掴まるだけなんだがな。

「もちろんよ。さて、お腹も減ったし何か食べに行きましょう」

「金はまだあるんだろうな?」

「……」

 無言で歩き出すエレナの後姿を見て俺はがっくりと肩を落としてしまった。


 腹八分にもみたない朝食を終えた俺達は早速闘技場へと足を運んだ。

 相変わらずの賑わいに俺の目は早速美少女を探している。特に昨日目をつけていた店の子なんか行き交う人々に笑顔で挨拶している。

 これはもう行くしかないね。

 横を歩くエレナから離れて俺はささっと目的の女の子の元へ近づいた。

「おはよう」

「おはようございます」

 笑顔で挨拶をしてくれる名も知らぬ少女。すぐにでもお茶に誘った方がいいかもしれない。うん、決闘まではまだ時間もあるしね。

 しかし俺が手を差し伸べてお茶へと誘おうとした時だ。天と地がひっくり返って、腰に物凄い衝撃が走った。

「ぐへっ」

 情けない声を上げると同時に、視界には少女のスカートの中が映し出される。

 黒か……。

「きゃああ!」

 反射的に少女がスカートを押さえて一歩退くと同時に、見慣れた足が顔の前に現れた。

「何やってるのかしら? もうすぐ決闘なのよ」

 視線を上にあげると腰に手を当てたエレナが立っていた。

 たぶん、怒っている。

「いや、分かっているけどさ。その子がどうしても可愛くてついね」

 土埃を掃いながら立ち上がり、努めて笑顔を作ると、女の子はさっきと違って目を輝かせて近づいてきた。

「決闘って、もしかして魔法陣技師なんですか?」

「まあそうだね」

 きらりと歯を光らせると女の子はさらに寄ってきてピッタリとくっ付きそうだ。

 甘い香りが漂ってきて、しかも可愛いのだから天使にでも会っているようだ。

 魔法陣技師、と言うか魔力を体内に宿す人間は多くない。だから各国は格闘姫と魔法陣技師の習得に力を入れている。

 才能の有りそうな子供を育てる学校もあるし、積極的に闘技場で競い合わせている所もあるくらいで、親は嬉々として送り出すらしい。

 だから普通の人からすれば俺は少しだけ有名人ってなわけだ。

「でもこいつは除き魔よ。辞めときなさい」

 余計なひと言を呟いたエレナは俺の襟首をつかむと、そのまま力づくで引っ張っていく。

「ちょっとまだ話してる途中で」

「カイトは魔法陣書かなくちゃいけないでしょ」

 俺は愛想笑いを浮かべながら、手を振る少女に別れを告げるしかなかった。



 魔法陣を書く道具はチョークだけ。円や図形は反復して体に覚えさせるしかない。

 文字の配列も決まっているのが多く、その通りに書かないと発動しなかったり、別の効果が表れる。円が下手だったり、文字がゆがんでいても魔法の発動はできるが、火力が格段に落ちる。

 魔方陣は基本的に書かれた場所に作用をもたらし、魔方陣技師が魔力を送らない限りは発動しない。例外を除いては。

 まあ、そんなことよりもだ。俺は今物凄く緊張している。

 うす暗い部屋にはロウソクが数本。外から魔法陣が見えない様にするための措置だが、そのせいで異様に気分が高揚する。

「ほら、早く書きなさいよ。始まるわよ。もしかして緊張しているの?」

「ばば、バカ言え! かりにも魔法陣技師だぞ。この前なんて揺れる馬車の上でかきあげたんだからな」

 そう言ってみるが、俺は目の前にさらけ出されたエレナの生足にごくりと唾を飲みこんだ。

 両腕の魔法陣は既に書き終わっている。それも苦難を乗り越えて、やっとのことでかき上げたのだ。肩から指の先まですらっとした腕が今も目に焼き付いている。

 だけど今目にしている物は足だ。

 足フェチ? いや断じて違うけどさ。太ももの付け根当りがヤバい。見えそうで見えないのがヤバい。加えていうならエレナの息遣いもヤバい。

 まるで美術の彫刻品のようになめらかで白くつやのあるエレナの足は、さっき見た少女のものとは比べ物にならない。鍛えられ、それでいてしなやかだ。

 俺は震える腕を押さえながら何とか円を書こうとしたが。

「ひゃんっ!」

 ビクッとエレナの肩が跳ね上がり足も続いて上下して、チョークの線が歪んでしまう。

「おい、書けないだろ」

「あんたがさっさとしないからよ。どうせ昔の事でも思い出してたんでしょう」

「いや、その……違う!」

「てことはまだ覚えているのね」

「……」

 兄や父の真似をして小さい頃にエレナの体に魔法陣を書いたことがあった。

 まあ傍から見ればエロガキが幼馴染にいかがわしいことをしていたと捉えられたに違いない。

 当時の俺はこっぴどく叱られたし、村のしきたりに従って禁呪まで掛けられたのだ。

「ま、でも私も覚えているけどね。カイトは腕見ただけで鼻血出してたわよね~」

 エレナはおかしそうに言うが、俺はその後の事が気になってしょうがない。

 禁呪を施されてから数日後、偶然現れたエレナの体質のおかげで俺と行動する時はいつも眼帯をつけている。いや、一緒でなくともエレナは眼帯を外すことが出来ない。

 もし、この国の女王であるカトレアに見つかれば間違いなく捉えられるだろう。

 そんな俺の陰気な雰囲気をエレナは感じ取ったのか。

「あほ面しないの。あんたが禁呪受けたのも、私の目が普通じゃない事もどっちもしょうがないでしょ」

「そうだな」

「そうよ。だから早く書きなさい。本当に決闘に遅れるわよ」

 それからは言うまでも無く順調に進む……はずは無かった。



 闘技場の門が開かれる。

 瞬間、熱気と歓喜と土埃が俺の体を駆け抜けて行った。目に見えない力が吹き込まれ、体の奥から何かがせり上がってくる。

「それにしてもまさかネーデロイド国での初戦闘がカイトの出所をかけてなんて馬鹿らしいわね」

 本当は八百長で勝つ予定だったから、申し訳なく思うが。

「その前に俺は殺されそうになったがな」

 魔法陣を書き終えたのはいいが、終わってからは殴るけるの嵐だった。『もっとうまく書きなさい』とか『書くのが遅いわよ』とか難癖をつけて暴力のオンパレードを味わったのである。

 殴られた頬をさすりながらエレナを軽く睨みつけると、彼女は肩をすくめた。

「それくらいした方が他の女の子にすり寄らないようね」

「うるさい。早く入場するぞ」

エレナに促すと彼女はきりっとした面持ちを前に向け、やがてゆっくりと歩きだして後に俺が続く。

 溢れんばかりの熱気が渦まき、歓声で体の奥が重く響く。耳を塞ぎたくなるのを我慢して、俺とエレナは闘技場の中央へとたった。

「何で男が多いんだよ」

 はあこれが全て女の子の声援だったらなあ。初めから全開で戦うのに。

「昨日まではあんたもその一員だったんでしょ。それよりもこの気配……やっぱり只者じゃないわねカトレア女王ってのは」

 そう、カルラからの招待状にはカトレアが格闘姫として参戦する胸が書かれていたのである。どうやら自分の魔法陣技師がどんな奴と戦うのか好奇心が湧いたらしい。

「いけそうか?」

「余裕よ。私を誰だと思っているの」

 エレナがここまで自信を持っているとなると、負けても俺が出所する確率は限りなく百パーセントに近いわけだ。

 カトレアが参戦することで初めの目的よりも難易度が下がった。

 この勝負、勝ちに行くことが目的じゃない。

「はいはい、頼りにしてるぞ」

 軽く受け流して俺は口を一文字に結ぶと、反対側の入り口から出て来たカトレアの姿を目に焼き付ける。

 真っ赤な髪に合わせているのか、ドレスまでもが赤一色で首と腕には金の飾りが光る。

 ハイヒールの靴は見ただけで動きにくそうだが、蹴られたらひとたまりもないだろう。

 黒のシャドウで塗った目元が印象的で、すらっとした体型に似合わない胸も強調している。

 目立つのは胸だ。胸だ。胸だ。

「おい、負けてるぞ。胸が」

 ピキィと何かがきしむ音がエレナから聞こえてきたが、先に立つ彼女の顔は見えない。

 優雅に歩いてくる相手は視線がぶつかる場所で立ち止まると、俺達を品定めするかのように見てきた。

「貴様らがカルラに喧嘩を売ったそうだな」

 威嚇するように一歩踏み出してきてカトレアは発した。その動作一つにしても胸が揺れるから、こっちとしては目のやりばにこまる。

「私は一言も発してないわよ、後ろのカイトが売ったの」

「買ったのはカルラだけどな」

「ほう、よっぽど優秀な魔法陣技師とみえる。だが、我がどんな人物か知っているのだろうな?」

 値踏みするような眼差しでカトレアは俺達を見つめてきた。

「国のものは貴方の物、貴方の物は貴方の物、庶民の物は貴方の物って感じだな」

「その通りだ。我はネーデロイド国の女王、この地を滑る者であり所有者でもある。つまりは、そこに住む住民さえも私の物だ。土地の一画、農具の一つとして我のものでない事はありえない」

 俺は思わずさっき見た少女の服装を思い出した。つぎはぎだらけの服で靴もかなり年季が入っていた。

 世界でも屈指の大国であるネーデロイドであるが、新都ベルニスに住む住民はそれほど裕福では無い。税の徴収が厳しく、その割には国民へ還元されない。政治家の汚職など腐るほどの噂を聞くこともある。

 それもこれも実権をカトレアが握ってからだとよく聞く。まあ、今の発言で認めてるけどな。

「とは言っても今日は貴様らの出所に対する決闘だったな。カルラ、この決闘を受けたからには我の準備運動程度にはなるのだろうな?」

「それは何とも……」

 視線を地面に向けたカルラは口ごもってしまうも、カトレア様は偉大なお方らしい。

「まあいい。もし手ごたえが無ければ平民よりも過酷な生活が待っていると思え」

 代々仕えてきた家系の側近にも容赦なく睨みを利かせる。

 顔面蒼白なカルラを見ると、このまま戦わずして降参しようと思ってしまうがそれでは俺が絶望的な状況になってしまう。

 それから俺達は、互いに衝突した。

 カトレアは体を一回転させて足を高く振り上げると、勢いよく降ろしてきた。エレナが受け止め、僅かに体を沈み込ませる。

 瞬時に俺は相方に魔力を送る。初めは右足に書いた風の魔法陣。だが、この効果は体全体に及ぶ。

 エレナはカトレアから距離を取ると、左足を僅かに宙に浮かせてトントンとリズムを取り加速する。

 しかしやはり歴戦の女王はスピードが勝っただけで圧倒できるはずもない。

 ごうっと風を引き連れて迫るエレナを鼻で笑い、一撃をいなして反撃へと転じてきたのだ。

「カルラ!」

 カトレアが叫び後方にいるカルラが右手をかざすと、敵の格闘姫の拳が勢い良く燃え上がる。

 いや、それだけでは無い。拳に書いているはずの魔法陣の効力は腕全体に広がっているのだ。そしてさらに炎は勢いを増しているのである。

 それを見てエレナは大きく飛び退き、俺は唖然としてしまった。

「はあああああああ!」

 敵は声を張り上げると、なんと地面に拳をめり込ませたのである。

 足元からの高温に肌から水分が蒸発していくのが分かる。じりじりとやける空間には蜃気楼が出来上がり、うまく敵を黙視できない。

 俺は視界にエレナを捉えた。まだ右足の魔法陣は発動しているようだ。

 エレナは速度を上げてカトレアの方へと一直線に飛び込んで行く。

 けりをつけるなら早くしてくれよ。

 そう思った瞬間。

「貴様の相手はこの俺だ」

 なんと今までカトレアの後ろに控えていたカルラが、迫っていたのである。

 しかしそれは読めている。

 カルラのあの態度を想像すると、間違いなく俺に一撃を当てようとして来るはずだ。

「おわっと」

 俺は間一髪のところで避けたが、こいつを相手にしている時間は無い。

 エレナに書いた魔法陣をさらに発動させようと魔力を送ろうと試みるが。

「無駄だ!」

カルラは俺に猛攻をしかけてきて、集中させまいとして来る。その体裁きは凄さまじいの一言だ。

 風切り音が耳横でなり、僅かにずれただけでも顔を半分にされてしまうだろう。

 だけど、魔法陣技師の戦闘は珍しくもない。

 俺は自分の両足に魔力を送り込むと、体をひねってカルラの脇腹を蹴り上げた。

「ぐ、ぬうう」

 それほど早くは無い。一般人が体術を習っていれば出せる速度だが、魔法が発動しているとなると話は違う。

 カルラはぐっと前傾姿勢になったが、途端にがっくりと膝を折った。

「な、何をした」

「ちょっとしびれてるだけだ。まあすぐに元に戻るから安心しな」

 とは言っても、俺はこいつをぶん殴らなければ気が済まない。

「雷の魔法陣か、また珍しい系統を……」

 俺は奴が皆まで言う前に勢いに乗せた拳でおもいきり殴った。

「魔法陣技師を先頭不能にして格闘姫への魔力供給を絶つ。戦法の一つだけど俺達には通用しないな」

 ひゅー、さいっこうだぜ! 最後の言葉も決まったし、もう一発いっとくか。

 俺は再び右手を振り上げて、さっきよりも勢いよく叩きつけたが、なんとそこでカルラは転がるようにして避けたのである。

「調子に乗るなよ平民が!」

「おお、すごい、立ちあがったか」

 流石は女王に仕えるだけのことはある。しかしまだカルラの足は震えていて、当分の間は動きそうにない。

 俺は視線をエレナに向けると、口を一文字に引き締めた。

 やはり苦戦している。身長も胸も負けているから仕方ないか。やっぱり俺の協力が必要だな。

 そう意気込んで、俺はエレナに呼びかけた。

「一気にいくぞ!」

「分かったわ!」

 承諾を得ると同時に、残り三つの魔法陣に魔力を流し込む。

 すでに敵の炎は消え去りカルラは動けない状態だ。これ以上にない好機。

 エレナの左足にある魔法陣が光を発したかと思うと、次に両腕に書いた魔法陣が発動する。

 左足に風を、両腕に雷を宿したエレナは、これでもかとラッシュをカトレアに叩き込んだ。

 右拳がかわされると一回転して後ろ回し蹴りを放ち、さらに勢いをつけて左拳を下から上へ突き上げる。

 エレナのスカートが舞い、まるでダンスでも踊っているかのようだ。この場に音楽でも流れていたらさぞかし絵になっただろう。

 土埃が上がり、一撃を放つたびに空気が振動する。観客も声援を忘れて見入っているほどに美しく力強い。

 なのに俺は唇をかんだ。

「何故当たらない……」

 エレナの攻撃は易々と避けられる代物じゃない。それは俺が一番知っている。しかも今は風の魔法陣が働いているはずだからスピードも桁違いだ。

「エレナとか言ったな。その勢いは認めてやろう。そこの小僧もカルラに一撃を加えたことは褒めてやる。だがな!」

 カトレアがくわっと目を見開いた瞬間。彼女の両腕と両足が赤く輝きだした。

 そして、なんとエレナの速さにも勝る速度で打撃を繰り出してきたのである。

 遠巻きに見ている俺は半ば呆然としながらも

「そんな……嘘だろ。四肢の魔法陣は炎系統、だったら速度があがるなんてことは」

「二重魔法陣。貴様ら平民相手にここで使うなんてことになるとは思わなかったぞ」

 苦しそうな声音の方に顔を向けると、殴られたカルラは腹を押さえながらも、右手を突き出してカトレアに魔力を送っていた。

「その傷でやってのけたのか」

「女王に仕えているんだ、当たり前だろう。貴様ら凡人と一緒にするなよ」

 基本的に魔法陣は円を書くと、その中に二つ目の円を入れることは無い。これは円が魔法陣の最小単位だからだ。

 しかし、基本には例外がつきものでもある。

 優秀な魔法陣技師は円の中に円を書くことで、二つの魔法陣を一つに納めることができる。

 言語の切り替えや文字列、属性などを変えることができるのだが、一番難しいのは『一つの魔法を阻害せずにもう一つ発動する事』だ。

 魔法陣技師の繊細な魔力誘導が無ければ発動するどころか、暴走する可能性だってある。

「詰みだな平民。お前の格闘姫は限界らしいぞ」

 そう言われてエレナを一瞥すると、彼女はいつもより呼吸を荒くしているのが分かった。

 ドレスが乱れ、息も荒く、綺麗な頬や髪には煤がこびりついている。ハイヒールは折れていてとてもじゃないが立っているのもやっとの状態だ。

「中々しぶといな。おい、眼帯を外す気にはならんのか? 今なら十秒待ってやるぞ」

 カトレアは余裕の表情を浮かべながら、エレナに提案してきた。しかしコンマ数秒も間をあけないでエレナは首を左右に振る。

「それだけは出来ないわね。だからこれが全力の勝負って事よ!」

「無駄だと分からぬのか。所詮は凡人よな。魔法人技師の方もまだ全力とは見えぬがまあいい」

 二人の格闘姫は再度ぶつかり合う。

 エレナは見た目も気にせずにラッシュを浴びせ、敵の顔面ギリギリのところまで拳を潜り込ませるも、僅かに届かない。

「これで終わりだ」

 カトレアがエレナの一撃を弾き、よろめいたところで膝を叩きこんで来た。

 エレナの体がくの字に曲がり、防御もままならない。

「エレナ!」

 叫んだ俺は飛び出して幼馴染を救うために、走り出した。

 ここで終らせてたまるものか。まだネーデロイド国に来て数日しか経っていない。さっきの少女だって口説いてる途中だっての!

 カトレアが死をも招きそうな一撃が放たれそうになった間一髪のところでエレナに飛びついた。

 地面を転がりすぐに立ち上がり、俺はエレナを庇うようにしてカトレアと向かい合った。

 しかしこの状態で逆転などできるはずもない。腕の中でぐったりしてるエレナを一瞥して俺は唇をかんだ。

「……降参だ」

 俺ははっきりと告げると、カルラが嬉しそうに口を開いた。

「はっはっは、これで独房行きは確定だな! もう二度と出てはこれ」

「いやまてカルラ。我は今日、存分に楽しめたぞ。二重魔法陣を使わせられたのは数年ぶりだな」

「まさか、それではこの二人は」

「釈放だ。ただの覗きだろう?」

「ま、待ってください!」

「口答えは無用だ。勝った者が敗者の所有権を得る。それともカルラ、貴様も我に挑んでみるか?」

 圧倒的な高みから見下ろすかのごとくカトレアはそれだけ言うと背を向けた。

「一人分の独房と食事を用意する資金があれば他の事にまわせ」

 釈然としない表情のままカルラは拳を握ると、俺とエレナを睨みつけてきた。

「覚えていろよ貴様ら」

「俺はすぐにでも忘れたいけどな」

「くっ……絶対に後悔させてやるぞ」

 カルラは身をひるがえして闘技場を後にし、俺はその背中に舌を出して見送ってやった。

「なんとか一件落着だな」

 ほっとして腕の中に納まっているエレナに目を向けると、彼女はゆっくりと起き上がった。

「危なかったわね。でもこんなのでいいのかしら? 魔法陣はまだ残ってたわよ」

 そう言ってエレナは腕にある二重魔法陣を見せてきた。

 何かの保険と思っていたが、その必要性はなくなった。まあ、その前に発動d系るかは俺次第だ。

「あれ以上やると、俺が死んじまうぞ」

 俺を繋ぎとめる為に施された呪いの効果はただ一つ。魔法を使いすぎると死に至る事だ。

 おかげで全力を出そうにもそうすることが出来ない。

「そう、だったわね」

 僅かにうな垂れたエレナの肩を俺はそっと叩いた。

「まあ結果オーライだったから何も考えるなって」

 エレナの拳が相手の顔にかすれそうになった時、確かにカトレアは初めよりも攻撃的になった。まあ、その前に俺がカルラを一発ぶん殴った影響もあったんだろうけど、おかげで及第点をもらえたわけだ。

 勝利をしなくてもこっちとしては思い通りの結果になってくれて万々歳なのである。

「さあて、腹も減った事だし、何か食べに行くか」

「カイト、もうあまりお金ないわよ。というか二日分しか残っていないの」

 俺は口をあんぐりと開けてから、エレナを縛り上げてやろうと思った。



 新都ベルニスは活気がある。とはいってもそれは貴族たちの住む城の近くだけだ。少しばかり離れると姿は一変する。

 木造の家にはボロい布が屋根代わりとなり、入り組んだ細い路地が迷路のように張り巡らされている。しかも道端には浮浪者が座り込んでいるのだから危ない事この上ない。

 だが安い宿を取るにはこの貧民街に来なくてはならない。

 俺達はなけなしの金で何とか宿泊予定を決めると、それからもう一度町へ向かうことにした。

 するとその途中で遠くの方から真っ黒い姿の女の子が千鳥足で歩いてくるではないか。

 ぴっちりとした服装に俺の目はとある一点に吸い寄せられた。

 でかい。カトレアほどではないが、エレナよりもある事は確かだ。だけどこんな所を歩いているなんて不用心すぎるだろ。

「あいつらのばかやろお! 私一人でどうしろってんだよお」

 そう叫んだ女の子は手にしている酒瓶に口をつけてぐいっとひと口飲んだ。

 誰かと喧嘩中らしい。

「あほお、まぬけえ、すっとこどっこい~」

 ヨレヨレの彼女は俺達の前までやってくると、うつろな目を向けてきた。

「なんや?」

 人通りのないこの路地で目を向けていたから絡まれたのは分かるが。酒臭い。

 俺は鼻をつまみそうになったが、それでは女の子に失礼だ。だけど、隣のエレナは我慢できなかったらしい。思い切り鼻をつまんで眉根を寄せている。

「ちょっとお、ハイネが臭いって言うのお?」

「ええ、かなり臭いわね。ほら、さっさと向こうにいきなさい」

 しっしと手で追い払うエレナの横から俺はずいっと身を乗り出した。

「まあ落ち着けって、ハイネちゃんだっけ? どうしたの? 悩みがあれば」

「カイト~酔っぱらいを相手にしている暇なんてないのよ」

 俺が皆まで言う前にエレナが口を挟んで来た。

「でも放っては置けないだろ。何か悩みがあるなら聞こうじゃない」

 俺は意気揚々に言ったが、既にハイネはうつらうつらと船を漕いでいた。しかも立ったままだ。

「いきなり突っ掛って来て、突然寝るんだから呆れるわね」

 ため息交じりに言うと、エレナは俺の腕を引っ張る。

「大丈夫よ、こんな所誰も来やしないわ。それよりも急ぐわよ」

 俺は周囲を見渡してエレナの言葉に頷くと、城壁内へと足を向けた。


 ここに来た目的はもちろん『魔眼』に関する情報を得るためだ。

「敵の魔法陣を強制的に打ち消すって、ほぼ無敵じゃない」

「まったくその通りだ。『疑似戦争』そのものを壊しかねない」

「でも魔眼って噂だけでしょ? そりゃもし本当なら教会が調べろって言うのは分かるけど」

 決闘によって物事が決められる世界に異質なものが混ざってしまうと機能しなくなる。そのイレギュラーの発見と破壊のために俺達は教会の命令でネーデロイド国へとやってきたのだ。さらに言ってしまえば『疑似戦争』を監視する二極神教会の面子のためでもある。

 街ではうわさが広がっていると聞かされて旅立ったはずだ。それなのに、一向に『魔眼』の手掛かりがみつからない。

「おじさん、『魔眼』って聞いたことある?」

 俺はとある骨董屋に入って中にいる店主に訪ねた。古書やいわくつきの置物が所狭しと並んで、いかにも情報を持っていそうだ。

 おじいさんは椅子に座ってゆらゆらと揺れながら顎に手を当てて考えこんだ。そして次第に揺れが無くなると、いびきをかき始めたのである。

「ダメだこりゃ」

 はあっと盛大にため息をついた俺は仕方なく店を出た。

 大きな国でもやはり個人を伝って『魔眼』までたどり着くのは難しそうだ。

 外で待っていたエレナにむかって首を横に振ると、彼女も長い吐息を吐いた。

「難しいわね」

 肩を落とすエレナに同意せざるを得ない。

俺とエレナが町を見渡し、次の店を絞り込んでいると見知った少女が駆け寄ってきた。

少女はこの前とは違って手には花束を持って話しかけてくる。

「お兄さん、この前の魔法陣技師さんですよね?」

「やあまた会ったね。今日も看板娘として頑張ってるんだ」

 俺は笑みを作って頭一つ分小さい彼女に視線を合わせる。

 うんうん、魔法陣技師になってよかったよ。

 しかしデレッとしていると地の底から響いてくる様な声が聞こえてきた。

「なによあんた。さっきから聞き耳立てていたわよね」

 俺の横からエレナが割って入って来て、少女に顔を近づけた。おかげで思わず少女がひくっと顔を引きつらせる。

「そんなんじゃありません。ただ『魔眼』については聞いたことがあったので」

「「どこで聞いたの?」」

 俺とエレナは互いに頬をつけて少女へこれでもかと詰め寄った。もう鼻息まで届きそうな距離だ。

 なんならこのまま唇を近づけてもいい。

「わ、私の家が花屋で仕入れ先がいろんな国にあるんです。ですから、父が海外の話をたくさんしてくれてて、その中に『魔眼』って単語がでてきたので」

「どこの国か分かる?」

 しどろもどろになる少女にさらに詰め寄った俺はまるで顔が引っ付きそうだ。

 あわよくばこのまま。

 と思っていると横にいるエレナが俺をおもいきり突き飛ばした。というか何故か殴ってきやがった。

「早く言いなさい!」

「たしか、ホーエンハイツ国だったと思いますけど」

 少女が答えるとエレナは顔を離して、突き飛ばした俺の元までやってきた。

「ホーエンハイツ国よ、これでこの国にいる必要はなくなったわね」

 んなことあるか!

 俺は服についた土埃を掃うと、肩で風を切って少女の元まで行くと手を指し伸ばした。

「ありがとうおかげで助かったよ。それよりも今度一緒に食事でもどう?」

「わ、私でよければ」

 なんと手を握ろうとしてくれる女の子! ようし今夜の宿は特別に高い所を予約して……。

「いってえええ!」

「はいそこまでよ。さっさと行くわよ」

 折角いいところなのにエレナが関節をきめてきやがった。俺はそのまま引っ張られて泣く泣く別れてしまった。

 今度こそ誘えたと思っていたのに。いやいや、まだ諦めるべからず!

 俺達はそれから街の一画にある喫茶店へと足を運び適当な場所に腰かけた。

「ホーエンハイツ国か、あんな変わった国に情報があるなんてな」

 絶対防御都市カルルカンを首都とする国だが、これがまた一風変わっている。

 領土を広げずたった少しの国土を有し、特産品も景勝地もないし作ろうともしてない。

 女王はカテリーナ・ホーエンハイツ。姉妹の長女でかなりの戦闘マニアって噂は良く耳にする。

 ネーデロイド国の女王であるカトレアさえも退けるほど格闘に関しては天武の才も持っているそうだ。

「あそこは検問も固いのよね。商人だって入るのは一苦労らしいわ、特に普段出入りしている人間以外が入るには何回も書類の提出が必要だとか」

 何とかして入国できないものかと話し合っていると、やがてウエイトレスから運ばれてきたのを見て俺は、絶句した。

「おい、その数のデザートはなんだ。いつ頼んだ!」

「やあねえ、いいじゃない。『魔眼』の情報が一つ手に入ったお祝いよ」

 おいおい、これからどれだけ祝えば気が済むんだ。そりゃあ、エレナは思ってたよりも必死に探してくれているから、こっちとしては大助かりだけどさ。

 パクパクとアイスを食べ始めるエレナの顏はいつまで見ていてもあきないが、それでも俺は話しをもどそうとした。

 その時だ。

 路地の方で悲鳴と物音が同時に聞こえてきた。俺は席を立って外へと駆けだすとその原因をすぐに見つけた。

 右手の方から年端もいかない少女がこちらへと走って来ている。次に視線を必然と後ろの方へ向け、俺は唇をかみしめた。

 誰だが知らないが、いたいけな少女を大人数人がかりで追いかけるのはご法度だぜ。

 割れる人だかりの中、俺は道の真ん中に立ってわざと目立つように手をふる。

「た、助けて下さい!」

 と叫び声を上げる少女は、今にも倒れそうになるのを我慢して必死に足を動かしていた。服も頬も泥がこびりついて、綺麗な髪までが汚れてしまっている。

「こっちだ!」

「ちょっと何言ってるのよ」

 挙げた手をいつのまにか横にいたエレナが無理やり降ろさせる。

「放ってはおけないだろ」

 もし男が女に追いかけられていたらぶん殴ってたけどな。

「そんなこと言って問題が増えたら……ああ、もう私知らないわよ」

 駆け寄ってきた女の子が俺にしがみ付いてきて、息を荒げながら訴えてきた。

「助けてください! 悪い男に追われているんです」

 鈴を転がした様な心地いい声音を聞きながら、思わず手で抱きしめようとしてしまった。その手をぐっとこらえて少女の肩に置くと。

「大丈夫だ。こっちに来て」

 俺は見知らぬ少女の手を握って狭い路地裏へと逃げ込んだ。もちろん、エレナは文句を言いながらもついて来てくれる。

「いたぞこっちだ!」

「まさか仲間がいたなんて」

「そんなはずはない、ずっと閉じこもっておられたのだ」

 後ろから聞こえてくる男たちの声に耳を立てながら、俺は手を握っている少女を一瞥した。

「家出でもしたのか?」

「ええ、まあそんな所です。どうしても好きにはなれなくて……」

「まあでも、カイトに見つかったのは運のつきよ。こいつはね、女の子を見ると無性に襲いたくなる性格なの」

 エレナがとんでもないことを言ってくれるので、思わず少女の手がすっぽ抜けそうになった。

「あほか、俺はな、こう大人の女性に魅力を感じるんだよ」

「それじゃあ、さっきの花屋の子はどうなの? 『魔眼』とどっちが優先なの?」

 エレナは眼帯をつけている顔をこちらに向けてじっと覗き込む様な形で問い詰めてきた。

「…………そんなことよりも走れ! 今はこの子が最優先だろうが」

 俺はもう一段階速度を上げて走り出そうとしたが、急に体が重くなった気がして後ろを振り返った。

 やっぱり無理か。

 女の子は息を荒げて今にも立ち止まりそうだ。散々追いかけられて体力の限界が来たのだろう。俺は少女を抱きかかえたが、流石にこの状態で逃げ切る事は出来ない。あまり金は使いたくないのだがここは、賭けに出るしかない。

「あいつら倒してくれるんだったら、あとでアイスでも」

「分かったわ」

 返事速いなおい。まだ全部言ってねえぞ。

 エレナは立ち止まると走って来た道を振り返って、右足を後ろに引いた。

 その格好に見知らぬ少女がビクリと肩を震わせたので、俺はしっかりと手を握る。

 格闘姫を知らない事は無いのだろうが、実際にこんな間近で見ることなどほとんどない。特に引きこもっていたら尚更だ。

「大丈夫だよ、あのお姉ちゃん強いから」

「そうなの?」

「ああ、見ててごらん」

 エレナは地を蹴り、細い裏路地を疾走し瞬く間に敵へと距離を詰める。

「女一人が叶うとでも思ってるのか」

「どうなっても知らんぞ」

 口々に言う男達もすぐに臨戦態勢へと入る。

 てかどう考えてもあの恰好は格闘技経験者だな。

 俺は奴らの構えを見て一瞬にして理解した。いや、理解できるほどに整った動作なのだ。

 エレナは真っ直ぐに相手へと突き進んだが、接触する直後に壁を蹴って上へと舞い上がり背後に着地する。

「この……!」

 一人が急いで振り返るが、その時にはもう既にエレナの強烈な拳がヒットしているのだ。

 鼻血を噴出して倒れた男に目もくれず、続けざまにエレナはもう一人の頭部へと蹴りを放ち失神させる。これで残すところはあと一人だ。

「もう不意を突けると思うなよ」

「いや、残念だけど、敵に背中見せるのはどうかと思うぜ」

 俺は最後の一人がエレナに気を取られている隙に疾走し、少しだけ飛び上がって右ひざを後頭部にお見舞いしてやった。

 男はばたりと抵抗も無く倒れてそのまま動かなくなってしまうと、一部始終を見ていたエレナが呆れたように言う。

「あんた卑怯ね」

「いやいや、見知らぬ女の子と幼馴染を助けるのに卑怯とか関係ないから、敵が悪いから」

 当然じゃん、だってこの子育ったらナイスバディになるかもしれないんだよ? 見た目も可愛いしさ、今のうちに知り合いになっておきたいじゃん。

 俺はすかさず女の子の元に戻ると、目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。

「もう大丈夫だよ、これでお家に帰れ……ないっか」

 そうだった、この子は家出している最中なんだ。無理やり連れ戻してもまた出てくるだろうなあ。

「何言ってるのよ。いい加減に家に帰りなさい。私たちは面倒見ているほど暇じゃないのよ」

 エレナの言う通りでもあるが、それにしても少しきつすぎやしないだろうか。

「まあとにかく、どこかの店でパフェでも食いながら相談しようぜ。ほら、こいつら倒してくれたお礼にさ」

 なだめるように言うとエレナは腕組みをしてそっぽを向いた。

「そ、そう言われるとしょうがないわね。約束してたし、さっきとは違う店に行きましょ」

 エレナは態度を一変させると足早に歩き出した。もうどこの店に行くのか決めているようだ。


「私はリリアといいます」

 運ばれてきたデザートを口に頬張るエレナの横で、リリアはそう自己紹介した。

 家出の理由をここまで来る途中に訪ねたが、どうやら話したくないらしくそっとしておくことにしたのだが、事情はどうあれこのまま放っておくにはいかない。

「こういう所は始めて来るの?」

 俺はリリアがそわそわしながら辺りを見回していることに気づき尋ねてみた。

 店の外装から内装、ウエイトレスの服装までが物珍しいようにじっと観察しては、物と音がするたびに首を動かすのだから、小動物のようだ。

「初めてです、いつもは姉さまが食事を持ってきてくれましたから」

「あんたこれ食べたことないの? 損してるわよ、カイトのおごりだしじゃんじゃん頼みなさい」

 器用にスプーンを操りながらエレナは言っているが、これが食費だけでなく宿泊費まで込だと言うことを忘れているのではないだろうか。

 しかも損だとか言われてリリアは目を異様にキラキラと輝かせて、メニュー表持ってる。

「リリアはこれにします」

 小さな指でエレナが食べている物と同じデザートを指さすリリア。

 それからはリリアもエレナもデザートにかぶりつく。今日は何も聞かない方がいいかもしれないな

 俺の分の食費は無くなったが、ご褒美はこの二人の笑顔で満腹だ。

 

 翌朝、俺たちは安い宿を出るとリリアをとある場所に預けようと考えていた。もちろん俺は反対だが、エレナが聞かない。

「なあ、ほんとに行くのか?」

「当たり前でしょ。カルラは街の警備もしているそうだし……」

 リリアと離れるのは少しさびしい。やっすい宿の前に着いた時なんか、看板が出ているにも関わらず馬小屋と勘違いしたのだ。しかもベッドが固すぎたのか、「ベッド何所ですか?」なんて質問までしてきた。後で聞いてみると、部屋のベッドをソファと勘違いしていたらしい。こんな愉快な事はめったにない。どうせなら一緒にホーエンハイツまで行きたいものだ。

 そう思いながらも俺達が貧民街から城壁内へと向かっていると、突然細路地から、見慣れない人物が飛び出してきた。いや、正確に言うならば襲い掛かってきたのだ。

 暗殺者の握っている得物がエレナの首筋に届きそうになるが、エレナはそれを払いのけ、得物を奪い取って放り投げたのである。

 虚を突いたはずの敵は、大きく後退するが、それでも失敗したからと言って逃げるわけではなさそうだ。

「まさか足音があんなにも無いなんて、でも気配の消し方が甘いのを見ると暗殺には不慣れなようね」

 エレナは襲い掛かってきた人物を見て、すっと拳を胸のあたりまで持ち上げて構えた。

 相手も腰に隠していたもう一本の短刀を前にしてこちらの様子を伺うかのように円をかいて動き出す。

「暗殺って……俺達にゃ金なんてないぜ」

「その子って可能性もあるわよ。身代金とか貰えるじゃない」

 ったく、そんなドラマあってたまるかよ。

 急いで懐からチョークを取り出し、臨戦態勢に入るも、ふと眉根をしかめてしまった。

「とにかく魔法陣を、ん、ちょっと待てあいつ見たことないか?」

 俺は黒ずくめの服を着ている人物を目を細めて凝視した。

 顏まですっぽりと覆っている服を着ているせいで目元しか見えない。たぶん女でそこそこ美人だ。

「私は見覚えないわね。そんなことよりもカイトはリリアを連れて人通りの多い所まで逃げて!」

 俺は一瞬躊躇したがリリアを一瞥すると、チョークをしまった。

 エレナ一人で戦わせてたくないが、今回ばかりは仕方ない。リリアが狙われているのだとしたら、それこそ最優先に避難させる必要がある。まあここで俺達が守るにしても、離れてくれた方がいいしな。

「分かった、すぐに戻ってくる。行こうリリア」

 そう言って、リリアの手を握り、踵を返した瞬間。エレナと暗殺者は互いにぶつかり合い、お互いの拳を双方の顔面にめり込ませた。

 俺はすぐにでも戻ってこようと決心したが。リリアの顔を見て戸惑ってしまった。

 少女の顔面は蒼白で、握っている手には物凄い汗がにじみ出ている。

 やはり暗殺者を知っているようだ。

 俺はリリアの肩を四佐分利、なんとか正気にもどすと、力強く言った。

「すぐにここを離れよう。大通りまで行けば追ってこないよ」

「……うん」

 ゆっくり頷いたリリアを引っ張り、俺は駆けだした。

「待て!」

「あんたの相手は私よ」

 後ろから二人の声が聞こえてきて思わず一瞥する。いつもはほっそりとして見えているエレナの背中が今は巨大な壁のように逞しい。

 エレナが蹴り、それを相手は片手で受け止めて反撃に転換していた。

 手練れである相手に間違いないが、緊張しているのか少し動きがぎこちない気もする。特に刃物を持った方の手は僅かに震えていた。


 俺はそれからリリアの手を引いたままいくつも角を曲がり、やがて大通りへと出る。

 この近くなら国を渡り歩く業者も多いし人目にもつきやすい。今だって出入国する人でいっぱいだ。

 俺は周囲を見渡してあまり目立たない場所を見つけた。

 リリアを家と家の隙間に押しやると、近くにあった木箱を持ってきて座らせる。それから綺麗な髪をクシャクシャにして、土を服と顔にべったりと付けた。

 よし、随分と面影は無くなったな。

「ここに隠れてて。絶対出たらダメだからね」

「いかないでカイトさん!」

 俺は立ち上がりエレナの所へ戻ろうとしたがリリアが裾をひっぱって引き留めてくる。

 本当ならばこんな場所に置いていくのは心もとないのだが、カルラや警備隊がいない所ではどうしようもない。

「絶対に動いちゃだめだよ」

 優しくリリアの手を放して俺は後ろ髪を引かれる思いで駆けだした。

 


 あの虚を突いた一撃でさえ、エレナは回避して見せたのだ。それにカルラとの戦闘を見ても、魔方陣なしでかなり戦える。

 だったら心配するのも無駄な事かもしれない。

 そう思って駆け付けた俺だが、向き合っている二人を目視して言葉を失ってしまった。なんとエレナが膝をついていたのである。

 思わずどうしたのかと叫びそうになったが、その解答は視界に否応なく入ってきた。

 敵はなんと初めに持っていた短刀よりも数倍は長い剣を手にしていたのである。しかも片手で簡単にくるくると回して見せている。

 見た限りでは、短剣に土の魔法をかけているようだ。

 闘技場内では禁止されているが、武器への魔力供給はそれほど難しくない。特に魔法陣技師になりたての人は良く使う。

 俺が見ている前で敵は走り出してエレナの首を狙おうと剣を振り上げていた。

 しかし膝をついていたエレナは立ち上がると、あろうことか自分の目元に手をやって眼帯を外したのである。

 すると黄金の光が辺り一帯を照らしだし、太陽とは別の輝きが放たれる。

 エレナが持つのは『神眼』。強制的に魔法を発動させ暴走させてしまうのだ。その瞳は黄金に輝き、周囲に影響を及ぼす。

 本来ならば『神眼』や『魔眼』は片眼にだけ現れるがエレナは違う。両目が『神眼』なのだ。

 神秘を放ったエレナを前に、襲撃者は目を被う。同時に手にした短刀の魔法陣が勢いよく光だし、やがて短剣を被っていた土魔法が弾けるようにして消滅してしまった。

「そんな……」

 唖然とする敵は思考が一瞬だけ停止したようで、その隙を見逃さないエレナじゃない。

 自らの体重を全て乗せて大きく振り、渾身の一撃を相手へとお見舞いしたのである。

 その光景を見て俺は安堵のため息をつきたくなったが、ほっとする間もない。

「が、ああ、ああああああああああああああああ!」

 胸の奥が燃える様に熱くなり思わずその場に膝をついた。

両目を閉じて拳を握り大きく深呼吸するが治まる気配はない。冷や汗が出るのを感じ、高鳴る鼓動が聞こえてきて心臓がはじけ飛びそうだ。

 肩で息をして地面をおもいきり叩き、まさに拳が割れんばかりの強さで何とかこの痛みを誤魔化そうとするも、そううまくはいかない。

 すると、そんな苦痛の中でも俺の耳にはっきりとエレナの声が聞こえてきた。

「カイト、大丈夫!」

 俺が顔を上げると、そこには瞳を閉じたエレナが映った。

「私、後ろにいるなんて知らなくて……」

 声のトーンを落としたエレナは申し訳なさそうに俯く。

「いや、気にするな」

 荒い息をして死にそうなほどの痛みだったが、しばらくすると俺はなんとか自力で立ち上がり、しょんぼりとしているエレナの頭を撫でてやった。

 エレナが目を隠しているのはこのためだ。もし眼帯を外してしまったら、俺の呪いが強制的に発動される。そうなればどうなるかは明白だ。

「そんな心配そうな顔するなって、相手を倒すためにはしょうがなかったんだろ」

「だけど……」

「とにかく、あいつ以外は誰にも見られていないな?」

 誰かに『神眼』を持たれていると知られたらたまったもんじゃない。

「うん、大丈夫だと思う。リリアちゃんはどこに?」

「人目のあるところにいる。それよりもだ」

 俺は離れた場所で倒れている人物に向かって歩き出した。ピクリとも動かないが、殺してはないだろう。

 目まで覆っているフードを剥がし、その顔を見た途端、俺はエレナと顔を合わせた。

「こいつは……」

「ハイネって言ってたわよね」

 そう、昨日俺達に絡んで来た酔っぱらいだったのだ。

「どうして……、いや、この掌にある紋章って……」

 俺は何か身元が分かる者が無いか調べていると、ふと視界に入った模様に絶句してしまう。

 隣にいるエレナに伝えると、彼女は両手で口を塞いだ。

「教会が……東の一族がリリアを狙っているの!」

「分からない。でもこいつらなら俺達、西の一族の方を標的にしてもおかしくはないんだがな」

『疑似戦争』の生みの親であり、大昔に対立していた巨大二カ国の末裔。それが東の一族と俺達西の一族だ。

 今は村のような小規模な存在になって、文字通り争いは無くなった。勝負する相手もいないため、両一族は『疑似戦争』を始めた責任として二極神教会を立ち上げ審判を行っている。

 今では闘技場の審判席に肩を並べて座る関係だと言うのに、何故こんな事を……。

「でも戦争はもう終わっているのよ。今更私たちを狙う理由なんて……。やっぱりリリアが狙われているのかしら」

 俺達が思考の海を漂っていると、なんと倒れていたハイネは目をぱちくりと開けて飛び上がり、軽業師のような身のこなしで距離を取ったのである。

 俺達はすぐにでも戦闘態勢に入ったが、ハイネは状況を察したのか、じりじりと後ろへ下がり十分な距離をあけると立ち去って行った。

「深追いはしない方がいいわね」

「だな」

 ここで追っても多分意味は無い。

「これからどうするの?」

「取りあえず、リリアをカルラに届けるぞ」

 それから俺はエレナを先導しながら、リリアの隠れている場所まで急いだ。

 言いつけどおりにリリアは狭い場所にすっぽりとはまる様に座っていた。だけど何故か足元には銀貨と銅貨が数枚置いてある。

「無事だったのはいいけど、これどうしたの?」

 俺が一枚銀貨を持ち上げて尋ねるとリリアは首を傾げた。

「分かりません。それは何ですか? 銀と銅のようですけど……」

 僅かな戸惑いを見せたリリアに俺は言葉を探すが見つからなかった。一体どこから説明すればいいんだ。

 エレナに助けを求めて視線を向けると、すっと顔を逸らされた。

 だよねえ~、まずお金の説明からするなんて思わないよね~。

「お父さんやお母さんに教わらなかったの?」

「えっと、何回か見せてもらいましたけど、どこにでもある物だって」

どこにでもねえ。こりゃとんでもないお嬢様を拾っちまったな。

「あの、私何か……」

「いや何でもないよリリア。それよりもこれから偉い人の所に行こう」

 そうだ、取りあえずリリアを安全な場所に移さないといけない。こんなお嬢様に何かあったら大問題だ。俺達では責任が取れない。

 

 

 俺は闘技場の近くにある警備兵の駐屯場まで行こうとしたが。

「こ、これ以上は行きたくありません」

 何故かリリアが足を止めて嫌がるのだ。それも尋常ではないほどの拒否反応を示している。

 服を引っ張り、腕を引っ張り、挙句の果てには泣き出してしまいそうだ。

「ど、どうしたの?」

 そう尋ねても、目に涙を浮かべて口を一文字に結んでいる。意思が強いのか、単に我がままなのか見当もつかない。

「困ったわね。私が見ておくからカイトはカルラを呼んで来てちょうだい」

「分かった、すぐに戻る」

 俺はリリアをエレナに預けて、足早に警備兵の駐屯場の中へと踏み込んだ。と、同時に変な雰囲気が漂ってくる。

 それにしてもなんだこの視線は。あ、そっか俺掴まってたから皆覚えてるのか。

そう思いながらも俺は建物内を歩いてみたのだが、一向に見つかる気配が無い。

「あの、カルラはどこにいるか知ってますか?」

 偶然すれ違った兵に訪ねると後ろから嫌な声がしてきた。

「俺が何だって?」

 振り返ると、まさに探していた人物が見つかったのだが。もう一人おまけも付いていた。

「カトレア女王までいらっしゃったんですね」

 闘技場の外では敬語なのだからしかたないが、カルラに使うのはどうにも癪に障る。

「元犯罪者がこんな所に何か用か? どうだろう、前科者がここに来たら一発殴る法律を作るのは?」

 この前の決闘で俺が拳を叩きこんだことを思い出しているらしい。いやもう、どうせならサシで勝負しますか?

 俺とカルラが火花を散らしていると、まるで火に焼かれているような真っ赤な格好をしているカトレアが話をもどした。

「カルラ黙っていろ。それで用件はなんだ? 負けた相手に頼むほどの事か?」

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるカトレアにしかし俺は、態度を崩すことなく言う。

「実は女の子を預かってもらえませんか? 家出してきたようなんですが、どうしても帰りたくないと」

 俺がそう言うと、目の前の二人は顔を見合わせた。

 深刻そうな顔をしてこちらをちらっと見ながら話を進めている。

「カトレア様、また子供ですがどうします?」

「うーむ。出身や人格問わず子供は国のための働き手だ、放ってはおけぬぞ」

「ですが施設は何所もいっぱいです」

 そのやり取りを聞いて俺は間に割って入った。

「また子供、とはどういうことですか?」

「貴様は黙っていろ。その小さな庶民の脳では理解できないだろうからな」

 ふふんと鼻をならしてカルラは俺を見下すが、それを制したのがカトレアだ。

「よい。我から状況を説明してやろう。ただ場所を変えようか。これでも『疑似戦争』で西の領土防衛に参加してきたばかりでな。明後日は東の方に攻めるつもりなのだ」

 少し疲れ気味のカトレアに続き、俺達はカルラ専用と言う部屋に入った。机の上には山のように書類が積み重なって、今にでも倒れてきそうだ。

「事件が起きたのは数日前。丁度お前たちとの決闘が終わった翌日だ。街の子供が数人行方不明になって親が駈け込んで来た。まあよくある話だ。商人が勝手に連れ去って売る事もあるからな。それで一応の対処はしたのだが」

「さらに被害が増え始めたんですね」

 俺は椅子に深々と腰かけるカトレアの言葉を引き継いだ。

「ほう、よく分かったな。おかげで犯人探しに手一杯だ」

 それはそれで嬉しい。もう決闘なんかしなくていいんだからな。

 そう思いつつも俺は話しをもどした。

「それで、施設に子供を預けて管理しようって事ですね」

「そうだ、カルラの提案で始めたことが功をなしたのか、被害は少なくなった。だが、入りきらない子供たちが消えるのはとまらない。もし犯人を見つけたら私の所有物に手を出したことを後悔させてやる!」

 カトレアは怒りを露にして机を勢いよく叩いた。紙束たちが一瞬だけ飛び跳ねて、床に崩れ落ちる。

 しかしそうなると厄介だ。もちろんリリアは預かってもらえないだろうし俺達も動きにくくなる。

だったらここは犯人につながる情報を与えるしかないな。

「実は昨日、女の子を追いかけている集団と戦いまして。今日もまた主犯格と思わしき人物と戦ったばかりなんです」

「何! それを早く言え。場所は何所だ」

 勢いよく立ち上がったカトレアは身を乗り出してきた。しかし、ここで容易に情報を与えるわけも無い。

「代わりに女の子を預かってもらえるなら言います」

「一人くらいは良かろう。貴様、何所で戦ったのか正確に吐け」

 この上から目線はどうにも気に入らないが、俺は昨日戦った男たちの事を一通り話し、さっきのハイネの事も打ち明けた。何が目的かは知らないが、リリアを連れている俺を追って来ようとしていたのだ、今回の事件に関わっているに違いない。

 そんな俺からの情報を聞いてカトレアは部屋に兵を呼び指示を出していく。

 この行動力こそがまさしく大国を作り上げてきたのだろう。

「しかし意外ですね。てっきり王宮にばかりいるのだと思ってましたよ」

 俺はカルラがせっせと情報を他の兵に共有しているのを横目に見て言った。

「国は我のものだ。なれば我が管理し指図するのは当然の事。言っておくが、貴様も今は我の所有物なのだぞ。闘技場の外では言葉一つで殺すこともできる」

 これ以上は軽口を叩かない方がいいだろう、あの瞳はまさしく己が権力を行使する一歩手前だ。

「さあもう出て行け。女の子は施設にいれてやる」

 しっしと手を振られて俺はその部屋から退室して、駆け出した。

 かなり時間は掛かったが、リリアを受け入れてくれるようには計らった。これで問題も無く『魔眼』を探すことが出来る。

 駐屯場を出てエレナとリリアの姿を捉えると二人の元に急いだ。

「遅くなった。だけど引き受けてくれるってさ」

 リリアに目を向けるとグッと泣き顔を堪えていたのか、目元が充血している。

「いや! リリアはカイトさんと一緒にいます!」

 服の裾をぎゅっと掴んで来たリリアはべそをかいて見上げてきた。

 かあああ、もうそんな顔しないで! 思わず抱きしめたくなるでしょう!

 わなわなとふるえる手を何とか堪えてゆっくりとリリアの頭に手を置く。

「俺達と一緒にいるよりも安全な場所だから心配しないでいいよ」

 諭すように言うも、リリアは首を縦に振らない。それどころか小さな手に力を込めてしがみ付いてくる。

「ほら、我がまま言わないのよ」

 エレナが引きはがそうとするも頑なに拒否するリリア。

「カイトさんが助けてくれたから一緒がいいです!」

「我がまま言わないの!」

 エレナがリリアをひっぱり、リリアが俺の服を引っ張る構図は傍から見ればとてつもない状態なんだろう。周囲の人の視線が突き刺さる。

「滑稽な姿だな。貴族の俺には到底真似できない」

 振り返るとそこには部下を従えたカルラが口の端をつりあげてにやけていた。やっぱり今殴ってやろうか?

「カトレア様のご命令だったからな。その子を引き取りに来たんだが、嫌ならば来なくてもよい」

 何馬鹿な事言ってんだ。こちとら『魔眼』の調査で手一杯なんだよ。しかも東の一族まで出てきてんだから。

 まあそんなことは言えないわけだけど。

「話しが違ったら女王はさぞかし怒られるわよ」

「っち、眼帯娘が。いいだろう、お前らその子をこっちへ連れてこい、第四施設で保護するぞ」

 カルラが命じると二人の部下が無理やり俺からリリアを引き離す。

「おい、もっと丁寧に扱え」

「知った事か、庶民など道具と同じ。カトレア様から聞いているだろう。保護するのも労働力を逃がさない為だ」

 カルラが鼻で笑うので思わずつめ寄って拳を作ったが、そんな行動もカルラはふふんと鼻で笑う。傲慢な顔をあの時のようにぶん殴れればと切望するのだが、その機会はまた後日になりそうだ。

 奴は役目を果たしたと言わんばかりの顏ですっと離れると踵を返した。

「構っている時間は無い。お前ら、さっさと行くぞ」

 リリアは助けを求める様に俺へと視線を送ってくるが、どうしようもない。このままだと危険に晒されるだけなのだ。

「リリア、いい子にしてろよ」

「…………はい」

 長い間を取ってリリアは頷き、カルラたちと共に駐屯場の中へと消えて行く。

 それを最後まで見送ると、エレナが背伸びをした。

「やっと解放されたわね。これで『魔眼』探しが出来るわ」

「とりあえずはホーエンハイツ国について調べないとな。『魔眼』なんて代物が商人の間で噂になってるなら、存在する確証が大きくなっているのかもしれない」

 俺達はそれから闘技場を離れて大通りへと足を向けた。

 おそらく花屋のお嬢さんはあれ以上の情報を持っていない。それは父親だって知らないはずだ。

 しかし。

 一人が情報を持っていると言うことは同業者にも出回っている可能性が高い。

 日が傾き始め、夕日が町を赤色に染め上げる。この光景はどうにも好きに離れない。

 人々は最後の踏ん張りと言わんばかりに客を引き寄せ、大声を張り上げる。夜になれば全く違う職種の世界になるからだ。

 俺とエレナは適当に見つけた宿屋に入ると、明日の朝一番から聞き込みを開始することにした。



 だが。



「おい、これはどういう事だ!」

「わ、分からないわ。あ、見て! あの子って花屋の……どうして…………」

 朝早く俺達は街のざわつきで目を覚ました。人々が闘技場の近くにある駐屯場へと移動しているのを見て、何事かと歩いてきたまでは良かったが……。

 そこにいたのは手足を鎖で繋がれている大人子供だった。

 警備兵が何十人と取り囲み、しかも彼らの周りを囲んでいるのは床に書かれているのは炎の魔法陣だ。あれが発動すれば間違いなく鎖に繋がれた人々は火あぶりになってしまう。

「何があったのかしら?」

「例の子供誘拐事件とかかわりが?」

「でもあれはカルラ様が調査中だろ、なにより犯人が多すぎる」

「どの店も他国の商品を扱う店じゃないか。珍しい物もあったのに」

 俺は周囲の話に耳を傾けながら、人ごみをかき分け最前列までたどり着いた。

 ざっと見ても数百人の人間がうなだれ、手をだらりと下げたまま立っている。そこには生気の宿る瞳を持つ者が誰一人としていない。

しかも花屋の少女も怯えてその場に座り込んでしまっているではないか。

 冗談じゃない、あの子が誘拐だなんて出来るはずがない。

 俺は靴ひもを結ぶふりをして、両足に魔法陣をさっと書く。やる事は一つ。助け出すしかない。

 顔を上げて意を決すると、カルラが現れ俺達観衆をぐるりと見回す。

「国民諸君、おはよう。私はカルラ・コーン。今日は何故このような事態になっているのか不思議に思う者もいるだろう」

 カルラはここで一息置くと続けた。

「鎖に繋がれている者は大罪を犯した! 皆も知っているだろうが、現在ネーデロイド国では子供が誘拐されている事件が起こっている。我々が捜査を続けた結果、ここいる商人は毎回他国へと赴く際に、誘拐した子供も引き連れていることが判明したのである!」

 その発表に周囲は騒然となり、ざわざわと話し声が拡散する。

 民衆に『静粛に』とカルラは落ち着くよう促して抜刀した。

「しかしまだ全員ではないとの見方が強い。引き続き子供たちは保護し、我々は全力を挙げて更なる犯人をあぶりだすことにした。これは見せしめである!」

 カルラは引き抜いた剣を素早く振って、なんと近くにいた男の首をこれ見よがしに切り取ったのである。

 ぶしゅっと血が噴水のように吹きだし、ばたりと倒れる名もしらぬ商人。だがそこに駆け寄ってきたのはあの花屋の少女だ。

「きゃあああ! お父さん!」

 俺はその光景を見て目を見開き、思わず朝食を吐き出しそうになった。しかしすぐに堪えるとすぐさま飛び出して行こうとしたが。

「どうする気なの?」

 後ろから手を掴まれて踏みとどまってしまう。

「た、助けに行かないと…………」

「私達じゃ彼らを助けられないわ」

 分かってる、それは分かってる。たとえ出て行っても彼らの潔白を証明できない以上は共犯と思われても仕方ない。

「わ、私たちは何もしていません! 無実です!」

 少女は父親の死体を抱いたまま、目に涙を流しながらカルラを睨みつける。震える声音を必死に抑えながら、体の震えをさらしながら声を上げる。

 しかしカルラはそんな声を聴かなかったかのように周りを見渡した。

「『疑似戦争』『私闘』で物事を決めるようになった今、このような非道な事は俺も悲しい。しかし犯罪者には法を適用する義務など何所にも無い! だが……もし決闘にてこいつらの釈放を認めるよう求める者がいるとすれば受けて立とう!」

 俺は反射的に手を挙げそうになったが、しかしエレナがさせてくれない。

「ダメよ。共犯者をあぶりだすことくらい分かるでしょ」

「でも……」

 食い下がろうとしたが、エレナの手が震えているのを感じてそれ以上何も言うことが出来なかった。

 俺は目を少女に合わせて、唇をかみしめた。そうか犯罪者か、と割り切れればどれだけ良いだろうか。しかし、あの服装や店を見る限りでは子供たちを売り払って利益を得ているようには見えない。

 葛藤する俺はふと、少女と視線が合った。

 彼女は俺が魔法陣技師である事を知っているからだろうか、目を大きく見開いて輝きを放っている。

 俺はエレナの手を振り払って勢いよく手を挙げようとした。ここで逃げたらきっと自分を恨んでしまう。確たる証拠はないが、あの子は犯罪者なんかじゃない。

「ふむ、いないようだな」

 間違いなくそう聞こえた。

 手を挙げようとしている俺の耳元でささやかれたようでもあった。

 気が付くとカルラの剣が横に走り、少女の首が宙を舞ったのである。

「あ、あ、あああ……」

 俺は声にならない声を発して一部始終を眺めていた。まるで時間が遅く経過しているかのようだ。周りの景色も観衆の声も、のっぺりとして俺に伝わってくる。

 だがそれも一瞬の出来事だった。火山の爆発のように怒りが頂点へと達して気が付くと地を蹴っていた。

 両足の魔法陣に魔力を流し込み、カルラをただ目標に定めて一直線に走り出す。

「バカ!」

 後ろからエレナの声が聞こえてくるが、もはや聞きいれる余裕など何所にも無かった。

 憎しみが、怒りが、憎悪が俺の中を駆けずりまわり、行動へと駆り立てているのだ。

「ん?」

 とカルラが俺の足音に気がつき、振り向こうとしたところで思い切りぶん殴る。だけどまだまだ足りない! 手足を引きちぎり、醜態をさらしたのちにカトレアに首を送ってやろう。

 両手の魔法陣も発動させて、一気に蹴りをつけようとした時だ。

「やめなさい!」

 エレナが眼帯を外して『神眼』を出したのである。

 周囲に黄金の光が現れ、俺は瞬く間に胸が焼ける様な感覚に襲われてのた打ち回る。

 観客が騒然としている中で、商人を火あぶりにするために地面に書かれていた魔法陣が発動し、大爆発を起こした。

 警備兵の声が周囲に響き、土煙の中で逃げ惑う観客の声が空気を震わせる。

 もはや何がどうなっているのか分からない状況にまで陥ると、エレナは眼帯をつけて光をおさめたようだ。

 俺は肩で息をしながらもカルラに止めを刺そうとゆっくりと歩み寄ろうとしたが前に進めなかった。

禁呪の痛みが全身を支配しているが、そんなもの関係ない。標的が目の前にいるのだ。ここで足を止めてはいけない。そう思っているのに、禁呪の影響で足が進まない。

俺は唇をかみしめて拳を自分の足に叩きつける。

「動け、動けよ! こんな所で止まっている場合じゃないだろ」

「あんた何してるのよ! 早く逃げるわよ」

「でもまだあいつを殺すまでは!」

「……分かってるわよ。でももう遅いわ」

 視線の先には仲間に警護されているカルラの姿が映った。さすが王宮勤めの兵だけはあって、部下の対応が早い。

あの一発で止めを刺せなかったのは悔やまれるが、今襲い掛かったとしても返り討ちにされるだけだ。

「生きて好機を待つしかないわ」

「そう、だな」

 エレナに肩を貸されて俺は立ち上がると、今も混乱している街中からそっと人通りの少ない場所へと身を移した。

 後ろからは今も少女の視線を感じるのは気のせいでは無い。




「どうして助けてくれなかったの?」

 暗闇の中で手に花束を持った少女が俺に問う。攻めるでもなく嘆くでもなく、ただ無表情な顔つきで。

「仕方なかったんだ」

「あなたも一度掴まって助かったんでしょう? 魔法陣技師だから助け出せる力はあるはずよね」

「手を挙げようとした。でもその前にカルラが」

 俺は必死に考えた。言い訳を。どうすれば許してもらえるのか、そればかりが脳内を駆け回る。

少女の瞳はくわっと見開かれ、それから首が一回転すると宙を舞った。小石を投げたかのように弧を描きながら飛んできた首が俺の足元に転がり睨みつけてくる。

「ひっ!」

「どうして助けてくれなかったの?」

 やめろ、やめてくれええええ!

 勢いよく上体を起こすとそこにはなんてことない宿の部屋があり、傍には心配そうに覗き込んでくるエレナの顏があった。

「うなされてたわよ」

「そっか……夢か」

 安心したのか俺はため息をつくと、再び頭を枕に乗せた。

 昨日の事が一気に頭の中に流れ込んでくる。もはや動く気にもなれないのだが……というか動けなかった。物理的に。

 俺の手足はロープで縛られ、ベッドの角に結び付けられていたのだ。体を超すことは出来るが、たったそれだけの行動しか許されていなかった。

「あの、これは?」

「あんた何を仕出かすか分からないでしょ」

 とエレナはぽふっと俺の腹を叩いてきたが、毛布で衝撃が吸収されてそんなに痛くない。

 それからエレナは無言で何度もたたいて来て、やがて眼帯をしているその目からはつうっと涙が流れているのを見てしまった。

「…………ごめん」

「バカよ、本当にバカよ。」

「だからごめんって。もう無茶はしないからさ」

 俺はエレナの肩に顔を置くようにして耳元でささやいた。

 あの時は止めて欲しくなかったと思っていた。何故止めるのかと、ここでカルラを殺させてくれと思っていた。でも今では感謝してもしきれない。なんならこのまま下僕になってもいい。

「早く『魔眼』を探して終わりにしましょ。教会もそれ以上は何も言って無かったじゃない」

 そうだ。俺達に与えられた任務は『魔眼』を発見し、破壊することだ。

「そうだな」

 リリアはカルラに預けてあるから大丈夫として、問題はホーエンハイツ国にどうやって入国するかだ。しかも絶対防御都市カルルカン。そう言われるだけあって入国審査は厳しく、力づくで入ろうにも、女王のホーエンハイツ・カテリーナは未だに無敗を誇る化け物だ。

 俺は窓の外を一瞥すると、大荷物を持って出て行く人たちに焦点を合わせた。

「あれは……もしかして」


 俺はエレナを落ち着かせて手足のロープをほどいてもらうと外に出た。

 ちらほらと通りを歩く人の中に数人、明かに異質な団体がいることに気が付いたのだ。

「一体どこへ向かうんですか?」

 家族連れらしき父親を呼び止めて尋ねると、彼は周りを見渡した後に小声で言った。

「ネーデロイドを出るんだよ。見せしめとは言え、あんな事されて住んでいられるもんか。しかも未だに誘拐犯はいるらしいし。あんたも早く出て行った方がいいぜ」

 そう言うとそそくさと駆けていき姿を消した。

「カルラは少しやりすぎたようね」

 エレナの言葉に俺も頷くしかなかった。

 確かに犯罪者を見せしめとして処刑するのは一定の効力がある。しかしあのやり方で納得する者はそういないのかもしれない。

 ま、俺達が介入したせいで混乱が広がってしまったのは申し訳なかったが。

「そういえばカトレアは今『疑似戦争』に行ってるはずだよな。カルラは同行しなくてよかったんだろうか」

「誘拐事件の担当だから残ったんじゃないかしら?」

「かもな。たぶん、処刑に関しても一任されていたのかもしれない」

「だとすると下手したわね。これじゃあ新しい領土を手に入れても国民が減っているんですもの」

 事がばれてしまえばカルラはただですまなくなるだろう。

 しかしこれは俺達にとっても好機である。ネーデロイド国を出て行く国民が行きつく先はもちろん隣国だ。そしてその中にはホーエンハイツ国の可能性もある。これに便乗すれば、入国の厳しい国でも審査がある程度緩むかもしれない。

 その前に必要なものは……。

 俺はエレナに耳打ちすると。彼女は僅かに目を見開いたが頷いた。

「私は良いけど、あんたはどうなの?」

「ああ、大丈夫だ」

 俺達はホーエンハイツ国に入るためのある物を入手しようと言うことになった。

 それがどこにあるのか見当はついているが、俺には幾分か心の準備が必要だ。もちろん、完全に大丈夫なんて事はあり得ない。もしかしたら逃げ出したくなるかもしれない。けれど行くしかないのだ。

 さっそくその場所に行こうとしたのだが。

「見つけました!」

 聞き覚えのある声と共にゆっくりと物陰から姿を現したのはハイネだ。

もちろん真っ黒な姿は変わらないしその目つきは敵意むき出しで今にも襲い掛かってきそうだ。

「ここにはもうリリアはいないぞ。カルラに預けたからな」

「見る限りそうですが……ハイネのもう一つの目的は貴方たち西の一族ですよ」

「否定しないのを見ると、どうやら誘拐事件の首謀者のようね」

「はあ? 誘拐事件ですか? そんなもの知りませんよ。今のハイネの敵は貴方達です」

 どういう事だ。それじゃあハイネは何故リリアを狙っていた。東の一族の子供ってわけでもなさそうだったのだが。

 いや、今はその心配をする必要はない。それよりもだ、まさか俺達を狙っていると言うことはつまり。

「俺達の争いはとっくの昔に終わっている。それに二極神教会を立ち上げた時にも和解宣言しているはずだ」

「なーに呑気な事を言ってるんですか。『疑似戦争』を始めた二大国の争いはまだ終わっていません!」

 俺達の先祖が立ち上げた『疑似戦争』。その発端となったのはとある二大国の姫による殴り合いからだ。

「それは誰からの命令なの?」

「ハイネの一族からの命令です!」

 大声で叫んだハイネは腰の短刀を引き抜き、こちらへと向かってきた。

「話し合いの余地は無さそうね」

「そうだな」

 俺も馬鹿じゃない。この前襲撃されてからはエレナの四肢に魔法陣を書けるときに書いている。

 ハイネのおかげで随分と用心深くなったもんだなあ。ある意味感謝しなければいけないのかもしれない。

 俺が魔力を送るとエレナも飛び出し、ハイネと衝突する寸前に拳を繰り出した。

 しかし相手はその行動を読んでいたのか、さっと身を横にして回避すると、強烈な蹴りを放ってくる。

 エレナはがっちりと受け止め、際どい態勢からもう一撃を相手に叩き込む。

「もらったわ!」

「甘く見ないで下さい!」

 ハイネは後方へくるりと飛びエレナの一撃を交わし距離を取ると、短刀を横にして顔の前で構える。

「『神眼』は使わないのですか?」

「そう易々と使うもんじゃないわよ」

「あの処刑場では使ったのにですか?」

「あれは、そうね……処刑される人を助けるためよ。爆発に乗じて何人か逃げたのを見たわ」

 俺はエレナの言葉にうなずいた。もしここで『神眼』を使ってしまうと俺にかかった呪いが発動してしまう。そうなればみすみす弱点をさらけ出すのと同じことなのだ。

 ま、エレナがさっき言った通りだと、俺達が逆に犯罪者扱いされるけどな。

 ハイネは握っている短刀を俺達に向け、眉根をつりあげた。

「犯罪者を助けたのですか! 何てことを!」

「彼らは何もしてない!」

 俺はあらん限りの声で叫んだが、ハイネは聞き入れる耳など持っていない。

「何を今更ぬけぬけと」

「くそっ、やっぱり駄目だな。エレナ、ここは一旦下がって」

「させません!」

 ハイネは叫ぶと再び距離を詰めてきた。

この段階で魔法を使ってこないのはエレナが『神眼』を持っていると知って対策を立ててきたのだろう。

 俺はエレナに魔力を送り、魔法陣を発動させる。

 圧倒的にエレナが有利なのは傍から見ても分かった。雨嵐のような手数のエレナに対して、ハイネは受けにまわるのがやっとだ。

怒涛の攻めを受けとめていたハイネは距離を取ろうとするが、エレナがそうはさせない。

「これは、きついですね」

「だったら諦めて村に帰りなさいよ!」

 一直線に加速したエレナはスピードに乗ったまま拳を叩きつけ、相手の腕を弾いた。

 がら空きになった個所へもう一発拳を放ち、続けて相手の足へと蹴りを放つ。

「ぐっ、ううう」

 うめき声を上げながらもハイネは、大きく振りかぶって一撃を放ってきた。しかしそれはどうやら距離を取るためだったようだ。

 エレナに殴られた場所を押さえながら、ハイネは尚も俺達を睨んでいた。

「っくうう、さっきのは効きましたよ。でも、いい情報も聞きました。これで貴方達も終わりですね」

 ハイネは俺達に背を向けて走り去って行った。

 追いかけようとするエレナの肩を掴み俺は首を左右に振った。

「また襲ってくるわよ」

「ここで殺したら、本当に犯罪者になるぞ。公平な決闘を司る一族の俺達がそんなことは出来ないだろ」

「そうね。だったら、もう女湯を覗いたりするのは止めてもらえるかしら?」

 その願いに俺は目をぱちくりとさせると笑みを浮かべた。

「うん、それだけは無理かな」

 途端に思い切り殴られたのは言うまでもない。




 嗚咽を必死にこらえながら俺は自分を誤魔化すように大きく深呼吸をした。しかしどう考えてもそんなことで、この場から逃げられるわけがない。むしろ、長時間いることで精神が破壊されそうだ。

「もっとちゃんと探しなさいよ」

「無茶言うなって、他人の家なんだぞ。それに普通は分からない所に隠してるもんだろ」

 俺は花で囲まれた店内を見渡しながら言った。

 ここはあの処刑された少女の家だ。俺達はホーエンハイツ国に入国するために必要な入国証明書を探すために訪れたのだった。

 だが、この家に入るまでには俺の多大な努力が必要で、それを察したエレナが一人で行くと言い出した。まあ拒否したんだけどね。

「入国証明書なんて紙切れ一枚なんだから、すぐに見つかるわよ」

「商人にとっちゃ大事なもんだよ。なくすと再発行までの手続きに一カ月はかかるらしいからな。その間は取引国での商売は出来なくなる」

「ふーん。それよりも本当にこの人たちって、児童誘拐していたのかしら? その証拠も出てこないわよね」

 一旦手を止めたエレナは腕組みをして考え込んだ。

「ああ。警備兵が入った後もないしな。というか、入り口に鍵をかけるだけじゃなくて、ロープまで張っている所を見ると、中に入られたくないって感じだったな」

 物的証拠を押さえるために必要な事が何一つされていないのはおかしい。それこそ、でっち上げて犯人に仕立てたかのようだ。

 やはり女の子は無罪だったのだろう。あの時の俺の考えは正しかった。

「何かを探すためじゃなくて、探させたくない、ってことよね」

「だろうなっと。おい、見つけたぞ」

 俺は一番大きな植木鉢を退かして声を上げた。その下にある二枚の紙こそホーエンハイツ国に入国するための許可証だった。職種や業務内容、ネーデロイド国の印が押してある。

 一つは父親用で、もう一つは娘の物に違いないがこっちはまだ新しい。

 そう言えば『魔眼』の話は父から聞いたんだっけ? てことは一回も使ってないのか。

「それじゃあ見つかった事だし、早くここを出るわよ」

「ああ、そうだな」

 俺は喉に引っかかるような声を出してしまった。

 あの時、すぐにでも駆け出していれば彼女達は助かったかもしれないのに。罪悪感が今ものしかかっているのは否めない。

 俺とリリアは入国証明書を懐に仕舞い込んで、壊した裏戸から外に出る。それから何気ない顔をして大通りへと足を向けた。

後はこの国を出るだけだ。

 街中はいつもと変わらないなんてことは無い。処刑された人たちの店は閉まり、警備兵が誘拐事件の取り締まりと称して町を闊歩している。

 俺はゴクリと唾を飲みこんで警備兵とすれ違うも、どうやら気づかれていないようだ。

「カトレアは帰ってきたのかしら?」

「多分な。カルラの失敗をどうとらえてるのか見ものだ」

 あんな騒ぎを起こしたのだから左遷かもな……。

 そう思っていると、俺達はネーデロイド国の検問所へとたどり着いた。今日とった入国証明書を見せてホーエンハイツ国に行くだけだ。

 そこに『魔眼』の手掛かりがあるはずだ。『疑似戦争』を公平に行うためにも何としてでも破壊しなければならない。

「ねえ、カイト、あれってカルラじゃないかしら?」

 不意にエレナからそう言われて目を凝らした。

 検問所に立っているのは数人の部下を引き連れたカルラに間違いない。出入国するものを選別しているようだが。

「なんだありゃ。ふつう逆だろう」

 立派な成りや一般人は出国を拒否され、貧民街にいる様な人間が出て行くよう指示されているではないか。

 不審に思っているとカルラは声を張り上げた。

「帰還されたカトレア様からのご命令である! 貴様たち所有物の出国は貧民街の出身以外は全て拒否される。残りの誘拐事件の犯人を特定するまでの辛抱だ、我慢しろ」

 カトレアは帰ってきている。それはいいとしても、カルラの処刑のやり方には問題が無かった様だ。検問まで任されていると言うことはそれなりの信用を得ているに違いない。

 声を張り上げるカルラは一度、口を閉じると、右手からやってくる馬車に目を止めた。

「カトレア様だ! 全員敬礼!」

 ビシッと訓練された動きで固まったカルラの横に、豪華な馬車が止ってカトレアがおりてきた。

「ごくろう。事件の犯人は見つかったか?」

「いえ、まだであります。街の方は親衛隊に捜索させていますが、連絡はありません」

「一刻も早く我の所有物を連れ去った罰を与えてくれよう」

「はっ! それから話は変わりますが、ホーエンハイツ国への『疑似戦争』は私がお供した方がよいでしょうか?」

「そうだな。早く落ちればいいものを……招待状を送ってはいるのだが、途中で族に取られているのか、返事が来ぬ。二極神教会に訪ねても関与してないと言うことだ」

「承知しました。ではそれまでに犯人確保に全力を挙げてまいります」

 カトレアは頷いて馬車に戻ると去って行った。

 一部始終を見ていた俺達は踵を返すと街中に戻り始める。今は出て行けない。何より他人の入国証明書を持っているのだ。他国ならまだしもカルラならば質問されてしまうし、俺の顏は覚えられている。

 ふと頭に当たる水の感触で上を見上げる。

 どんよりとした雲がなまりのように重々しい。ぽつりぽつりと雨が地面に水玉模様を作っていくのを眺めながら、足早に適当な宿を探すことにした。



「降って来たわね」

「そうだな。はやく誘拐犯が見つかるといいんだけど」

 おかげであの検問を通る事が出来ない。

「ま、悩んでいても始まらないわ。ほら、アイス買ってきたから食べましょ」

 こんな時にのんきなもんだなあ、いや、いいんだけどね。

 俺はエレナから受け取ると、一口食べた。甘い。砂糖がいくつ入っているのか知りたいほどに。

 それから数分もしない内に、俺は大きな欠伸を一つした。

「ごめん、今日はちょっと早く寝るぞ」

 まだ時刻は夕方。目が覚めるころにはディナーが運ばれてきているかもしれない。

 この国を出ることが出来ないもどかしさが、みぞおちの辺りに重くのしかかってくる。ホーエンハイツ国が『魔眼』についての情報を持っていることは確かなのだ。

 しかし、噂の段階で止まっているとなれば実際は使われていないはず……何としても実際に使われる前に破壊しなければならない。

 そこまで考えると俺はベッドに横になって夢の中へとダイブした。

 目を覚ましたのは時間通りと言えよう。今は夜の十時ごろだろうか。ベッドの脇に置かれている簡易テーブルには夕食が置いてあり、スープがぬるくなっていた。

 ベッドから立ち上がり、俺は手足が自由になっていることを確認する。

 どうせ国外に出られないし外は雨だし、だったらやる事はひとつだよねえ。

 ささっと音を立てずに廊下に出ると周囲を確認してこの宿の見取り図を脳内に展開させる。目的地はただ一つだ。

 むふふ、魔法陣技師ってのは便利だよな。

 足に書いた魔法陣に魔力を送り込んで俺は足音を立てずに、しかも素早く廊下を走る。

 突き当りにある階段を降りて、客室の前を通り過ぎると僅かだが湿っぽくなった空気に交じって、なんとも言えない甘い香りが漂ってきた。

 目の前には『女湯』と書かれた垂れ幕があり、曇りガラスの向こうでは肌色の人影が動いている。

「来た、ついに……きた」

 高鳴る鼓動を抑えて天井を見上げる。

 そこには通気口の点検をするための天井への抜け穴がある。

 軽い足取りで壁を蹴って通気口へと侵入すると、暗闇に目を凝らしながらも目的地の真上まで難なく移動する。

 屋根に空いている無数の穴から湯気が漂ってくるが背に腹は代えられない。

 俺はそっと穴から片目を覗かせて目を見開き、楽園の様子を伺おうとした。邪魔だった煙が僅かに薄くなり、もう少しで全貌が明らかになろうとしたその時だ。

 ベキッと嫌な音が鳴ったかと思うと、あろうことか屋根板が真っ二つに割れたのである。

「ちょちょっ、ちょっとまてええええ!」

 空を掴みながら落下していく俺はそのまま湯船に墜落してしまった。

 周りからはさっきまでの明るい話し声が消え去り、水を打ったかのように静まり返っている。

「そうか、ここは天国か」

 そんな気がした。いや、天国なのだ!

「そうね、天国に送ってあげるわ」

 俺は聞きなれた声に目を向けると、そこにはエレナが拳を作って立っていた。

 しっとりと濡れた髪が彼女のスタイルを強調するかのように体に張り付き、胸元を被っている手も全てを隠しきれていない。

 俺はまじまじと幼馴染の頭の先からつま先までを脳内に焼き付ける。

「あんたは何やってるのよ!」

 たぶん、今まで見てきた中で最高のパンチだ。速さも威力もこれまで以上にない一撃をエレナは繰り出したのだ。

 俺は痛みを与えられる間もなく遠ざかる意識の中でエレナの姿をしかと見ていた。




 さて、ベッドに繋がれているのはしょうがないとしよう。頬の痛みも頭痛もあるのは認める。だけど、一つだけ納得できない事があった。

「エ、エレナさん……なんでそんな物騒なものをお持ちなのですか?」

「しょうがないじゃない。こうでもしないとカイトはまた覗きをするんでしょう?」

 エレナは手にした金属製の眼帯を俺に着けようとして、ベッドの上に乗ってきた。これが何もない夜だったらどんなに嬉しい事だっただろう。

「いやいや、待てって。それ、鍵がないと外せない奴だろ。そもそも俺がお前以外の女性を見る理由はだな……」

「理由は?」

 俺ははっとして口をつぐんだが、エレナはじっとして先を待っている。

 こんなにも暴力的で、お金さえあれば甘い物を買ってくる。しかも『神眼』なんて発動させられた俺は死んでしまう。

 なのにずっとそばにいる理由なんて一つしかないだろう。

 多分、初めてエレナに魔法陣を書いたのは彼女に触れるためだったのだと思う。うん、思い返せばそれが始まりだ。この一族に生まれ、魔法陣技師になる事を理由にエレナに手を伸ばしたのだ。

 まさかその代償が呪いだったなんて思わなかったけど。

 俺はスッと目をそむけて口を開いた。

「そんなことよりもだ。今は一刻でも早くホーエンハイツ国に」

 行く手段をだな。と言おうとした時だ。

 遠くの方でド派手な爆発音が聞こえてきた。同時に僅かに窓ガラスが振動する。

 ベッドに繋がれた俺を置いて外に出て行こうとするエレナを呼び止めて、俺は通りへと飛び出した。

 空を支えるかのように一直線に黒煙が上がり、住人も顔を上げている。

「不謹慎かもしれないけれど、これで検問は突破できるわね」

「カルラには悪いな」

 昨日は国外へ出ることが叶わなかったが、あいつがこの爆発を調査するなら話は違ってくる。もちろん、検査は厳しくなるだろうが、それでもカルラがいないのならば力づくで出国すればいい。

「よし、早速準備しよう」

「そうね」

 俺とエレナは宿屋に戻り、手早く荷物をまとめると数分後には検問所へと向かっていた。

 さっきの煙はまだ天へと続いている。あれを辿って行けば天国に着くのか地獄に行くのか分からない。いや、今は天国に続いていることを信じよう。

 俺とエレナは大通りに出て昨日と同じ場所に向かった。

 人々は騒ぎ立て、通りには見物人でいっぱいになっていた。皆が空を見上げて口々に噂を囁き合っている。

 どれも憶測の域を出ないのだが、血相を変えた男が叫んでいる。

「施設がやられた! 子供たちを匿っていた場所に火がついたんだ!」

 俺とエレナはそれを聞くと顔を見合わせ、真っ先に駆け出した。

 脳裏に浮かんでくるのはリリアだ。無理に預けたのは誰でもない俺だ。もう、ぜったいにまわりで誰かを死なせたくはない。あの花屋の少女の様な体験はごめんだ。

 急いで爆発した場所に行くと、そこには子供たちの死体が無数に転がっていた。

 どうやら爆破されたのは、いくつかある施設のうちの一つらしい。だが、その衝撃はもちろん他の子供たちがいる施設にも伝わっていた。

 すでにパニックに陥った子供たちは我先にと逃げ惑っている。

「くそっ。リリア! どこにいる!」

 俺が大声で叫ぶと、あとを追ってきたエレナも必死になって名前を呼び始める。

 すると、遠くから俺の名前を呼ぶリリアの姿があり、俺は大きく手をふった。

 ほっとすると、駆け寄ってきたリリアに笑みを向ける。

「よかった、無事だったか」

「はい、なんとか無事です」

 満面の笑みで飛び付いて来リリアは、もう二度と放さないとばかりにしがみ付いてきた。

 いやあ、こんな可愛い子に懐いてもらえるなんて俺の将来が楽しみだ。

 デレッと鼻の下を伸ばしていると、エレナがわざとらしく咳払いをした。つられて俺もゴホン、と咳をする。

「リリア、ここは危ないすぐに俺達と逃げよう」

「はい!」

 間髪入れずに頷くのを見て、俺達はすぐにネーデロイド国から出る為に歩き出した。

 すぐに施設には警備兵が駆け付け、大通りから検問所までが監視されるだろう。

 俺達は深めにフードを被って人通りのない路地を歩いていたが、はっと目の前にいる二人を目にして物陰に隠れた。

「どうなっているカルラ! 貴様、施設の保護を怠ったのか!」

 檄を飛ばすのはこの国の女王、カトレアだ。白馬に乗って腰には長剣を携えている風貌はいつみてもしっくりと来る。

 しかもその怒った顔さえも様になっているのだから、生まれつきの女王であると言っても過言では無い。

「ただいま全力で捜査をしております! それと誘拐犯について新たな情報が」

「ほう、言ってみろ」

「目撃者によりますと、眼帯をした女とその魔法陣技師が処刑台を爆発させるのを見たと言ってます」

「しかし魔力は誰も使っていないのだろう」

「はっ! ですので、『神眼』を持っているとのことです」

 カルラは背筋を伸ばしてはっきりとそう言った。

 物陰に隠れている俺とリリアは思わず顔を合わせると、一人の人物を思い浮かべる。

 処刑人を逃がすためと嘘をつき、尚且つエレナが『神眼』を持っていると知る者。ハイネだ。

「ほう、数日前に戦ったあの格闘姫が『神眼』持ちとはな」

「おそらくは……確かな情報であります!」

「よし、すぐに検問所へ情報を回せ。それと手配書の作成をして他国にも送れ。それからホーエンハイツ国への『疑似戦争』は延期とする」

 そこまで命を出したカトレアは、表情を厳しくしてぎろりとカルラを睨みつける。

「今まで以上に気を張れ。『魔眼』『神眼』を知っている者は情報提供者と言えども抹殺しろ。そうでなければ商人どもを処刑した意味が無いからな」

「分かっています。それにしても誘拐犯が出てきてくれたのは運がよかったですな。まさか爆発するとは思っていませんでしたが……掴まるのも時間の問題でしょう」

 ニヤリとしたカルラに続いて、カトレアまでもが口の端をつりあげた。

「ふっ、カルラ、言い忘れていたがお前のアイデア見事だったぞ。誘拐事件の犯人の仲間とでっちあげて『魔眼』を知る商人を殺す。我ながら素晴らしい計画だが、ちゃんとした犯人もでてきたのだから捉えよ」

「はっ!」

 敬礼をしたカルラはきびきびとした足取りで踵を返すと、去ろうとしたが、不意にカトレアが再度口を開いた。

「そういえば、ホーエンハイツ国は何やら変な噂でもちきりらしいな」

「と、言いますと?」

「このご時世に大量の武具を作っているそうだ。あくまで噂だが、招待状を奪いとる賊が商人まで襲っていて、その愚痴で埋もれてしまっている」

「では急いで賊の排除を進めます」

 カルラが立ち去り、カトレアも何事も無かったかのように馬を疾走させる。

 俺は思わず飛び出しそうになったが、エレアが肩に手をいてくれていたおかげで何とか堪えることが出来たのだった。

「もう終わった事、なんて言わないけど私たちがやるべき事は決まったはずよ」

「ああ、分かっている。あいつらを殴ったところで『魔眼』の何かが分かる訳じゃないが」

 カトレアとカルラもホーエンハイツ国にあるという『魔眼』を狙っているのだ。おそらく『疑似戦争』を吹っかけていたのもそれが狙いだろう。

 商人を殺したのは『魔眼』の噂を消し、自分達だけのものにしようとしたためだ。そして誘拐事件の犯人とでっち上げて殺したのである。

 だけど、誘拐事件が施設を爆発してくれたおかげでカトレアはホーエンハイツ国への宣戦布告を延期したし、カルラもこの事件で手一杯のようだ。

 それに加えて招待状を奪う盗賊にも礼を言わなければならない。

 招待状は厳重な管理のもとで国を渡る。それこそ国最高の魔法陣技師が護衛するくらいに。だがそれをことごとく奪取していると言うことは相当な手練れがいるのだ。

 俺はそこまで考えると、何が起こっているのか分からないと言った風のリリアを見て微笑んだ。

「大丈夫だ、国外に行こう」

「でも、どうするのよ。手配書はまだ回っていないようだけど、カルラが私たちのこと疑っているってことは検問所に伝わっているはずよ」

 エレナの言葉に俺は頭を抱えてうずくまってしまった。

 ハイネの野郎、よくもやってくれたな! これじゃあ身動きできないだろうが。おまけに犯罪者にまでしたてやがって!

 行き場のない怒りを俺は深呼吸をして吐き出した。拳を握っていた手汗を拭いてこれからどうするかを考えていると。不意にリリアが服を引っ張ってくる。

「どうしたの?」

「リリア、暗い道しってます。遊んでいたら見つけたんです」

「「暗い道?」」

 俺とリリアは同時に声を上げて首をひねった。




「じゃあ行くわよ」

 エレナが足に力を入れると、放たれた矢のように飛び出して警備兵の腹に拳を叩きこんだ。

 隠れていた俺が周囲を伺い安全になったのを確認すると、リリアたちが匿われていた施設の入口へとたどり着く。

 まだ健在な建物の中には数十人の子供がいるだけだった。食事の時は何人かの警備兵が食料を持ってきてここで煮炊きをするのだそうだ。

「しっかし、あんなことがあった直前なのに警備がやたらと手薄だよな」

「取りあえず配置しているって感じよね。ま、おかげで楽に入れたけど」

 俺達は先導するリリアに続きながら施設の中に入ると、子供たちの視線を受けながら歩いた。

 施設の中は教会のようなデザインで、奥にある教壇へと進むリリアの足どりは迷いが無い。

「ここです」

 教壇の下を覗き込んだリリアは小さなくぼみに指を入れて、薄い板を押し上げた。

「地下通路か」

 ぱっかりと口をあけたのは暗闇へと伸びる階段だ。風邪が吹き抜けてきているため、何所か外へと続いているのだろう。

「この先は行ったことあるの?」

「うん。一回だけですけど、外に続いてました」

 階段を降りていくリリアに続いて俺達も下る。湿った空気とかび臭い臭いに僅かに眉をしかめるが、明るさは問題ない。というよりも壁に埋められているロウソクが輝いていたのだ。

 さっきまで誰かが使っていたと言うよりは、ずっと炎はついていたのだろう。かなり短くなっているロウソクの傍には真新しい物が二三本置いてある。

 天井の低い通路を進むこと数十分。まだ出口が見えないのかと思った時、急に視界が開けた。

「文字通り隠し通路なわけね」

「そうだな。ここまで来ればまず警備兵に見つかる事は無い」

 俺は出口から外に歩き、周囲を見回した。遠くの方にはさっきまで通過するのが困難と思われた検問所がはっきりと見えている。

「誰がこんな事をしたのかしら?」

「さあな。カルラが密会でもするときに使ってたんじゃないか?」

 俺は冗談を口にして城壁から出て行く馬車や人に目を向けた。

 あの中に紛れれば問題ないだろう。

「行こう。目指すはホーエンハイツ国だ」

「ほ、ホーエンハイツ国に行くんですか!」

 俺の言葉にかぶさるようにして、いや、最後の方は完璧に被っていたのだが、リリアは大きな目を見開いて見てきた。

 後ずさりをして逃げるように走り出そうとしたところをエレナが腕を捕まえる。

「どうしたのよ」

「いえ、あの……」

「ホーエンハイツ国は安全だぞ。絶対防御都市カルルカンはまだ破られたことないし、国土が狭いから治安も良いって聞く」

 俺が優しく言うも、リリアは大きく首を左右に振った。

「ホーエンハイツ国は……お姉さまの国は悪魔のような国なんです!」



「それで、逃げ出してきたの?」

「はい、カテリーナお姉さまは特に二面性があるんです。民には笑顔を振りまいているんですけど、その内側は」

 ぶるっと身震いしたリリアは小さな手で拳を作ると、膝の上に置いた。

 元々貧民だったリリアの姉妹が出世できたのには『疑似戦争』の代理人制度が存在する。

 力があれば他国との『疑似戦争』を任せられる。そこに目をつけたのが姉のカテリーナだった。

 領土の拡大を左右しているのは自分だとばかりに当時の女王に言い聞かせたのはもちろん。必ず勝てるほどの力も備え付けているため、逆らうことが出来る者は少なかった。

 資源も景勝地もないホーエンハイツ国にとって、唯一の財源は他国を侵略し、そこから是を得ることだけ。カテリーナは希望にも等しかったのだろう。

「姉は一代前の女王が死ぬと、そこからは他国との付き合いがあります。外面は笑顔を張り付けなければなりませんが、本性は変わっていません」

 それどころか、より激しい正確になったとリリアは言う。

 女王に成り上がって実験を握ったことで、今までの欲望が爆発したらしい。

「ま、身内に厳しいのは何所も同じよ。あんたも大きくなれば分かるわ。そんなことよりも早く行きましょう。時間は無いわ」

 さっさと話しを切り替えてエレナは歩き出そうとする。

 しかしこのままリリアを置いていくわけにもいかないのだ。ネーデロイド国に戻れば誘拐犯がいるし、ホーエンハイツ国には行きたくないと言う。

 俺が歩を進めないとみると、リリアはぐぐっと顔を近づけてきた。

「あんたねえ、ここで待っている間にも『魔眼』が発見されるかもしれないわよ。そうなったら、私の『神眼』でどうにでも出来ることじゃないの。それどころか、せっかく縮小した戦争がまた始まっちゃう」

 『疑似戦争』が始まる前は国同士の総力戦だったらしい。人々が剣や盾を持ち戦っていたそうだ。

「ほら、早く行くわよ。『疑似戦争』の崩壊と、この子一人、どっちが大切なの?」

 おいおい、そんなこと今聞くのかよ。よりにもよって本人の前だぞ。

 そうは思っていても、エレナは待ってくれそうにない。

「……分かった。リリアは途中の国に預けていく。それでいいな?」

 確か道中に二カ国あったはずだ。そこに入って匿えば問題は無いだろう。

 リリアはむうっと口を歪めたが、譲る気は無い。

 俺とリリアは少しの間見つめ……意志が通じたのか、折れたリリアはがっくりと頭を垂れた。


 ホーエンハイツ国へ向かう道はいくつかあるが、どれも容易では無い。生きなれた商人ならば裏ルートがあるらしいとの情報があるものの、定かでは無い。

 乗合いの馬車に揺られて、俺達は最寄りの国へと足を向けたのだが。それは途中までだった。

「すっかり忘れてたな」

「ほんと、ハイネのせいでこんな事になるなら殺しておけばよかったわ」

 俺とエレナはリリアを板挟みするような形で背中合わせに立っていた。

 ここまで来て何を忘れていたかって? そりゃ俺達が犯罪者だったってことだよ!

 カルラの作った手配書がまだ各国に渡っていないと仮定しても、ネーデロイド国を出る行商人には一早く伝えられている訳だ。

 もうこの時点でアウトなわけ。どうして旅が出来ると思っていたのかねえ。

「お前ら、やっぱり誘拐犯だったのか」

「賞金かかってたし、ここで捉えたら一儲けできるぜ」

 じりじりと詰め寄ってくる行商人は手に剣や斧を持っている。

 さっきまで話していたおじさんなんか、目を爛々と輝かせて商品の草刈り釜を構えている。

「さーてどうしようかねえ」

「魔法陣書いてないわよ」

 分かっている。

 これじゃ多勢に無勢だ。いくらエレナが強いと言っても人数が多すぎるし、リリアを庇う余裕なんてない。

 頬を伝う汗を拭ったその時だ。

「姫さまあああああああああ!」

 俺が唇を噛んで策を練っていると、突然空から声がして目の前に何者かがおりてきた。

 長い金髪を揺らして凛々しい顔つきをした青年は、着込んだ甲冑を煌めかせて腰の刀を抜くと行商人を見据える。

「リンゼル! 来てくれたのですね!」

 リリアが今まで聞いたことのない声音で嬉しそうに言った。

「遅くなり申し訳ありません。しかしネーデロイド国の商人を捕まえていて正解でした。こうして出会えたのですから」

「魔法陣は書いてありますか?」

 リリアが尋ねるとリンゼルと呼ばれた青年は首肯する。

「どうぞお使いください」

「行ってください、我が騎士リンゼル! 契約を行使するのです」

「御意」

 リンゼルはくるりと器用に刀を回すと、目に追えないほどの速さで得物を振るい、商人たちの間を疾風のごとく駆け抜ける。

 商人はふっとこと切れた様に動かなくなったかと思うと、乗ってきた馬車をも切り付け炎を上げた。

「風と雷、そして……たぶん炎の三系統の魔力を操っているな」

 一部始終を見ていた俺はエレナに冷静に囁くが、内心では舌を巻いていた。三系統の魔力を持つ人物なんて聞いたことが無いからだ。しかも一つずつではなく同時に発動しているところを見ると、もう人間の領域では無くなる。

「ああ! お怪我がなくて何よりです! このリンゼル、昼も朝もずっと心配していたのです!」

 馬車も人も斬ったリンゼルは呼吸一つ乱すことなくリリアの前で腕を広げて涙を流す。

 一通りリリアへの愛を語ったリンゼルは、そこでようやく気が付いたのか、俺達に目を向けてきた。

「この者はリンゼル。私の護衛をしてくれています。そしてリンゼル、この者たちはネーデロイド国でお世話になったカイトさんとエレナさんです」

 リンゼルは俺達を見て深々と頭を下げた。

「リリア様の騎士をしているリンゼルと申します。姫様を守って下さり、ありがとうございます」

「騎士にしては傍にいないんだな。俺としてはこんなにかわいい子の傍を離れることなんて出来ないぞ」

「言い訳する余地もありません」

 口を閉ざしてしまったリンゼルが僅かな間を作るが、すかさずエレナが切り出した。

「ま、別にいいわよそんなこと。それよりもホーエンハイツ国の騎士って事は、中に入れるのかしら?」

 リリアは腰に手を当てて尋ねる。

 その眼帯に若干の違和感を覚えたのか、リンゼルは眉をしかめたが守るべきお嬢様の護衛をしてくれたことを思っているのだろう。一瞬だが、間を置いたのちに。

「なんとも言えません。入国証明書を持っている商人でさえも厳しいのです」

「リンゼル、やはりあの事が関係しているのですか?」

「はい、お姉さまから事細かく調べる様に言われています」

「そこまでですか……では彼らはどうするのですか? 二人とも『魔眼』については知ってますよ」

「そうでしたか……ならば!」

 リンゼルは素早く刀を抜いたかと思うと、横に一閃。近くにいたエレナの首へと走らせたのだ。

 しかし。

「リリア様の御意志に反することはしたくはございません、最もかなり難しそうですが」

「分かっているじゃないの」

 エレナは手甲でしっかりと受け止めると同時に、リンゼルの顔面へと蹴りを入れる寸前で止まっていた。

 まさに紙一重の攻防が一瞬で行われたのだ。

「ご無礼を失礼しました」

「別にいいのよ。それよりも『魔眼』について聞かせてもらえるのよね?」

「それは……お嬢様どうしましょう。カテリーナ様からは言うなとの命令が出ています」

 リリアは口を一文字に結び、大きく深呼吸をすると頷いた。

「聞かせてあげてください。彼らも『魔眼』を追ってきているのです。役に立ちましょう」

「分かりました。ではひとまずここを離れましょう。気絶させた商人が目を覚ましてしまいます」


「『魔眼』の噂はホーエンハイツ国に昔からありました。しかしどの女王も見つけられなかったのですが、カテリーナ様が貧民街の地下で遺跡を発見されたのです」

「遺跡か、それはまた何とも古い話だな。しかも貧民街とは」

 俺がそう言うとリンゼルは頷き続けた。

「その遺跡は言わば王家や貴族から隠された場所にありました。『魔眼』とは本来、権力者に対して作られたものなのです」

「たぶん、それって『疑似戦争』に一般人が参加するための物でもあったはずだ。代理戦争が認められているから誰でも上にあがれる。だから貧民街に隠されていたのかもしれない」

「まさしくカイトさんの言う通りです。そしてカテリーナ様は王女になると、既に知っていた遺跡の調査を始めました。そしてついに『魔眼』の製法を見つけたのです」

 リンゼルのその言葉に俺とエレナは顔を合わせた。

 もし本当ならば、今すぐにでも乗り込むしかない。検問所も城壁も関係ない。夜に城へと忍び込んで暗殺まがいな事でもやるしかないのだ。

 領土の争いに置いて世界は今非常にリスクを少なくしたまま解決できている。互いの国の代表、もしくは領主が殴り合って決めるのだから。

 血相を変えた俺の顔を見たリンゼルだが、そこでふっと落ち着き払った顔を見せた。

「安心してください。しかしまだ実現できたわけではありません」

「そうなのか? よかった」

 俺はほっと胸をなでおろすが、それに反してリリアは大声を上げた。

「いえ、よくありませんよ! 『魔眼』の研究はいわば未知の魔法陣とおなじです。完成するまでには多くの実験体が必要なんです!」

 その迫力に俺は気おされそうになったが、リリアの言葉はどう考えても矛盾している。

 国土の狭いホーエンハイツ国の人口はそう多くないはずだ。

 それに魔法陣の開発と同じような研究ならば、数百人単位の人間がいる。魔法陣のばあいだが、一つ試すごとに一人の人間と技師が必要になる。もし魔法陣が暴走でもしようものならば、もちろん人間の命は失われるのだ。

 だから、魔方陣の研究には時間と人が必要になる。だけど国土を増やさない事で有名な国に余裕があるとは到底思えない。

「だけどそんなに人口いないじゃない」

 俺の心を代弁するかのようにエレナが言った。

 思わず頷いてしまう俺を見てリンゼルは渋い顔をした。そしてリリアもグッと涙をこらえている。

「そうなのです。実際はカイトさんの言う通りなのですが、カテリーナ様の実験は進んでいて、毎日のように報告書が積み上げられています」

 リンゼルはため息交じりに言うと、リリアを一瞥した。

「もうこれ以上はいいでしょう。それよりもあなた達の狙いをお聞きしたい。『魔眼』を追っていると言うことは相応の訳がありそうですが。それに、指名手配書についても聞けますかな?」

「手配書についてはハイネが言いましょうか、リンゼルさん。彼らはネーデロイド国において犯罪に加担したんですよ」

 聞きたくも無い声が俺の耳に入ったかと思うと姿を現したのは俺達を犯人に仕立て上げたハイネだった。

 いつものように黒一色の出で立ちで、腰には短刀を携えている。さらに厳つい男たちを数人引き連れていた。

「お勤めご苦労様です。よくぞここまで連れて来てくれましたねリンゼルさん」

「くっ……卑怯だぞあの子たちを盾にするとは」

 声を押し殺したリンゼルが、獣のごとき瞳でハイネを睨みつける。

「構いませんよ、なんとでも思ってください。これが一族の方針ですから」

 悠々としているハイネは俺達を見ると、頬の端をつりあげた。まだこの前の記憶が残っているのだろう。

「あばら骨は折れていなかったようだな。エレナの手加減に感謝しろよ」

「あなた方はまた後で殺すとします。全てが終わった後に、ハイネが成長した証としてね」

「全てが終わったあと? バカを言うな。『魔眼』が発現すればそんな余裕はないぞ。絶対に後悔するからな」

「前時代の戦争なんて起きるわけないですよ。もし再開してもハイネは何とも思いませんね」

 そう言うなりハイネは付添いの男たちに俺とエレナを縛る様に促す。

 俺はエレナを一瞥したが、真っ先に首を横に振ってやめるように促してきた。

 リンゼルの顔色を見る限り、どうやらハイネに弱みを握られているようだ。リリアも口には出さず、表情を幼いながらも引き締めている。


 大人しく縄で縛られた後は馬車に乗せられ、向かい合うようにしてエレナと座っていた。中はなんてことない荷物が乗っているが、シートが屋根のようになっていて見えないよ

うに被われている。

 地面の凹凸を感じながら揺られ、俺は背中をもたれさせた。

「これからどうなるんかなあ」

「知らないわよ。でも楽してホーエンハイツ国に入れるわけでしょ。指名手配犯だけど」

「はは、入国前に掴まる手配犯なんて笑えねえよ。てか何もしてねえからな」

 覗きだって先日の宿舎いらいしてないし、エレナに触れてすらいない。俺がどれだけ我慢しているのか知らないんだろうか。

 段々と腹が立ってきたから仕方なく、エレナをじっと見ていると俺の視線を感じたらしい。

「なによ、誘拐犯にされたのは私のせいだって言いたいの?」

「別にそう言うんじゃないよ。助けてくれた事はちゃんとわかってるから」

「わ、分かってるなら別にいいのよ。だいたいどれだけ私が苦労してあんたについて来てると思ってるのよ。はあ、早く『魔眼』みつからないかなあ」

 その言葉を聞く限りエレナは帰りたいらしいが、俺としてはもう少し二人で旅していたいところだ。

 そんなことを話していると馬車は少しの間だけ止り、再び動き出した。

 外からは人の話し声が聞こえてきて、薄いシーツの向こうには人影が映し出される。

「着いた様だな。ホーエンハイツ国の首都、絶対防御都市カルルカン。楽しみだ」

 鎖国も鎖国でとんでもない国だが、格闘姫の姿には興味がある。天武の才をもち、あの暴君カトレアでさえも退ける強者だ。一度は対面してみたい。

 馬車を被っていたシーツが開き、俺達は日の眩しさに思わず目を細めた。

「何馬鹿な顔してるんですか。 さっさと降りなさい」

 ハイネが荷台に入ってくると、短刀をつきつけて立ち上がる様に促してくる。

「俺達の一族が黙ってないぞ」

「そんなことは分かり切ってますよ。だから先手を打つんです。ほら、さっさと出てください」

 先手を打つ……なるほど、『魔眼』を狙っているのはホーエンハイツ国とネーデロイド国だけじゃないって事か。

 俺は黙って馬車を降りると周囲を見回した。

 街の様子はネーデロイドと変わらない。むしろ活気が良い気がする。

「あんた、可愛い子探すのは後にしなさいよ」

「分かってるよ」

「呑気なものですね、ハイネにはその余裕がどこから来るのか見当もつきません」

 短刀で肩を叩きながらハイネが言うと。

「カイトさん達は自由にしてくれないのですか?」

「いけませんお嬢様、両一族との会話は極力避けてください」

 リリアが駆け寄ってきそうになるのをリンゼルが引き止める。

 そこへハイネがニヤッとして口の端をつりあげると、リリアの前でしゃがんだ。

「何言ってるんですか。リリア様が協力してくだされば問題ないんですよ。ハイネも大助かりです。逃げ出さなければネーデロイド国で時間をつぶすことも無かったんです」

 そこで膝を伸ばしたハイネは一呼吸置くと腰に手を当てた。

「ま、おかげで探していた西の一族の二人にも会えましたし感謝してますけどね。さあさあ、城内に戻ってカテリーナ様の言う通りに動いてください」

「お嬢様行きましょう」

 リンゼルが諭すように言うとリリアは俺を見て涙を拭い首肯した。

 俺も思わず頷いてしまい別れを告げると、ハイネから無理やり別の方へと連れて行かれる。

 正門と思われる場所から城内へと入ったリリアの姿を見て、通りの人々が歓喜する声が聞こえてくる。それとは真逆にホーエンハイツ国の城の裏門から俺達は中へと連れて行かれ、狭い地下牢へと押し込められてしまった。

 こんなところじゃ女の子の姿も見えないってのにさ。

 周囲にあるのはいくつもの牢と、小さな窓だけ。壁にはロウソクが立ててあり、僅かな希望のように輝いている。

 埃っぽく湿った空気に俺は思わず眉根に皺を作ってしまった。

「おーい、エレナ生きてるか?」

 隣の牢へと入れられた幼馴染に話しかけてみる。

「ええまあ、なんとかね」

「眼帯は?」

「大丈夫よ、でも心地よくないわね」

 ため息交じりに隣の牢にいるエレナが壁越しにそう言ってきた。

 すると、俺達を閉じ込めて外に出ていたハイネが、誰かを引き連れて戻ってきた。

 優雅さとはかけ離れているみすぼらしい恰好。茶色の髪は丁寧に結われてまん丸い目が特徴的だ。そしてデカい。何と言っても揺れる二つの果物から目が離せない。エレナなんて霞むほどの大きさだ。

 そんな凶器を弾ませながら履物とは思えないほど薄い靴を履いて、こちらに近づいてきた女性は、俺をまじまじと見つめた。

「あなたが西の一族の人間なのですか?」

 驚くほど明るい声で話しかけてきた女性は胸元を強調するように、前かがみになった。

 もっと、もっと近くに!

 そう願うものの彼女は近寄ってこようとしない為、俺は仕方なく頷く。

「そうなのですね!」

 両手をパンッと合わせて軽くジャンプした彼女の姿よりも、俺の視線は一定の所に納められている。

 しかしそんなことを知らない彼女は、俺に質問をさせない勢いで隣の牢へと目を移した。

 そして大きな瞳をさらに見開いて、鉄格子にしがみ付く。

「まあまあ、両目に眼帯しているだなんて! ハイネ、彼女がそうなのですね?」

「そうです。カテリーナ様が長年探し続けてきた『神眼』を持つ者です」

「ふふ、よかったわ。これで『魔眼』もついに完成するのね! ああ、なんと待ち遠しかったことでしょう。もう隠す必要はありませんね。さっそく他の国にも知らせてください。皆さんを招待しなきゃ」

 クルクルと回るカテリーナは恋する乙女のように胸の前で手を組んで目を輝かせている。

「しかしまだ成功するとは……」

 そこで口を挟んだのはハイネだ。おずおずとした顔でカテリーナに意見する。

「はあ? てめえ、誰に向かって言ってんだ! なんなら貴様たちの一族皆殺しにしてもいいんだぞ」

 カテリーナがさっきまでの純真な顔を一変させたかと思った瞬間、なんとハイネの体が何かに突き飛ばされたかのように宙を舞い、壁に激突した。

「がっ……ふっう……」

 おそらくカテリーナがハイネの腹部に一撃を入れたようだがその拳を捉えることが出来なかった。どの角度で、スピードで、ハイネに叩き込まれたのか、こんなに近くにいたのに分からなかったのだ。

 その事実に俺はさらに鳥肌を立たせてしまった。面と向かい合っている時に攻撃が見えないのはよくある、しかし離れてみると殆どが目で追えるのだ。だが、そんな余裕は何所にも無かった。

 天武の才をたった一撃のパンチで見せつけられたのだ。

「も、申し訳ありません」

 ハイネは顔を歪ませながらも何とか立ち上がり、首を垂れる。

「そうですよね。じゃあ準備お願いします。手加減したんだから動けるよね?」

 ぱっと笑みを見せたカテリーナはハイネが去っていくのを見ると、俺達の方に振り返った。

「紹介が遅れましたね。私はホーエンハイツ国の女王。カテリーナ・ホーエンハイツと申します。ネーデロイド国ではリリアを保護してくださりありがとうございました」

 ぺこりとお辞儀をされても、あの豹変ぶりを見せられたら頷こうにも頷けない。

 俺はリリアが言っていた事を思い出して内心で納得せざるを得なかった。

「狙いは私が作っている『魔眼』ですよね? 知っていますよ。ハイネからも聞きました。まあ教えるつもりはありませんが、関わってもらいたいと思ってます」

「一つ、聞いていいかしら?」

「どうぞ」

「『魔眼』を作ってどうするのよ。世界統一でも狙っているのかしら?」

 その問いにカテリーナは、ふふと手を口で押えて嬉しそうに言う。

「それもありますが。領土を、真の国民を得ることに決まっているじゃないですか」

「それは『疑似戦争』で解決」

「していませんよ。『疑似戦争』ではなにも解決しないんです。人々の君主が変わるだけなのです。だから、豊かな土地はころころ女王が変わり、国民はそれに翻弄される。どこかの国が優待遇をすると、他の国にはなびかなくなるのです」

「それのどこがいけないの……民を思うのならば、ホーエンハイツ国も待遇改善するべきよ」

 俺もエレナの意見に頷いた。

 確かに人気のある領土は取り合いになる。そして各国がその待遇をよくすることで人々は働き、やる気も出ると聞いたことがある。

 しかし、俺の考えを見透かしたかのように、カテリーナは首を左右に振った。

「民は自分の女王が誰なのか、そしてどこの国に負けて勝ったのかもあいまいになっています。私たち格闘姫が戦っても意味はありません。彼らは前の国がよかったとばかりに交渉を持ちかけてきます。今、どこの国が支配しているのかも分からずに!」

 カテリーナは最後の方には目じりをつりあげて、空になっている牢の鉄格子を蹴って二つに叩き折った。

 魔法を使っている感じは無い。

 やはりあれが本来の力なのだ。まったく、魔法を使っても勝てるかどうかわからねえ。

 俺が呆然としているとカテリーナはハッとして笑みを向けてきた。

「いやですわ、こんな見苦しい所をお見せしてしまいまして。とにかく、私は誰が本当の女王なのか、どこの国に属しているのかを民に知らしめる必要があると思います」

「有史以前の戦争になるわよ。それこそ国の総力戦に発展するわ」

「いいじゃありませんか! 民が力を合わせて国を守るのです! そして負ければどこの国の所有物になったのか分かるでしょう。そうすれば自ずと命令にも従うのです」

 ピョンピョンと飛び跳ねるカテリーナは天真爛漫な表情で語る。飛べば胸が揺れるが、俺の心はちっとも動かなかった。

「たとえ勝って権力で国民を押さえても、いつかは反旗を翻されるぞ」

「何を言ってるんですか。暴力とはこれすなわち権力なんですよ。暴力があるから権力が成り立つんです。暴力が無い権力はただの声にしかなりません。反旗を翻すならば、それなりの暴力が必要ですが私はそれをもねじ伏せて見せますよ」

 そういえば、カテリーナは貧民街出身だったはずだ。自分以外の者が声を上げても見向きもされない。それは力がないからだと考えているのだろう。

 だが、それはある種の正解だ。『疑似戦争』は力があればのし上がれる。しかし逆に力が無ければそのままなのだ。

 俺はふと、ネーデロイド国で処刑された商人たちを思い出した。

 彼らもまた力なき者たちだったのだ。少女が声を上げてもカルラがそれを聞き入れることは無かった。

 だけど、こいつはそれを知っていて自分もまた同じことをしようとするのか。虐げられていたから国を良くしようなんて考えは毛頭ないのか。

「さーてと、お話も何ですからどうですか? 私これから『疑似戦争』をするんですが見学でも? どうせ逃げられないんですし」

 笑みをたたえているカテリーナはペロッと舌を出した。



 観衆の中で俺達は異様な光景を目にしていた。

 嵐が、暴力が、力が闘技場を支配している。もはや天下にその肉体をさらけ出そうとも関係ないカテリーナが消えては現れ、一撃を放つ。

 拳が雷を纏って生き物のごとく敵へと迫り、足の炎が相手の顔面にヒットして視界を奪う。その攻撃がどれも俺には目に追えないのだ。

「相手って、隣国の格闘姫よね?」

「ああ、有名ではないが、それでも一国の代表だぞ。それなのにこんな一方的な『疑似戦争』があってたまるか」

 俺は奥歯を噛み締め、喉の奥から発するので精いっぱいだった。

 観客、特に男はいつもながら女王の下着姿に鼻の下を伸ばして声を上げている。やれ赤だのやれ黒だのと言っている。多分、俺もここの国民だったら混ざっていたに違いない。

 だけど、ネーデロイド国で見た物とは圧倒的に次元が違うのだ。

 これじゃあサンドバックなんてものじゃない。殴打で殺しているようなもんだ。

 俺は審判席に座っている東西の一族へと目を向けた。そこではすでに止めるべきかどうかの審議が行われている。

 本来、ここまで圧倒的ならすぐにでも決定できるのだが、どうやらもめているのだろう。

 すると、闘技場で相手をめった打ちにしていたカテリーナが動きを止めて俺達を見上げていた。

 しかしその隙を逃すカテリーナの対戦相手では無い。せめてもの一撃と間合いを詰めて拳を振り上げる。魔法陣技師が何かを発したようにも思えたが、その声はかき消された。

 カテリーナが発動させた右腕の魔法陣、雷属性の魔法が周囲の観客をも圧倒する音を放ちながら、相手国の格闘姫へと瞬く間に叩き込まれたのである。

 閃光の一撃。

 客は静まり返り、審議していた審判たちも呆然としていた。

こんな格闘姫が他国に『疑似戦争』を仕掛けず領土を拡大していない。多分、『魔眼』の研究に専念するためだ。

「本気だ。あいつは本気で『戦争』を始める気だぞ」

 俺は唾を飲みこんで震える手を見つめた。



 『疑似戦争』と言う名の公開処刑を目撃した三日後、俺達は牢に戻されたものの何不自由ない生活を送っていた。

「エレナ、あれを見てどう思う?」

「酷い、の一言ね。あれじゃあ誰もこの国に『疑似戦争』を挑もうなんて思わないわ」

「だけど現実として『疑似戦争』は起っている。『魔眼』を求めて」

 めったうちにされた格闘姫もおそらく『魔眼』の噂を聞きつけていたのだろう。

 そう思っていると、俺達の眼の前に姿を現したのは俯くリリアだ。後ろに控えているリンゼルから優しく肩を叩かれて俺達の前へと歩いてくる。

「あ、あの……この前は……その……」

 カテリーナの魔法陣技師にして三系統の魔力を持つリリア。この国の常勝の秘密はそこに在ると言っても過言では無い。

「本当はここに近寄るなとカテリーナ様から言われております。どうか短い時間でのお話を」

 リンゼルは頭を垂れると一歩だけ下がった。

 相変わらず忠義を通しているようで、なんとも涙ぐましい。というか羨ましいやつだ。

「今日はどうしたんだ? 何か用があるんだろ?」

「はい。実はエレナさんを使った最終実験が行われます」

 そこで隣の牢にいるエレナが鉄格子を掴んで。

「私? そう言えば初めて会った時に何か言われた気がするわね」

「はい。『魔眼』を得るための魔法陣があるのですが……適合者がいないのです。そこで『心眼』を持つエレナさんならば……ですがその中に禁呪を入れなければならないのです」

「禁呪って……つまりは魂に埋め込むあれの事か?」

「はい、魔力を使いすぎると自動的に魔法陣が発動し……術者を殺すのです」

 本来は強者を抑制するための呪い。その魔力の発動を押さえることで力を制限するのだ。それは手足に書く魔法陣とは違って、魂に直接刻み込むのである。しかも禁呪は途中で失敗したり不完全な作動をすると、容赦なく被験者を食らってしまう。

「てことは、実験に使われている人たちは一回ごとに死んでいるって事か」

「正確には、子供たち、です」

 俺とリリアの間に入ってきたのは、後ろに控えていたリンゼルだった。

 その発言に俺はハッとすると、目を見開いてぽつりと呟いた。

「そうか、ネーデロイド国で誘拐されていた子供たちはここに連れてこられていたのか。それじゃあ、リリアが手引きを」

「いえ、リリア様ではありません!」

 激しく声を出したリンゼルがこちらへ歩み寄って来て、唇をかみしめた。

「あの、あの事件を起こしたのは……カルラという人物だ。子供たちを提供する代わりに、カテリーナ様がネーデロイド国をとった暁には王にすると言う契約で」

 だとしたら既にネーデロイド国は内部から支配されているも同じだ。あの戦闘好きなカトレアが察知しているとは思えない。

 国民さえも自分のものだと思っている女王だ。もし魔法陣技師が裏切ったと知ったらどんな行動を起こすのか見当もつかないのだから頭が痛くなる。

 ふと、俺は外が騒がしくなったのに気が付いて小さな小窓から顔を覗かせた。

 聞こえてくるのは住民たちの声、そして規則正しく鳴り響く足音。

「リリア様、どうやら呼び出された各国の代表が到着したようです」

「そう……。カイトさんエレナさん、必ず助け出します。もう少しだけ待っていてください」

 リンゼルとリリアが外へ戻ってしまうと再び静寂が訪れる。取り残された俺はその場に座り込んで長いため息をついた。

「大丈夫か?」

「どうかしら。まさか『神眼』が使われるとは思わなかったわ」

「冷静だな」

「と言うか驚きを通り越して放心状態になってるのかもね。今になってやっとリリアの言葉の意味を理解できて来たわ」

 エレナは簡単に言うが、俺の額や背中からは大量の汗がにじみ出ている。『神眼』が目的なのではない。それを宿す体が狙いなのだ。一般人では耐えられない未知の魔法だが、相反する『神眼』をもつエレナならば耐えられると考えたのだ。

 しかし俺はそれが許せない。つまりは禁呪を施すということだ。

 思わず鉄格子を殴りつけてしまった。拳が痛い。

「バカね何してんのよ。冗談に決まってるでしょ。あんたについて行った時から離れるつもりなんてないわよ。その為にもここにいるんだから」

 あきれ果てた様に言うエレナだが次の瞬間、口を一文字に結んで、じっと牢獄の入り口を見つめた。

 すると、そこから入ってきたのはカテリーナだった。

 この前とは打って変わって綺麗にドレスを着て化粧もバッチリとしている。しかしヒールは苦手なのか動きにくそうだ。

「お二人とも、準備が出来ましたよ」

「準備?」

「はい! ついに『魔眼』が完成するのです。エレナさんを使って。その為に本日は遠方からお客様もいらしているんですよ」

 さっきの足音のことだろう。

「実は五十カ国もの代表が見に来てくれているんです。皆さん『魔眼』がどういう物か見たいんですよね。やっぱり」

 あの情報を受け取れば、否が応でも確かめなければならないのだ。これは『疑似戦争』を根底から覆す事なのだから。

「さあさあ、それではドレスに着替えてください。私と私闘をしましょう」

「ちょっとまて、どういうことだ?」

「どうもこうもありませんよ。今はまだ皆さんが則っている決闘で私がちゃんと、エレナさんを手に入れたと証明するんです。それから『魔眼』のお披露目なんですよ」

 今まで『疑似戦争』や私闘など意味が無いとばかりに言っていたカテリーナが、どうしてそんなことをするのだろう。

 掴まっている身の俺達を強制的に連れて行けばいいではないか。

「ノンノン、ダメですよ。この前も言いましたが……力なき者には誰の所有物であるか分からせる必要があるんです。貴方達なら決闘の方が、負けても納得がいくでしょう?」

 子供を使って無理やり実験していた口がよくもまあ言ったもんだ。

 だけど、これはチャンスだ。勝てばそれはすなわち、『魔眼』の研究を止めることができるのだから。

「分かった。エレナ、ここは絶対に勝つぞ」

「……そうね」

 壁越しに答えた彼女の返答はどこか力なく感じたが気のせいだろう。



 魔法陣を書くにあたってこれといった障害は無い。エレナの肌はすべすべだし、脂肪も少ないからぶよぶよしてない。

 これほど書きやすい四肢はそうそうないだろうなあ。

 そんなことを考えながら、俺は太ももの付け根までめくられた足にそっと触れて持ち上げた。

 すると、今までどんな時でも微動だにしなかったエレナが震えているのが伝わってきた。

「緊張してるのか、珍しいな」

「そりゃ、相手はカテリーナなのよ。しかも向こうについている魔法陣技師はリリア。あの魔力に加えて三系統を同時に操れるのよ。見たでしょ」

 俺はその言葉に頷くしかなかった。

 系統にどれが強いか弱いかなんてものはない。単純に言えば戦術が増えるだけだが命運を大きく左右する。

「もちろん見たさ。だけど俺はエレナが負けるだなんてこれっぽっちも思ってないからな」

 俺はすらっと伸びた足に魔法陣を書き始める。

 もう何度も書いているのにこの時ばかりは緊張してしまう。

 最初の円を書き文字を並べようとした時だ。ひゃんっ、とエレナが思わず足を引っ込めたので書き直しになってしまった。

「あんたも緊張してるのね。いつもより震えてたわよ」

「これで旅もお終いかと思ったら少し悲しくなっただけだ。他の国の女の子が見れなくなるからな」

「また、女の子のことばっかりね。私が傍にいるのに」

 そう言うとエレナは俺の顔を掴んできてぐっと引き寄せた。

 眼帯の向こうではじっと俺を見ているのかもしれない。

「私が近くにいるでしょ?」

「分かってるさ。だけどエレナは特別なんだよ、傷つけたくないし、離れたくない」

 すっと目を逸らして俺はエレナを押し戻した。

「ほら、変なこと言ってないで書くぞ。今回ばかりは俺も本気だからな」

 そう言って俺は一心不乱に煩悩を掃いながら、エレナの四肢に魔法陣を書いていった。

 

 既に闘技場には人が集まっていた。中でも一部の区画がやけに豪華なのは、遠方からきている他国の使者のために用意された場所だからだろう。

 俺は隣に立つエレナを一瞥して、思わずため息が出そうになった。

 純白のドレスに普段は履かないヒール、綺麗に結われた髪と僅かに見えるうなじが目を引く。一歩動くたびに花が咲き乱れ、風に香りが漂うようだ。

 こっちが他の女の子に目を行かせる理由がわかっちゃいない。

「ちょっと、何じろじろ見てんのよ」

「何でもねえよ。それよりも」

 俺は視線を前に向けると、金一色にあしらったドレスに身を包むカテリーナを睨んだ。

 『疑似戦争』が壊れる寸前だ。『魔眼』なんて代物を発現させて溜まるものか。

『疑似戦争』でカテリーナの勝利が確約されているのだとしたら、他国が防衛する手段はただ一つ。それこそ最悪のシナリオだ。

「ふふふ、どうですかこの格好は? 今まで女王なんて夢のまた夢でしたから、こんなドレスしか思いつきませんでした」

 裾を持ち上げて綺麗に礼をしたカテリーナは、後ろに控えているリリアへ振り返った。

「あなたも挨拶しなさい。お世話になったのでしょう」

「は、はい姉様」

 リリアもぎこちない様子でお辞儀義をすると、きゅっと服の裾を掴んで口を堅く閉ざした。

「そうよ、いい子ね。でもちゃんとしないとリンゼルがどうなるか分からないわよ。さっき無断で彼らに会ってたでしょう?」

 その言葉を聞いた俺とエレナは顔を見合わせた。

 ばれていたのか。

 しかしリンゼルが生きているだけでも幸運だ。リリアの傍仕えでなければ間違いなく首を斬られていたに違いない。

 それから俺は二極神教会の審判がいる方へと目を向けた。見知った顔があり、俺達の姿を見ると眉根をひそめる。

「教会はあまり期待してないようね」

「言うなよ。取りあえず目標は達成できそうなんだ」

 俺がそう言うと審判が席に着いた。

同時にエレナが放たれた矢のごとく一直線に飛び出した。

 早い、間違いなく今までで一番早い先手だ。

 しかし、それよりも早く相手がエレナの眼の前へと出現して拳を振り上げたのである。

「んな!」

 エレナの驚きの声がここまで聞こえてくる。

「エレナ!」

 思わず叫んだ俺にこたえるかのようにエレナは急停止して、身を後ろにのけ反らせる。

 相手の拳がエレナの鼻先を霞める。

 見ているこっちが目をつぶりそうになるがそんな余裕はない。

 俺はエレナの拳に魔力を送り、魔法陣を発動させ、雷を轟かせた。

 バリバリと耳をつんざく様な音が周囲を圧倒し、肌がちりちりと痛む。

 エレナの右袖は無くなり、白い腕が露わになるも稲妻が宿っているのは一目瞭然だ。

 おお! と観客がどよめく中で、エレナは態勢をたてなおし拳を振るう。腕に宿した雷がリーチを長くし、鞭のように撓って空振りした後にも襲い掛かる。

「リリア」

 エレナの攻撃を回避しながらも優しく諭すようにカテリーナが妹へと呼びかけると、相手の魔法陣技師は頷いた。

 カテリーナの右腕が眩いまでに光ったかと思うと、なんと俺達と同じ雷を宿したのである。

「さあ殴り合いましょう」

 カテリーナが右腕を突き出すも既にエレナは反応していなしていた。

 腕と腕がぶつかり合った瞬間、お互いの雷が弾けて、砂に含まれる砂鉄が踝まで浮かび上がってきた。

 互いに左からフェイクを入れて、本音の右で止めを狙う。だが、それでは一向に決着がつかない。

 それよりも俺はカテリーナの速度に引けを取らないエレナに驚きを隠せなかった。

 目に頼っている他の格闘姫とは違って五感を駆使している彼女には見えているのかもしれない。

 だが俺は唇をかみしめるしかなかった。なぜなら元が違うのだ。

 やはりカテリーナが一歩先を行く。

 エレナのガードが弾かれ、無防備な腹部が露わになると、すかさず敵は潜り込んで一撃を放ってきた。

 閃光が迸ったかと思うとエレナのドレスが弾け、真っ白な肌が露出する。

「がっ……!」

 一瞬、ほんの一瞬だがエレナの反応が遅れたのだ。それを相手が見逃すはずも無かった。

 そして一撃をもろに貰ったエレナの体勢が崩れると、カテリーナは目にもとまらぬ速さで顔面にハイキックを繰り出した。

 ごうっと轟音が轟きエレナは宙に舞う。

「やばい!」

 俺は着地地点を模索しながら急いで駆けだすと落下してくる彼女をギリギリのところで受け止めたのだが。

「やっぱりそう来るよな」

「もちろんですよ」

 俺の視界には既に攻撃態勢に入っているカテリーナの姿があったのだ。

 落下地点を狙うのはもはや定石。しかしそのくらいの知識は俺にだってある。

 こちとら何年エレナの相棒を務めてきたと思ってるんだ!

 俺は足にある魔法陣を発動させ、体を軽くするとエレナを掴んだ手に力を入れて猛スピードでその場を離れた。

 直後にカテリーナの拳が空を切るも、やはり俺の目ではとらえられない。

「おい、大丈夫か、しっかりしろ!」

 肩に担いでいたエレナを降ろすと、彼女はなんとか頷いた。

 やはりかなりのダメージを負っているようだ。生きているだけでも幸運だろう。

 俺は頭部にヒットした蹴りの怪我が無いかそっと触れた。

「まだいけるか?」

「魔法陣は残っているのよ、全部使うんじゃなかったの?」

「ああ、そうだった」

 全部使う。俺の魔力も限界まで消耗させるつもりだ。

 ったく、幼馴染に手を出しやがって、この代償はきっちりと払ってもらうからな。

 俺は再び敵と向かい合うと大きく息を吸った。

「一気に終わらせるぞ」

「ええ、そうしましょう」

 エレナが飛び出すと同時に、俺は幼馴染の両足に書いた二重魔法陣全てを発動させた。

 胸に僅かな痛みが走り、思わず膝を折ってしまいそうになるのを我慢してレナに魔力を送り込む。

 風の魔法を発動させたエレナはもはや瞬間移動と言っていいほどの速さで敵の眼の前に飛び出す。

「なっ!」

 これまでにこやかだったカテリーナの顏に僅かな動揺が現れるのを俺は見逃さなかった。

「いけええええ!」

 俺が叫ぶとエレナが拳を握って相手の腹を思い切り殴った。そして瞬く間に背後に回り込むと、右頭部にヒットさせる。

 カテリーナは距離を取ろうとするが、エレナはそれを許さない。

 俺だってここで仕留める気だから出し惜しみしない。残りの魔法陣、全てを解放し、虚を突いたこの一瞬にかける! 天才だろうがなんだろうが、絶対に負けないと言うことは無いのだ。

 エレナの両腕に残っている三つの魔法陣に魔力を送り込み、雷と炎をさらに追加する。

「はあああああ!」

 疾風怒濤。闘技場には風が嵐のように吹き荒れ、雷光が輝きを放つ。灼熱の炎は相手から急速に酸素を奪い思考を低下させていった。

もはやエレナの四肢も霞んで見えるほどに彼女は鬼気迫る攻撃を繰り返す。

 敵の反撃がエレナの顔面を霞め、死へと誘おうとするも手数は増える一方だ。

「やりますね。でも。私も負けられません! もうすぐで世界がこの手に届くのですから……リリア、ありったけの魔力をよこしなさい!」

 姉の声にリリアはびくっと震えると右手を突き出して大量の魔力を送り込んだ。

 俺はその様子を見て唇をかみしめた。ここまで来てさらに先があるのか。

「あれは、風と炎の系統か!」

 カテリーナは自身の速度に加えてさらに加速すると、今まで受けに回っていたのが嘘のように、手を出し始めたのである。

 相手の格闘姫の左手に宿る炎が周囲の温度を上げて、五感に頼っているエレナの集中力を削いでいく。

「これで終わりです!」

 灼熱を纏ったカテリーナの拳がリリアの防御を弾き飛ばす。

 やばい!

 二度も弾かれるなんて予想以上にエレナに負担が掛かっている証拠だ。

 あの魔人のような格闘姫に近づくだけでも嫌なのだが、地を蹴ってエレナに飛びつくとその場から転げて離れる。

「ちょっと、まだ戦えるわよ」

「バカ言うな」

 俺はエレナの腕を一瞥すると目も当てられないほどに痣があるのを確認した。しかも相手の炎魔法のおかげで熱傷まで負っているではないか。

 まだ風魔法の効果は持続している、ならば勝機はあるのだ。そう、敵の魔法を全て消すことが出来れば、エレナはもう一度攻められる。

「どきなさい、あんたじゃカテリーナの相手は務まらないのよ」

「分かってるさ。でもこのままエレナの勝ちを相手に譲るつもりは無いんだ」

 俺は彼女の眼帯に触れた。多分、少しだけ震えていたんだと思う。それは死の恐怖からなのか、それともエレナと分かれることが寂しいからなのかは分からない。

 魔力は充分に送ったし、あとは彼女任せになってしまうが上手くやってくれるに違いないだろう。

「って、ちょっちょっと待ちなさい。何眼帯取ろうとしてんのよ。あんたの魔力はカツカツで、光を浴びたらどうなるか分かるでしょ」

 俺の手を跳ねのけたエレナは戸惑い気味に聞いてきた。

「それでもここで勝つには『神眼』が必要なんだよ。敵の魔法を無理やり発動させてしまえば、後はさっきみたいに……」

「いやよ」

「え?」

「だから嫌って言ったのよ。はあ、せっかく目的の『魔眼』があるのに、あいつに勝てるわけないでしょ。ここで勝ったら全部ぶち壊しだわ」

 エレナはそう言うと立ち上がってドレスについた土埃を掃った。それからみふぃてを上げる。

 どういう事だ? エレナは何を言ってる? カテリーナを倒せば阻止できるんだぞ? なのに……何故。

「降参よ。私の負けだわ」

 何故、降参したんだ。




「あんた達の目的は『魔眼』の研究を止めることじゃなかったんですか?」

「そうだったんだけどな、エレナは『魔眼』が目的だったようだ」

 俺はぐったりとうな垂れると、壁に背を預けて呻くように言った。

 まさか、旅についてきた目的がまさか、そんなことだとは露ほども思わなかった。今までだってそんな素振りは……少しだけ見せていたかもしれないな。

 でも目的が分からない。『魔眼』を手に入れてどうすると言うんだ? 『神眼』ではダメなのか。

「ふーん、やっぱりそうなんですね」

「なんだそれ、それよりもお前はここにいていいのかよ。俺は敵だぞハイネ」

「牢に入れられているあんたなんて怖くないですよ。それに私は一応、役目を仰せつかっていますから」

「だろうな。なあ、一つ質問してもいいか?」

「答えられることならいいですよ」

「『魔眼』の研究って具体的にどんなことやるんだ?  禁呪に手を出すって本当なのかよ」

 ハイネは肩をすくめて。

「そうですよ。禁呪の魔法陣が必要になってます。これは命を惜しまずに戦うことのできる貧民だからこそ使えるんです。貴族たちは己が命優先ですから」

 なるほど相手の手に渡っても使われない様にしておくのは道理だ。

 だが一度使って死んでしまえば元も子もない。おそらくは禁呪が発動する一歩手前まで魔力は減るはずだ。

「あんたはこの後、どうなるか分かっているのか?」

「ハイネにとっては世界がどうなろうと知りません。ただ任務をこなすだけです。さてと……そろそろ時間ですよ、行きましょうか」

 ハイネは腰に下げていた牢の鍵を取り出すと、エレナのいる牢屋の扉を開けた。

「おい、まてまてダメだ! エレナ行くな!」

 俺は肩から思い切り鉄格子へと体当たりをしてみるが、やはりビクともしない。

 禁呪は全力を出せないだけじゃない。魔力を一定値まで使うと命を持って行かれる。俺のために両目の眼帯をしているエレナには痛いほど分かっているはずだ。

 しかし、そんなことは意に介さずにエレナはくるりと振り返って。

「だから、私の目的は『魔眼』なのよ。教会にばれないようにするためにどれだけ大変だったか……」

 今まで思い返すように言うと、彼女は俺から顔をそむけた。

 ハイネは何故か憐れむようにこちらへと眼差しを投げかけてくる。

 ええい、そんな目で見るな!

 俺は彼女達が去った後も鉄格子を蹴りつけ、殴り続けるしかなかった。

 ダメだ。絶対に行かせない。

 そう思うが、どうしようも出来ない事は明らかだった。


 どれくらい経っただろうか。俺は赤くなった拳を見つめて長いため息を吐いた。

 さっきまで殴っていた鉄格子は歪みもせずに俺と外を隔てている。

 今頃エレナはどうなっているのだろうか、目的の物は手に入れたのかもしれないな。

 俺は見抜けなかった……あの少女のように死地へ行くと言うのに、言葉が、力が届かなかった。

 手に残る痛みと力のなさを実感していると、こちらへ近づいてくる足音に気が付いて、俺は地面から顔を上げた。

「リンゼルか。掴まっていたんじゃないのか?」

「ええそうでしたが、先ほどリリア様のおかげで出ることが出来ました」

 そう言いながらリンゼルは懐からカギを取り出して牢の扉を開けた。

「って事はお前もヤバいんじゃないのか? もし見つかったら……」

「ええ、それは分かってます。ですが、このままでは本当に国同士の戦争になってしまいます。『疑似戦争』で解決できていたことが、解決できなくなります。血で血を洗うってやつですね」

「だけど、こんなことしたらリリアが危険な目にあうんだぞ」

 リンゼルがどれだけリリアを溺愛しているかもう知っているつもりだ。この前、リリアがリンゼルを連れて会いに来ていたことがばれていたのに、もう一度同じことをするなんて正気じゃない。

 しかし、俺の意を察したのかリンゼルが重々しく口を開いた。

「リリア様の魔力は『魔眼』開発のために使われているんです。もちろん、リリア様はそんなことをしたくないとおっしゃっていますが……とにかく時間がありません。私について来てください」

 俺はリンゼルの後を追って地下牢の階段を駆け上がり、城の端っこにあるレンガ作りの建物の中へと出た。

 どうやら見張りの警備兵はリンゼルが倒してくれたらしくまだ気絶しているが、目が覚めるのも時間の問題だろう。

「こっちです。エレナさんはまだ大丈夫なはずです、まだ諦めないで下さい」

 リンゼルは足早に歩きだし、綺麗な庭を通って城壁にぽっかりと空いている穴の前で立ち止まった。

「ここはリリア様が外に出られたときにあけた穴です」

「よくこんな分厚い城壁に開けられたな」

 厚みは二メートルはあるかもしれない城壁だ。そんじょそこらの剣では何本あっても足りないし、時間もかかる。

「はい。長年を掛けましたから。リリア様が外に出られたときの喜びようは今も目に浮かびます」

 何故か拳をグッと握り目に涙を浮かべるリンゼルは俺が見ているのに気が付くと、すぐにハッとした。

「ささ、時間がありません。早速行きましょう」

 俺はじとっとリリアの騎士を見つめて、一瞬だけ本当に頼りになるのか考えてから足を踏み入れた。

 リンゼルと俺は住宅街を通り、店の並ぶ大通りを歩いた。道中はそれはもう大変で、リリアの話ばかりだ。

 退屈しないのは良いが、ネーデロイド国近くに何日も潜伏して、商人を次々に襲っていたのも頷ける。

 普段は本人の前だから話す機会も無いのだろう。もう初恋をした乙女のようだ。

「リンゼルは本当にリリアの事が好きなんだな」

 俺がるんるん気分のリンゼルに話しかけると、胸の前で手を合わせて瞳を輝かせる。

「そうなんですよ! 貧しい村の生まれでありますが、奇跡的に体を動かすことは得意なんです。王宮の警備兵を募集していたところ、偶然にもお会いしたのですよ」

「おいおい、会っただけで傍仕えになれるのか?」

「私は貧しい村の出身でなんとか格闘試験だけは一番になりまして。生憎と勉学はからっきしだったのですが……そんな私をリリア様は認めてくれたんです」

 『疑似戦争』のおかげで格闘姫、魔法陣技師として有能であれば貴族のポストまで用意している国はごまんとある。

「それだけのことでよく忠誠を」

「いえ、私が惚れたのはそれだけではありません。その頃リリア様は城の外に出たことがなかったのです。しかしながらカテリーナ様の『疑似戦争』には魔法陣技師として参加されていました。初めて闘技場の入り口まで送った時『どうして戦うのか、話し合いでは解決できないのか』と言われました。衝撃を受けましたよ」

 だろうな。格闘姫が殴って魔法陣技師が魔力を送る時代だ。国の一部がそれだけで決まるのだから、戦争よりもマシな選択と言ってもいい。

 だけどもし、話し合いで解決できたとしたらそれが一番いいに決まっているのだ。商談も殴り合いでは解決しないと言うのに、国の陣取り合戦がそれで決まるのはおかしなことだ。

 まったく、ここに来て気付かされるなんて思わなかったな。

「それでリリア様は言われたのです。ゆくゆくは『疑似戦争』をしない様に各国に呼びかけるのだと、その為に出来ることは何でもすると言っておられました」

 だったら、俺達に見せていた無邪気な笑みは、一時の束の間に見せた少女の本心だったのだろう。

 けれどリンゼルの前では決して見せない様にしていたのかもしれない。

 主従揃って面倒な奴だ。

「さあもう少しです」

 俺はそう言われて前を見ると頭の中の思考を変えた。

 眼の前には貧民街があるのだが、なるほどいかにも身を寄せ合っている感じだ。

 大昔の闘技場の跡地に木と布で作られたテントがいくつも並び、中心部では炊き出しや、水汲み場が置かれている。

 淀んだ空気が腐臭を溜めこみ、せき込んでしまう。

「酷い所だな」

「ええ何年も前から変わっていません。ですがこんな所だからこそ『魔眼』を隠すに最適なのです」

 顔色一つ変えずにリンゼルは進んで行くが、俺としてはあまり先に進みたくは無かった。しかしエレナを助け『魔眼』を阻止しなければならない。

 俺達は不愉快な視線を浴びながら闘技場の中へと入って行く。

 床は石畳だが既に草木が脛まで伸びており所々剥がれている場所もある。蜘蛛の巣も掃除されていなければ、狭い通路を塞ぐ岩も取り除かれていない。

 闘技場の中央へと行くのかと思いきや、リンゼルはとある石柱の前で立ち止まる。

 一見すると闘技場の中にあるどの柱とも変わらない。ボロボロで屋根を支えていたかもしれないが、五メートルほどの高さしか残っていない。

「ここが入り口です」

「普通の柱にみえるぞ」

 俺は周りをぐるりと一周したが、やはり変わった所は無い。

 するとリンゼルは俺を手招きして。

「ここは扉になっています。よく見てください、木の板に薄く削った石をつけているんです」

 そう言われてよく見ると、なるほど、僅かな隙間から木版が所々見えている。

 俺が頷くとリンゼルは軽く扉を押しあけた。するとすぐ真下、ほぼ直角とも思える角度で階段が地下へと続いているのである。

「行きましょう。私はリリア様が心配です」

 神妙な顔をしたリンゼルは階段を降り始めた。

 俺も一歩ずつ階段を降りていくと、外にいた時の腐臭とは別の臭いが漂ってきている事に気が付いた。

 眉根に皺を寄せると前を行くリンゼルが振り返る。

「気が付きましたか。今臭っているのは死臭です。そろそろ目が慣れて来たと思いますので、横の方を見てください」

 そう言われて目を細め、肌に感じる圧迫感の源を探る。

 だんだんと見えてきた物に、物質に俺は思わず絶句してしまった。

「死体……いや、でもこの数は」

 俺達が下っている階段は両側に手すりなんてない危険な所だ。だから、思わずその光景を見た時、足を踏み外しそうになった。

「両側に積まれているのは実験で亡くなった子供たちです」

 そう、階段の両脇に積まれているのは大量の屍だ。

 骸骨が服だけを纏っており、乾いた肉が少しこびり付いている。虫がかさかさと音を立てながらアスレチックの中を移動するように這って行くのが見える。

 俺はなんとか足の力を入れるのに精いっぱいだった。同時に、エレナの目が眼帯をつけていることに安堵してしまう。こんな地獄を見たら正気を保つのは難しい。

「カルラから送られてきた子供たちの末路です。中には逃げ出そうとしたものも居ましたが」

「だけどあんた達は助けなかったんだろ」

 カルラを知っているのならばどのルートで子供たちを送っていたかは知っていたはずだ。おそらくはあの施設の抜け道なんだろうが。

 こいつらは何のためにネーデロイド国から子供たちが連れ去られ、どういう末路になるのか全て知っていて助けなかったのだ。

「返す言葉もありません。私がもっとしっかりしていればカルラの企みをカテリーナ様のお耳に入る前に阻止できたのですが」

 拳を作ったリンゼルは自分に言い聞かせるように言うと、階段を降り切った所にある扉の前に立った。

「言い訳はしませんが、これからの犠牲者を止めることは私にも出来るはずです。リリア様が願っているような国を作る事がせめてもの償いです」

「……そうだな」

 今更せめてもしょうがないしリンゼルが反省しても死者は蘇らないのである。

「この先に、研究所があります。何とかしてエレナさんを連れ戻してください」

「分かった。その前にちょっといいか」

 俺はポケットからチョークを取り出して魔法陣を四肢に書き込む。

 戦闘になる事は充分に考えられるし、いざと言う時のためだ。

 僅か数分で書いたにしては中々の出来である魔法陣を力強く思いながら立ち上がると、リンゼルに目を向けた。

「では行きます」

 ゆっくりと扉が開かれると、大きな広間に出る。空間を照らし出す大きな松明が数本、そして何人かの魔法陣技師が円を書くように立っていた。

 その中心にはエレナが椅子でしばりつけられ、祭壇のような場所ではリリアとカテリーナが横に並んで立っている。

「さあさあ、やっとこの時が巡ってきましたね! じゃあ早速始めましょうか。リリア、準備を」

「……はい」

 とリリアが小さな子で答える。

「ほらほら、他の魔法陣技師たちも魔力送る準備は出来てますか? はやくしないと各国の皆さんが帰っちゃいますよ」

 元気よく、まるで教師のような声音でカテリーナが言うも、やはり数人の魔法陣技師は返事をしているのを躊躇っているようだ。

 だが、そんなことを許すカテリーナでは無い。

 口を閉ざしている魔法陣技師の前に歩みでると、容赦なく拳を叩きこんだ。

「おいこら、準備はどうかって聞いてんだよ!」

 悶絶する魔法陣技師を踏みつけ、さらに目じりをつりあげるカテリーナ。そして彼と同じように返事を拒んだ数人へと目を向け……。たった一歩の踏込で間合いを詰めると次々に地面に静めていく。

「早く立ちやがれ」

 唾を吐きかけて踵を返すカテリーナは、さっきまでの形相を一変させて。

 祭壇に戻ると、リリアの肩をポンとたたいた。

「さあ始めますよお」

 観念したような面持ちのリリアが頷き右手をかざす。すると、床に書かれていた巨大な魔法陣が青白く光り出した。

 今まで見たことも無いほどの大きさだが、俺の目を引いたのはそれだけじゃない。

 魔法陣の中にさらに魔法陣が五つも書かれているのだ。四つの各魔法系統の印が刻まれ、それぞれに異なった言語も並べられている。そしてやはり、禁呪の魔法陣も書かれていた。

 あんなもの発動するはずがない、構造がめちゃくちゃだし魔力を送り込む順も見当がつかない。うかつに触りでもすればとんでもないことになるぞ。

「行くぞリンゼル、何としてでも止めさせるんだ」

「分かってます!」

 俺達は放たれた弓矢のごとく飛び出すと、近くにいた魔法陣技師に狙いを定める。

 この距離ならカテリーナが気付いても間に合わないはずだ。それにこんな大所帯での魔力供給が必要ならば、一人が消えただけでも止められるに違いない。

 俺は足にしこんだ魔法陣を発動させ、瞬時に魔法陣技師の前に現れ、今も痛みが言えていない腹部を狙って膝を叩きこもうとしたが。

「来ると思っていましたよ」

 なんと俺と魔法陣技師の間、人ひとり入れるかどうかの隙間にカテリーナが割って入ってきたのである。

「な!」

 と短い悲鳴を上げると思わず回避しそうになったが、体が反応できない。

 カテリーナは俺の腹をおもいきり蹴ってつけ吹き飛ばす。

 肺から全ての空気を吐き出して背中から壁にぶつかるが、俺はすぐに立ち上がって臨戦態勢をとる。

 寝ている余裕はない、ここさえ切り抜ければ『魔眼』を防げる。

「リンゼル……」

 俺は頼み込む様な声音で言うと、霞む視界で協力者を探した。

 しかし、願いは届かなかったようだ。

 俺と違う目標を狙っていたリンゼルもカテリーナに抑え込まれて身動きが取れなくなっている。

 早すぎる……。

「浅はかですよね。リリアがリンゼルを出したことなんて分かってましたよ」

「それじゃあどうして……」

「んーただ連れて来るよりも、こっちの方が面白いでしょう?」

 にこやかに言うカテリーナに向かって俺は震えている足を踏み出した。

「性悪女が!」

「そんなことありませんよ」

 カテリーナはそう言うと、ゴキッとリンゼルの両肩の関節を外した。

 リンゼルは苦悶の表情をするが、決して声を上げない。それどころか視線はリリアへと向けられている。

「おやめください、このままでは本当に……」

「うるさいよ!」

 カテリーナがリンゼルの言葉を遮るように顔を蹴りつけると、こちらへ近づいてくる。

「カイトって言いましたよね。エレナさんは進んで協力してくれたんですよ、その行為を無駄にするのですか?」

「何言って……」

 俺はカテリーナを否定しようと口を開くが。

「本当よ。降参した時に分かったはずでしょ。私の目的は初めから『魔眼』なのよ!」

 何とエレナが俺の言葉を遮って声を上げたのである。

 その場から動こうとしない彼女の姿と言葉で俺は足に入れた力を抜いてしまった。こんなことあり得ない。

 いや、ここに来るまで嘘だと思っていたかった。降参をした時も、何の抵抗も無くハイネについて行った時も、既にエレナの心は決まっていたのに僅かな希望にすがりついていた。

 だけど、そんなものは幻想にすぎなかったのである。

 俺がへなっと崩れるのを見て、カテリーナはリンゼルから離れた。

「まあ記念すべき日ですからそこで見ていてくださいよ。『神眼』が『魔眼』に変わるところをね」

 るんるんと足取りかるく祭壇に戻ったカテリーナは再び魔法陣技師たちに声をかけた。

「さあ、始めてください!」

 カテリーナが言うと、観念した魔法陣技師たちが魔力を送り始め、床の幾何学模様が光り出す。

 円柱の光がエレナを被い、やがてだんだんと狭まって行く。

 まったく逃げようとしない幼馴染を見ながらも、俺の視界にはまだ目に光を宿している人物を捉えていた。

「お嬢様を止められないのなら!」

 リンゼルは勢いよく立ち上がると、さっきまで殴られていたとは思えないほどの速さで駆けだす。

 半ば思考停止していた俺だが、彼の目的に気が付くと、考えるよりも早く飛び出していた。

「やめろ!」

 エレナの元へ駆け寄ろうとしているリンゼルに飛びかかり押し倒すと、俺は両腕を上から押さえつけた。

「気が狂ったか」

「くるっているのはそちらの方だろう、彼女はそなたを裏切って『魔眼』を手に入れようとしているのだ!」

 うっと俺は言葉に詰まるが手を放す事は出来ない。

 そんなことは知っている。ここで止めなければ世界がどうなるのかも。だけど、どうしてもエレナが傷つく所なんて見たくはない。

 しかし俺のことなど露ほども知らないリンゼルはもがいて抵抗してくる。

「どけ! 『魔眼』なんてものがあれば……リリア様の夢見た世界はまた遠ざかる」

 リンゼルは信じられない力で俺の腕を振り払うと、苦し紛れのパンチを放ってきた。

 それが的確に当たるのだから、世の中何が起こるのか分からない。

 俺の顎にヒットした拳が脳を揺らして視界を歪ませる。だが、体に力を込めてリンゼルを逃すまいと体全体で飛びつきしがみ付いた。

 足にすがりついた俺を引きはがそうとしている間にも、魔法陣の光は次第に小さくなり、やがてエレナの体の中に消えていく。

 僅かな静寂、しかし口火を切ったのは喜びに打ちひしがれるカテリーナだった。

「ははは……死んでない、死んでないですね! 皆さんついにやりました! 『魔眼』の完成ですよ。やっぱりカギは『魔眼』に耐えうる肉体だったんですね! 『神眼』を持ったエレナさんならやってくれると思ってましたよ」

 俺達には目もくれず一目散にエレナの元へと駆け寄った。

「そんな、馬鹿な……」

 リンゼルはがっくりと膝をつき、首を垂れると、呪詛を吐き出すかのように己を責めはじめる。

 俺はゆらりと立ち上がり、カテリーナがエレナの眼帯を外すのをじっと見ている事しか出来なかった。

「やっと願いが叶ったわ。カテリーナ、あなたに感謝するべきなのよね?」

「もちろんですよ。その変わりちゃんと一つ貰いますからね」

 そう言うなり、カテリーナはなんの躊躇もなくエレナの肩目に指をめり込ませエレナの片目をもぎ取ったのである。

「ぐっ、ううう」

 カテリーナの手には大量の血と、そして青白く光るエレナの目が握られていた。

 うす暗いこの空間でもはっきりと分かるほどに『魔眼』は輝き、存在感を示していた。

「魔導道具の中でもこれほどの物はありませんよ。大切に使わせてもらいますね。まあでもその前に……本当に効果があるのか試してみましょうよ。そこの彼氏でね」

 俺に向かって不敵な笑みをしたカテリーナは、なんとエレナからもぎ取った『魔眼』を向けてきたのである。

「リリア、早速試すわよ」

 リリアに目を向けるとすぐに『魔眼』へと魔力を送り込ませるカテリーナ。

 すると瞳の周りに青白い光が俺の周りをすっぽりと包みこんだのである。

 俺は自分の両腕に走った強烈な痛みに声を上げ、まじまじと自分の書いた魔法陣を見つめた。

「マジかよ、本当に消えていくなんて」

 まるで初めからなかったかのように魔法陣が消滅していき、思わず手を握っては開いた。

「その瞳に映るすべての魔法陣を無効化するって噂は本当みたいだけど、かなり体力使うのね」

 リリアは息切れしていて、その場に座り込んでしまった。

 しかしカテリーナは尚も喜びに歓喜していた。

「かなり魔力をつかうようだけど、でもでも満足だよ。エレナ、一緒に城に戻ろうか。眼のくぼみは義眼を入れてあげますよ」

 カテリーナはエレナの手を握って立ち上がらせると、おもちゃを貰った子供のような眼差しをしながら歩きだす。

出入り口にさしかかると、カテリーナは振り返って。

「リリア、リンゼルとカイトも連れて来てね。もっとも来る気があればだけど……。私はまだ西の一族との話があるから少し忙しいわ」

 嬉しそうに言いながらカテリーナとエレナは去って行った。

 俺は拳を床に叩きつけて、自分の不甲斐なさを呪うしかなかった。

 あの時、どうすればよかった? リンゼルにエレナを襲わせたらよかったのか? 俺が止めなければこんな事態にはなっていなかったかもしれない。

 目まぐるしく思考が頭の中を駆け巡る。

だが何をどうとらえても『魔眼』がこの世に出てきてしまった事実は揺るがない。

 一つはエレナが、もう一つはカテリーナが持っている。

 あの様子を見る限りでは、相当魔力を持って行かれるに違いない。カテリーナは良いが、エレナの方は使い過ぎれば死に至るだろう。禁呪なんてものが無いだけでも状況は相当違ったはずなんだ。

「禁呪……」

 俺はハッとすると思わず地面から顔を上げた。

 そうだ『魔眼』の力は本物だ。ならばただ失うだけじゃない。得られるものもある。

 まだ、希望は残されている。




「先を越されました。カトレア様」

「我の耳にも届いておる。しかし、まさか全世界に『魔眼』の存在を、発現の成功を公表するとは、正気の沙汰では無いな」

「どうされますか?」

 カルラが覗き込むようにして、玉座に座るカトレアの顔を見た。

 彼女はカリッと爪を噛むと立ち上がって、隣に控える従者に目を向ける。

「決まっているだろう。これで『疑似戦争』は意味を失ったのだぞ。勝ち目のない戦を仕掛けられる前に先手を打たねばならんな」

「しかしそれで民は納得するのでしょうか? 今まで格闘姫が領土をきめていた時代、戦争などと言う古典的なものが成り立つはずが……」

「そうでは無いカルラ。この状況はまさしく国を挙げての戦いだ。我一人が命を掛ければいいと言う時代は幕を閉じたのだぞ。くそっ、ホーエンハイツ国めこんな時のために用意してたのか」

「すぐに兵の募集をかけます」

「違う。戦えそうな男は農民から貴族まで全員集めよ。それと武具屋に大量の発注をしておけ。剣と盾、甲冑はいくらあっても足りなくなる」

「了解しました」

 カルラが恭しく頭を下げると、カトレアは口の端をつりあげて立ち上がった。

 それからゆっくりと大きな窓の傍に立つと、自分の領土を眺める。

「しかし、この勝負勝ったぞ。人口がものを言う戦争に負けるはずなど無い。カテリーナには感謝しなくてはなあ。カルラ、貴様もそう……なっ!」

 振り返ったカトレアは言葉を飲みこんで目を見開き、己の懐に潜りこんできた従者を視界にとらえた。

 なんとカルラは腰にさしていた剣を引き抜き、何のためらいも無く己が主を突き刺したのである。

 剣を伝って柄から垂れる血のしずくが床にシミを作る。

「カルラ、貴様……いったいどういう事だ!」

 激昂するカトレアはカルラを蹴り飛ばして、腹に突き刺さっている剣を引き抜いた。

 カトレアはカルラに飛びかかろうとするも、力が抜けているのか足を震えさせて動けないようだ。

 思いっきり蹴られたカルラはむくりと立ち上がり、服についた汚れを払う。それから肩をグルグルと回して気怠そうな声音で言った。

「まったく、これだから格闘馬鹿は何が起こっているのかも把握できてねえんだよな。庶民と同じじゃねえか」

「なんだと……」

「ホーエンハイツ国に子供を渡して研究のエサにさせる。その変わり、俺はこの国の王になるって事さ。途中で邪魔な二人が入りそうになったが、なんとか筋書き通りに事は運んだようだな」

「お前が、私の所有物を流していたのかあああ!」

 カトレアは口から血を吐きながらも立ち上がると、カルラの得物を握りしめて走り出す。

 だが、そんな鬼の形相をするカトレアに臆することないカルラは眉根を寄せて口を開いた。

「俺の家系は代々国に仕えてきた。より良い国を作るために……だが、お前はその器では無い! 貧民上がりの小娘にはいきすぎた地位だったようだな」

 カルラはカトレアの力なき一撃を見つめながら牙をむき出しにする。

 まともに当たっても怪我一つ負わないような攻撃だがカルラは容赦ない。剣を弾くと、カトレアの顔面におもいきり拳を放った。

「民を思い、国を繁栄させ、より豊かな生活を送らせるために我々は存在している! それが義務であると親父からも言われてきた! なのに貴様は!」

 怒りを露にしたカルラは、必死に抵抗しようとするカトレアをこれでもかと殴りつける。目蓋がはれ上がり、歯が折れてもその拳を止めようとはしない。

「や、やめろ………………」

「同じことを言った人を俺はお前の命令で切り捨ててきた! この手が真っ赤に染まるまでな!」

 肩で息をしながらカルラは問答無用に殴りつける。その拳が赤一色になろうがお構いなしだ。

「どれだけの思いで俺が子供たちを見送ったのか、貴様に分かるか! お前をホーエンハイツ国から目を背けさせるために施設の爆破もやったんだぞ!」

「や、止めろ……」

「ふん、無様だな。手当たり次第に『疑似戦争』を吹っかけていた格闘姫とは思えないぞ。ま、こんな実力ではやはりカテリーナには勝てないな」

 カルラは自分の剣を拾い上げると、ゆっくりとカトレアへと近づき、切っ先を向けた。

 しかし虫の息だとしてもカトレアは口の端をつりあげる。まさに今まで培ってきた度胸が最大限に発揮されていた。

「そんなことしていると……我と……同じ運命をたどるぞ」

 もはや聞き取るのもやっとの声音だ。

「ご忠告どうも。だが、俺はこの国をよりよく変えてみせる。お前みたいに所有物扱いはしない」

「力を振るう者は……いずれそれよりも強い力に…………潰されるぞ」

 ここまで来るともはや死ぬのも時間の問題だろう。カトレアの出血は止まることなく、夥しい量の血が床に広がる。

「貴様はこれ以上殴る価値も無い。ゆっくりと死の恐怖を味わえ、それは今までお前が国民をぞんざいに扱ってきた結果だ」

 カルラは腰に剣を納めると、玉座にゆっくりと座り長く息を吐いた。

「いい眺めだ。うん実に良い」

 さて、これからは忙しくなりそうだ。各国は挙兵という今までにない事態に直面しててんてこ舞いだろう。そこが隙だな。時間との勝負だ。

 幸いにもカトレアがここまで国土を広げてくれた。まあ、二極神教会の東の一族に話をつけておいたのだから、勝つのは容易だった。

 負けそうな時は合図を出して審議に撃持ち込むように仕向け、相手の反則で勝ちを取る。逆にこちらが反則をしてもそれは見逃してくれるのだから、勝ちを取るだけだったら問題ない。

 そうして大きくなったこの国の半分はホーエンハイツに渡す約束だが、残りは俺のものだ。そう、より良い国を作るためには俺が動かないと意味が無い。

 長年仕えてきたネーデロイド国はこれで立ち直れる。

その為にもまずはこれから先に襲いくるであろう他国の脅威に備えなければならない。

 これからは俺の時代だ。




「さあさあ、お集まりの皆さま! 先日、ようやく『魔眼』の発現に成功しました。まあ、何人か帰られた方もいるようですが、いいでしょう」

 闘技場に立つカテリーナはまるで舞台俳優のような身振りをしながら集まった観客、つまりは各国の代表に話しかけた。

 もちろん外面を気にする彼女は煌びやかなドレスに身を包んでいるのだが……俺は何故かハイネに手を縛られて立っていた。しかもぼろ雑巾のようない出立ちでだ。

「いい格好ですね。これで西の一族の脅威は消えたも同然です。やっと決着がつきそうですね」

「数千年前の決闘に興味なんかねえよ、大事なのは未来だ」

 そう言ってみるものの、俺はもはや希望なんて持っていない。エレナが裏切り、リンゼルも投獄された。リリアはそのせいで目から光が消えているし、俺の一族はここには出てこられない。

 この先にあるのは間違いなく殺戮だけだ。人が殺しあう時代なんてものは来させちゃいけない。

 だけど、もう考えるのはよした方がいいだろう。

 そんな俺の心境を無視してカテリーナは饒舌に話しを進めていき、やがて俺へと視線を向けた。

「ここにいるのは悪逆非道の魔法陣技師! 彼の四肢には見ての通り魔法陣が刻まれているのをご覧ください」

 カテリーナが言うのと同時に、ハイネが俺の両袖をまくり上げる。そこには泣きながらリリアが書いた魔法陣が刻まれていた。線はふにゃふにゃで、何とか体裁を保っている幾何学模様は見ているだけで悲しくなる。

「そしてそして、ここに有るのは、昨日手に入れたばかりの『魔眼』です」

 観客がどよめき皆が身を乗り出してカテリーナの持つ魔道具と化したエレナの瞳を見つめた。

 ざわめきが次第に大きくなり、やがて波のように伝播していく。

 だがあえてカテリーナはそれを静めないで、後ろにいるリリアへと合図を送った。

 俺はこちらを見るリリアと目を合わせると力なく頷くしかなかった。そうしなければリリアがどんな目に合うのか容易に想像できたし、この先の手は俺に残されていないからだ。

 リリアが右手を突き出して、俺に魔力を送ると右手の魔法陣が光り出す。

 そしてカテリーナが『魔眼』をこちらに向けると、この前と同じように俺に書かれている魔法陣がすうっと消滅していくのだ。

 これを見た観客はよりいっそうどよめき、名も知らぬ男が声を大にして。

「それをどう使うつもりだ!」

 と怒りの混じった声音でカテリーナに聞いた。

 確かに一番初めに訪ねる問いとしては満点だ。

 待ってましたと言わんばかりにカテリーナは口の端をつりあげ『魔眼』を高々と掲げる。

「聞くまでも無いでしょう、これで『疑似戦争』は全て私の勝利なんですよ! これから各国は私の物となり奴隷、いえ、それ以下の存在として扱ってあげます」

 一瞬の静寂。そして火山が噴火するかのごとく、一気に皆が声を荒げてカテリーナに唾を吐く。

「ふざけるな!」

「奴隷以下だと!」

「今すぐここに来い、ぶっ殺してやる!」

 様々な声が飛び交い観客は目じりをつりあげて声を上げる。しかし、そんなもの、力なき者の声はただの声なのだ。

 俺はカテリーナが言った言葉を思い出しながら、目の前にいる彼女を見つめた。

 すると。

「誰が貴様のものか!」

 カテリーナが唯一許せない言葉を発した男がいた。そう、誰が君主なのか知らずに生きる人々は、カテリーナが忌み嫌う人種である。

 どこの誰なのかは分からない。しかし、確かに俺の耳には聞こえていて、それがカテリーナにも届かないはずはないのである。

「……リリア。魔力を送ってください」

 カテリーナの口がゆっくりと動いたかと思った次の瞬間。俺の視界から消えると、なんと闘技場の観客席までひとっ跳びしたのである。

 さっきの罵声を投げかけた客にカテリーナがつめ寄ると、慌てふためく他国の代表を守るかのように何人かの女が間に立ちふさがる。おそらく格闘姫の候補を護衛として連れてきていたのだろう。

 魔法陣が光り出すのを俺はこの目でとらえたが、同時にカテリーナが『魔眼』をかざすと瞬く間に魔法陣は消えていく。

 魔法が使えないとなれば勝敗は決まった様なものだ。

 カテリーナは容赦なく女たちを蹴り飛ばし、殴りつけると一目散に逃げようとしている男の首根っこを捉えて地面に叩き伏せる。

 カテリーナは次々と男の顔に拳を叩きこんでいる様子だったが、生憎と俺の所からじゃよく見えなかった。



 俺はホーエンハイツ国の街中で城を見上げていた。

 あの後、闘技場に来ていた観客は全員が逃げ出し、俺はハイネが離れたすきに逃げ出してきたのである。

エレナやリリアを助けたかったのだがそんな余裕なんてない。というか、最後の面会と言われて、少しだけ話しをして、なんとか説得しようとしたのだがどうにも俺の意見に賛同してくれることは無かったから、俺はエレナの意思をくみ取って一人で出て来たのだ。

「さあて、これからどうするかなあ」

 リリアはここを離れられないとして、エレナも残るってだだこねてたし。ハイネは戦が終わってから『魔眼』を借りる予定らしい。それで俺達一族を皆殺しにするんだとか。

 このまま帰っても『神眼』失ったうえに『魔眼』の研究止められなかったんだから、教会に殺されてもおかしくねえよな。

 俺は盛大にため息をつくと、大通りに集まっている警備兵に目を止めた。どうやらかなり動揺しているらしく、声がでかくなっている。

「おい、目視できたか?」

「街の一キロ先に武装した平民だろ」

「訓練されてないだけまだましだけど数がなあ」

 周りに行き交う人々が足を止めて何事かと視線を集めているのに気が付いたのか、警備兵たちは足早に去っていく。

 その間にも街の入り口に店を構える人々が荷物を持って大通りを駆けてきた。しかも大声で周りの住民に言いふらしているから大きな騒ぎになっている。

 俺は押し寄せる人の波を見ていたが、しばらくすると静かになったのに気が付いた。

「はーい、皆も武器持って戦いましょうねえ!」

 そう言ったのはホーエンハイツ国の女王、カテリーナだ。さっき俺を追い出したばかりなのにすぐに合うなんて、どんな運命で繋がっているのやら。

 カテリーナは後ろに控えさせている従者に、用意していた剣や盾を大量に配らせながら、歩いて来ていた。

 その横ではリリアが俯き、エレナと一緒に歩いている。ハイネにいたっては、右目に大きな痣が出来ていた。おそらく俺を逃がしてしまったことによる罰だろう。 俺はそそくさと人ごみの中に隠れてやり過ごす。

 俺は武具を配って回るカテリーナの横に並んだエレナを見つめた。

 今は眼帯を外しており、虹彩の色が違う義眼を片目にはめている。もはや美しい人形のようで、いつまで見ていても飽きない。

 何年ぶりに見たかなあ。

 幼馴染だと言うのにその素顔は軽く十年は見ていない。この一瞬だけでも貴重な時間だが、今は目に焼き付けておくだけだ。

 ふと、ほんのわずかにエレナがこっちを見たような気がしたから、俺は踵を返して歩き出した。

「さてと、問題なのはネーデロイド国だな」

 少し遠いがネーデロイド国に続く裏道はまだあるはずだ。



 

 馬車を拾ってリンゼル達と初めて出会った場所まで行くと、懐かしい抜け穴を覗いた。

 誰かが通った跡は見られない。ここはカルラが秘密裏に子供たちを通すために作った道なのだからもう用済みなのだろう。

 中に入って真っ直ぐな道のりを進んで行くと、簡単に施設の中へとたどり着く。

 顏だけを覗かせて周りを見渡すと捉えられていた子供たちの姿は無かったが、炊き出しの食器や道具は放置され、さっきまで人がいたかのようだ。

 施設の外へと歩いていく。やっぱり周りの警備兵は居ないがそっちの方が好都合だ。

 記憶をたどって大通りまでたどり着いた俺は、行進する警備兵の列に出くわした。規則正しく、とはいかないまでもある程度訓練されている様子だ。

 そして列の後ろには、つぎはぎの金属板を纏っている一般市民が続いていた。手には鍬や斧、包丁を持っており顔は蒼白一色、死人と言っても過言では無い。

 さあて、どうやってこの大軍を引き留めるかねえ。

 この後も大移動が待っているからなるべく早く終わらせたいのだが、もちろん俺一人が立ちはだかるなんて出来ない。

 そうとなればだ。

 俺は警備が手薄なネーデロイド国の城へと入って目的の人物に会うために歩き回った。やがて真っ赤な絨毯に奥の方には黄金に輝く椅子が置かれている大きな広間に出る。

 室内を見回しても目的の人物が……いや、窓の傍で倒れているではないか。

 俺は急いで駆けよると、既に息をするのもやっとなカトレアを抱きかかえる。

「なんだ貴様、生きていたのか」

「生憎とな、それよりもこれは……」

「カルラだ。私としたことが、してやられた。だがなこれで終らぬぞ」

「その体でどうするんだよ」

 するとカトレアは最後の気力を振り絞って、指にはめている指輪を俺に渡した。

「これは、一時的に最高指揮権をお前に預けると言う意味だ……カルラを殺せ」

 カルラが指にはめている物と同じ指輪を俺は受け取るとじっと見つめた。

「た……のん、だ……ぞ」

 言われなくてもそうするつもりだ。あいつは少女の仇でもあるのだから。

 それきりピクリともしなくなったカトレアを見つめて俺は長いため息をつくしかなかった。

 予定変更だ。唯一の頼みであった彼女が死んでしまうとは夢にも思わなかった。折角の土産話しがあったのに。しかしこうなれば自分でやるしかない。

 足の魔法陣を発動させて勢いよく城から抜け出した。

 


 出兵のために集まった人々が怪訝な顔をしたのは言うまでもない。

「聞け! カトレア様の命によりこれから指揮は俺がとる事になった」

 俺が城内にあった甲冑と、カトレアの椅子にかかっていたマントを羽織って群衆の中を堂々と歩いているからだ。

 この大軍を一人でとめることなんて無謀な事は出来ないが、それでも一つだけ方法がある。

 この軍を率いる人物の元へ赴いた俺はニヤリとしてしまった。

 俺を目の前にしたカルラは察しがいいことに、すぐに目じりをつりあげて牙をむき出しにする。

「お前!」

「そう怖い顔するなって、それよりも女王様は何所だよ? あの人なら真っ先に先頭に立つだろうけどな」

「カトレア様はここにはいない。急用で遠方に行かれているため、兵の選出と行進は俺が任されている。それは渡してもらおうか」

 カルラは俺がはめている指輪を凝視して手を出してきた。

「そんなこと出来るわけないだろう。俺が譲り受けたもんだからな」

「ならば、どうするか見当はついているのだろう? 指揮官は二人もいらない」

 カルラの顏は歪み剣を構える。

 俺はすうっと腰を低くしてカルラと対峙したが、向かい合っているだけで喉が渇いてくる。

 さすがは女王の魔法陣技師だっただけのことはある。雰囲気も間合いも絶妙に研ぎ澄まされ、しっかりとこっちの動きを読んでいる。

 あまり長引かない。

 俺が手練れと言う訳でもないが、それでも一定以上の実力を持つことは自負している。

 そして、閾値を超えた者同士の戦いはかなりの長期戦になるか、一瞬でけりがつくかのどちらかだ。中途半端な長さで決着がつくのは、素人と言ってもいい。

 ふうーっと長く息を吐き相手の呼吸に合わせて、俺は瞬時に飛び出すと同時に両足の魔法陣に魔力を流し込む。

 カルラは目を見開き俺の動きを察知すると構えていた剣をつきだしてきた。しかも魔法陣を宿しており、得物が一気に燃え上がる。

 じゅうっと焦げ臭いにおいが俺の鼻に入り、ぶわっと冷や汗が噴き出す。

 紙一重で俺は相手の剣をかわすと、次に両腕の魔法陣を発動させる。

 今までは禁呪の制約によって魔力を使いすぎると死んでしまう恐れがあった。だけどそれはもうない。エレナの瞳のおかげで全ての魔法陣が一度消え去ったからだ。

 俺は今までずっと放出できずにいた魔力をこれでもかと両腕に流し込むと、腕に閃光が走る。

 カルラは剣を引き戻すことはせずにそのまま横へと走らせて俺の首を狙ってくる。

 だが、少し遅い。

俺はさらに一歩踏み込むと、慌ててその場から離れようとした敵の腹部をおもいきり殴ってやった。

僅かに後退したカルラだがそれでも瞳の炎は消えていない。

「が、あああ……まだ、まだだ! まだ俺は終れない!」

 敵はそう声を発すると、再び鬼気迫る形相で向かってくる。

 しかしさっきの一発がもろに響いているのか、既に動きとしては及第点以下だ。

 だけどそこまでの意気込みを俺は無下にするつもりも無い。

「はあああああああああああ!」

 俺は全身に力を籠め、必死で拳を突き出した。

 一撃をもろにくらったカルラの服がはじけ飛び、迸った電流のおかげで毛が逆立った。

 相手の得物から炎が消え敵はばたりと倒れると、俺を見上げてきた。

「もう少しで……民のための国が……」

 そう呟くとカルラはゆっくりと目を閉じ、ピクリとも動かなくなった。少しばかり鼻につくのは肉の焦げた嫌な臭いだ。

 俺はすかさず指輪をはめている手を高かく掲げる。

「ここの指揮は俺がとる! さあ武器を携えてついてこい」

 うわあ、俺似合わねえ。しかも男の前とかやる気でねえよ。

 しかしまあ、やりますかな。

 



 私の願いはもう既に叶った。この目で、自分の目でカイトを見ることが出来たのだから思い残すことは無いと言ってもいいくらいだわ。

 だけど、やっぱりこの目で見たからには一生離れたくないと考えるのも無理ないわね。

「エレナさん、大丈夫ですか?」

 隣に座るリリアが心配して声を駆けてきてくれた。

 心配が無いと言えば嘘だけど、でもそれ以上に私はあいつを信頼している。

「ええ、大丈夫よ。それよりも今は、目の前に迫っている敵を倒さないと」

 大丈夫、あの時打ち合わせした通りよ。

 エレナはぎゅっと拳を作って口を一文字に結ぶと、ガタンと馬車が止まった。

 ドアが開き、顔を覗かせたのはカテリーナだ。

「さあさあ、着きましたよ」

 エレナは促されてリリアと共に外に出ると、思わず目を見開いてしまった。

なんと僅か数百メートル先に見たこともない兵が並んでいたのだ。いや、正確に言うのなら、兵のような人たち、である。

 剣を持っている者もいれば、農具を持っている人もいる。重装備から、軽装備、そして普段着の人も目立つ。

 彼らの目に映るのは必死の抵抗、そして絶望だ。

「ここが有史以来の戦争の最前線です! 見てください、彼らの前にいるのは魔法陣技師と格闘姫ですよ、もう時代遅れなんですけどねえ」

 カテリーナは敵国の兵の前に立つ数人の人物を指さして高らかに笑う。

 整列する兵の前に並ぶのは確かに格闘姫と魔法陣技師だが、戦い慣れている彼らの目にも明らかな動揺が見えていた。

高い火力を前に出してくるのは間違っていないわ。でも『魔眼』の恐ろしさを知らないのよね。

「こっちは数千、向こうは万の数の兵を揃えているようですよ」

 そう言ったのはハイネだ。馬車を操っていた彼女はおずおずとカテリーナに話しかける。

 しかしその言葉をカテリーナは鼻で笑った。

「ハイネは心配し過ぎですよ。大丈夫、こっちには『魔眼』がありますから。さあて、では早速始めちゃいましょう」

 カテリーナは馬車の後ろに目をやると、そこに整列するホーエンハイツ国の兵に檄を飛ばす。

「ここが最初の戦地です! 私たちは今まで誰に仕えてきたのかその身をもって知ることができませんでした。しかしこれからは違うのです! 主君を知る事となるでしょう。我らホーエンハイツ国の市民こそが、属国の上に立つ者であり、崇高なる民族になるのです」

 右手を高く掲げたカテリーナを見てエレナは眉根に皺を作った。

 こんな事するよりも『疑似戦争』の方がよっぽどいいじゃない。こんなに大勢の人を戦わせるなんて間違いよ。

 だが、そんなことは露知らずのカテリーナは全軍に進行の合図を送ると、エレナたちに顔を向けた。

「私たちは最前線に出ますよ」

 せかされてエレナとリリア、ハイネは最前線に立つ。

 こちらを睨みつけてくる魔法陣技師たちは、右手を突き出して格闘姫に魔力を送りこちらへと単騎で向かわせてきた。

 恐ろしいまでのスピードね。並大抵の兵では敵わないし、武器を所持しているのを見ると、頭のどこかでは『疑似戦争』と違うって分かってるみたいね。

 しかし、普通の人なら怯え上がるほどの実力を備えている敵を見てもエレナの横に立つ人物は動揺しない。

 それどころかクスッとおかしそうに笑うと、こちらへ向かってきている格闘姫に『魔眼』を向けた。

「お馬鹿さんですよねえ」

 カテリーナのすぐ後ろに控えている名も知らぬ魔法陣技師が『魔眼』に魔力を送ると青く光り出し、瞬く間に敵国の兵を照らし出す。

 発動するためだけに連れてこられた魔法陣技師はぐったりとして、後ろへと引き下がり、光を浴びた格闘姫たちは勢いを失った。

 敵国の格闘姫たちは互いに顔を見合わせて呆然としている。驚くのも無理はない。

 こうなればただの女性ね。

 エレナがそう思った時『魔眼』の影響を受けていないカテリーナが飛び出し、瞬く間に敵の格闘姫を地に沈めた。

 そしてホーエンハイツ国の格闘姫と魔法陣技師が最前線に歩み出てくると、それを合図と言わんばかりにネーデロイド国の兵は一斉に敵国の兵に襲い掛かったのだ。

 数は確かにこっちが少ないけれど……見る限りじゃ私の出番なんて無さそうだし、後ろの控えている兵の半分も退屈するんじゃないかしら。

 そう思えるほどにホーエンハイツ国の格闘姫は次々と敵兵を打ち負かし、サポートしているはずの魔法陣技師も己に魔力を注ぎ込んで暴れまわっていた。

 しかもそれに感化された兵達は当然のごとく真正面から突撃し、士気においても格闘姫は充分な役割をしているのだった。

「さあさあ、皆さんドンドン殺しちゃってください! 降参するまで容赦なく」

 もう笑いを堪えきれていないカテリーナは、嵐のように駆け回り、暴虐の限りを尽くしていた。周りの敵兵は震えながらも立ち向かってくるが、折れそうな心では勝てない。

 瞬く間に辺り一帯は血の海と化し、死臭が周辺にたちこめて思わずエレナは鼻を被う。

「これは……」

 思わず呟いたのはなんとハイネだった。今まで教会の命で動いてきた彼女もこの状況に戸惑いを隠せないでいる。それでも刃向ってくる敵をなぎ倒しているのを見ると、まだ大丈夫なようだ。

 だけど他の人はこんな悲惨な光景を誰も今まで見たことが無かったのだから、兵のほとんどが顔面蒼白だ。

 そして兵が減ると横に並んだ一列がまた戦場へと投入されていく。

 どのくらい経っただろうか。すでに日は真上に上り、敵の数は目視で測れないほどに迫ってきている。カテリーナが縦横無尽に暴れるおかげで、こちらの戦力に大きな被害は出ていないが、それでもいつ終わるのか見当もつかない。

そう思っていると、エレナの隣に一人の兵が走ってきた。

「伝令です! 東の方からネーデロイド国の兵が迫って来ております!」

 やっと到着したのね。まったく、おそいじゃない。

 エレナは内心でガッツポーズを作ると、顔に出ない様にあえて冷静に聞いた。

「数は?」

「目測で我が軍の五倍はあるかと」

「分かったわ、兵の一部をそっちに向けてちょうだい。もし攻めてきたら知らせて」

「それだけでよろしいのですか?」

「全く問題ないわ。むしろ多くしないように」

 エレナは、去っていく兵から視線を外して不思議そうに見つめてくるリリアに目を移した。

「ネーデロイド国にはカルラがいるんですよね? それだったら味方じゃないんですか?」

 首をかしげるリリアに、エレナは思わず頷きそうになった。

 ホーエンハイツ国とネーデロイド国がカルラを通して裏で繋がっていたのは明白だ。ここで参戦してくるとなれば味方だと思ってもおかしくは無い。

 だけど、今は違うのよね。

「いいえ、ネーデロイド国は敵よ。私たちは前方と側面から攻められている図になっているの」

 何がなんだか分からないと言った表情をするリリアに、エレナは優しく微笑んだ。

「私はカテリーナの所に言って知らせて来るわ」

「そんな、でもカイトさんもいなくなったのに、エレナさんまで……」

「大丈夫よ、ハイネが守ってくれるわ。そうでしょ?」

 エレナは隣で血の気が引いているハイネを見た。

「まあリリアさんに何かあれば私の責任ですからね」

「それじゃあ頼んだわ」

 ここが正念場ね。カイト、絶対に成功させなさいよ




 俺は眼前に広がる戦場に思わず目を疑ってしまった。

 農夫も兵士も青年も入り乱れて己が国のために得物を振るっている。地面は赤一色に染まり、屍が踏み場もないほど増えていく。

 地獄絵図と言っても過言では無いこの戦場を見た後ろの兵士たちにも動揺が走り、逃げ出そうとしている者がいるのは肌で感じ取れる。

「これは酷い……だが我が大軍をもってすれば敵を撃ち滅ぼすことなど容易いことだ!」

 俺は右手を上げて士気を高めようとしたが、やはり躊躇している兵達はどこかぎこちない。

 特に今まで農具を武器として扱ったことが無い一般市民は嗚咽を漏らしていて使い物にもなりそうになかった。

 こんな所に来るならもっと女湯覗いておけばよかった。だいたいこんな役柄向いてないってのに。まあいいや、あとで憂さ晴らしに付き合ってもらおう。

「全軍前進!」

 って言うまでもないか。

 俺達に目をつけたカテリーナが、新しいおもちゃを見つけた子供のように走ってくる。もうその時点で既に戦闘は始まっているのだ。

「魔法陣技師は前にでて格闘姫に魔力を」

 俺が支持すると同時に、しかし迫りくるカテリーナがエレナの眼球をこちらへ向け、青い光を放ってくる。

 この光はヤバい!

「後ろに下がれ! 魔法陣技師は再度、格闘姫に魔法陣を書いて……」

 俺は急遽命令を変えて後方に待機するよう声を出すが、それではもう遅かった。

「カイトさん、まさかこんな事になっているとは思いませんでしたよ!」

 俺を視界にとらえたカテリーナは猪突猛進で迫ってくる。

 しかも一部のホーエンハイツ国の兵はこちらを向いており、奮闘するカテリーナに触発されて駆け足で押し寄せてきていた。

 ええい、数が多すぎやしないか? エレナの奴、本当に段取りにそってるんだろうな?

 そうこうしている間にもやがてホーエンハイツ国の兵と入り乱れて乱戦となってしまった。

 俺は逃げだしたい気持ちを堪える為に深呼吸して、前を見据える。

「どうやってカルラさんを倒したのかは聞かないでおきますよ。ただ、してやられましたね。指揮官がカイトさんになるなんて」

「小国のホーエンハイツ国だけじゃ、国家総力戦では負けてしまう。そこでつながりのあったネーデロイド国に援助を求めるなんて分かり切った事だ。だったらカルラを止めればいい」

「構図としてはそうですが……でも貴方には私を止める術なんて無いですよ?」

 そりゃそうだ、一人で何百人分もの働きをする彼女に勝てるはずがない。

 魔法陣を使っているなら尚更だ。

「確かに、俺一人じゃあ無理だけど、時間が解決してくれるさ」

「何を言っているのか分かりませんが、こうなった以上はネーデロイド国を渡してもらいます!」

 カテリーナはふわりと浮きあがり、俺へ一撃を叩きこもうと地を蹴った。そのスピードたるや目を見張るものがある。

 才能と魔法、この二つを組み合わせたらとんでもない怪物が出来上がったもんだ。

 だけど、どちらか一つを削ってしまえば、問題ない。

 俺はとある人物に大声で呼びかけた。今こそ逆転の一手を出す時だ。

「エレナ!」

「私に命令するんじゃないわよ!」

 俺はカテリーナの背後にいる幼馴染に目を向けた。その途端に胸の奥から熱い物が込み上げてくるのを感じが、必死に抑え込む。

 俺変な顔しているんじゃないだろうな?

 そこだけが気になってしょうがない。

 エレナが『魔眼』でカテリーナを見つめたのを確認すると俺は右手を突き出した。

 大丈夫、魔力ぐらいいくらでもくれてやる。だから、カテリーナの魔法陣を全て消してしまえ!

 俺はエレナに大量の魔力を送り込んだ。すると、エレナの周りに青白い光が現れ、カテリーナとその周りを包み込み幻想的な風景を作り出す。

 カテリーナは目を見開くと、急激に減速して思わず膝をついた。しかし何が起こったのか理解するまでも無い。

「お前たち、最初からこれを狙っていたのか!」

 激怒するカテリーナは咆哮すると踵を返して標的を変更する。だがここは闘技場では無い。次から次へとネーデロイド国の兵が襲い掛かる。

 だから時間が解決してくれるんだ。数の多いネーデロイド国の兵がこの場を支配するのは目に見えていた。それに周りを見てもホーエンハイツ国の兵は僅か数十人。自軍が応援に来てくれたとカテリーナが錯覚するのに十分だ。

「邪魔だ、どけ!」

 天武の才をいかんなく発揮するカテリーナは、荒い息をしながらエレナの前までたどり着くと有無を言わせず襲い掛かった。

 右からの拳をエレナは回避すると、すぐさま蹴りで相手の顔面を狙う。

 まさに神速とも言える速さの蹴りだが、それをカテリーナは紙一重でかわすと僅かに距離を取った。

「カイトの魔力は懐かしいわね」

「ほんの数日前に分かれただけだろうがよ」

 俺は右手を突き出してエレナへと魔力を流し込む。

 『魔眼』はなるほどたいした代物だ。俺の魔力を半分も持って行きやがった。禁呪があったら死んでたかなあ。

 と半ば思うが、今は枷が外れて魔力は有り余っている。

 大きく息を吐いて、エレナの体に思い切り魔力を注ぎ込むと彼女の魔法陣がさらに輝きを増していく。

「やってしまえエレナ!」

「任せなさい」

 エレナは構えると肩で息をするカテリーナをじっと見据え、そして地を蹴った。

 爆発のような土埃が舞いあがりエレナは一直線にカテリーナの懐へと飛び込む。

 だが、流石に相手はあのカテリーナだ、少し遅れたがきちんと反応して対処しようとガードする。

 エレナはそんな事は構わず思い切りカテリーナの頬を殴りつけた。

「がっ……!」

「まだまだ、こんなもんじゃないわよ!」

 さらに手数を増やしていくエレナに対してカテリーナも負けてはいない。

「なめるなよ貴様ああああ!」

 なんと魔法を使っているエレナと同じ速度で拳を突き出してきたのである。

 風が吹き荒れ、大地の砂が巻き上がる。もはや人ならざるものと戦っている気分だ。

 エレナのハイキックが相手にヒットするも、それをものともせずに足を踏み入れ拳を突き出してくる。

 それを奇跡的とも呼べるほどの速度で回避したエレナが、再び一撃を叩きこむ。

 両者の拳が血にまみれてもなお殴り合い、蹴り合っては倒れそうになる体を必死に動かす。

 しかし、ここまで戦い続けた二人だが、いずれは決着がつく。そして、その時はすぐに俺の眼の前に現れた。

 エレナはがっしりと足で己の体を支え、渾身の一撃を相手のガードの上から殴りつけたのだ。

 既に限界を超えているカテリーナは思い切り吹き飛ばされてがっくりと膝をつくと、憎しみのこもった目でエレナを睨みつける。だが、動くことは難しそうだ。

 さっきの一撃で腕は折れてだらりと下げてしまっている。それにもはや立てそうにないほどに足は腫上がり、正気を保っているのが信じられない。

 それでもなお、カテリーナは立ち上がった。

「まだ、まだ終わってませんよ。私はまだ……」

 正直、ここまで見せつけられると感服せざるを得ない。だけど、結果は既に予測できている。

「いや、終わりだ」

 俺は周りを見渡して告げる。

ホーエンハイツ国の兵はもうほとんどいなくなり、残っているのはネーデロイド国の兵ばかり。そんな中で敵の総大将が一人動けないのだとしたら……。

「まだ戦え……ひっ、なんだお前たちは! 私はホーエンハイツ国の、やめろ、やめろおおおおお!」

 鎌に斧、鉈や桑を持つ農民がカテリーナに駆け寄ると容赦なく叩きのめしていく。

 一対一じゃない。ここは大勢の兵が集う戦場だ。

それにお前の最大の敗因は、俺とエレナを最後に合わせたことだ。

 カテリーナは切りつけられながらももがいていたが、やがてピクリとも動かなくなった。

「これが『疑似戦争』であれば死なずに済んだのにね」

「カテリーナも分かっていたさ。だけどあいつはこの道を選んだんだ」

 俺がすぐさまネーデロイド国の兵に退却を言い渡すと、全員が安堵の表情をするのを見逃さなかった。

しかし、どこかやりきれない気持ちが残っているのだろう、殆どの兵が唇をかみしめている。

もうここに用は無い、さあ、最後の仕上げだ。

「私もそろそろ行くわ」

「そうだな。後はまた手筈通りにな」

「ええ、次は闘技場で会いましょう」



 

「さあて、ここで一発負けてやらないとなあ、リンゼル」

「何を言ってるのですか、完全にこっちはとばっちりを受けているんですよ?」

「でも安心しろ、悪役は俺だけってことになってるからな」

「それは、そうですが……本当によろしいのですか」

「大丈夫だ、リンゼルはリリアに怪我をさせないように注意をしてくれたらそれでいい」

 それきり口を閉ざしたリンゼルと共に俺は闘技場へと歩き出した。

 身にまとう服は煌びやかでシルクのように軽い。もうこんな豪華な服は二度と斬る事が出来ないだろう。

 日の光が俺の目を一瞬だけ暗ませ、次第に視界がはっきりすると俺は周囲を見回した。

 観客は大ブーイングを起こして俺の文句を口々に言いつけてくる。中には空き瓶を投げつけてくる輩もいるのだから、はた迷惑な客たちだ。

「『魔眼』の研究を主導で行っていたと言うのは、やはり撤回した方がいいのでは?」

「国同士がぶつかってあれだけの被害を出したんだ。その原因をみんな知って、行き場のない怒りを感じている」

「だから、悪役になってその怒りを引き受けるなんて……」

「裏で何をやっていたかなんて誰も知らないし、偽の情報でも表に出れば噂がどんどん広まる。こんなふうにな」

 ホーエンハイツ国はネーデロイド国から圧力を掛けられ『魔眼』の研究を行っていたことになっている。しかも数日前の戦争では、その口封じのためにホーエンハイツ国を襲った設定だ。加えて全ての主導権はカトレアがいなくなった今、俺にあると言う認識で広まっていた。

 『疑似戦争』はもう一度再開されることになり、国家間での全面戦争禁止条約まで出来た。世界はよりいっそう固まった。その証拠に今日はこの闘技場に各国の格闘姫が無防備な状態で姿を見せている。

 俺が前を見ると、そこにはエレナとリリアが立っていた。どちらも見違えるような服装で、見るだけでもなんともありがたい気持ちになれるのだから不思議だ。

 今日の試合はリリアがカテリーナの仇内にと俺に招待状を送った形となっている。そのためここにいる観衆は誰一人として俺の見方はいないのだ。

 そして、この場で一番安堵の表情をしているのは、戦いを見守る教会の連中だった。俺達の一族には既に全て話してあるのだ。だけどその席に西の一族の人間はいなかった。

 ハイネはまだホーエンハイツ国にいると言うのに。

 そんな事を考えていると悪役の俺を見て、エレナとリリアが口を開く。

「さてと、じゃあ行くわよ。リリア!」

「は、はい!」

 エレナが走りだし、俺も真っ先に駆け出す。

 瞬く間に距離がつまり、お互いの表情がはっきりと見て取れる。

「私、一度あんたを打ってみたかったのよ」

 だからそんなにニヤけていたのか。

「後で膝枕お願いな」

「か、考えとくわ」

 短く言葉を交わすと俺は振りかぶったエレナに思い切り殴られる。予定通りだが、まじで痛い。

 そんなに嬉しそうにするなよ、まあいいや。

 俺は遠くなる意識の中でそう思いながらゆっくりと目蓋を閉じた。



 ガタンと揺れる振動が俺の体を揺さぶって浅い眠気を追い払う。

 心地いい風と木々の臭いが充満し、あの戦場に立っていたことがまるで嘘のようだ。

「よく寝れたようね」

「ああ、ぐっすりだ」

 頭の下に柔らかい感触を感じながら、膝枕をしてくれるエレナを見上げた。

 彼女は手にさっき買ったアイスを舐めながら幸せそうな顔をしている。なるほど、俺はこれを長い間見ていなかったと言う訳か。

「式典はどうなってる?」

「さあ、もうすぐで到着だから自分で確かめなさい」

 このやわらかい枕から頭を離すのは名残惜しいが仕方ない。

俺は上体を起こすと、馬車の荷台から顔を出して遠くを眺めた。祝砲の音がここまで聞こえて来るし、人のざわつきも感じ取れる。

「あんた達、ホーエンハイツ国の式典にいくのかい?」

 御者が馬を叩きながら尋ねてきた。何とも優しそうなおじいさんだ。

「ええ、招待されましたので」

「ほう! そりゃすごいことだ。 リリア女王がネーデロイド国の王を『疑似戦争』で倒してくれたおかげで、皆は一安心じゃよ。それに噂ではあの後死んだらしいからなお愉快じゃ」

 ああ、そうだった俺は死んでいることになってるんだ。透明なら女湯に行き放題たんだけどなあ。

 そんな呑気な事を考えている間にも御者は嬉しそうに話しを続ける。

「今日の式典はリリア様が正式にホーエンハイツ国とネーデロイド国を統合して納める日じゃから、なんともめでたいわい。しかもお付のリンゼル様とは恋仲だとかの噂もながれておるよなあ。めでたいことじゃわい」

 大口をあけて笑うおじさんは、それからあらん限りの罵声で昔の俺を罵り始める。

顔はダメだとか、頭がおかしいとか、身長低いとか、女たらしだとか。

もういいじゃん! てかおじさん初対面だよね? いくつか当たってるんですけど。

耳を押さえてしまった俺は、隣で爆笑しているエレナを睨みつけた。

「あんたってば、そんなこと言われてたの?」

 ひいひいと腹を押さえて目に涙を溜めるほどエレナは笑い、さらに荷台をばしばし叩いて揺らしている。

「も、もうダメ死んでしまうわ」

 悶絶するエレナはやがて大きく息を吐くと、まだにやけている顔を俺に向けてきた。

 ふくれっ面の俺がそんなに面白かったのか。少し癪に障る。

「なんだよ」

「この目が『神眼』だったらカイトの顔を見れなかったわ。こんなにも楽しいのね」

「うるさい! 俺の顏くらいこれからいつだって見せてやるよ」

 時々とんでもないことを言って来るから困ったもんだ。

 俺は目をそむけようとしたが、しっかりと両手で頬を挟まれエレナから目を離せなくなった。

「ここには他の女の子はいないわよ」

「知ってる、もうお前しか見ないって」

 エレナを直視できなくて、必死こいて他の女の子を探していたと言うのに、どうやらばれていたようだ。



 式典は盛大に開かれてはいたが、俺とエレナは裏口からリンゼルの助けを借りて城内に入って行く。

 死んだことにはなっているが『疑似戦争』から数日しか経っていないのだ。人々の記憶から俺の顏が消されるまで辛抱するかしない。

「長旅お疲れ様でした」

「別にどうってことないさ。死んだことになったから、一回村に帰っただけだしな」

 西と東の両一族はあの悲惨な状況を目の当たりにして、結局は争うことは無かった。それどころか西の一族は責任を追及されて、教会の座から身を引いたのである。

 これも俺とエレナの活躍のたまものと言って過言では無いはずだ。なにせ千年続いたいがみ合いを終わらせたのだから。

「中々賑わっているようね」

「はい、リリア様も人前に出ることに慣れておられまして、今では積極的に外に出られるんですよ」

 にこやかに言うリンゼルだが、その予兆はホーエンハイツ国を抜け出した時からあったに違いない。なにせ一人で隣国までたどり着いたお転婆な姫だぞ。

「そう言えば、ここに来るとき御者の人が恋仲だとか言ってたな」

 何食わぬ顔で俺が言うとリンゼルはあからさまに挙動がおかしくなる。

「ば、馬鹿な事を言ってはいけません。リリア様と私は……従者? 子弟? まあそんな感じなのです」

 何故かぎこちない身振り手振りで言い訳がましいことを言いつつも、まんざらでもなさそうだ。

 俺達がからかっていると、長い廊下の向こうにいる人物が手を振りながら駆け寄ってきた。

現ホーエンハイツ国女王のリリア・ホーエンハイツはいつもより逞しく見える。

初めて会ったときなんてしがみ付いてきたのになあ。成長するとこうもかなしくなるもんか。

「カイトさん!」

「やあリリア、元気にしてたようだね」

「うん、リンゼルがいっぱい頑張ってくれたから大丈夫でした」

 と褒められてデレデレのリンゼルは俺の視界から外すことにしよう。

「ハイネはどうした?」

「地下牢にいます。あの光景を目にして今は放心状態に近いですが。それでも償ってもらわないといけません」

今でこそ民衆はネーデロイド国が引き起こした事件であり、ホーエンハイツ国は操られていただけだと思っているがそれは真っ赤な嘘だ。しかも裏では二極神教会の一族が関わっていたのだから、全貌を知るとひっくり返る者もいるだろう。

「それよりももうすぐ式典始まりますよ! 原稿覚えましたか?」

 リンゼルが思い出したように言うと、リリアは大きく頷いた。

「大丈夫だよ、昨日覚えたから。じゃあ行きましょう」

 リリアが歩き出すと、俺達もそれに続いた。

 今日の主役はリリアだが、呼ばれておいて式典に出席しないなんてことは無い。

 真っ赤な絨毯の上を歩いていくと、民衆が集まる広場の見えるベランダに出た。眼下にいる老若男女が歓声を上げて、リリアの名前を連呼している。まるで有名人だ。いやまあ、有名なのはそうなのだが。

「みなさん、今日は記念すべき日です。ホーエンハイツ国とネーデロイド国は統合され、新たな国に生まれ変わります。つい数か月前、私たちは経験したことも無いような『戦争』をしました。あの地獄を見て誰もが思った事でしょう。『これではダメだ』と。ならば今一度『疑似戦争』を再開するしかないのです」

 民衆はさらに声を上げてリリアをたたえるが、彼女はすうっと右手を上げて国民を黙らせた。

「ですが、一番いいのは誰もが傷つかないことです。貧困も差別も無くし、誰もが笑いあえるような日々を送る事が出来る国を私は作っていくと宣言いたします!」

 瞬間。

 観衆の熱は最高潮に達した。

 演説を終えたリリアは城内へと足を向けると、俺達の方を見て微笑んだ。

「どうでした?」

「立派なもんだ。俺が施設に送って行ったときはあんなに泣いてたのにな」

「そ、それは言わないで下さい!」

「カイトさん後で話を聞かせてください!」

 リリアとリンゼルが真逆の反応を示すと、俺はお手上げとばかりに両手を上げて中立の意を表した。

「ところで、お二人はこれからどうされるのですか?」

 そう問われて俺とエレナは顔を合わせる。

 当初の予定だった『魔眼』の阻止と破壊は出来なかったものの『戦争』では無くて、『疑似戦争』で領土を決める世界を守る事は達成した。

 だからこの後はエレナと一緒に住もうと話していたのだが、言ってしまえばそれ以外は何も決まっていない。

 そのことを伝えると、リリアはふふっと笑った。まるでカテリーナみたいだ。

「そうでしたか。それではホーエンハイツ国の魔法陣技師養成学校と格闘姫養成学校の設立をお願いできますか? 貧しくても誰もが通える学校を始めに作りたいのです」

 なるほど、これがリリアが目指す国の第一歩と言う訳か。

 だったらしょうがない。魔法陣技師は男女関係ないからな、もしかするとかわいい子が入って来るかもしれない。

「カイト、あんたどうやら癖になっているようね」

「い、いやまてまて。何も考えてないからな。それエレナの妄想だから」

「嘘をつくんじゃないわよ!」

 俺はその場から急いで逃げ出すと、後から追ってくるエレナの声を聴きながら、さて、どう言い訳しようかと考えるしかなかった。

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格闘姫と魔法陣技師 桜松カエデ @aktukiyozora

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