それをエゴと呼ぶならば

沖田 陣

それをエゴと呼ぶならば

 捨て猫、という響きに私が最初に思い浮かべた感情は、哀れみでもなく、同情でもなければ「捨て」猫という境遇を作り出した元飼い主への怒りだった。


 三年前。

 私が高校受験を目前に控え、毎日毎日うんざりするような塾での講義を終え帰途についていたところ、彼女は突然私の目の前に現れた。


 安っぽいドラマよろしく【和歌山みかん】とでかでかと書かれたダンボールの中に子猫がちょこんと居座っている。

 繁華街と住宅街の間を抜ける細い路地裏。そこを通るといつも『危ないからやめなさい』と親から注意を受けるその暗くて細い道に、小さな小さな三毛猫がぽつんと独りで丸くなっていたわけだ。


 塾に向かうときにはいなかったから、心無い元飼い主は辺りが暗くなったのを見計らってここに捨て去りにきたのだろう。猫を捨てるという行為より、自分の世間体を気にするなんてとんでもない奴だ、と当時の私は憤りながら子猫の居座るダンボールの前にかがみこんだ。


「キミ、捨てられちゃったんだ?」


 見たところ―――といっても、私は動物にそんなに詳しくはないんだけど―――まだ生後間もないようで、おそらくは自分の預かり知らずのところで繁殖してしまった子猫を持て余した故の行為だったんだろう。


「……うちにくる?」


 その問いかけをした時の私の感情が、冒頭の「怒り」だったわけだ。

 猫自身に対する感情は、不思議なことにほとんど抱いていなかったような気がする。

 そして子猫が――きっと偶然だったんだろう。私はそう思うことにしている――、タイミング良く『にゃあ』と返事をしてくれた。


 私は彼女を連れ帰り一晩かけて両親を説得した。

 そうして、三年前のあの日、彼女は我が家の家族となった。


     □■□


 彼女――捨て猫リズ――は、今は元気に我が家で暮らしている。晴れた日には大抵屋根上にあがって、ドラ猫のように真ん丸くなって惰眠をむさぼり、雨の日には私の部屋に転がり込んできては、ベッドの上でこれまた惰眠をむさぼっている。

 あれから、三年。

 大学受験を控える私には、この捨て猫リズとのお遊びが、受験勉強に疲弊した頭を休める恰好の休息時間となっていた。


「お前は暢気でいいよねぇ」


 ベッドの上でふかふかの毛布に沈み込むように丸まっているリズの頭をなでてやると、彼女は小馬鹿にしたように大あくびをした。

 そうして、まるで「私が暢気に見えるのは、あんたの勝手なエゴでしょう」とでも言いたげな眼差しで私を見据え、それから気分を害したような素振りでベッドから一躍すると、そのままするりと半開きだったドアの向こうに姿をくらましてしまった。


「……」


 それは、そうか。

 私は自分の思い違いに気付いた気がした。

 猫が暢気に見えるだなんて、そもそもが私たち人間の身勝手な見解なのだろう。彼女ら――もちろん彼らも――は、恐らくは私たち以上に必死に「今」を生きている。ともすれば人間の勝手な都合で生活の場を奪われ、そして与えられ、一生を終えていく。そこに人間からの愛情がたっぷりと注がれていたとしても、それが本当に彼らの望む環境だったのかどうかはわからない。


 だけど。

 だけどその上で、彼らはその生きていかなくてはならない用意された箱庭の上で一生を謳歌していく。大あくびをかまし、惰眠をむさぼり、我が物顔で廊下を闊歩する。

 全て、私たち人間が与えた限定した空間の中で。

 私たちに、それができるだろうか? それを暢気という言葉で片付けるのは、何故だかとても罪深いような気がした。


「リズー、リズー。こっち帰っておいで。ごめんねー、謝るからさぁ」


 勝手な思い込みかもしれない。

 何を大層に考えているんだか、と思われるかもしれない。それでも私は、リズのことを暢気と言ってしまったことに後悔の念を覚えていた。


「うにゃあ」


 リズは何故か――ドアのすぐ向こうにでもいたのだろうか――呼び声と同時に部屋に戻ってきた。そしてそのままあぐらをかいていた私の足の上に飛び乗って丸くなってしまった。


「あはは、許してくれるんだリズ」


 リズは、今度は鳴かなかった。

 そんなにタイミング良くはいかないか。


「お前、どこか遠くに行きたくなったら行っちゃってもいいんだからね?」


 冗談のように呟き、その言葉に自分が思っていた以上の切実さが篭っていたことに私は驚いていた。けれど、リズはその小さな顔をあげて私を見やると、今度は「はぁ?」とでも言いたげに目を細めて、馬鹿にするように鼻を鳴らした。


 ……どうやら、ここを出て行く気はないらしい。

 私は嬉しいような、だけどどこか悪いような、なんともいえない気持ちになってしまった。


「でも、ずっといて欲しいんだよ?」


 さっきよりもよっぽど切実に、私はその願いを自分のふくらはぎの上にいる子猫に落とした。彼女はそんな私の意味不明な行動にさすがにもう鬱陶しくなったのか、サっと一躍して私の足の上から出ていくと、そのままベッドの上のいつもの定位置にくるんと納まった。

 毛布が彼女の体重分だけ沈み、私の位置からは耳とシッポだけしか見えなくなる。

 それからしばらく私は受験勉強に打ち込み、リズは後ろでスヤスヤとまどろんでいた。次に私が彼女を見たとき、リズは気持ちいいくらいに体を大の字にして爆睡していた。


「リズ、ごめんねー」


 それを見た私は一言先に謝っておいた。


「やっぱり、お前は暢気だなぁ」


 猫にも色々あるんだろうけど。

 私は、そんなお前が大好きなのさ。

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