僕が高校生の頃、ライトノベルという造語はまだなかった(と思う)。
当時僕が読んでいたファンタジー小説といえば、「魔術士オーフェンはぐれ旅(著:秋田禎信)」や「必殺お捜し人(著:小林めぐみ)」というシリーズで、良くも悪くも今のいわゆる「ラノベ」とは少し毛色が違うものだっただろうと認識している。
だった、と断言できないのは、僕が「今のラノベ」を読んだことがないからだ。
僕が書店で最後に買ったラノベというと、おそらく「デュラララ!」か「バッカーノ!」(どちらも著:成田良悟)だったと思うが、多分2005年くらいの頃である。
それでもって、それらの作品もまた「今のラノベ」とは違うかったのだ、と勝手に決めつけている。
今のラノベを読んだことのないお前に何がわかるんだよww と後ろ指さされて笑われそうな話だが、実際自分の中では笑い話では済まない話なので困っている。
なぜか。
僕は「今のラノベ」を読んだことがないが、なんとなく「今のラノベ」ってこういうもんでしょ、という先入観を持ってしまっている。
・ツイッター
・まとめサイト
・メディアブログ
大体この辺りから仕入れられる情報で、僕の「今のラノベ」に対する偏見が完璧に出来上がってしまっているのだ。
それが実際どんな偏見を持っているかはさておいて、問題なのはその偏見のせいで、僕が「今のラノベ」的な物語を書くことを避けてしまっているということだ。
社会人にもなって、そんな話ばっか書いてどうする、というわけのわからない強迫観念に取りつかれてしまっているわけである。
おそらく最初はそんなつもりじゃなかったんだと思う。
社会人にもなって、さすがにコレ系の表紙の小説買うのハズいなぁ――くらいの感覚だった。
でもいつしか、こう思ってしまっていた。
――自分がアオハルを謳歌していた頃のファンタジー小説こそが「ラノベ」であり、「今のラノベ」はただの劣化版。あの頃の「自分にとってのラノベ」に比べたら、有象無象でしょうよ、と。
いやぁ。
社会人こじらせちゃったなぁ、と思う。
そんな読みもせず、周りから入ってくる本当かどうかもさえわからない情報だけで決めつけるような性格じゃなかったんだと思うんだけれど。
まぁ何が言いたいかというと。
いい加減そんなこじらせからは卒業してですね。
いっちょ「今のラノベ」を書いてみたいなぁと思ったわけです。
勝手に偏見を持って、勝手に見下して、そして勝手に遠ざかってしまっていた――その距離を縮めて。
中学二年生の冬。
自室の薄暗い空間の中で、ワードプロセッサーを使い始めて短編小説を書き上げた時の、あのなんともいえない感覚がまた味わえるんじゃないだろうか、と勝手に期待してワクワクしている。
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※プロフィール欄に書いてある通り、僕がこのカクヨムに登録したのはとある下心があったからであり――そして、信じられないことに(僕にとっては最高の奇跡だった)、その出会いが一つ達成できた。
そんなきっかけが、僕のこじらせをいい加減修復してくれる特効薬になったといえば、彼は笑ってくれるだろうか。