13.八塩折之酒

 俺が黒龍の手下になってから、早三週間の時が過ぎていた。

 その間、幸いにして荒事を任されるようなこともなく、もっぱら館の警備や黒龍が外出する時のお供が主な仕事だった。

 そして驚いたことに、きちん給料も出る! 手付金として当面の生活費を既に貰っていたし、一週間後には正式な給料をもらえるらしい。会計係のリザードマンから聞いた話じゃ……ギルドの報酬よりも幾分か上等な額だ。

 黒龍の館の離れに寝泊まり出来る部屋も提供してもらってるし、ギルドと比べたら至れり尽くせりだな。――まあ、部屋はオーク族の連中と相部屋なので、決して良い環境とは言えないんだが。


 そのオーク族の連中だが……あれだけ俺のことを目の敵にしていたのに、今じゃ憎まれ口を叩きながらも何だかやけになれなれしい態度を見せはじめていた。

 黒龍が俺のことを気に入っている(ように見える)から、一応は媚を売っておこうということなのか。それとも、実は人懐っこい連中だったのか。色々と考えてみたが、どうにも判断がつかない。

 ま、どちらにしろ俺の方から仲良くするつもりはないから、適当にあしらっておくがな。変に情が湧いても後で困るし。


 黒龍の館では、オーク族以外にも色々な種族が働いていた。

 俺と同じ人間種は主に小間使い担当で、その殆どはメイドだ。リザードマン種は、会計係やら運転手……もとい御者、料理人やらのような専門職を担当している。あと、館で働いている者ではないらしいが、金髪碧眼のエルフ族の姿もぼちぼち見かけるな。

 どうやら黒龍の「取引相手」らしいが……一体何を取引してるんだか。おおよそろくでもないものだろうさ。


 メイド連中とは何度か隙を見て世間話もしてみたな。ナンパじゃないぞ? 少しでも黒龍についての情報を得る為だ。

 顔立ちから判断するに、異民族ではなく街の連中と同じ民族の出身らしい。東アジア人によく似た感じだな。

 黒龍は案外と面食いなのか、美人が多い印象だが……どうにもただの美人軍団じゃないらしい。オーク連中が言うには、彼女らは戦闘要員も兼ねているのだとか。

 実際、オーク連中の一人がメイド達に言い寄ったところ……そいつは翌朝、ボコボコにされた状態で離れのトイレの中に倒れていたらしい。メイド達は何も言わなかったが、彼女らに制裁されたのは明らかだった、とはオーク達談。

 彼女らも黒龍の組織の立派な構成員ってことなのかもしれないな。少なくとも、カタギの人間ではないのだろう。


 結局、彼女達からはめぼしい情報は得られなかった。

 口が固いのか、そもそも情報を持っていないのか……。やけに愛想よくはしてくれたが、そういう態度も「振り」で。俺を油断させるものかも知れない。

 何せ俺はまだ、黒龍から信頼されているとは言い難いのだ。


 黒龍の野郎は、気に入った部下を度々酒の席に誘うらしいんだが……俺はまだ一度もお呼ばれしてない。

 手土産に「ヒバリの丘亭」から奪ってきた(ことになっている)黒酒を持ってきたのも、そういった部分へのアピールだったんだが、効果なしだったかな?

 流石に少し焦るぜ……。


 ――等と考えていたことが顔に出ていたのか、それとも黒龍に内心を見透かされていたのか。俺はその夜、突然に黒龍から酒の席へ誘われることになった。

 メイド達の庭掃除を手伝ってたら、通りかかった黒龍に突然「エイジよぅ、今晩、酒に付き合ってくれよぅ」なんて声をかけられたもんだから、思わず変な声が出そうになったぜ……。


 なんにせよ、ここが正念場だ。

 おそらく、黒龍の野郎は酒を酌み交わしながら俺が本当に信に足る人間かどうか、値踏みしようって腹なんだろう。

 人間、深酒をすると色々と隠してる本音やら何やらがポロッと出ちまうもんだからな――。


 そして夜。メイドに誘われて俺が向かったのは、館の敷地内にある、人工の池のほとり――そこに建つ東屋あずまやだった。

 四本の柱や天井は真紅に塗られ、どこか中華風にも見える屋根瓦は深い緑色。そしてその中に、これまた真紅に塗られた円卓が置かれている。

 更には、精細な格子細工がいかにも高そうな椅子が二脚。一脚には既に黒龍がふんぞり返って座っており、俺の姿に気付くと顎でもう一脚に座るよう指示してきた。


「先にやってたぜぇ、エイジぃ」


 黒龍は既に出来上がっていた。

 俺が手土産として持ってきた黒酒のかめを傍らに置き、柄杓ひしゃくで酒をむと、器に注ぐのがまどろっこしいのか、それに直接口を付けて飲んでいた。――なんか、デジャヴだな。


「ほれ、オメェも飲めやぁ」


 言いながら、もう一本用意していたらしい柄杓を俺の方に投げてよこす黒龍。おいおい、俺にも同じ飲み方をしろってか?

 ……上等じゃないか!


「――いただくぜ」


 意を決し、甕に柄杓を突っ込む。引き上げたそれには黒酒がなみなみと……ええい、ままよ!

 俺が一気に柄杓の中身を飲み干すと、黒龍が「いけるくちじゃねぇかぁ」とゲラゲラと笑いだした。

 黒酒は決して不味い酒じゃない。むしろ美味い。日本酒に深い渋みと苦味を足した感じで、なんとも癖になる風味を持った美酒だ。

 だが、その度数は日本酒やワインよりは高いらしく、しかもやけに飲みやすいせいで……ついつい飲みすぎて酔い潰れてしまう悪魔の酒でもあった。


「今晩はこいつを空けちまおうと思ってなぁ。エイジぃ、手伝ってくれるよな?」

「……おいおい、甕一つで足りるのか? 黒龍の旦那も相当ならしいじゃねぇか?」


 俺の答えが気に入ったのか、黒龍は珍しく人懐っこい笑顔を見せると、再び柄杓を甕に突っ込み、酌んだ黒酒をグビグビと一気飲みし始めた。そしてそれを飲み干すと、俺の方に柄杓の底を見せ付けて、何やら甕の方に目配せをしてきた。

 ……どうやら「交互に飲もうぜぇ」ということらしい。

 飲み比べ勝負ってことか、上等だ!


 その後、俺と黒龍はひたすらに酒をあおり続けた。人が一人くらい入れそうな甕には、まだ半分くらい黒酒が残っていたはずなのだが、それが物凄い勢いで減っていく――そして俺の世界もグルグルと凄い勢いで回り始める。

 チラッと黒龍の方を窺うと、野郎はまだ涼しい顔をしていた。

 くそう、黒龍って言うより文字通りの蟒蛇うわばみだな!


 ――それから、一体どれくらいの酒をあおり、そしてどれくらいの時間が経っただろうか。ふと気付くと、黒龍が酒を酌む手が止まっていた。

 最初は遂に甕の中の黒酒が尽きたのかと思ったが、そうではなかった。

 黒龍は池の水面――いつの間にかそこに映っていた三日月を眺めながら、遠い目をしていたのだ。

 そして――。


「俺によぅ、酒の飲み方を教えてくれたのは、おやっさんだったんだぜぇ……」

「おやっさん……『ヒバリの丘亭』の大将のことかい?」

「ああ。おやっさんは親父の弟分でなぁ、ガキの頃はよく遊んでもらったもんよぉ」


 突如として始まった黒龍の昔語りに、俺は戸惑いの表情を浮かべていた――が、実はこれはだ。

 全ては狙い通り……。内心では飛び上がって喜びたい気分さ!

 だが、ここが正念場なのだ。ボロを出す訳にはいかない。

 俺はあくまでも戸惑ったポーズのままで、黒龍の話を聞き続けてやらねばならない――。

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