12.深く静かに遂行せよ

 一週間ぶりに足を踏み入れる盛り場は、まるで別世界のように感じられた。

 街並み自体は変わっていない。酒場や露店が立ち並び、路地には客待ちの娼婦や道行く人々を値踏みしているオーク族の姿がある。くそったれな、相変わらずの盛り場の姿だ。

 だが、違う。今、俺に向けられている視線は敵愾心てきがいしんに満ちたそれだった。


 ま、無理もないな。何せ俺は今、盛り場の怨敵たる黒龍の部下なんだから。

 部下を引き連れて我が物顔で盛り場を練り歩く黒龍一派――俺も今やその一員だった。


『あんたの下に加えてくれねぇか?』


 そう申し出た俺を、黒龍の奴は快く迎え入れてくれた。「歓迎するぜぇ、兄弟」とも言ってたな。

 ただまあ、その言葉自体はただの社交辞令だろう。黒龍だって馬鹿じゃない。いくら因縁のある「ヒバリの丘亭」の大将と揉めてる人間だからって、流れ者の俺をそう簡単には信用しないだろう。

 ただ単に、一応の筋を通して配下に入れてくれと申し出てきたから、邪険にしなかっただけだ。


 この辺りは日本のヤクザとあんまり変わらないな。

 無法者だからと言って「なんでもあり」って訳じゃない。無法者にもそれ相応のルールが――通すべき筋ってもんがある。

 ただ暴れたいだけのチンピラならいざ知らず、黒龍は仮にも組織の長だ。ただの暴君に部下はついてこない。組織の中で「これだけは最低限守らなければならない」という筋道を示してやらないといけない。


 黒龍の場合、それは「自分にとって利益になるかどうか」らしい。

 義理や人情はどうでもよくて、相手が自分に益を与えるか否かが全て。いくら媚びへつらって来る相手でも、自分に益がなければあっさり切り捨てる。

 大将の話じゃ、先代の黒龍が人情重視だった反動で、息子の当代はビジネスライクな性格になっちまったらしいが……。


「どうだい、エイジ。うちのにはもう慣れたかぃ?」

「ああ、おかげさまでな。ちと暴れたりねぇが……な」


 だから、一見すると「新しい職場」にまだ慣れてない部下を気遣うかのようなこの言葉も、実際には俺のことを値踏みしているものなんだろう。

 俺が何かくだらないお世辞くらいしか返さなかったら、黒龍の中で俺の評価がだだ下がる。

 逆に、今のように「指示さえもらえればいつでも暴れてやるぜ」という気概を見せれば評価が上がる……かどうかは怪しいところだが、少なくとも「使えない奴」というレッテルを貼られることはない――多分、な。


 もし黒龍が狂犬みたいな野郎だったら、配下として懐に飛び込むなんてのは無理な話だった。奴がある種の現実主義者だからこそ、この作戦は成り立っている。

 黒龍は、無闇矢鱈に暴力を行使したりはしない。大量破壊兵器と一緒だな。力をちらつかせることで、「俺と争っても益はないぞ」と相手に知らしめ、交渉を有利に運ぶ。

 暴力を振るうのは、暴力前提で歯向かってくる相手に対してか……それ以外に手段がなくなった時だけだ。


 今こうやって、部下を引き連れて盛り場を練り歩いてるのも、言ってみれば示威行為ってやつだな。

 「やろうと思えばいつでもやれる。だが、こちらには余裕があるから簡単には手を出さない。だから従え」ってな無言の圧力だ。相手がこの無言の脅しに屈してくれれば、めでたく無血開城って寸法になる。

 黒龍らしい、いやらしい手だぜ。


 まあ、そのお陰で俺は未だに「怪物」とか言うハッタリをかましてられるんだが……いざ、荒事を望まれたら、俺の実力がハリボテであることなんてすぐにバレてしまうだろう。上手く立ち回らなければならない。

 幸いにして、今のところ黒龍も事をこれ以上荒立てる気は無いみたいなんだが……だったら何故、「証文」の呪いの抜け道を利用するなんて少々リスキーな真似をしてまで、焼き討ちなんてさせたんだろうな? 黒龍のような卑怯かつ慎重な男が、直接ではないにしろ過激な手段に訴えたって点がどうにも気になる。


 当代の黒龍が盛り場の連中と折り合いが悪かったのは元々らしいが、「証文」を手に入れようとあからさまに動き始めたのは比較的最近のことらしい。

 どうも、この辺りに黒龍の野郎につけ入るヒントがありそうなもんだが……そういった事情を知るには、もっと奴の信用を得ないとな。冷静に、慎重に事を運ばにゃならん。

 ――内心でそんな決意を改めて固めた、その時だった。


「――あっ」


 通りかかった路地の方から、そんな間抜けな男の声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だ。この声は……フェイか?

 顔を向けずに目だけで声のした方を窺うと、案の定、そこにはなんとも言えぬ間抜けな――悲しそうな表情を浮かべたフェイの姿があった。


 ――フェイにもリンにも、今回の作戦のことは話していない。

 器用なリンはともかく、見るからに嘘をつくのが苦手そうなフェイには、黒龍達の目を欺くことなど無理だろうという、俺と大将の判断だった。

 フェイが下手な演技をしたせいで、俺が「ヒバリの丘亭」や盛り場全体を裏切ったのが嘘だと黒龍に知れたら、作戦は台無しになる。

 リンについても、なんだかんだとフェイに甘い所があるようだから、そちらから情報が漏れないようにと黙っていることにしたのだ。


 フェイは路地から顔を出して俺の方に歩み寄ろうとしたが……黒龍やその部下達の姿を一瞥いちべつすると、諦めたように顔を伏せて、そのまま路地裏に引っ込んでいってしまった。

 ――よせよ、そんな捨てられた子犬みたいな顔で去っていくのは。こっちが演技を続けられなくなるじゃないか……。


 黒竜による「示威行進」は、そのまま盛り場を一周するように続けられた。

 結局、盛り場側から黒龍側へ接触してこようとする連中はいなかったが……俺はずっと不信感や怒り、哀れみ、悲しみなど様々な感情のこもった視線を浴び続けていた。「ヒバリの丘亭」の常連や、ギルドの仕事で知り合った連中が、様々な感情を無言の視線に乗せてぶつけてきたのだ。

 俺は、思ったよりも盛り場の連中から愛されていたのかもしれないな。


「エイジよぅ、嫌われたもんだな?」


 そのことに気付いたのか、黒龍がニヤニヤしながら俺にそんな言葉をかけてくる。

 ――なるほど、わざわざ俺を連れて盛り場を練り歩いてみせたのは、そういうことか。

 黒龍の野郎は、俺と盛り場の連中の反応が見たかったんだ。俺が本当に裏切っているかどうか、その反応から探ろうとしたんだな。

 もちろん、第一の目的は示威行為だったんだろうが、「ついで」とばかりに俺がどの程度信用出来るのか、値踏みしてたってわけか。全く、いやらしい奴だぜ!


「――ふんっ。遠巻きに眺めるだけの連中のことなんざ、気にしてられねぇぜ! 直接たかってくる分、まだ羽虫の方が上等な存在だな!」


 だから、俺は黒龍が望みそうな言葉を――盛り場の連中を挑発するような過激な言葉を大声で返してみせた。

 途端、そこら中の路地から殺意のこもった視線が向けられるが……しばらく待ってもこちらにちょっかいをかけてくる奴はいなかった。


「よぅし、引き上げるぜぃ!」


 黒龍はその様子に満足したのか、普段からニヤけている顔をますますクシャクシャにすると、高笑いしながら引き上げ始めた。

 当然、部下である俺達も続く。


 結局、ジリジリと焼け付くような殺意のこもった視線は、盛り場を抜けるまで俺達の背中に刺さり続けたのだった――。

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