14.酒は飲んでも呑まれるな

「俺はよぅ……おやっさんには一目置いてたんだぜ? 俺が二代目を継いだ時だって、組織の相談役におさまってくれねぇかって、口説いたもんよぉ……」


 池に映る三日月を眺めながら、黒龍はいつしか昔語りを始めていた。


 ――大将から聞いていた通りだ。

 黒龍の野郎、基本的に酒は底なしなんだが、ある一定量を超えると一気に酔いが回るらしく、そこから先は「語り上戸」になるんだと。それでいらんことをベラベラと喋り始めるもんだから、先代から禁酒を言い渡されていたらしい。

 黒龍も先代が健在な内はその言いつけをしっかり守っていたらしいんだが、先代が亡くなると途端に深酒をするようになったって話だ。

 なんでも、大将と当代の黒龍が揉めることになった原因の一つも酒、なんだと。全く、酒は飲んでも呑まれるな、だな。


「だがよぉ、おやっさんは決して首を縦に振らなかった――どころか、部外者のくせに俺のやり方にあれこれ口を挟むようになりやがった! いつまでも子供扱いさぁ!」


 穏やかに大将のことを語っていたかと思えば、今度はいきなり激昂し始める黒龍。

 まるで癇癪持ちの子供みたいだが、これも酔いが回った証拠らしい。

 口が軽くなる上に、感情がたかぶりやすくなる。しかもそれでいて記憶が飛ぶわけでもない。

 この手の酔い方をする奴は、多くの場合、酔いが覚めた後に自分の行いを後悔し反省するもんなんだが……黒龍の奴は後悔も反省も全くしないらしい。


 大将が黒龍と袂を分かったのは、先代が禁じていた高利貸しやらご禁制の品物やらに手を出したことが一番の原因らしいんだが、きっと黒龍自身のこういった性格も大きな理由の一つだったんだろうな。


「二言目には『先代の教えを守れ』『義理人情を大事にしろ』だぜえ? そんなもんで腹が膨れたら苦労しねぇ! 盛り場に貸してる土地だってよぉ、きちんと整備しなおせば莫大な金を生むはずなのによぉ。地代の一つも取らねぇって、そんなんおかしいだろぉ? なぁ?」

「……あの広大な土地を無償で提供ってのは、まあ太っ腹を通り越して呆れる話だわな」

「だろぉ? ったくよぉ、忌々しい『証文』さえなければ、あんな場末の歓楽街すぐにでもぶっ潰して更地にしてしてやるのによぉ! 。まどろっこしいったらありゃしねぇぜぇ!」


 ――ここだ。おそらくここだ。

 『すぐにでもぶっ潰して更地にして再開発してやる』と黒龍は言った。そして『遅々として進まねぇ』とも。

 『進まねぇ』って言葉は、進ませようとしている具体的な計画なり何なりが無ければ出てこないものだ。

 つまり、黒龍が「証文」を――盛り場を手に入れようとしている理由は、その再開発とやらにあると見て間違いないだろう。ならば、まずはその再開発についての具体的な内容が欲しい。

 慎重に言葉を選んで、少しでも多くの情報を黒龍から聞き出さないとな……。


「へぇ、再開発、ね。具体的にはどうするんだい?」

「ん~? そりゃあよぅ、今みてぇにそれぞれの店が好き勝手にやるんじゃなくて、俺がきちんと音頭をとってよう、酒・賭博・女で溢れた本格的な歓楽街に作り変えてやるのよぉ。街の外からも人を呼べるパラダイスをよぉ!」

「なるほどなぁ……。今度は地代もきちんと取るって感じかい?」

「はっ! 何ヌルいこと言ってやがるのよぉ! 全ての店のオーナーはもちろん俺よぉ! 地代とか以前によぉ、売上は全部俺のもんよ!」

「ほぅ……」


 なるほど、店子に土地を貸すんじゃなくて、全ての店を黒龍の組織の直営にするってことか。

 確かに、あの土地の広さを考えればかなりの規模の商売になるんだろうが……それを管理運営するにはそれ相応の能力が求められる。

 黒龍の組織は確かにそこそこでかいが、その主な商売は金貸しや土地貸し、非合法なあれこれの裏取引だ。歓楽街の経営ノウハウなんて無さそうなもんだが、大丈夫なんだろうか?


「各店舗を任せられる人材はいるのかい? やっぱり、盛り場の連中から筋の良さそうなのを見繕みつくろうとかするのか?」

「ああ~ん? なんで盛り場のアホ共を雇わなきゃいけないんだ? ……ほれ、屋敷に出入りしてるエルフ連中いるだろぉ? あいつらの伝手でなぁ、この街で商売したい連中なんざぁ、街の外からいくらでも調達出来るのよぉ!」

「街の外から? なるほど、それなら盛り場の連中の手を借りずに済む、な」


 黒龍の言葉に頷きながら、俺は危機感を募らせていた。

 もし黒龍に「証文」を全て渡してしまえば、盛り場で暮らす殆どの人々が行き場を失うことになる。

 このまま抵抗を続けていても、じわりじわりと黒龍の攻勢は進み、何らかの手段で盛り場はボロボロにされてしまうだろう。


 しかも、黒龍の裏にはエルフ族の連中もいるらしい。

 エルフ族は基本的にはプライドが高く愛想がないものの、最低限の礼儀は守ってくれる連中だ。だが、中には街の人々を「格下」と見下し、エゲツない商売を仕掛けてくる連中もいるらしい。黒龍の館に出入りしているのは、まさにそんな連中だ。

 肌は白いが、腹の中は真っ黒。そんな雰囲気を感じてやまない。


 ――やはり、盛り場を救うには事を起こさねばなるまい。


 その後、黒龍は自らの武勇伝や無駄話をベラベラと語るだけ語ったかと思ったら、突如「疲れた」と言い出して館に帰ってしまった。

 ったく、ガキか、あいつは……。


 俺はそのまま、池に映る三日月を眺めながら酔いを覚ました。

 正直、黒龍が酔っ払う前にこちらが酔い潰れるんじゃないかというギリギリのラインだった。バブル期のアホみたいな飲み会ノリで鍛えられた俺を追い詰めるとは、まさに黒龍恐るべし……だ。

 逆に言えば、当時馬鹿みたいに酒を飲んでいたから、今回助かった訳だが。

 人生、どの経験がどこで役に立つかなんて、本当に分からないものだな。


 池から夜空に目を移す。そこには、水面に浮かぶそれではない、本物の三日月が怪しく輝いていた。

 異世界のはずなのに、俺の世界のとそっくりな三日月が。


 ――三日月と言えば、本場フランスで食べたクロワッサンは美味かったな。三日月クロワッサンって名前の割にあまり三日月っぽい形をしてなかったが……。あれはどちらかというと菱形だな。

 特にあれだ、あいつが教えてくれたあの店のクロワッサンは絶品だった。あいつ……あれ、あいつの名前はなんだったっけ……?

 おかしいな。全く思い出せない。毎日のように一緒に過ごしていた、彼女の名前が……。

 くそう。なんか、頭が、痛いぞ――。


「――エイジ」


 ――ふと聞こえた俺を呼ぶ声に、嘘のように頭痛が消えた。

 気付けば、今まで姿を消していたシリィが、ふわふわと目の前に浮かんでいた。


「シリィ! 今までどこにいたんだ? 色々手伝ってほしかったんだが……」

「うん。だから今来たんだよ。エイジ、『ヒバリの丘亭』の大将に、伝えたいことがあるんじゃないの?」


 ニッコリと笑顔を浮かべるシリィ。まるで「エイジの言いたいことは全てお見通しだ」と言わんばかりの、いつものあの笑顔だ。

 ……相変わらず何を考えているの分からない奴だが、今はこいつを頼りにするしかない。


「ああ……。大将に伝えてくれ。『予定通りに実行する』ってな」


 大将とは事前に綿密な打ち合わせをしていた。だから、それだけ言えば伝わるはずだった。


「本当にそれでいいの? エイジ」


 俺の言葉を聞くと、シリィは珍しく悲しげな顔をしながら、そんなことを尋ねてきた。

 シリィに作戦のことを伝えた覚えはないが……きっと大将が話したんだな。

 まあ、我ながら馬鹿というか無茶というか危ないというか、そんな作戦だと思うよ。だから、シリィにまで心配されちまったんだろうさ。だが――。


「ああ、やる。それで盛り場をサクッと救って、そんで今度こそこの街とオサラバさ!」


 俺の決意は揺るがない。

 危ない橋でもなんでも渡ってやるさ。今度こそ、後悔しない為に――。

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