4.黒い男
差し入れを配り終えた俺とリンが「ヒバリの丘亭」へ戻ると、店内は何やら剣呑な雰囲気に包まれていた。
中には入らず、開け放たれた入り口からそっと店内を窺う。すると――。
「おやっさんよぅ、おかしな意地張ってないで、さっさと証文を渡した方が身の為だぜ? 俺はよぅ、善意で言ってるんだぜ?」
「渡せねぇモンは渡せねぇ。とっとと帰りな!」
フロアの真ん中で、スーツによく似た黒い服に身を包んだ小男が、大将と対峙していた。
年の頃は四十絡みか、俺よりは下に見える。この街の人々の典型的な――俺の世界での東洋人に似た顔立ちをしているので街の人間なんだろうが、見覚えはない。
切れ長の目を更に細め、
その証拠に、小男の背後にはオークの大男が四人も控えて、大将に鋭い眼光を向けている。基本的にオークに「良い奴」はいないので、まず悪党で間違いないだろう。
――まあ、そもそも盛り場の連中は「悪党」ばかりなんだが。
大将の背後では、フェイが青い顔をしながらオロオロとしていた。
フェイほどの
そう考え、店内に踏み入――ろうとしたら、リンに肩を掴まれて止められた。見れば、口の前で指を立てて、しきりに「しぃー!」と囁いている。店の中の連中に気付かれるな、ってことか?
リンは更に、出来る限りの小声で続ける。
「駄目だよエイジ! 今、店の中に入るのは危ない!」
「あの小男、そんなに危ない奴なのか? なら尚更、大将達に加勢しないと――」
言いかけて、ようやくリンの異変に気づく。
いつも健康そうな桃色のリンの頬が――顔全体が蒼白になっていた。しかも体は小刻みに震えている……酷く怯えているらしい。
リンは腕っぷしだけなら俺よりもずっと強い。この街で出会った人間の中でも、かなり強い部類に入る印象だ。
そんなリンをこれだけ怯えさせるなんて、あいつは――。
「リン。あの小男は、一体何者なんだ……?」
「あいつは……。エイジ、あいつこそが黒龍本人だよ」
「……なんだって?」
今、リンははっきりと言った。あの小男こそが
どこからどうみても人間にしか見えないあいつが、黒龍? 黒龍って言うから、ファンタジーに出てくるようなバカでかいドラゴンを想像してたんだが、もしかしてただの人名なのか?
俺が頭に疑問符を浮かべている間も、大将と小男――黒龍の押し問答は続いていた。
「証文をよこせ」「渡さん」みたいな言葉をお互いに繰り返している。絵面だけ見るとコントみたいだが……二人が交わしているのは言葉だけじゃない。離れてみている俺にもありありと伝わる殺気が、二人の間に渦巻いていた。
そんなやり取りがどれだけ続いただろうか。やがて――。
「――強情なのは昔から、だなぁ。分かったよおやっさん。今日の所は引き上げる。だが……よく考えるんだな。このまま大人しく証文を渡せば、何事もなく平和な老後が送れるんだぜぇ?」
「ふんっ。俺は俺の好きなように生きるだけだ!」
「あっそ。じゃあ、好きにしな。俺も好きにするからよぅ」
この場は黒龍の方が折れたらしく、捨て台詞を残して店を出ようと歩き出す。
……って、やばい。こっちに来るじゃないか。俺とリンは隠れた方が良くないか? いやしかし、今から変な動きをした方が目を付けられる可能性も――。
「ん? 貴様、エイジ!!」
「――!?」
リンと二人、店の前でまごまごしていたら急に名前を呼ばれてしまった――が、黒龍の声ではない。奴の取り巻きのオークの一人が、俺を見咎めたらしい。
……はて、誰だったかな? オークは正直見分けがつかないので、よく分からんのだが。
「この間は恥をかかせてくれたブヒね! 今度は覚悟するブヒよ! 俺達は黒龍様の部下になったブヒ! もうあの筋肉ジジイや包丁野郎も怖くないブヒよ!」
どうやら前に店を襲撃してきたオーク連中の一人らしい。奴らは盛り場デビューしたてのゴロツキ集団だったはずが、どうやら黒龍の配下に加わったみたいだな。
オークは鼻息を荒くしながら、今にも俺に殴りかかってきそうな雰囲気だ。前は大将やフェイ、リンが怖くて俺や「ヒバリの丘亭」には手出しして来なくなっていたが、後ろ盾を得たから強気になってるらしい。
……って、これ俺ピンチじゃないか? このまま逆襲されちまうんじゃ?
「――待ちな」
俺が「どうやって逃げようか」等と必死に頭を回し始めたその時、オークを静止する黒龍の声が周囲に響いた。さっき大将と話していた時とはまるでトーンの違う、腹に響くような圧を感じる声だ。
途端、オーク達は一歩下がり直立不動の姿勢を取る。その顔は恐怖でひきつっているようにも見えた。
「エイジ……と言ったなぁ? 最近、
ニッコリと、柔和そうな笑顔を浮かべながら尋ねてくる黒龍。だが、その身にまとった雰囲気はとても柔和なんてものじゃない。
日本にいる時、何度か頭にヤの付く連中の組長に会ったことがあるが、ああいった手合いと同じ雰囲気を感じる。こいつは、笑顔で人を殺せるタイプの人間(龍?)だ。
ここはどう答えるべきか? 例のろくでもない噂に乗じてハッタリをかますか、それとも謙虚に出るか……よし。
「――フッ、やめてくれよ。あんたみたいな本物の怪物の前じゃ、その呼び名はちと恥ずかしいな。ただのエイジで結構だ」
――ここはハッタリだ!
この手の輩は、あからさまに怯えたり過剰に卑屈になったりする連中を嫌う傾向にある。最低限の礼儀を保ちつつ、堂々と相対する人間は逆に好かれる――はず。
あくまで俺の経験則なんで根拠は無きに等しいが、ここは自分の勘を信じるぜ!
「……ほぅ。噂通りに度胸があるじゃねぇか。歳がいってる割には気骨十分ってところか。気にいったぜぇ。強ぇ奴はいつでも大歓迎だ。気が向いたら俺の城に遊びに来るといいぜぇ? ――行くぞ、おめえら!」
『は、はいブヒ!』
――果たして、俺のハッタリは正解だったのか。それとも黒龍の気まぐれだったのか。とにもかくにも、黒龍はオーク達を引き連れて、「ヒバリの丘亭」から去っていた。
とりあえずは、助かったと思って良いのか、な?
「エ、エイジぃ!! 怖かったようぅ!!」
俺がほっと息を吐いていると、店の中からフェイが飛び出して俺にしがみついてきた。
おいこらやめろ。野郎に抱きつかれて喜ぶ趣味はない! どうせ抱きつかれるならリンの方が良いぞ!
……等と内心思いつつも、無下に引き剥がす訳にもいかない。とりあえず背中をポンポンと叩きながらなだめることにした。
「リンも大丈夫か?」
「えへへ、ちょっとチビるかと思ったけど、大丈夫だった……」
あわよくば「あたしも怖かった!」とか言いながら抱きついて来ないかと考えたが、リンの方は案外しっかりしていた。でも、年頃の女の子が「チビる」とか言うのはおじさんどうかと思うぞ。
しかし、リンの言葉じゃないが……確かに俺もちょっとチビりそうではあった。
黒龍の野郎、あんなに小柄なのに感じる圧は半端なかった。まるで興奮したアフリカゾウが目の前にいるみたいな恐怖を感じたぜ。全然名前負けしてねぇぞ。
そもそもあの野郎、何しにここに来たんだ? 何やら大将に「証文を渡せ」とか言ってたが。
「黒龍相手によくもまあ、ハッタリをかましたもんだ。相変わらずのくそ度胸だな、エイジ」
フェイに続いて、大将も店から出てきた。
「くそ度胸」って点で言えば大将も一歩も退いてなかったじゃないですか……等と軽口を叩こうとして、俺はあることに気付いてしまった。
――大将は額にびっしりと汗をかいていた。堂々と対峙していたように見えたが、大将をしても黒龍はヤバイと感じさせる相手らしい。そんな相手にハッタリをかましたのかと自覚すると、今更になって背筋に冷たいものが走った。
「とんだ邪魔が入ったが……俺らも飯にするぞ!」
大将の言葉に、フェイとリンが「はーい」と返事をハモらせながら店に入っていく。さっきまで怯えていたのにもう元気になってやがる。
まあ、俺も流石に疲れたからな。飯を食いながら一休みさせてもらおう。シリィと元の世界に戻る為の相談をするのは、その後だ――。
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