3.炎の日

「こいつぁ……酷いな」


 フェイに連れられ盛り場へと辿り着いた俺は、眼の前に広がる無残な光景に思わず絶句した。

 盛り場は、いくつかの大きな通りや路地によって何区画かに分かれているんだが……その内の一区画が、丸々焼け落ちてしまっていた。「ヒバリの丘亭」とは通りを挟んで隣の区画だ。

 幸いにして他の区画への延焼は防がれ、「ヒバリの丘亭」も被害を免れていたが……通り沿いの壁には、あちらこちらに煤汚れが目立つ。紙一重のところで難を逃れたってところか。


 この街の建物は石造りのものが多いが、全部が全部石で出来ている訳じゃない。外部にも内部にも、所々に木材なんかが使われている。「石造りの家が多いから延焼とは無縁」とはいかないらしい。

 加えて、盛り場には掘っ立て小屋同然の建物や露店、屋台なんかも相当数ある。どこかの路地なんかは、屋台が所狭しと建ち並んでいたので、そちらから火が回っていたら延焼は防げなかっただろうな。


 焼け落ちた区画は木造の建物が多かったのか、一部の建物が焼け焦げた石の骨格を残してかろうじて原型を留めている以外は、殆どが黒い消し炭となって無残な姿を晒している。火の勢いが相当に強かったんだろう。

 この分だと、犠牲者もかなり――。


「あっ! エイジ~! 良かった、無事だったんだね!」


 俺を呼ぶ声に振り返ると、両手に何やらのような物を持ったリンの姿が目に入った。ちょうど「ヒバリの丘亭」から出てきたようだが……。


「丁度良かった! 今から片付けや怪我人の手当をしてる人達に差し入れするから、手伝って! フェイはお店の方で店長のお手伝いをお願い!」


 なるほど、大将の姿が見えないので気になっていたが、どうやら店の中で差し入れの飯を作ってるみたいだな。盛り場の連中は、普段はお互いに不干渉だが、困った時は助け合うのが暗黙のルール……みたいな話を前に聞いたが、それを実践してるって訳か。

 「あいよ!」等と威勢よく返事をして店に駆け込んでいくフェイを見送りつつ、リンから岡持ち的な物体を片方受け取る――が、予想以上にズシリと重く、危うく腰が悲鳴を上げそうになった。

 リンの怪力を忘れてたぜ……。


「これ、中身は何が入ってるんだ?」

「蒸したてのお饅頭まんじゅうだよ! 店長がジャンジャン作ってるから、チャッチャと配るよ!」


 言うやいなや、リンは超重量の岡持ちを片手で軽々と持ちながら駆け出す。鉄砲玉みたいな元気さはリンの長所だが……少しはこのロートルにも気を遣ってくれないものか?

 そのまま通りを駆けていくリンを必死に追いかける。俺が若かったとしても追いつけるかどうか怪しいリンの健脚に、思わず舌を巻く。あの細い美脚のどこにあんなパワーが秘められているのか……謎だ。


 ――リンに連れられて辿り着いたのは、盛り場にある唯一の教会だった。どうやら今回の火事の対策本部的なものが置かれているらしく、せわしなく人が出入りしているのが見えた。

 くそったれ共の集まる歓楽街には不釣り合いに立派な教会で、盛り場の建物の中では大きい部類に入る。普段も集会所代わりに使われることもあるらしいから、非常事態の時の利用も想定されていたのかもしれないな。


 教会の中は人でごった返していた。

 普段は礼拝に使われているであろう、整然と並んだ長椅子は簡易ベッドとして怪我人を寝かすのに使われている。

 奥の祭壇――何を祀っているのかは知らない――の方で何やら話し合っている揃いの服を着た集団は、確かこの街の騎士団、つまり警察組織に当たる連中だったかな? 普段は治外法権に近い盛り場だが、あれだけ大規模な火事が起こった後だと、流石に官憲の介入を許すらしい。


「あたしは騎士団の人達に配ってくるから、エイジは怪我人を診てる先生達に配ってあげて!」


 リンが指差す方を見やると、白装束の集団が怪我人達の世話をしているのが目に入った。何やら薬を塗ったり包帯を巻いてやったりしているようだから、どうやら医者や看護師の集団らしい。彼らに岡持ちの中の饅頭を配れってことか。

 ちなみに、この街で言う饅頭は、日本のもののようにアンコが詰まったやつではない。どちらかと言うと「蒸しパン」に近いもので、ほんのり甘くモチモチしていて中々に美味だ。切れ目を入れて肉や野菜を挟んだりもするな。

 片手で食べられるから、なるほど、今みたいに忙しい場面での差し入れにはもってこいって訳だ。


 ――饅頭はあっという間に無くなった。どうやら医者連中は、昨晩から不眠不休、飲まず食わずで怪我人を診ていたらしく、空腹と疲労の極地にあったらしい。俺が饅頭を配り始めると、我先にと群がってきてその場でむしゃむしゃ喰らい始めた。

 一応、全員には行き渡ったみたいだが……饅頭一つずつじゃ全然足りなそうだな。それに、怪我で動けない連中も物欲しそうにこちらを見てる。彼らも相当に腹ペコなんだろう。


「みんなー! 今『ヒバリの丘亭』でジャンジャンお饅頭を蒸してるから、もらえなかった人も安心して! もちろんお代は結構だから、ちゃんと元気になって、それで改めてお店に来てね!」


 そんな怪我人達の不安とも不満ともつかぬ感情を目ざとく読み取ったのか、リンが営業スマイルと共に彼らを安心させる言葉をかけた。看板娘の面目躍如めんもくやくじょだな、狙い通り怪我人達の表情が柔らかくなりやがった。

 こりゃあ、また「ヒバリの丘亭」の常連が増えちまうな。


 その後も、リンと俺とで店と教会の間を何往復もして、ようやく饅頭はほぼ全ての人に行き渡った。人の出入りも激しかったから、教会にいる連中の数よりも多い饅頭をさばいたことになるかな?

 本当なら元の世界に戻って仕事探しでもしていたはずなのに、何の因果か、こちらの世界でよく働いてしまった。ま、非常事態だから仕方ないが。


 問題はむしろこれからだ。もう一度ちゃんと元の世界に帰れるのか。こちらの世界に引っ張られないようにするにはどうしたらいいのか。きちんとシリィに聞かなきゃいかん。

 そもそも、ヨアンナの恋心以外に俺がこの世界の引き寄せられた理由ってのがよく分からん。昨晩の火事の時に俺の姿が見えなかったから、みんなが俺の無事を確認したいと思ってくれたのかな? それとも、火事場の後片付け要因として欲しがったのか?


 ま、今はともかく疲れたから、一旦「ヒバリの丘亭」に戻って一休みさせてもらおう。シリィと話をするのはそれからだ。


 ――等と、のんきに構えていた俺の思惑とは裏腹に、「ヒバリの丘亭」には更なる危機が迫っていた。

 俺も流石に予想外だったよ。まさか、盛り場を焼き討ちした張本人である黒龍ブラックドラゴンが「ヒバリの丘亭」に乗り込んでくるなんて――。

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