5.アラフィフ、再び芋を剥く

 「ヒバリの丘亭」で遅い昼食を取った後、俺はシリィと一緒に例の階段の前までやって来ていた。無論、元の世界に帰る為なんだが……。


「あ~、これは駄目だね、エイジ。諦めた方がいいよ~」

「マジか……?」

「うん、マジで。もうエイジの世界との重なりが、殆どなくなってる。また一ヶ月待たないと駄目だね~」


 シリィの言葉に目の前が真っ暗になる。また一ヶ月、こちらの世界で暮らさないといけないだと? なんの冗談だ。


「しかもね、エイジ。忘れてないとは思うけど、エイジはこちらの世界に戻ってきちゃったんだから、その原因も取り除かないと、次に帰った時もまた同じことが起きるかもしれないよ~?」

「……そっちの問題もあったな」


 黒龍関連のあれやこれやでドタバタしていたせいで忘れちまっていたが、そもそも俺は何らかの原因でこちらの世界に「引っ張られて」戻ってきてしまったんだった。

 シリィの話によれば、「俺の助けを求めている人達」の思いに引っ張られたのだというが……考えられるのはやっぱり、黒龍関連のトラブルだよな。でも、黒龍みたいなヤバイ奴との戦いに、俺みたいなアラフィフが必要とされているとも思えないんだがなぁ……。


「なあシリィ。俺に助けを求めている人達ってのは、具体的には誰なんだ? お前、何か心当たりがあるみたいだったが」

「ん~? オイラ、心当たりがあるなんて言ったっけ~?」

「はぐらかすなよ! 重要なことだろ!?」


 またとぼけたような態度を取り始めたシリィに、思わず声を荒らげる。こっちにとっては死活問題なんだ。いつもみたいにはぐらかされたら困る!

 だが――。


「エイジさぁ……~?」

「……どういう意味だ?」

「さあね~。自分でよく考えてみたら~」


 シリィは更によく分からない言葉を重ねるだけで、はっきりとした答えを口にしてくれることは無かった――。



   ***


 「ヒバリの丘亭」に戻る頃には、既に街は夕暮れに染まっていた。

 盛り場の建物がオレンジ色に染まる中、焼け落ちてしまった区画だけが黒く沈んでいて、否応にもその存在を意識せざるを得ない――のだが、「ヒバリの丘亭」の店内は既に賑やかな雰囲気に包まれていた。

 あんな酷いことがあったばかりだというの、全くしたたかな連中だ。……いや、違うか。あんなことがあったからこそ、いつも通りに過ごしているのかもな。


「あ、エイジ! もう、どこ行ってたの!? 見ての通り超大忙しだから、エイジも早く手伝って!」


 フロアではリンが忙しなく動き回っていた。俺やフェイ、大将も厨房と掛け持ちで手伝うこともあるが、フロア要員は基本的にリン一人だ。目が回るほどの忙しさのはずだが、リンは持ち前の要領の良さでそれをせっせとこなしている。

 今も、分身でもしてるんじゃないかって速度で、注文や提供、下膳を流れるように片付けている。その合間合間に常連客達との雑談までこなしてるんだから、全く恐れ入る働きっぷりだ。


 厨房へ向かうと、大将がひたすら鍋を振り、フェイはひたすら芋の皮剥きをしているといういつもの光景が目に飛び込んできた。たった一日いなかっただけのはずなのに、何故だか物凄く懐かしく感じるのは何故だろうか。


「エイジ、いいところに! 夜の仕込みがまだ全然終わらないんだよ! 助けて!」


 フェイが、初めて会った時と同じような青い顔をしてそんなことを言ってくるもんだから、思わず苦笑いしながら「はいよ」と返し、芋の皮剥きを手伝い始めた。


 そのまま黙々と、フェイと一緒に芋の皮剥きを続ける。この一ヶ月、当たり前のように続いた日常の光景だ。

 リンは縦横無尽にフロアを駆け回り、大将は無言で鍋を振り続け、俺とフェイは黙々と芋の皮を剥く。たったの一ヶ月続けただけの生活なのに、なんだかもう何年も同じことを繰り返してきたような感覚がある。

 この生活が、よっぽど俺の性に合ってたってことなのかね?

 確かに、ここでの生活は気に入っている。「怪物」だなんて噂だとか、ヨアンナからのストーカー行為だとかが無ければ、俺だってずっとこの生活を続けたかったくらいだよ。


 だが、永遠に変わらない日常なんてものはない。

 一歩外に出れば、店の前に広がっているのは焼け野原――黒龍に焼き討ちされたという、隣の区画の無残な姿だ。

 先程の黒龍の様子を見るに、いつ「ヒバリの丘亭」や盛り場全体が同じ目に遭ってもおかしくないように思える。俺が元の世界に帰らなくとも、遠からずここでの日常は失われてしまうかもしれないのだ。

 日常は姿を変えていくし、時間は待ってくれない。俺の意志とは関係なく、周囲の状況は刻一刻と変化していく。


 ――そんな当たり前のことが、何故だか今は無性に許せなかった。

 おかしいよな? さっきまで元の世界に帰ることばっかり考えていた男が、今は捨てようとしていた仮初めの日常が壊れることに腹を立てているだなんて。

 一体この感情がどこから湧いてくるものなのか、俺にはさっぱり分からない。自分自身のことなのに。

 でも、これだけははっきりしている。俺は、この「ヒバリの丘亭」が、くそったれな盛り場が滅茶苦茶にされるのが、たまらなく嫌なのだ。嫌で嫌で仕方ないのだ。


 だが、一体俺に何が出来るというのだろうか?

 そもそも、黒龍と盛り場の間にどんな確執があるのかさえ、俺は知らない。大将に聞いても「おめえには関係ねぇ」の一点張りで、何も話してくれない。

 どうやら「証文」とやらの存在が深く関わっているらしいんだが……。


「エイジ、どうしたね? 手が止まってるよ?」


 そんなフェイの声で我に返る。どうやら、考え込みすぎて芋を剥く手が止まっていたらしい。

 若い頃なら「ながら」作業なんて余裕だったんだけどな。年々そういったことが出来なくなってきている。

 こんな俺の出来ることなど、たかが知れている。だが、何かをやらずにはいられないという気持ちが、俺の中で確かなものになりつつあった。

 たとえ後一ヶ月でこの街を去るのだとしても、「ヒバリの丘亭」と盛り場が直面している危機に無関心ではいたくなかった。


 ――そうだな。さしあたっては目の前にいる口の軽そうな奴から、情報を聞き出してみるか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る