3.願い事ひとつ

「――で? 俺に何の用なんだい? お嬢さん」


 つとめて優しく尋ねたつもりだったが、奴隷の女性――名前はヨアンナと言うらしい――は、何やらうつむいて口ごもってしまっていた。やれやれ、こっちは急いでるんだがな。

 「急用があるから」とでも言ってさっさと逃げてしまえば良かったんだろうが……若い褐色美女にすがるような瞳で迫られたら、おじさん無下には出来ないのよね。


 今、俺達がいるのは街の中央広場の一角にあるカフェ……というか茶屋だ。

 辺りには多種多様な露店が並んでいて、賑やかなことこの上ない。俺達がいる茶屋も、石畳の上に直接テーブルと椅子を置いただけの露店で、軽食や謎のお茶を提供している。

 雑多な盛り場と違って、こちらは比較的治安がよく、雰囲気もどこかおしゃれな感じだな。露店も殆どが雑貨やら甘味やらで、酒類を出している店は少ない。

 都心で例えれば、盛り場は新宿で中央広場は原宿って感じかな? 俺は原宿なんてめったに行かないから、適当な印象だが。


 広場の中心にある噴水の周りでは、若いカップル達がイチャイチャと愛を語り合っている。なんでああいった連中は、わざわざ人目に付く場所でイチャつくんだろうな? そういう法律でもあるのか?

 ――まあ、俺も今は若い美女と二人でお茶してる訳だから、傍から見ればカップルに……は見えないか、流石に。どちらかと言うと、もっとに見えるだろうな。

 間違っても知り合いには見られたくない光景だな。盛り場の連中はまず寄り付かないが、ギルドの関係者なら通りかかるかもしれない。もうすぐこの世界からオサラバするとはいえ、あんまり悪い印象だけ残して去りたくはないもんだが……。


「もしかして、もっと人気の無い所の方が良かったかい?」

「アッ、いいえ……そういうワケではなく……」

「……すまないが、俺も暇じゃないんだ。単刀直入に頼む」


 ちょっとだけ語気を強めてみたが、別にイライラした訳じゃない。経験上、この手のタイプはこちらからきっかけを与えてやらんと、中々話を切り出せないもんだ。だからちょっとだけ急かしてみて、反応を見たのだ。

 ヨアンナは一瞬ビクッと体を震わせたが、俺が怒ってはいないことを悟ると、ようやく姿勢を正し、その重い口を開き始めた。


「実はワタシ、シミンケンをもらえることになったんです」

「シミンケン……? ああ、市民権か! そいつはめでたいな!」


 前にシリィかフェイ辺りに聞いたんだが、この街では異民族の奴隷でも条件さえ整えば、奴隷身分から開放されて市民権を得ることが出来るらしい。確か、ええと……どんな条件があったっけか?


「ワタシ、オクサマにとても可愛がっていただいて……ヨウジョにしていだたくことになりました」


 ヨウジョ……養女か。ああ、そう言えば身分の確かな市民の養子になれば、奴隷から市民に格上げされるんだったな、確か。

 オクサマってのは、ヨアンナの主人である老婦人のことだな。感じの良さそうな御婦人だったが、中身の方も見た目通りだったってことかな?

 この街での奴隷の扱いは、はっきり言って酷いもんだ。主人は奴隷の衣食住と生命に責任を持つ義務があるらしいが、については殆ど責任を負わない。死なない程度にこき使うし、どこぞの金持ちの変態オヤジが奴隷の少年少女を愛玩用にはべらしてるなんて、胸糞悪い噂も聞いたことがある。

 だから、ヨアンナのご主人様は余程出来た人物だったってことだ。


「そいつぁ婆さん、また思い切ったな! 良かったなお嬢さん! ほれ、祝い酒ならぬ祝い茶だが、遠慮せず飲め飲め。おごるからよ」

「アリガトウございます」


 ようやくリラックスしてきたのか、ヨアンナは微笑みを見せると、今まで手を付けてなかったお茶をすすり始めた。

 磁器製のコップを両手でしっかり持って口に運ぶその姿は、どこか小動物めいていて可愛らしいことこの上ない。

 ――あの時、オークに絡まれている彼女を助けなければ、この笑顔も見られなかった訳だから、俺のおせっかいも無駄じゃなかったってことかね?


 ……しかし、どうにも話が見えないな。

 ヨアンナが老婦人の養女になって奴隷の身分から開放される――それ自体はめでたいことこの上ない話だ。だが、その話がどうして、ヨアンナが俺を探していたことに繋がるんだ?

 ただ単純にお礼を言いたかったって雰囲気にも思えないが……。ここは単刀直入に聞いてみるか。


「それで、俺に用ってのは?」

「アッ……そうでした。その、実は……オクサマがワタシをヨウジョにしてくださるのには、一つジョウケンがあって……それがヒトリではどうしようもないことなんです。ダレカに頼まなくてはイケナイんですが、この街には頼れるヒトなんていないので、それで――」

「数少ない顔見知りである俺を探してたってことかい?」


 俺の言葉にヨアンナがコクリと頷く。

 ふむ、なるほど。確かに、奴隷身分のヨアンナがこの街で誰かに頼るのは難しいだろうな。あの婆さんもその辺りのことはよく分かってるだろうに。それでも養女にするのに他人の手助けがいるような条件を出したってことは、何か事情があるのかね?

 なんだか、ただの美談じゃ終わらない気がしてきたぞ。こちとら今日明日にもこの世界からオサラバするつもりなんだ。あまり面倒くさい事情には、首を突っ込みたくないぞ……。


「で、その条件ってのは何なんだい?」

「はい……実は、オクサマはダンナ様もお子様も早くに亡くされていて、テンガイコドクなのですが――」

「ほう、そいつはまた気の毒な……。そういう事情もあってお嬢さんを養女にしようと思ったってことか?」

「ハイ。それでですね……ワタシをヨウジョに迎えるのも、血は繋がっていなくてもいいからからだそうで――」

「マゴ……って、孫!? ってことは、つまり――」

「はい。おムコさんを探しなさい、と」

「……なるほど。そいつぁ難題だな」


 ヨアンナは美人だ。そいつは間違いない。「お婿さんになってください」なんて言われたら、断る男の方が少ないだろうよ。

 だが、彼女は未だ奴隷身分だ。さっきも書いたが、この街での奴隷の扱いは家畜のそれに近い。そんな状況での婿探しは、思ったより楽じゃないはずだ。誰でもいいって話でもないしな。

 しかもヨアンナには、この街に頼れる知り合いもいない――俺以外には。


 ちょっとチンピラオークから助けただけの俺を、そこまで信用してくれたことは素直に嬉しいが、こいつぁ少々難題だ。

 ヨアンナの事情をきちんとおもんばかってくれる、信頼のおける男を探さなきゃいかん。

 が、俺だってこの街に来てまだ一ヶ月だし、知り合いの男と言えばおやっさんやフェイ、「ヒバリの丘亭」の常連達と、とはあまり言えない連中ばかりだ。ろくなもんじゃない。

 まあ、あいつら本人は論外として、あいつらのつてを使えば候補も見つかるかもしれないが……それには時間もかかるだろう。今日明日でこの街を去る俺は、最後まで付き合えない。


 おやっさん達に後を託せればいいんだが、そうなると俺がこの街をこっそり去るという計画も芋づる式にバレてしまう可能性があるし……うーん、どうすればいいんだ?

 とりあえず、おやっさん達にヨアンナを紹介して、俺も手伝うふりをしながら次第にフェードアウトするしかないか……? よし、それでいこう!


「――お嬢さん。つまりは婿探しを手助けすればいいんだよな? 俺も顔が広いって訳じゃないから、頼りになりそうな知り合いにお嬢さんのことを紹介して手伝ってもらおうと思うんだが……どうかな?」


 俺を信用して頼んできたのに他の人間を紹介するなんて言ったら、場合によっては厄介払いされたと受け取られかねない。だから、あくまでも俺が主体で手伝うというニュアンスを含んで切り出したのだが……当のヨアンナは俺の予想外の反応を見せた。

 ――何故か頬を赤らめ、もじもじとしながらこちらに熱い眼差しを向けている。これは……。


「アノ……オジサンに頼みたいのはおムコさん探しではなくて――」

「……ではなくて?」


「オジサンに……アナタに、ワタシのおムコさんになってもらいたいんです!」

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