4.不惑の時を過ぎても

 ――日は暮れ始め、既に夕方。結局、俺は元の世界に戻らずに「ヒバリの丘亭」へと舞い戻ってしまっていた。

 色々な考えが頭の中に渦巻いてしまって、このまま帰るのをためらっちまったんだね、これが。


「あ、エイジおかえり~!」

「……ああ」

「ん? どうしたの? なんか元気ないみたいだけど」

「……ああ」

「なんか悪いものでも食べた?」

「……ああ」

「お昼、何食べたの?」

「……ああ」

「てんちょ~! フェイ~! エイジがなんか変~!」


 何やらリンが話しかけてきていたようだが、俺の耳には何一つ届いていなかった。

 つまりはその位テンパっちまってるんだね。恥ずかしいことにさ。


 中央広場の茶屋でヨアンナから「告白」された後、彼女は頬を赤らめながら「返事、マッテます」とだけ言い残して、その場を去ってしまった。

 一人残された俺は、「待ってますと言われても、俺はそっちの住まいも知らないんだが」等と的外れなことを思いながら茶をすする内に、ようやく事の重大さに気付き始めた。

 ――俺は今、親子ほども歳の離れた女に結婚を申し込まれたのだ。

 しかも異世界の、褐色の、奴隷身分の美女に。

 まさか俺の人生にこんなことが起こるなんて。正直、俺の思考の埒外らちがいの出来事だった。


 ……誤解のないように言っておくが、別に俺の今までの人生に女っ気が皆無だったわけじゃない。

 若い頃は顔に似合わずそこそこモテたし、世界を放浪していた時には何人かの女性とになったりもした。

 だから、別に女に免疫がない訳じゃない。


 とは言え、四十代に差し掛かった頃には異性関係も落ち着いて、自分で言ってて悲しくなるが、枯れた独り身の生活になっていた。

 スケベ心が無くなった訳じゃないんで、若い女にデレデレすることもあったが、手を出すなんて考えられなかった。そもそも、若い子達が金もないオッサンに興味を持つはずもないしな。

 だから若い女には、ある種の達観を持って接してきたんだが……。いやはや、こうやって告白されるなんて想定してなかったんで、俺の中でも気持ちの整理が全くつかないぞ。どうしたもんか?


 ――それに、だ。あくまでも推測だが、ヨアンナはと思う。危ない所を助けたら一目惚れされた……なんてのは一部の若いイケメンにだけ許された特権だ。俺のような枯れたアラフィフには、間違ってもそんな奇跡は起きないだろう。

 好意を抱いてくれているとしても、それは恐らく父親や兄貴分に対するそれに近い感情のはずだ。頼れる年上への依存心とでも言えば分かりやすいか? ようは「年上に甘えたい」って感情だな。

 おっさんにはよくあることなんだが、若い子のそういう「年上に甘えたい」という気持ちを恋愛感情と勘違いして一人で盛り上がった挙げ句、暴走気味にプロポーズしちゃったりするんだよ。そんで「そんなつもりじゃありません!」って撃墜されるの。おっさんは、そういう悲しい生き物なの……。


 ……話がずれたが、つまりヨアンナの俺への気持ちは切実な恋愛感情ではなく、頼れる年上に甘えたい、助けてもらいたいってものなんだろうさ。

 しかしそれでも、俺を信用して助けを求めてくれたことは事実なんだ。それを無下には扱えない。

 このまま黙って元の世界へ帰ってしまうという選択肢もあるんだが……頼ってくれた人間を見捨てるのは、俺の信条に反する。


 と言っても、じゃあどうすれば良いのかは全く思い浮かばない。

 しかもなんか、裏がありそうなんだよな、この話。そもそも、ヨアンナの主人が養女にする条件に婿をもらうことを挙げたってのがよく分からん。「孫の顔が見たいから」ってのは、なんとも取ってつけたような理由に思える。

 婿を取りたいんなら、養女にした後にいくらでも探せばいいだろうに。奴隷身分のまま相手を探すより、はるかに楽なはずだよな?

 本当に、どうしたもんか……。


「どうしたねエイジ? 帰ってきてからずっと香草を咀嚼そしゃくしちゃったみたいな顔してるね? 何か厄介な依頼でも引き受けちゃったのかい?」


 ヨアンナの件を考えながら芋の皮剥きをしていたら、フェイにそんな心配をされてしまった。

 よほど顔に出てたんだな。いかんいかん。年をとるとポーカーフェイスが出来なくなってくるな……。


「まあな、ちょっと厄介な依頼でな」


 とりあえずは適当にごまかしたが、このまま一人でウンウン悩んでいても答えは出そうにない。誰かに相談した方が良いのかもしれない。

 ギルドで受けた依頼というていでフェイに相談してみるか……? ちょっと頼りないが、やけに感の鋭いことがあるリンや、ただひたすらにおっかない大将に相談するよりはマシだろう。


「実はな、ギルドの依頼で――」


 重要な部分をぼかしながら事のあらましを語る。するとフェイは、思いの外真剣に耳を傾けてくれた。――というか、ちょっと表情が険しいような?


「――なるほどね。養女になる為の条件が婿を見付けること……ね。エイジ、悪いことは言わないから、その依頼は断ると良いね」

「……その口ぶりだと、やっぱり裏があるのか?」

「ああ。このままエイジがその奴隷にお婿さんをあてがった場合、そのお婿さんは地獄を見ることになるね」

「じ、地獄?」


 随分と穏やかでない単語が飛び出したな、おい。もちろん比喩的な意味なんだろうが……「地獄」ってのはどういうことだ?


「エイジは詳しくないかもしれないけど……この街の奴隷は女性の方が多いんだ。何故だか分かるかい?」

「……いかがわしい目的、とかか?」

「あはは、それもあるだろうけどね。根本的な理由は別の所にあるのさ。エイジ、異民族の人達にはね、とされる風習があるんだ」

「……なんじゃそりゃ? 男が働くんじゃ駄目なのか?」

「僕もよくは知らないけどね、女性が稼いだ金を親戚に送るのが『立派』なんだそうだよ。だから、この街の奴隷達は、売られてきたんじゃなくて。自分を売った金を親族にあげて、自分は奴隷としてこき使われてるんだね。全くもって理解し難いね」

「自分で自分を……?」


 そいつぁまた、何と言えば良いのか反応に困る話だ。

 男尊女卑とかそういうレベルじゃないよな……? この世界の文明レベルは決して低くないと思っていたが、人権意識は成熟してないのか? それとも、異民族が特別なのか?


「でね、エイジ。その依頼主さん? みたいに奴隷身分から開放されて市民権を得るって話は、実は珍しくないんだ。なにせ奴隷の数も多いからね。中には上手いことやって、金持ちの養子になったり結婚相手を見付けたりするのがいるのさ。でもね、せっかく市民権を得た元奴隷達は、今度は実家への仕送りを始めるんだよ!」

「し、仕送りだぁ?」

「うん、仕送り。市民権を得ればまともな職につけるから、もっと稼げるようになる。それで稼いだお金を故郷の親類に送るのさ。それで、結婚した場合は旦那さんに、養子になった場合は養親にも仕送りをするよう迫ってくるらしいよ? そういう風習を知らずに異民族の女と結婚した男や養子にしちゃった人は、だいたい酷い目に遭ってるね」

「……なるほど、な。確かにフェイの言う通り、この依頼は断った方が良さそうだ、な」


 ――フェイの話を聞きながら、俺は元の世界へ戻る決意を改めて固めていた。

 こんなの、逃げるしかないぞ!

 ヨアンナの主人はそういう事情を知っていたから、旦那というかを確保するべしって条件を出したんだな。

 それに、フェイの話じゃ異民族の女達は、故郷の親族に貢ぐことを「善行」だと思っているらしい。ヨアンナに悪意が感じられなかった理由も、それで合点がいった。


 ヨアンナには悪いが、明日の早朝にでも元の世界へ帰ってしまおう……。

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