6.逃げは恥ではない
「さあ、早く逃げるんだ!」
エリーズの号令に、俺とサビーヌは一目散に駆けだした。
チラリと後ろを窺うと、オリビエもその太っちょの体を揺らしながら、既に逃げの姿勢に入っていた――が、遅い! 逃げ切れるのか、あれ?
「エリーズ、何なんだあの化け物ネズミは!?」
「ドブネズミ達の上位種、
「……そういうことは先に教えてくれ」
ギルドやエリーズからその手の注意をされていれば、オリビエだってあんなことはしなかったはずなのだ。……ああいや、オリビエは納骨堂での作業経験があるって嘘を吐いていたんだったか?
いや、もしかしたら俺やサビーヌが似たようなことをやっていた可能性もあるんだから、周知不足を言わざるを得ない……が、どちらにしろ今は責任を追及している場合じゃない。
小型犬ほどの大きさの巨大鼠達は図体がでかい分、普通サイズのドブネズミより動きは鈍いようだが……それでも十分に速い! 油断してるとすぐに追い付かれてしまうだろう。
「エリーズ、あいつらに追い付かれたらどうなるんだ!?」
半ばその答えを察しつつも、聞かずにはいられない。
「……その昔、ドブネズミを駆除しようとした人達がいたらしいが……全員行方不明になったという話だ」
「……その心は?」
「骨も残らない」
「そいつぁ笑えないな!」
オリビエがドブネズミを虐めた時に見せたエリーズの狼狽振りから察してはいたが、やはり巨大鼠の群れに追い付かれたら、奴らにおいしくいただかれてしまうらしい。
考えただけでもゾッとする死に方だ。
「走れ走れ走れ! 追い付かれっぞ!!」
早くも遅れ始めたオリビエに活を入れつつ、全力疾走に近い速さでひたすら地下道を駆ける。
地下道は広くほぼ真っ直ぐではあるが、薄暗いランプの灯りだけでは何とも不案内だ。本来ならば全力疾走するなんて危なくて仕方ないのだが、そうも言っていられない。
巨大鼠達の速度は、ちょうどオリビエの全力疾走と同じくらいのようだが……太っちょのオリビエは早くも息が上がり始めている。このままじゃ追い付かれちまうだろう。
「……エイジ、『いざとなったらオリビエを見捨てる』なんて言ったら、君は私を見損なうかい?」
「エリーズ、お前……」
思わずギョッとして彼女の表情を窺うが、そこには邪なものは見受けられない。むしろ、何か覚悟を決めた顔だ。
「詳しくは言えないが、オリビエは教会時代、それは酷いことをやらかしてね。冒険者ギルドに来たのも、実のところ懲罰的な意味合いが大きいんだ。彼の元の雇い主は、『何かあっても助けなくていい』とまで言っていた位だよ。……でもね、だからと言って彼を見捨てていい理由にはならない。私の中の正義が、それを拒否している。……馬鹿だと思うかい?」
少し自嘲気味に笑ったエリーズに、俺は静かに首を横に振った。
一瞬、「あれ、この世界でも首を横に振るのは『NO』の意味だっけ?」等と益体も無いことを考えてしまったが、エリーズがはにかむような笑みを見せたので、多分きちんと伝わったのだろう。
だから、続けてこんな言葉を――我ながら恰好つけだと思うが――告げた。
「手伝うぜ、エリーズ。俺は何をすればいい?」
「! 感謝するよエイジ! では――」
走りながらエリーズが俺に作戦を伝える。まあ、作戦と呼べるほどのものじゃないんだが……。
俺達の使っているランプはオイル式のものだ。ギルドから支給された時点で燃料は満タンだったのでオイル切れの心配はないはずだが、それでも念の為、リーダーであるエリーズは予備のオイルを持ち歩いていた。
そいつを床にぶちまけて火を付ける。つまり炎の壁で巨大鼠の行く手を阻もうって寸法だ。
ただ、勢いの付いた群れのことだ、火を恐れも警戒もせずにそのまま突っ込んでくるかもしれない。野生の獣は、実はそこまで火を恐れないらしいしな。
だからこれはホンの時間稼ぎか気休めか、と言った程度のものでしかない。
それでも、やらないよりは数倍マシだろう。
「――よし、やるぞエイジ! スピードとタイミングが全てだ」
「おうよ、いつでもいいぞ!」
エリーズが荷物からオイルの入った茶色の瓶を取り出し栓を開ける――それが合図となった。
二人して足を止め巨大鼠の群れに向き直る。ここからは時間との勝負だ。
オリビエが通り過ぎるのを待って、エリーズが通路の端から端へとオイルを撒き始める。中途半端な量では意味が無いので、瓶の中身全てをぶちまける必要があるだろう。
俺はその傍らで
――巨大鼠の大群が迫る。
「――エイジ!」
そしてエリーズの合図とともに、ぶちまけたオイルにランプの灯を移した。
火はあっという間に燃え広がり、周囲をオレンジ色に染める。
「走れ!」
果たして、巨大鼠の群れは炎を恐れるだろうか? その効果の程を確かめる余裕も無く、俺とエリーズは再び駆けだした――。
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