7.尊い犠牲

 ――で。


「全然足止めになって無いじゃねぇか!!」


 俺とエリーズがリスクを冒してまで実行した「火の壁」作戦は、残念ながら全く功を奏していなかった。

 確かに、巨大鼠の群れは燃えさかる炎を一瞬だけ警戒したようだが、すぐに火の手の弱い所を見付けてそこを潜り抜けて来てしまっていた。

 全くの骨折り損だった。


「ひぃ……もう、限界……」


 俺達からやや離れた後方では、オリビエが息も絶え絶えと言った様子でヨタヨタと走っていた。が、それももう限界のようだ。先程から何度も足がもつれそうになっている。

 しかし、そんな限界状態にあっても、デッキブラシやらバケツやらのギルドからの貸与品を捨てようとしない所を見るに、案外オリビエにも律儀な面があるのかもしれない。

 だが、それにも限度ってもんがあるだろう。

 巨大鼠の群れは、既にオリビエとの距離を数メートルまで詰めつつあるのだ。


「オリビエ、荷物を捨てるんだ! 少しでも身を軽くしろ!」

「……え。いや、でも……」

「早く! 連中に投げつけてやれば多少の牽制にもなるだろ! それとも、ここで奴らの遅い昼飯になりたいのか!」


 オリビエの奴、この期に及んで何を躊躇ちゅうちょしてるんだか……。ブラシやバケツが自分の命より大切って訳でもないだろうに。


「オリビエ! 、エイジの言う通り荷物を捨てるんだ!」


 エリーズの言葉にオリビエもようやく覚悟を決めたのか、苦々しい表情を浮かべながら道具を捨て始めた。

 巨大鼠達への牽制のつもりなんだろう、デッキブラシを、スコップを、そしてバケツを時間差で後ろに放り投げていく。


 ――すると、どうだろうか。巨大鼠の一部がオリビエの捨てた道具類に殺到したじゃないか!

 あくまでも群れの一部が離れただけだが、一糸乱れぬと思われていた連中の動きに変化が生じたことで、明らかにスピードが落ちている。

 もしや、頑張って火を放たなくても、最初から道具類で牽制していた方がよっぽど足止めになったんじゃ……。


 ――その後、俺とエリーズの装備類もにしつつ逃げ続けた俺達は、いつしか例の貯水槽のある部屋まで辿り着いていた。

 ここから階段までは、まだ歩いて十数分程度の距離があったはずだ。オリビエの体力は持つだろうか……? と奴の様子を窺った所で、俺はある異変に気付いた。

 巨大鼠共の姿が見えない……?


「どうやら……彼らのを抜けたらしいね」

「縄張り?」

「ああ、地下の巨大鼠には幾つかの群れがあるらしくてね。それぞれの群れには、互いに縄張り意識というものが存在するらしいんだ。恐らく、私達を追っていた連中の縄張りを抜けたから、それ以上は追って来ないんだろう――とは言え、安心も出来ないしね。早く地上へ戻ろう」

「だな。おいオリビエ! もう少しだ、踏ん張れよ!」


 エリーズの言葉に頷きつつ、後ろをのたのたと走るオリビエに声をかけたが、既に足を交互に動かすだけの生き物と化している奴には声を上げる余裕もないらしく、何の返事もなかった――。



   ***


 長い長い螺旋階段を上りきり、鉄扉を開けると、まばゆいオレンジ色の光が目に突き刺さった。外はもう夕方だったらしい。


「――はぁ、死ぬかと思った……」

「何とか全員無事のようだね……」


 俺とエリーズは顔を見合わせ、思わず苦笑いを浮かべる。お互い息も絶え絶え汗でドロドロと、見れたもんじゃなかったのだ。

 オリビエはと言えば、既に地べたに転がってゼーハーゼーハーと荒い息を吐いている。もう話す気力も残っていないらしい。


 意外だったのはサビーヌだ。驚いたことに、殆ど息が乱れていない。常に俺達の先頭を走っていたというのに、だ。

 彼女、実は凄い人なんだろうか……?


「全く、初仕事からハードな大冒険になっちまったな……」

「はは、今回は運が悪かったね。流石に私も、こんなにスリリングな仕事はだったよ」


 「久しぶり」ってことは、エリーズは以前にも同じような危険な目に遭っているってことだよな? ……等と思いつつも、その「武勇伝」を聞く気にもなれず、俺は沈みゆく太陽をただ眺めるのだった。



 ***


「え……報酬これだけ、か?」

「はい。これが今回の全報酬となります」


 ――翌日。報酬を受け取りにギルドへと向かった俺に、受付女が例の事務的な口調で残酷な事実を告げた。

 受け取った紙幣(この街では硬貨と紙幣の両方が流通している)を何度数えてみても、事前に知らされていた報酬の半分程度しかない。


「エイジさん、エリザベートさん、オリビエさんは、ギルドからの貸与品を紛失なさいましたので、その分の弁償金を報酬から天引きいたしております。あ、こちらその明細です。ご確認を」


 言いながら、何やら数字が並んだ紙っぺらを俺に突きつける受付女。

 そこには、スコップやらの弁償額が羅列されていた……が、その金額に思わず目をむいた。


「ちょっと、これ高すぎないか?」

「規則通りですので。契約書にも同意して頂いたはずですが?」


 そう言って、受付女はもう一枚の書類を俺に突きつけた。

 見覚えがある。仕事を受ける際に交わした契約書だ。

 そこには確かに、「直接業務に関わること以外で貸与品を破損・紛失した場合は、報酬から規定の金額を差し引く」とあった。

 ……「規定の金額」とだけ書かれていて、具体的な額が書かれていないところに、そこはかとなく悪意を感じるのは気のせいだろうか?


「でも、作業時間内に起きたが原因なんだから、その辺りはもうちょい配慮があってもいいんじゃないか?」

「今回の件については、オリビエさんの不用意な行動が原因であったと、エリザベートさんから報告を受けています。業務上全く必要のない行動であったと。ギルドとしては故意の行為の結果であり事故ではない、と判断しました。また、本来ならば弁償金は原因となったオリビエさんお一人に支払って頂く所ですが、エイジさんはオリビエさんに道具を捨てるよう促したそうですし、エリザベートさんもリーダーとしてそれを容認したそうですから、お三方の共同責任であると判断いたしました。更に申し上げますと――」


 ――その後も受付女はマシンガントークの如く報酬減額の理由を列挙し続け、根負けした俺が「もう……いいです」と白旗を掲げたのは、程なくのことだった。


 ……報酬は犠牲となったのだ。

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