第7話 それから
「それでは、昼の講義はここまで。次回までに今日の内容をまとめたレポートを出すようにな」
講義の終わりを知らせる鐘がなり、それと同時に教授はレポートの提出を学生たちに課す。
しかし、教授の発言に学生たちは各々に文句を言い始めた。
「えー」
「私週末予定があるんだけどー」
「俺もバイトが……」
「ん?なんだ、この量じゃ足りないのか?よし、じゃあ追加のレポートを」
「「「やらせてください!」」」
「わかればいい」
そう言って、教授は笑顔で教室を出て行った。
その後の教室には絶望の顔をした学生たちが残されたが、健一だけはリラックスした顔でぐっすり寝ている。この時点で健一の次回のレポートは最悪の出来になるのが確定した。
「……ん、もう終わったのか」
健一は寝起きの顔で気持ちよさそうに背筋を伸ばす。教室の時計を見れば十二時過ぎ。ちょうど昼休みの時間だ。
「はぁ……学食に行くか」
健一はリュックを持って学食に向かう。
退院から一カ月がたった。右手は相変わらずあの状態のままだが、特に生活に異常はない。前のように突然足を攣るということも起きなかった。そのため、健一の意識からこの右手のことはすっかり消えていた。
「お、健一じゃん。お前も学食か?」
「ん、将也か」
健一は学食につくと、食券売り場の列の最後尾で将也に会った。
最近はレポートで忙しかったらしく、一緒に帰ることがなかったため、会うのは久々だ。
「しっかし、毎度すごい人ゴミだよなぁ」
「まぁ、学食だしな」
学食は学生だけではなく教職員も利用している。一人暮らししている人にとっては、朝弁当を作るのが面倒くさいといった理由で多く利用される。
健一と将也は共に実家暮らしだが、両親共働きの環境なので学食を利用することがよくあるのだ。
「ここの飯はうまいし、安くていいよなぁ」
「まぁ、学食だしな」
ほんと、学食というのはなんでこんなに安いのだろうか。安すぎてお金を払っている俺たちの方が逆に心配になる。
健一たちはお互い日替わり定食の食券を買って食堂の列に並んだ。
「うわ、やっぱ定食は人気だな。定食の列だけめっちゃ並んでるじゃん」
「まぁ、学食だしな」
「お前はさっきからそれしか言わねぇな!なに?『学食』てワードそんなに万能だったっけ?それだけで全て証明できるような数学的パワーワードだったか!?」
「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない」
「お前が言うな!」
そんなあくまでもいつも通りのやり取りをしているうちに、列が進みやがて健一たちの番となった。
健一と将也は食堂の婦人に食券を渡した。
「おばちゃん!日替わり二つよろしく!」
「あいよー。将ちゃん、今日も元気だねぇ」
「おばちゃんも、いつも以上に綺麗だぜ!」
「あら、お世辞がうまいこと」
そして、これもまたいつも通りの将也のお調子者っぷりに健一はため息をついた。
(まったく……まぁ、これが将也の長所でもあるのか)
人と関わることがあまり得意ではない健一にとっては、将也のそういう性格は時に羨ましく思える。
料理を待っている間、婦人がジト目で健一と将也を交互に見る。
そして最後に将也の顔を見て深いため息をつく。
「なに、久々に誰かと一緒に来たかと思ったら男の子かい。まーだ彼女の一人もできないの?」
「う、うるさいな!俺はできないんじゃなくて作ってないだけ!」
「そういう子ほど、いつまでたっても……」
「そ、そんなことないって!」
「じゃあ、女の子と手をつないだ経験はあるんかい?」
「ふん!そんな簡単なこと一度くらい」
「あ、小さい頃とかノーカンね」
「……」
(おばちゃん、やめてあげてください!将也のHPはもう0だから!)
婦人のきつい攻撃に将也が撃沈する。
しかし、立ち直りの早い性格である将也はすぐに開き直った。
「ふん、今に見てろ!彼女の一人くらいいつでも」
「で、君はどうなんだい?」
「は?」
「無視されたぁぁぁぁぁ!」
いきなり矛先が健一に向き、将也は相手にされないことに憤慨した。
「俺ですか?」
「そうそう。彼女はいるの?誰かと手ぐらいつないだことは?」
「だめだっておばちゃん。そんな質問したらこいつがかわいそ」
「彼女はいませんけど、手ならつないだことがありますよ」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
「ヒュー♪」
健一の意外な事実に将也は声を荒げ、婦人は口笛を吹いてにやける。
「ちょ、いつだそれ!俺そんなの聞いてないぞ!裏切者!最低!」
「俺はお前の恋人か何かか……」
そう、確かに手をつないだことがある。いや、つないだというよりは勝手につかまれたと言った方が正しいだろうか。
それは、つい一カ月前。深夜の病院でのこと。確か誰かに掴まれて――誰かって誰だ。
健一はここで違和感に気付いた。前にもこんなことがあった気がする。
いや、そもそもそんなこと本当にあったのだろうか。もしかして彼らやあの場所でのことは全部夢で……あの場所?
(なんだろう、この感覚。頭の中から何か消えていくような……)
健一は少し胸が苦しくなるような痛みを覚える。
それが何の痛みなのかは、今の健一にはわからない。
「はい、日替わり二つ。味噌汁もあるから忘れるんじゃないよー」
「ありがとう!」
「あ、ありがとうございます」
そうこうしているうちに料理が出された。
学食は安いだけではなく、料理が出てくるのも早い。腹をすかせた教員や学生にとっては嬉しい限りだ。
健一は定食をお盆の上に乗せ、続いて味噌汁が入ったお椀を手にしようとする。
しかし、ここで異変が起きた。
「えっ」
「おわ!健一、何こぼしてんだよ!」
「あー、やっちゃたねぇ」
しっかり掴んでいたはずのお椀はいつの間にか落としていた。そのせいでせっかくの味噌汁は床にこぼれてしまった。
「おい、なにぼーっとしてんだ」
「あ、うん」
健一は味噌汁をこぼしたというのにどこか上の空だった。
ただ手が滑っただけなら、健一は将也のように慌てることができただろう。しかし、手が滑る感覚とは明らかに違った。まるで手首から先の感覚が消えたように力が入らなかったのだ。しかもその手は――あの痩せている右手だった。
健一は力が入らなかった右手を見つめる。今はもうなんともない。それを健一は手を握ったり開いたりして確かめた。
そんな健一の様子を気にせずに将也はトイレから雑巾をとってきた。
「たくしゃーねー。おばちゃん、ここ拭いとくからもう一杯頼むわ」
「はいはい、今回は特別だからね」
「その、すいませんでした」
「いいよいいよ」
そう言って食堂の婦人は味噌汁をよそり、健一と将也は床を雑巾で拭き始めた。
健一は拭いている途中も、右手のことが頭の中で気になっていた。
(……まさかな)
今は深く考えることはやめた健一は、その後の将也との昼食をいつも通りにとり、午後の講義にお互い戻っていった。
カフェのある病棟 黒宮 圭 @kuromiyakei0215
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