第6話 診断
「湯川さん、起きてくださーい。検温の時間ですよ」
「うぅ……」
看護師の声に健一はうめき声で答える。
時刻は朝の6時。普通の社会人ならば起きて仕事に行く準備をしなければいけない時間だ。
しかし、健一はなかなかベットから出ようとしない。
それを見た看護師が掛け布団を健一から剥ぐ。
「ほら、私も次の患者さんのところに行かなきゃなんですから。さっさと起きる!」
「……」
「寝るなー!」
「は、はいっ!」
なんて強気な看護師だろうか。
健一は少し乱暴に体温計を脇に押し込まれ、朝の検温を行った。
先ほど看護師に大声で起こされたにもかかわらず、健一の眠気は一向に覚める気配がない。
そんな健一を不思議に思ったのか、音が鳴った体温計を健一から預かりながら看護師が聞いてきた。
「昨日よく眠れなかったんですか?」
「はい……、なんだか全然眠くなくて……」
そう。健一はあの後すぐにベットの中に入ったが、なかなか寝付けなかった。
こういう時は羊の数を数えると良いと昔聞いたことがあり試してみた健一だったが、千を過ぎても効果は全くなかった。
「んー、寝る前にコーヒーとか飲んだりしました?」
「あ……」
健一は昨夜のことを思い出す。
健一は寝る前にかなりの量のコーヒーを飲んでいた。
寝付けなかった理由はカフェインの取りすぎだったのだ。
今の健一の反応で、当たりだと思った看護師は大きなため息をつく。
「まったく……今日は検査があるんですから、体調万全じゃなきゃ困ります」
「あ、はい。すいませんでした……」
健一は叱られてうなだれていると、看護師が話題を変えてきた。
きっと、本人も朝から怒りすぎたと思ったのだろう。
「コーヒー好きなんですか?」
「え……、まぁそこそこ」
「そこそこなのにコーヒー飲んだんですか?」
「あー、カフェに行きまして……というか連れていかれまして……」
「カフェ?」
「はい。7階にある、確か『ノット』っていう名前だった気がします」
「……」
看護師が微かに眉をひそめる。
その不可解な反応に健一は不思議そうに看護師を見つめた。
しばらくの間二人の間に沈黙が流れる。
自分が何かおかしなことでも言ったか、健一が考えていると廊下から40代くらいの女性の声がした。
「ちょっと松本さん!一人の検温にいつまで時間かけてるの!さっさと次の患者さんのところに行ってください!」
「か、看護師長!ごめんなさい、すぐ行きます!」
そういって先ほどまで自分の面倒を見てくれた松本さんは、早々に次の病室へと向かった。
そして健一は、この病院の看護師の気が強い理由が看護師長にあるのだと理解し、朝の検温を終えた。
健一の検査は昼過ぎに行われ、その方法は様々なものだった。
その中にはよくテレビで見る、MRI検査などがあった。
健一は、初めてのことに少し緊張しながらも無事に終え、今は自分の病室で本を読んでいる。
どうやら検査結果が出るまで少し時間がかかるらしい。
にしても……
「暇だ」
本を読んでいて暇というのも珍しいが、勉強嫌いの健一は元々本をそんなに読まない。
かといって他にやることも、やりたいこともない。
「病院で携帯はNGだしなぁ……」
病院で携帯をいじると電波の影響で精密機が狂うとかなんとか。
中学の時、健一は峰子にそのことでものすごく叱られたのだ。
「はぁ、暇だ。いつもだったらこの時間は……」
時計を見ると、そろそろ3時を過ぎるころだった。
いつもの健一なら、この時間は教室で講義を受けながら寝ている時間だ。
いっそのこと、寝てしまうのもありだと思った健一だが、寝ようと思うと逆に寝れなかった。
「俺、暇すぎて死ぬんじゃないかな」
健一は大きなため息をつく。
すると、突然病室のドアが開かれ活気の良い少年の声がした。
「ほほう。それは新しい病気だな。そんなお前の病気を俺が治療してやろう」
「え……て、将也!?なんでここに!」
健一の独り言に答えたのは将也だった。
手に食べ物の入った袋を持ってる当たり、きっと見舞いに来たのだろう。
だが、健一が驚いたのはそこじゃない。
今、将也は大学で講義を受けている時間なのだ。
つまり、今将也がここにいるということは、講義をすっぽかしたということになる。
もしそうなら、将也は健一のために大切な時間を潰して来たわけで、それは健一にとって嬉しい反面、罪悪感を――
「感じさせた、的なこと思ってるんだろ?安心しろ、午後は休講だった。大体、俺が講義より健一を選ぶわけないだろ?」
「……何、君エスパーなの?あと、俺の喜びを返せこの野郎」
将也にあっさりと心を読まれた健一は、悪態をつきながら将也に椅子を用意した。
健一にとってはどんな形であれ、暇でなくなったことが今は嬉しかった。
将也は椅子に座ると、袋の中からバナナを出して一本健一に渡しながら検査のことを尋ねた。
健一は一通り話し今は待機中だと伝えると、将也は少し疲れた表情を見せた。
「なんだ、早く結果が知りたくて自転車で爆走してきたのに。俺のあの汗は一体何だったんだ」
「しるか。どうせ何もないんだから、そんなに心配しなくても平気だろ」
「ん、そうだな。何もなければ……いいな」
「おいおい、父さんと同じ反応しないでくれ」
「あはは。わるいわるい」
将也は剛と同じく、不安を抱いていた。
それは、医学に関わりのある人間だからこそ感じる不安であったのかもしれない。
剛の抱いていた不安とはまた違ったものだが、どちらも健一のことを心配しているからこそだ。
健一は少し気まずい空気を感じ取ったので話題を別の方へ移した。
「そういえばさ、この病院カフェがあるんだな」
「カフェ?」
「あぁ。将也の親父さんの病院はすげぇな。若者に人気な要素を病院に取り入れるとか」
「んー、うちにそんなもんあったかな?」
「知らなかったのか?親父さんが将也の知らない間に取り入れたとか?」
「いやそれは……ないとも言い切れないな。俺達仲悪いし」
「え?マジで?」
「あぁ、2年間はまともに口も聞いてないな」
話題を切り替えた矢先に、またしても悪い空気に変えてしまったかと健一は思った。
しかし、将也はまったく気にしていないような顔で話を続けた。
「まぁ、あの人のことは正直大っ嫌いだが……あの人の仕事は尊敬してる」
その言葉は、普段のお調子者の将也からは伝わらない真剣さがあった。
健一はそれに少し驚いたが、よく考えてみれば当然なのかもしれないと思った。
仲が悪いのに父親と同じ医者という職を目指している点。
今回、健一の体に少し異常があると聞いて真っ先に父親の病院を勧めた点。
どれも、自分の父親を認めているからこその行為だろう。
(まぁ、将也はそれを親父さんに絶対に言わないんだろうけどな)
健一は心の中で少し笑いながら、あることに気づいた。
「なぁ、将也。さてはお前ツンデレだな」
「……悪い。さっきまでの流れでどういったらそういうことになるか、説明してもらっても?」
いきなりの健一発言に呆れる将也だが、健一はからかうように続けた。
「いやだって、大っ嫌いだけど尊敬してるとか。それってよく女の子の言う『べ、別にあんたのことなんて好きでもないんだからね!』ていうやつと一緒でしょ」
「うん、まったく一緒じゃないな!」
「えー。あ、もしかして」
「今度はなんだよ……」
「将也に彼女ができないのって、それが原因なんっふがぁ!」
「はい、バナナおかわりあげるからそのお口を閉じようか?」
将也は目が笑っていない笑顔で、健一の口の中に新しいバナナを強引にねじ込んだ。
どうやら、将也にとって彼女ができないことは触れてはいけない件だったらしい。
病室内でふざけあいながら、二人は笑った。
健一はやっと楽しい空気になったと安心する。
ひとしきりふざけた後、将也は椅子に座りなおして健一に尋ねた。
「で、そのカフェがどうしたって?」
「あぁ。そこコーヒーがすげぇ美味いんだ」
「へぇ。健一がそこまで褒めるていうことは本当に美味いんだな」
「将也も一度行ってみるといいよ」
「んー、でもそんなにおいしいなら結構高いんじゃないか?」
「どうだろ。俺は無料だったから何とも言えないな」
「は?無料?」
将也が意外そうな顔をする。
それもそうだろう。
そんなに美味いコーヒーが無料で飲めると聞いたら誰だって食いつく。
それに、将也は良くコーヒーを飲むらしい。
健一の話を聞いて、将也はノットのことが薄々気になっていた。
健一はノットはこの病院の患者は無料で飲めることを説明した。
「うわ、なんだそれ。羨ましいにもほどがある。俺も入院していい?」
「普通に金払えよ……」
「えー」
健一は将也のけちっぽさに呆れながら話を続けた。
「まぁ、値段は聞いてみなきゃわからないけど味は確かだよ」
「ほうほう。やっぱ豆がいいのか?」
「さぁ?豆がいいのか、もしくはマスターの入れ方がいいのか……あれ?」
「ん?どうした?」
健一は不可解なことに気付いた。
昨日、確かに健一はノットでコーヒーを飲んだ。そこに間違いはない。
だが、昨日そこで出会った人。
その人達のことを思い出そうとすると何故かはっきりとは思い出せなかった。
思い出そうとすると顔に影がかかったようになる。
「なんで……俺は昨日あの子に連れられて……あの子?」
そのせいか、名前すらはっきりと思い出せない。
健一の記憶の中にはノットの存在だけしか残っていなかった。
そして先ほどから独り言のようにつぶやく健一を見て、将也は戸惑いながら声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「名前と顔が……わり、何でもない」
なぜ顔と名前が思い出せないのか。確かに不可解ではあったが、将也に心配をかけるわけにもいかないので健一は黙った。
それに、もしかしたら夜遅くだったから記憶があいまいなのかもしれない。
そう思った健一はこれ以上このことについては考えることはしなかった。
「湯川さん。検査の結果が出ましたよ」
健一と将也の会話がちょうど途絶えたところで看護師が病室に入ってきた。
健一は検査結果を聞くために診察室に呼ばれたので、将也とはここでいったんお別れだ。
「じゃあ、行ってくる」
「おう」
健一は看護師と一緒に病室を出て、診察室へと向かった。
「ただいまー」
「おかえり!」
健一はいつものように玄関を上がる。
しかし、そんな健一とは反対で峰子はいつも以上に健一を出迎えた。
「うわ、すげぇ」
「ふふ、そうでしょ?」
健一がリビングに行くとそこにはいつもより豪華な食事が並べられていた。
どれも健一が好きなものだ。
それもそう。今日は健一の退院の日なのだ。
あの後、健一は診断室に行って検査結果を聞かされた。
結果は異状なし。
健一はそのまま退院した。
足を攣ったのはたまたまで、右手の現象はただの筋肉の衰えだったそうだ。
その結果を聞いて将也は少し驚いていたが、すぐに安心した表情で退院を喜んだ。
もちろん、喜んだのは将也だけじゃない。健一の家族もだ。
だから健一が退院すると聞いた時、峰子は急いで家に帰ってこの豪華な食事を作ったのだ。
健一は少し大げさな気がしたが、峰子の思いやりを温かく感じた。
「さ、そんなところに突っ立ってないで座りなさい」
「うん……ありがとう、母さん」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんでもないよ」
健一の感謝の言葉は峰子には聞こえなかった。
しかし、健一は恥ずかしさからかそれを二度は言わなかった。
「あ、そういえば父さんは?」
健一はこの場に剛の姿がないことに気付いた。
健一の問いかけに峰子は「あー」と、気まずそうに答えた。
「今日は仕事で遅くなるみたい。ごめんね健一」
「そっか。いや、平気だよ」
健一は別に寂しくはなかった。
父親がいつも仕事を身を粉にして頑張っているのを知っていたからだ。
健一にとっては、自分のせいでその仕事をおろそかにしてほしくなかった。
「じゃあ、いただきます!」
「はい、たくさん食べなさい」
健一は峰子の作った料理を食べ、今日は早めに風呂に入って寝ることにした。
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