第16話
いつもは台所の食卓で食事を取るのだが、この日の夕食は居間の座卓に料理を並べている。メニューは良平が持って来た新鮮な魚介類がほとんどで、四人掛けほどの座卓を万遍なく埋めた。むろん作り手は渚で、刺身にフライにと飽きさせない種類の調理を施してくれている。
墓での久しぶりの再会を喜ぶ僕と良平が、一緒に飲み交わそうということでできた席なのだが、良平はこれほどの魚介類に加え、この県の地酒に当たる麦焼酎までボトルで持ち込んだ。
良平は歩いて五分もかからない近所に実家があり、この周辺には居酒屋など酒を楽しむことのできるような店はない。幼少期から父の友人などが家に来て飲み交わしているのを見てきた僕にとって、こうしてこの家で自分の幼馴染と酒の席を共にする日が来るとは何とも感慨深いものである。
「へぇ、じいちゃんの介護のためにねぇ」
良平は僕と渚を交互に見据えながら、焼酎の水割りを口に運ぶ。既に僕と良平は缶ビールも数本空けており、麦焼酎に移行しているわけだが、つまりはそれなりの量を飲んでいるのだ。
「良平、就職は?」
「決まった。東京でする」
良平は現在東京の大学に通っており、就職も現地でするようだ。この町の若者は高校卒業後、就職する者は地元に残るか都市に出るかのどちらかだが、その割合が半々である。良平のように進学する者は確実に島を離れるわけで、そういう若者のUターン就職はごく少数で、それどころか中には高校進学から島の外に出る者も稀にだがいる。
「へぇ。業種は?」
「IT系。テルは?」
さすがにこの島で高校を卒業して東京での生活も四年目となる良平からは方言が聞かれない。極稀にイントネーションからこの島を感じるのは帰省中特有のものだろうと思われるが、良平も僕と同様島を離れた人間なのだと実感させる。
「僕も決まった。地元で商社に就職」
「へぇ、輝君商社なんだ?」
渚が興味を示したので、僕は焼酎のグラスを一度置くと詳細を話そうと渚を見たのだが、この時風呂上がりの渚は前髪が真っ直ぐに伸びており、僕の胸を締め付けた。
◇
高校二年生になると、仲のいい五人組の中で真緒と淳が同じクラスになったものの、僕は誰とも同じクラスにはなれず、若干の寂しさを感じていた。それでもそれなりに親しくしている友達もいたので然したる問題はなく、更には、真緒との交際も順調に継続しており、朝練がない日の揃っての登校は日課になっていた。
「また準備できてない」
いつものように僕の母が玄関を開けては、朝食後に支度を始める頃、僕の部屋に顔を出す真緒。咎めるような言い方ではあるものの、その表情はこれまたいつものように穏やかで、窓から差し込む朝日の様に眩しい。
こんな当たり前になった真緒との一日のスタートを切って学校生活が始まるのだが、やはり三年間で一度くらいは同じクラスになりたいと欲も出てしまう。そんな高校二年の生活は始まったばかりで、この日僕のクラスは体育があり、体力測定が授業の内容だった。
「いいなぁ、櫛木さんみたいな可愛い子と付き合えて」
体力測定は順番待ちによる空き時間があり、その時グラウンドで隣に座っていた男子生徒が校舎の窓を見上げて呟いた。その男子生徒の視線の先には真緒のクラスがあり、真緒の席はどうやら窓際のようで横向きのその姿が確認できる。最近肩口で切り揃えた髪に、目の上で縦に剥いた真っ直ぐの前髪が確認できる。
「俺にも誰か紹介してよ」
「紹介って言ったって、元々仲良くしてた五人組の一人だから……あ、村永環菜はどう?」
紹介を断ろうと思ったのだが、ふと五人組の顔を順番に思い浮かべていて環菜が浮かんだので提案をした。環菜だって容姿性格とも申し分はなく、不足のない女子であると思ったのだが、男子生徒から返ってきた返事は後ろ向きだった。
「田橋か市谷とできてるだろ?」
「え?」
淳と弘志の名前が出たことが予想外で、僕から間抜けな声が出た。この時初めて僕達五人組の関係は端からそのように見えていたのかと気づいたわけだが、気づいた途端、妙に納得してしまうものだからなんとも都合のいい思考である。
「違うのか? けど、今後その可能性もあるだろ? 市谷の方は同じ剣道部だし」
僕と真緒が付き合い始めるまで五人組の仲で恋愛関係はないものだと思っていた。尤も、真緒と付き合う前から想いを抱いていた僕が言うと棚上げのような気もするのだが。けれど今言われるまでですら、他の三人の仲でもないと思っていたほどだ。ただ、冷静になって考えてみればないとは言い切れず、むしろあると考える方が自然だと納得する。
「今のところは他の三人の色恋は聞かないかな」
「ふーん」
当たり障りのない回答をしたのだが、それでも男子生徒は環菜に興味を示すことはなく、真緒のクラスから視線を外した。僕の視線はまだ真緒のクラス、いや、真緒に向いており、これも一緒に歩く時についつい見てしまう癖の延長だと、今更ながらにおかしくなる。
同じ視線の方向でグラウンドの砂が舞っており、桜も散り終わったこの季節、春風が小さいつむじ風となってグラウンドに降り立っているようだ。そんなつむじ風を視界の下方に捉えながら視線は真緒に集中していて、するとそんな時に真緒が突然僕に気づいた。
ドキッと一瞬脈が速くなったが、遠目に捉えた真緒のつぶらな瞳が微笑んでいるようにも見えて視線を外すことができなかった。すると真緒が小さく手を振ったので僕の頬は綻び、手を振り返そうと右手を上げたのだ。
「おい! 宇多村!」
突然の体育教師の張った声に僕は一瞬肩を上下させてその教師を見ると、この場にいた他の生徒まで僕を注目していることに気づき、僕は授業に集中していないことを自覚した。あまりにも遅い自覚である。
「順番だぞ」
隣に座っていたはずの男子生徒はいつの間にか立っていて僕に状況説明をしてくれた。どうやら五十メートル走の僕の順番が回ってきていたようだが、僕の先ほどまでの視線の先が周囲に把握されていて、「彼女ばっかり見てんなよ」と冷やかされるものだから恥ずかしいことこの上ない。
僕は照れを隠すように慌てて立ち上がると、尻に付いた砂を払い、スタートラインに移動した。
◇
渚の前髪は彼女の長いまつ毛を通過して、ほんの少し目に掛かっている。しかし動揺を見せるわけにもいかないので、僕はなんとか平静を装いつつ先を続けた。
「うん。実家は離れるけど」
僕の言う実家が今いるこの家ではないことが、ここにいて口にすると何となく違和感を覚えるのだが、事実なのですぐに消化する他ない。
「市内で一人暮らしするの?」
「いや」
僕は大学卒業と同時に県内の主要都市にある会社への就職が決まっているので、その都市で一人暮らしを始める。それを渚に説明したのだが、あくまで理由は就職のことしか触れず、本音では儚い思い出の残る自宅マンションやあの街から離れたいことにある。もう四年にも及ぶこの心の鎖を解きたいというのが本心である。
ただ、渚や良平にこれは言っても仕方のないことだし、これを口にするには多大なエネルギーが必要になるわけで、僕はこの真意を言うことはしない。今はただ、まだ癒えない心の傷を消化することに全力を注いでいるわけで、そのために何ができるのかを模索しているに過ぎない。
「ふーん、そっかぁ……」
「なんだよ、その引っ掛かる言い方」
「別にぃ」
語尾を引っ張って視線だけ横に流す渚。その様子を見ながら良平がクスクスと笑うのだが、僕には何が面白いのか今一わからず、渚の手料理を口に運ぶ。
外からの鈴虫やヒキガエルの泣き声に混じって、じいちゃんの部屋から縁側を越して若干の鼾が聞こえてくる。じいちゃんを起こさないために騒がしくはしていないつもりであるが、その鼾がそれを実践できていることを教えてくれるので安堵する。
「随分懐かれてんだな」
「そうか?」
良平が綻んだ表情で小さく言ったのだが、それが聞こえていたのか、はたまた聞こえていなかったのか、渚は刺身を一切口に運ぶとそれを喉に流すように麦茶を飲んだ。
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