第15話

 渚がいなくなってから数十分が経過し提灯の蝋燭を確認すると、まだ四割ほど残っていた。基本的にお盆の三日間はこうして毎日夕方くらいの時間に墓へ出向き、提灯の蝋燭が消えるまでここにいる。おじさんが来て以降、この日は他にも懐かしい親戚筋の人たちがうちの墓に出向いて来て、たわいもない現状報告を話した。


 蝋燭の確認をした僕は周囲を見渡し、誰も来る気配がないと感じて墓石の裏側に回った。下部に引き違い戸があるこの墓は、その重い引き違い戸を開けると骨壺が納骨されている。僕の目に映ったのは綺麗な巾着に包まれたばあちゃんの骨壺だった。


「ばあちゃん、仲良くしてあげてね」


 僕は一言そう言うと、持っていた手提げから赤鬼風のキャラクターのキーホルダーを取り出し、ばあちゃんの骨壺の隣に置いた。そして引き違い戸を閉めると墓石の正面に回り、改めて線香を立て合掌をした。


「もう何十年かしたら僕もここに入るから。それまで待っててな」


 墓石に問い掛ける独り言。虚しさは感じない。四年前に経験した虚無感に比べればここで問い掛けることは比べるまでもないほどに些細なことだ。それどころか四年が経ってやっと遺言を果たせたという達成感が大きく、どこか僕の心はほんの少しだけ満ちていた。

 渋々でのじいちゃんの介護だから不謹慎な思いではあるが、この地に来たきっかけに初めて喜びを感じた。


 僕が合掌を解き、顔を墓石に上げた時だった。横に伸びる視野に、立ち尽くす少女が映り込み、僕は慌ててその方向を見た。


「渚……」

「えっと……、何してたの?」


 困惑している様子を隠すことなく渚がボソッと言うものだから、僕は一連の行動を見られたのだと悟った。

 その一連の行動とは、墓石の納骨場を開けた行為も入っているわけで、今までこの場にいなかった渚には僕が墓に焼香をしている姿しか確認できないのが自然のはずだ。それでも見られたというこの不安は渚の色を無くした表情からどうしても読み取れてしまう。


 ◇


 真緒と手を繋ぐ時はいつも気を付けていることがあるのだが、それは小柄な真緒に歩調を合わせることである。この壮大な紅葉のキャンパスを前にして、この渓谷から流れる渓流のせせらぎを耳にしながらこの日もいつもの歩調で歩いていた。

 しかし拭えない違和感。いつもより真緒の歩幅が小さい……いや、単純に歩く速度が遅いように感じる。時々立ち止まっては頭上の紅葉を見上げて「綺麗」と口に出し、明るい表情を見せるのだが、息が切れているようにも思う。渓谷の歩きにくい道とは言え、登山ではないのだから、それほど体力を使わないように思うのは僕だけの感覚だろうか。


「真緒?」

「ん?」


 いつもの声色で、僕が大好きないつもの笑顔を僕に向けてくれる真緒。その表情を見せられると僕の中にあったすっきりしない気持ちはどこか消化されて、何も聞けなくなるのだから卑怯だとさえ思えてしまう。


「疲れたらいつでも言ってな?」

「うん」

「じゃぁ、先に進もうか?」

「うん」


 少しだけ弾んだ様子の真緒の声は耳に心地よく、僕の中にある違和感は無粋だと言わんばかりに真緒で満たされていく。


 やがて到着したのは広場で、そこでは大道芸がやっていたり、名産食材で作られた串焼きが売られていたりして、寒さと日が昇りきらない薄暗さ以外に明朝を感じさせない賑やかな場所となっていた。


「凄く綺麗だね」

「そうだね」


 真緒が賑やかな方向には目を向けず、紅葉が見やすいこの場所で山を見上げて唸るのだが、僕は紅葉を背景にした真緒の横顔を見ていた。


「また見てる」


 真緒が僕に顔を向けずに言うものだから、僕の視線を悟られたとすぐに理解し、一瞬で脈が早くなり心臓が落ち着かなくなった。どうにもこの癖は治らないようで、そうかと言って真緒の彼氏なのだからと更々直す気もない。


「しょうがないじゃん……」


 僕は絞り出すように、そして抵抗するように言葉を発したのだが、それに反応した真緒に振り向かれて僕は目のやり場に困った。この尻すぼみになった台詞の後に続くのはもちろん「真緒が綺麗だから」であるが、僕にそんな臭いことを口に出す甲斐性などあるはずもない。


「串焼き食べよう?」


 真緒は僕の言葉を深く詮索することもなく次の行動へ誘導しようとしてくれたのだが、本当はちゃんと言えた方がいいのだろうし、真緒だって続く言葉の察しは付いていて言ってほしいのだろうということはさすがに僕でもわかる。しかしどうしても僕にこういうことは不得手だ。


「美味しいね」

「うん、美味い」


 僕と真緒は渓流の流れる際の柵沿いにあるベンチに腰掛け、買ったばかりの熱い串物を頬張った。正面の広場からは賑やかな喧騒がぶつかってきて、串焼きを売っている隣の建物からは今口にしている物と同じ香ばしい匂いが漂い、背後からは渓流のせせらぎが趣のある水の音を届けてくれる。


 僕と真緒は串焼きを食べ終わると少しだけ広場の大道芸を見てから来た道を引き返し、再び頭上の真っ赤な紅葉を堪能しながら駐車場へと戻って行った。


 車まで戻ると、絵美さんと健太さんよりも僕達の方が早く着いたようだが、それほど待つこともなく二人も合流した。真緒と絵美さんは帰路に就く前に一度場を離れたのだが、程なくして戻ってくると早速車に乗り込み、健太さんは発車させた。

 対向車線の長蛇の渋滞を脇目に渓谷から帰ること一時間少々、健太さんの運転する車は僕達が住むマンションの下まで到着した。そして車を降りるなり真緒が言った。


「テル、ごめん。今日はもう解散でいい?」

「え? どうして?」


 この日はこれからも真緒と一緒に行動をする予定でいた。負の感情はなかったのだが、真緒から予定を反故にすることは珍しく、それ故の疑問であった。


「うん、ちょっと……」

「ごめんね、テル。急用が入っちゃって私達二人ここでドロン」


 真緒の言葉を繋ぐように言ったのは絵美さんで、その後すぐに絵美さんは健太さんにも向いて「健太もごめん。そういうことだから」と言ってマンションの部屋まで上がって行った。どうやら健太さんもこの後絵美さんと予定をしていたようだが、僕は健太さんと一緒にマンションの一階外に取り残されてしまった。


 恐らくこの日がきっかけだったと思う。真緒の異変に薄々気づき始めたのは。この後真緒は一週間から二週間に一度くらいの不定期で学校を休むようになった。


 ◇


 頭上に提灯を感じながら、墓地敷地のベンチに腰を下ろす僕と渚だが、うまく会話が繋がらないのは気まずさからだろう。途切れ途切れの会話は、斜面の下の方で歌い、踊り、鳴らす鬼たちの民謡を際立たせる。


「裏、回ってた……よね?」

「見てたのか?」


 渚の言う裏……つまり納骨場であることは疑いようがなく、どうしてこの場を離れていた渚の視界に入ったのか僕には皆目見当が付かなかった。


「私その時ちょうど奥の家のお墓にいたんだよ」


 それを聞いて僕から深いため息が出た。奥とはつまりうちの墓地敷地から見て裏手にあり、ここを見下ろす位置になるため納骨場の引き違い戸を開けたことははっきり見られたのだろう。辻褄が合ってしまった。僕がもう少し注意すべきだったと思うが、今更悔やんでも仕方がない。


「それで何やってんだろうって思って戻って来たの」

「そっか……」

「お墓の裏って開けると何があるの?」


 恐らく渚は見当が付いているのだろうが、自分から口にはしたくないのだろう。そしてそれが身内の中で誰も死んでいないこの時期に不自然な行為であると感づいている。逃げ道はないようなので僕は話さざるを得ない状況であるが、気持ちを落ち着かせるため少し時間をかけた。そして切り出そうとしたその時だった。


「おーい、テルー」


 その声は墓苑の階段の方から聞こえたので、お隣の墓地敷地を二宅ほど跨いで階段の方向を見ると、僕と同い年くらいの男が手を振っていた。すぐにはわからなかったが目を凝らしてみると、その人物は僕が幼稚園の時からこの島を引っ越すまでよく一緒に遊んだ良平りょうへいだとわかり、幼馴染の明るいその表情は一気に懐かしさを届けた。

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