第14話
宇多村家の墓地敷地に足を踏み入れた僕は、まず提灯を下げる支柱を組み立て始めた。支柱自体は昨日のうちに軽トラックで運び込んでおいたので、この日持ち込む手間はなかった。
とは言え、斜面を削り取ってできた墓苑は西日が直射に当たり、こうして力仕事をしていると汗だくになる。宇多村家の墓には僕の婆ちゃんの遺骨しか眠っておらず、つまりじいちゃんが次男なので分家である。よその家に比べてまだ墓石が真新しい。
「手伝おうか?」
「ん? 大丈夫」
渚の声に振り向くと渚はまだ自分の作業が途中だったので僕は断った。と言っても、渚が担当しているのは墓石の水やりや献花であり、大して時間も掛からなければ体力も使わない。
しかし支柱の組み立ては墓地敷地に据えられたベンチの上に立つなど、急斜面にあるこの場所では些か危険が伴う。前面の家の墓地敷地とは人の背丈を超えるほどの高低差があり、自分だけで済ませようというのが僕の考えだ。
昨日、支柱を運び込んでいた時に草むしりや墓石の掃除は済ませていたので、渚はすぐ手持無沙汰になり、提灯の中に灯す蝋燭を準備し始めた。その様子を横目に捉えると墓石の前では既に蝋燭が灯されていた。
「ごほっ、ごほっ」
「ごほっ、ごほっ」
渚につられる様に僕は咽たのだが、原因は近くの空き地での爆竹と花火の煙である。小学生くらいの子供たちが歓声を上げながら遊んでいるのだが、その時煙が風に乗って宇多村家の墓地敷地を覆ったのだ。花火の煙のおかげで蚊が寄って来ないことだけはありがたい。
「いつ来ても凄いね、ここの墓参りは」
「そうだな。逆に僕は向こうでの墓参りがあんなに大人しいものだと知らなくて驚いたけど」
僕が言った向こうとは僕が住んでいる地域のことであるが、家から一番ほど近い墓地の前を通りかかったとあるお盆に思ったことである。墓参りの時間も決められておらず墓苑に入れ替わり立ち代わり人が出入りする様子は、その静けさに違和感を抱き、初めて見た時はそれこそ人が多少いるだけで何もしていないと思ったほどだ。
◇
高校一年の十一月。土曜日だった。僕と真緒は日も昇らない朝早く、真緒のお姉さんである絵美さんの交際相手の
「2人とも本当仲いいんだな」
ルームミラー越しに健太さんが後部座席の僕と真緒に目を向けてそんなことを言うので、傍から見れば僕達もそういう雰囲気が出ているのかと納得してしまった。確かに僕も真緒も今向かっている先への期待と、そこを目的に真緒とデートができることに対して既に胸が躍っていて若干の興奮状態にある。
やがて僕達を乗せた車が到着したのは、県内で一番と言っても過言ではないほど紅葉で有名な観光スポットになっている渓谷。朝早く移動した目的は一本道となる国道の渋滞を避ける以外の何もなく、一時間ほどの道中はストレスなく来ることができた。
「じゃぁ、八時に車に集合な」
「はい」
僕が健太さんに返事をすると、アスファルトの広い駐車場で僕と真緒は絵美さんと健太さんと別れ、二人で行動を始めた。
駐車場から渓谷に向かう石畳の歩道で両側に並ぶのは屋台の
「屋台どうする?」
真緒が弾んだ声で言うので真緒を見てみると、目を輝かせて立ち並ぶ屋台を見ていた。真緒は見た目の印象通り食が細いものの、屋台などでの買い食いは好きで、夏祭りなどでも一緒に行ってはよく付き合わされたものだ。
「気が早いな。食べながらだと歩きにくいだろ」
この先の渓谷の橋を渡るとお世辞にも歩きやすいと言える道ではなくなる。それを牽制して意見をしたわけだが、ぷくっと頬を膨らませて真緒が不満を顔全体に表した。こういう可愛らしい表情ができるのも真緒の魅力であり、庇護欲を十分に駆り立てるのだ。
「帰りに寄ろう?」
「うん」
補うように提案をすると真緒から弾んだ声が返ってきて、その時の表情もまた魅力的だ。そもそも真緒と屋台を回ることは僕にとっても楽しみなことなのだが、その前にこの日のメインイベント紅葉狩りがある。
外では当たり前になった真緒と手を繋ぐ行為、この日もその状態で歩を進めると渓谷に掛かる紅い橋が視界に入った。それと同時に視界に広がったのは赤、橙、黄など鮮やかに色づいた紅葉である。山の斜面いっぱいに彩っているのはとても美しく、秋の芸術だと思わせる。
「すごーい」
真緒もその景色に感嘆の声を上げるが、僕は「うん」と返すことしかできず紅葉に見入っていた。ただ、この渓谷に浮かぶ絶景に僕の口角が上がっているのは自覚できた。
「テル、行こう?」
真緒が先を急くように僕を引っ張るので、僕は慌てて真緒の横に並び橋まで歩を進めた。橋の上には紅葉を背景に写真を撮るグループが何組もおり、まともに渡れる箇所は真ん中くらいしかない。
朝の早い時間だが、誰しも一様にしっかり防寒対策をした状態でかなりの人が集まっている。時間が進み日中やライトアップをしている夜になると人でごった返すのだろう。
僕と真緒もこの日は真冬並みの厚着だが、手は繋ぐために晒しており冷たい空気が当たるものの、繋いでいることでお互いの体温を分け合っていた。
「テル、私もテルと写真撮りたい」
「そうだね。せっかくだから撮ろうか」
僕はシャッターを頼みたくて橋の上を見渡すと、都合よく絵美さんと健太さんを発見したのでお願いをした。都合よくと言っても同じ時間に車を降りたのだから、まだそれほど遠くに行っていないことは当たり前で、それがこの人の多さで見渡すまで気が付かなかっただけなのだが。
◇
聞こえてくるのは南国を思わせるこの土地独自の民謡音楽。鐘を鳴らす甲高い音に、鼓を思わせる形状をした太鼓。その太鼓を腹に固定して踊るのは鬼の格好をした中高生の男子たちだ。鬼の格好をしていない男子たちは各学校の体操着姿で、低い声で歌ったり鐘を鳴らしたりしている。
「あぁ、初盆の家を回るんだっけ?」
「うん、そう」
渚が宇多村家の墓地から見下ろしながら鬼の舞を見ている。近くの花火の煙はやや弱くなったものの、演出スモークを焚いたように渚の周囲に纏わりつき、しかしそれが見下ろす渚の横顔を映えさせていた。
薄褐色になり始めた渚の肌は、海に行ったことで少し日焼けが進んだようにも感じるがそれ以上は進んでいない。畑の水撒きなど、外の仕事は基本的に僕が引き受けているので、僕の方こそ日焼けが進んでいてそれをはっきりと自覚している。
『よう、誰かと思ったら輝久か』
弱くなった足腰で墓苑の階段を一生懸命上っている人影は視界に入っていたのだが、隣の墓の敷地を抜けて宇多村家の墓の敷地まで来たことで、その人物が誰かを認識した。
「久しぶり、おじさん」
初老のその男は本家の主人で僕の父の従兄弟に当たる。ここにはいないこのおじさんの子供は既に成人して妻子がいるわけだが、つまり僕の鳩子である。
『そっちは孝雄のとこの娘か?』
「はい、渚です。こんにちは」
『二人ともよく来たな』
この程度の会話ならなんとか聞き取れる方言ではあるが、これがもっと込み入った話になると聞き取れないことがある。僕の方言の記憶ももうかなり剥がれ落ちているようで、それがこの島から僕との距離を物理的なものと同じように遠くに感じさせる。
『叔父さんはまだ寝た切りか?』
「うん。徐々に良くはなってるみたいだけど、まだ復帰にはもう少しかかるかな」
このおじさんにとって僕のじいちゃんが叔父に当たるので現在のじいちゃんの容体を案じているわけだが、おじさんはこちらに顔を向けずお供え物の米をこの家の墓に一撮み添えて線香を立てると手を合わせた。
「私、行ってくるね?」
「あぁ、うん」
やがておじさんが出たのを確認すると渚は米の入ったタッパーを手にして他の家の墓へと向かった。こうして親戚筋の墓を回ることもこの土地の特徴で、そのお供え物として渚は家から米を用意してきたわけだ。そして僕は提灯の番と来客があった時のための留守番というわけなのである。
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