第13話

 渚が昼食の片付けをしている間に僕は庭の畑の水やりを済ませた。お盆に入り今日も一段と暑く、この日一番重要な予定に気が滅入るのだが、それもこの地域の風土だと割り切る他ない。


「よぉし、完了」


 僕が居間のクーラーで涼んでいると渚が意気揚々と廊下から入って来たのだが、その手には米が入ったタッパーが握られていた。その米は焚く前の固い米で塩と青菜がまぶされた質素な物である。


「準備早いんだな」


 座椅子でふんぞり返って渚を見ると、渚は白を基調とした淡いデザインの半袖ワンピースに身を包んでいた。これはおめかしという格好であるが、何も僕達二人は今からデートをするわけではない。二人で出掛けることに変わりはないのだが、目的は腰を痛めて外に出られないじいちゃんのためにあり、僕と渚はその代役である。


「そりゃね。輝君も早く提灯用意してよ?」

「まだ余裕あるだろ」


 そう言って僕は体勢を戻し、今まで触っていたスマートフォンに目を戻した。


「何見てんの?」

「別に……」


 その返事に不満だったのか渚が「むむ」と唸って僕の背後まで歩み寄ったのだが、その時僕のスマートフォンを覗こうとして背後から顔を寄せて来るから敵わない。渚の髪が頬をくすぐり、そしてその時鼻孔に届く渚の匂いが僕を魅了する。


「ふーん、ゲームか」

「なんだよ? ダメ?」

「別にぃ」


 心なしか嬉しそうな、安堵感が伝わってくるような顔色を見せた渚は軽やかな足取りで居間を出た。まだ何かすることが残っているのだろうか。彼女はなかなかの働き者で、僕はそんな一面を尊敬しているし、じいちゃんもそんな渚を気に入っているのだろう。


 ◇


 制服は夏服のままの九月、まだまだ蒸し暑さが残る。今日は山から下りてくる風も強くはないようで、涼しさは感じられない。夕方、部活を終えた僕は歩き慣れた通学路を真緒と一緒に歩いている。真緒もこの日は部活に出ていたようで特に待ってくれていたわけではないのだが、僕はこうして朝日や夕日を浴びて真緒と一緒に歩くのが好きだ。


「テル、寄り道していかない?」

「あぁ、うん」


 自宅マンションまでもう少しというところで徐に真緒がそう言うので、僕は真緒の誘いに乗った。いつもは部活での疲れや、帰宅時間が遅くなることを危惧して真緒は寄り道を避けてくれている印象があるのだが、実はこういう誘いが僕としては嬉しいので何も問題がない。


 僕と真緒が自宅近くの公園に立ち寄ると、日が沈みかけた時間帯、公園の広場や遊具は真っ赤に照られていた。

 その公園には小さな森があってその中には遊歩道とその脇にベンチがある。日中でも日が当たりにくい薄暗い場所であるため人通りが少なく、そこで僕と真緒は小学生の頃によくキスをした。そのベンチに今や高校の制服姿の僕達は腰を下ろした。


「交際三カ月記念。えへへ」


 真緒ははにかみながら僕の腕を取り、そして抱え込んだ。真緒と密着することに胸が弾むと、周囲と比べて一際冷たい雰囲気のこの場所も、この時だけは温かく感じる。これは小学生の時、隠れて真緒と一緒にいた頃と変わらない。


「テル」


 真緒が僕の名前を呼ぶので真緒を向いてみると、薄暗い場所でほぼ沈みかけているものの微かに入り込む夕日の光で照らされた真緒の真剣な顔に見惚れ、その目から真緒が何を期待しているのかを悟った。

 弱く吹き込む風に揺られた真緒の栗色の髪は綺麗で、肩の先まで伸びたその髪は風で重力に逆らい毛先を浮かせている。


「テル、大好き」


 重ねた唇を離すと真緒が僕の肩にこめかみを擦りつけてきたので、僕は空いている方の手で、綺麗な髪を指に通すように真緒の頭を撫でた。それが心地いいのか真緒の目が穏やかに閉じているようにも見えるが、見下ろしている体勢の僕には真緒の長いまつ毛がそう視認させているだけなのかもしれない。


「ずっと一緒にいてね」

「うん」


 僕は真緒の頭から手を離すことなく答えた。すると真緒が頭を僕の胸に滑り込ませたので、真緒を抱きしめるような格好になったのだが、それに反応するように真緒も僕の腰に自分の腕を回した。


「真緒、大好き」

「えへへ」


 普段は恥ずかしくてなかなか言えない言葉も、この密着した体勢と真緒の目を見ることができない現状から自然と僕の口を吐いたのだが、不思議とこの時は照れをあまり感じなかった。むしろ、幸福感に包まれていていつまでもこうしていたいと思ったのだ。


「真緒、時間大丈夫?」


 真緒の家は特に門限などはないと聞いているが、家に連絡は入れていないだろうし、遅くなればやはり心配するのではないかと思い質問をした。しかし、それはこの至福の一時の終わりを告げるもので、口を吐いた瞬間後悔が襲ってくるのだから情けない。


「もうちょっと」


 ただ、こうして甘えるような声で今の時間をまだ求められては、その後悔も怪我の功名だと思えるから何とも僕は都合のいい思考をしているものだと思う。


 完全に日が沈むと空は若干の明るさを残しつつも、周りの空気は温度を下げたことが肌で感じ取れるが、それでも肌寒さまでは感じない。真緒の温もりが僕の体を包み、口元に位置する真緒の頭からはほのかに髪の匂いが漂ってくる。それに僕は魅せられていた。


 程なくして真緒が満足すると、僕はしっかり真緒と手を繋ぎすぐ近くの自宅マンションまで歩いた。そしてマンションのエントランスに到着してエレベーターを待っていると背後から声を掛けられた。


「真緒、テル」


 僕と真緒が同時振り返るとそこには穏やかな表情をした真緒のお姉さん、絵美さんが立っていた。


「あれ、お姉ちゃん? 今帰り?」


 絵美さんはバッグを肩から提げていて大学帰りだと思わせるが、夕方と言える時間は過ぎていていつもよりは遅い時間なので真緒は疑問に思ったのだ。とりあえず僕が夜にはまだ早いかと思い「こんにちは」と挨拶をすると、絵美さんも挨拶を返してくれた。


「こんにちは。彼氏とお茶してた」


 ほんの少しだけ照れだと受け取れる笑みを浮かべる絵美さんだが、どちらかと言うと自慢げで楽しそうだという感情の方が読み取れる。


 やがて下りてきたエレベーターに僕たちは一緒に乗り込み、真緒が住む階に辿り着いた。


「テル、これからも真緒と仲良くしてね」


 エレベーターが真緒の家がある階で扉を開けると絵美さんは相変わらずの穏やかな笑顔で言い残し、真緒と一緒にエレベーターを出た。僕は「もちろんです」と答えたかったのだが、その言葉が口を吐く前に扉が閉まってしまい、そのまま自宅のある階に上がったのだ。


 ◇


 夕方前、僕は背中にブリキの缶を背負っているのだが、中身の重さはあまりなく、入れ物の重さだけが無駄に重力を感じる。隣を歩くのは渚で、手には手提げ袋を握っていてその中からは線香の甘い香りとタッパーに入った米粒の音がする。

 僕の手にも手提げ袋が握られているのだが、この時この中には今の僕にとって一番大事な物が入っており、握るその手に力が入る。


「こんなに遠かったっけ?」

「まぁまぁ、距離はあるわな。いつもは車だった?」

「うん」


 目的の場所は駐車場が少ないので、僕はあまり車で来たことがないのだが、渚は逆に歩いて来たことの方が少ないようで、徒歩数十分の道のりに薄らと額に汗を浮かべていた。尤も、僕は背中に背負う物があるので、Tシャツを濡らすほど汗を流していたのだが。


「あ、もうすぐだね」


 渚のその言葉に僕が顔を上げると切り開いた斜面とそこから上る煙にその火薬の匂い、そして耳に響く爆竹の音を捉えた。匂いや音は確かに今までも耳に入っていたはずなのに、目で認識すると途端に強く感じるのだから不思議なものである。


 そこは斜面に作られた墓地で、お盆の墓参りで人が集まっている。この地域は墓参りこそが親戚や幼馴染などと顔を合わせる機会で、女性は小奇麗な格好をするし、子供は墓地の空き地で爆竹や花火をして遊んでいる。今僕が住んでいる地域では考えられない賑やかさである。

 各家庭の墓地にはそれぞれの家紋が描かれた白色の提灯が並べられていて、それがその賑やかさを一層際立たせ、出店でみせなどは出ていないにも関わらず祭りさながらの雰囲気を醸し出している。僕の背中に背負われているブリキの缶の中身が宇多村家の墓に飾る畳まれた提灯なのである。

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