第11話

 砂浜から海の方角を見ると、その透き通った海とさらさらの砂がリゾート地にでも来たかのような感覚にさせてくれるのだが、一度陸側を見ると日本の海水浴場らしい風情のある海の家と、駐車場に停まった国産車がやはり日本であると釘を刺す。尤も、僕と渚はじいちゃんの軽トラックでこの海水浴場に来ている。

 じいちゃんの船の掃除を終えて、昼食とじいちゃんの上げ膳下げ膳を終えた頃、渚がせっかくだから綺麗な海で泳ぎたいと言ったのである。それに興味を示した僕はあと半日しかないにも関わらず、思い立ったが吉日だと思い渚を連れて島の海水浴場に来たのだ。

 本土の海水浴場に比べれば小ぢんまりとしているかも知れないが、それでもそれなりの人で賑わっており、波の音に混じって海水浴客の楽しそうな声が響く。過疎化が進む島ではあるが、この人出は観光や帰省で島に来ている人も多いのだろう。午前中は雲に覆われていた空も太陽が顔を出しており、強い日差しを感じる。


「おまたせー」


 砂浜で陣取ったパラソルの下で待っていると、水着姿の渚が明るい声色で到着を知らせた。海水浴場に到着するなり海の家の更衣室に別れた僕と渚が再合流したのである。

 渚は髪型を三つ編のおさげに変えていて、白と水色のボーダー柄の水着姿で、ウェストが締まっていて胸に張りがあり、とてもスタイルがいいのだと感心した。むしろトランクス姿の僕の体形がみすぼらしくないか、そこに一抹の不安を覚える。


「日焼け気にしないのか?」


 まず一つ目の疑問なのだが、渚の肌は日に日に小麦色に近づいていて、それを見ての僕からの質問だった。


「日焼け止めは塗ってるんだけど、どうしても仕方ないよね。ここにいるうちは楽しいからもう過剰には気にしない」


 開き直って明るく言う渚はこの夏を楽しんでいるようだ。ほんの些細な場面であの子と重なることがある渚ではあるが、楽しんでいることは僕にとって嬉しく、その要因にほんの少しでも自分が絡んでいたらと微かな希望を抱く。とは言えそんな気持ちとは裏腹に、日焼けが進んだ渚はあの子の印象とはかけ離れたもので、それに安堵する自分もいる。


「そっか。で? その大きな浮き輪は?」

「あぁ。これは今海の家で借りてきた。私泳げないから」


 これは意外であった。勝手な印象ではあるが、渚は活発で運動ができる方かと思っていた。だから浮き輪は海の上で座って遊ぶものだとその返事を期待していたのだが、再合流するなりしっかり腰に通したので、もしかしてと思って抱いた疑問が当たってしまったようだ。これが二つ目の疑問であった。


「意外だな。運動できる方かと思ってた」

「運動は得意だよ。でもどうしても泳ぎだけはできないの」


 どうやら泳ぎに関する印象だけが外れていたようで、運動神経そのものは予想どおりのようだ。そしてこの日の午前中、輝恵丸に乗り込む時、そして陸へ上がる時、渚のアクションが大げさだったのはカナヅチも影響していたのかと納得した。その渚が「だからしっかり見ててね」と付け加えるので、目を離すわけにはいかないなと僕は強く思った。


 ◇


 大自然の中で始まったバーキュー。コンロの周りで僕達五人の賑やかな声が轟く。コンロはもくもくと煙を上げながら、肉や野菜を焼く音を立てていて、匂いとともにそれが香ばしさを主張する。


「テル、肉ばっかり食べてないで野菜も食べな?」


 僕が持つ紙皿の上はほとんどが肉で野菜は串に刺さった肉の付け合せ程度しかなかった。それを真緒に見逃してもらえるはずもなく、真緒が紙皿いっぱいに野菜を盛って僕に差し出してきたのだ。

 この時の少し膨れた真緒の表情は、勉強を教えてもらう時に弱音を吐いた僕に向けるものと同じで敵わない。僕は両手が紙皿で塞がってしまったのでテーブルに移動した。


「ほら、はい」


 僕を追ってテーブルの座席に座った真緒がピーマンを割り箸で摘んで僕に向けるので、僕はそれを口で受けた。ピーマンの苦味が口の中に広がるのだが、その苦味を真緒に食べさせてもらったことへの喜びに変え、じっと真緒を見ながら咀嚼した。


「どう?」

「肉も食べたい」

「好きなものは自分で食べて」


 そう言うと真緒は自分の紙皿に乗せてあった肉を自分の口に運んだ。どうやら僕の魂胆はしっかりと真緒に見抜かれているようで、甘えさせてはもらえないらしい。僕はほんの少しの落胆を胸に自分の紙皿にある肉を口に運んだ。

 その時にほんの数秒だけ厚い雲が太陽を覆って辺りが暗くなったのだが、同時に吹いた一瞬の風がそれこそ僕の落胆を表現しているようだった。しかしすぐに雲が抜け辺りは明るくなり、僕の大好きな真緒をしっかりと照らしてくれた。


「なに?」


 ふと突然真緒がこっちを向き疑問を口にした。明らかに僕が真緒をじっと見ていたことに対する疑問であり、「顔に何か付いてる?」とでも言いたげかと思ったその真緒が意表をついた。


「テルってさ、時々私のことガン見してるよね?」


 僕の癖がしっかりと真緒に見抜かれていたようで、それを初めて言われたものだからこの時僕はかなり動揺した。ジトッとした真緒の視線から僕はすぐに目を逸らしたのだが、目が泳いでいることを自覚する。


「目逸らさないで何か答えなよ」


 真緒は逃げ道を与えるつもりはないようだ。真緒に目を戻すとジトッとした視線はそのままに、悪戯な笑みを浮かべているものだから、この子にはいつまで経っても敵わないなと思う。


「か、かわ……」

「ん? 川? はっきり言わなきゃわかんない」


 僕は一度大きく深呼吸をした。今まで面と向かって褒めたことがあまりない。どうにも女子に気を利かせた行動や言動が得意ではないので、しっかり気を持ってからでないと行動に移せないのである。


「真緒が、可愛いから……」


 ぼっと自分の耳が熱くなるのがわかる。頬が紅潮することも自覚している。けど真緒から視線を外してはいけないような気がしてずっと真緒を見ているのだが、真緒の表情が読み取れない。明るい日差しは真緒の広つばハットから巧妙に真緒の目元を影で隠しているのだ。


「ほう。もう一声」

「な、何を?」

「私の彼氏なのに、彼女の私にまだ言ってないことあるでしょ?」


 それが何なのか一瞬でわかったのだが、これにはとうとう目を逸らしてしまった。恥ずかしくてどうにもならず、手元にあった紙コップのコーラを一気に煽る。途端に喉が圧迫され痛みを感じ、しかしこの感覚がどこか僕を開き直らせてしまった。僕は再び真緒に目を向けた。


「好きだよ」


 言えた。ずっと胸に仕舞っていた僕の気持ちをやっと真緒に口に出して表現することができたのだ。


「私もテルのことが好きだよ」


 消え入りそうな真緒の声は少しだけ震えていただろうか。とは言え、影にはなっているもののしっかり確認すると、真緒のつぶらな瞳から潤むものは感じられない。ただそれよりも、真緒から気持ちを口にしてもらったことは僕にとっても初めてで、この時は幸福感に満たされていた。

 隣のバーベキューコンロからは他の三人の楽しそうな声がこの一帯に響いていた。


 ◇


「エッチ」

「は?」


 パラソルの下に敷いたシートに荷物を置いた渚がいきなりそんなことを言うものだから、僕はつい間抜けな声を出してしまった。


「ジロジロ見るから」


 渚の補足を聞いてやっと真意を理解し、すぐに僕は反省の念に駆られた。口にしても言い訳にしか聞こえないと思うので言わないが、決して性的な視線を渚に向けていたのではなく、渚の体の曲線が綺麗で見惚れていたのだ。どっちにしても変わらないと言われてしまえば身も蓋もないのだが、とにかく一言謝罪は口にしなくてはならないようだ。


「ごめん」

「これ背中に塗ってくれるなら許してあげよう」


 ケロッとした様子の渚が、条件を示すとともに手に持っていたのは日焼け止めのクリーム。僕は渚の意図を理解して一瞬で顔に熱を帯びるのだが、幸いにも炎天下の下。表に出ていることはないと自分に言い聞かせるものの、まずこの動揺必死な難題をどうするか、それで頭がいっぱいになった。


「やってくれないの? 他に頼める人いないんだけど?」


 渚が困惑気味の表情を示すので、僕は渋々「わかった、やるよ」と言いながら、けどどこかに高揚感を抱きながら、日焼け止めのクリームを受け取った。

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