第8話
入島二日目の朝。外は良く晴れている。縁側の障子は閉めていても居間に広がる自然光は明るい。カラッとした空気ではあるものの、やはりこの島の夏は暑くクーラーは必須だ。
僕は渚が作った朝食を盆に乗せ、じいちゃんの寝室まで運んだ。じいちゃんはベッドで横になっておりテレビを見ていた。この部屋はクーラーを作動さてはいないが、南と東の開けられた窓から気持ちのいい朝の風が通過する。
「じいちゃん、おはよう」
『おう、テルか。おはよう』
互いに朝の挨拶を交わすと僕はベッドテーブルの上に朝食を置いた。ご飯に味噌汁に焼き魚と言った朝の定番メニューに加え、小鉢が数点だ。じいちゃんは病気での寝たきりではないため、食事制限がないことは救いである。
『迷惑掛けるな』
「いや、全然。久しぶりにこっちに来れて良かったし」
じいちゃんが、腰を痛めた自分が情けないと言わんばかりの表情を覗かせるものだから、僕は入島への積極的な気持ちを口にした。
ふと南面の窓の外を見るとお隣の家の植栽が風に揺れていた。その流れでその手前のこの家の庭の畑を見てみると、数種類の夏野菜が視界に入った。僕はそれに若干の興味を示し、後で見に行こうと思った。
『渚とは初めてだったか?』
「うん」
『渚はどうだ?』
「いい子だね。凄くやりやすいよ」
台所にいる渚を思い浮かべ込み上げてくる何かがあったが、僕は窓の外から目を離さずじいちゃんからの質問に答えた。外から雀のさえずりが聞こえる。
僕は幼少期、この家の敷地沿いを走る生活用排水路で怪我をした雀を拾った。そしてその雀をこの家に持ち帰ったことがある。鳥籠を用意して、雀の怪我が治るまで飼っていたのだが、籠の掃除は専らじいちゃんがやっていた。僕がやったのはエサやりくらいで、子供だったとは言えなかなか無責任な話である。
その雀も怪我が治ると同時に恩を返してくれることなく元気に飛び立ったのだが。当時は雀がいなくなったことに寂しくもあったが、今にして思えば元気に飛び立ったことこそ最大の恩返しだと思える。
◇
上り下りとも野鳥の鳴き声が聞こえるが、今それは確実に遠くなっている。僕と真緒はかなり下の方まで歩いてきたのだと確信できる。山道は似通った景色が続くものの、視覚だけではない他の感覚から下山の進捗を把握させてくれる。
心なしか草木の揺れも風の仕業でしか感じられず、滅多に顔を見せない野生動物たちは山頂や中腹に生息していそうだ。
「もうすぐかな?」
真緒も出口が近いことを悟っているようだ。そう、もうすぐだ。僕はもの寂しくなって歩を止めた。それにつられてお互いの繋いだ腕が伸び、僕の一歩先で真緒が慌てたように歩を止めた。
「どうしたの?」
怪訝な顔を向ける真緒。僕は照れを感じながらも真っ直ぐに真緒を見据えた。目が泳ぐのだが、これは僕の意思ではどうにもならないようだ。この時僕は、周囲に人がいないことを既に把握していた。
「もしかしてキスしたいの?」
僕の気持ちを悟った真緒は悪戯な笑みを向けて僕に一歩寄る。どうやら真緒も周囲の人影がないことは把握しているようで、真緒は僕の胸の前に立つと首を上げて目を閉じた。
山道の出口を抜けると広大なアスファルトの広場に出た。すると今までよりも強い風が吹き抜ける。ここは駐車場にもなっていてバス停もある。連れの三人の姿はなく、僕と真緒は広場の外れにある土産物屋に行くことにした。
そこはそれなりの面積のある店であるが、観光地にならどこにでもあるような様相の店である。ファサードは前面がすべて解放されていて、小物などの土産品が買ってくれと言わんばかりに顔を覗かせる。
「おう、テル。真緒。お疲れさん」
僕たちを最初に見つけて声を掛けてくれたのは淳だった。事前の予想どおり連れの三人はこの店にいた。秋の行楽シーズンにもなれば店前の石畳の道沿いは
「真緒、どうだった?」
「えへへ」
真緒に寄ってきた環菜の一声目に真緒がはにかんだような笑顔を見せる。それに環菜が納得の表情を僕に向けるものだから、僕は二人の意図が読み取れてしまった。
「ほう、ほう。うまくいったか」
僕の斜め後ろから口を挟んできたのは弘志だ。締りのない表情をしているのだが、これは彼だけではなく、淳も環菜も同様である。果ては真緒のはにかんだ笑顔すらもそう見えてくる。
「そういうことか……」
半ば呆れた表情をわざと作って僕は呟いた。どうやら僕はまんまと四人の画策に嵌ったようだ。とは言え、微笑ましくあり、何ともありがたい画策ではあるのだが。そんな僕を見て環菜が説明をしてくれた。
「最初は私と真緒の間だけの話だったのよ。弘志と淳には下山してここで待ってる時に教えたの」
「待ってる時に教えたって、もし失敗してたらどうするんだよ?」
これは本当に呆れて物申した僕の言葉だ。画策は四人のものではなく、真緒と環菜のものだったようだ。
「失敗しない確信があったから」
僕は、はぁ……、とため息を吐く。どこまでも見透かされていたようだ。真緒に対する気持ちをひた隠しにしてきたつもりはないが、誰かに対して口に出して言ったこともない。真緒も環菜には話してあったとみえるが、似たようなものだろう。それがずっと僕たち二人を見てきたここにいる三人をやきもきさせてしまっていたようだ。
いや、真緒に対してもそうなのかもしれない。今にして漸くわかるが、真緒は僕からの言葉をずっと待っていたのだろう。自覚する気持ちがありながら煮え切らない態度の僕がいけなかったということのようだ。
「で? 真緒はちゃんとテルから好きって言ってもらったの?」
環菜の言葉に僕と真緒は黙り込んでしまった。真緒から視線を外す僕とは対照的に真緒の視線を僕に感じるのだが、僕は視線を向けられない。
◇
台所の食卓で向かい合って朝食を取る僕と渚。二食目であり単純な朝食ではあるが、渚の料理の腕前はさすがだと思う。たった一口で僕には到底再現できない繊細な味だと感じる。その旨味を口の中に感じながらも、しかし僕の目は泳ぐ。
「ねぇ、輝君?」
「ん?」
僕は喉を鳴らして渚の機嫌が悪そうな声に答えるのだがそれだけで、箸と咀嚼を止めないどころか顔も上げない。いや、顔を上げられない。昨晩のお咎めを受けた反省は活かし「美味しい」の一言は確かに言ったはずなのだが、何か不満なのだろうか。
「黙々と美味しそうに食べてくれるのは嬉しいんだけどさ、会話くらいしようよ?」
僕はそこでやっと箸を止めたが、咀嚼は止めず遠慮がちに上目で渚を見た。すると渚は真っ直ぐに僕を見ているものだから、僕はまたすぐに視線を逸らした。昨晩気になっていた前髪はこの朝、渚では標準だと思われる流した前髪になっているのでそれはいいのだが、今の僕の動揺は他でもないじいちゃんのせいだ。
「昨日も途中までは黙々と食べてたけど、途中からはちゃんとお話してくれたじゃん?」
僕は麦茶を一口喉に通すと、口の中を空にした。麦茶に流されて食べ物が喉を通る感覚がいつもに増して大げさに感じる。
「う、うん。何話そうか?」
「会話をする時は人の目を見て話す!」
渚が少しだけ強い口調で言ったので、ビクッとして渚を見てみるとぷくぅっと膨れていた。視線を外すことを許されなくなった僕は頭の中をフル稼働させ話題を絞り出した。
「庭の野菜ってじいちゃんが育ててるのか?」
じいちゃん以外に誰がいると言うのだろうか、この家にはじいちゃんしかいない。渚は昨日来た僕より二日早いだけなので渚のわけもない。
「そうだよ」
「そっか」
僕は短くそれだけ返したのだが、頭の中で先ほど言われたじいちゃんの言葉がこだまする。
――渚を嫁にどうだ?――
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