第3話
市町村合併により島全体が現在の市名になったのだが、旧名称で言うところの市を抜け、町の町中まで入ってきた。
「そう言えば、渚ってじいちゃんとはどういう関係?」
「え!?」
驚いたように僕に顔を向ける渚。僕は前方不注意を犯すわけにはいかないので、過ぎ行く古い建物を視界に捉えながら安全運転を心がける。
「私のこと聞いてないの?」
「うん、まぁ」
「て言うか、それ今聞くこと? もう合流してから何十分も経ってるよ?」
そう、僕たちは初対面。僕は渚のことを何も知らない。ここに至るまで景色と免許と道順の話しかしていない。ちょうど久しぶりに差し掛かる信号で止まったので、ふと渚を見てみる。くりくりとした瞳が更に丸くなり、同時に開けた半口も丸く模っている。
「私のフルネームは
「え!?」
渚の姓を知って今度は僕が驚いた。それこそ今まで渚がしていた表情を僕がしているのだろうが、この時はそれを認識する余裕もなかった。
渚はそんな僕からすぐに視線を外し、前方を指差した。それに従って僕が前方を見ると信号が青に変わっていたので、僕は慌ててクラッチレバーを操作し、アクセルを踏んで軽トラックを発進させた。
「私は朝霧
合点がいった。朝霧孝雄は僕の叔父だ。いや、こういう場合は元叔父と言うのだろうか? よくわからない。彼の前妻が血縁の叔母に当たるのだが、この人が僕の父の妹である。しかし残念ながら結婚してわずか一年余りの頃、若くして病気で亡くなった。
そうは言っても僕が生まれてすぐの頃だから写真でしか叔母の顔を知らない。渚の父親は僕の父を訪ねて我が家に遊びに来たことがあるので、まだ記憶に新しいのだが。僕と四歳差の娘がいることはうろ覚えであったが、聞いたことがある。
叔母が亡くなってすぐに渚の父親はこの島を離れ、それほど時を経ずに別の女性と再婚した。その後生まれた子が渚で、今は僕が住む隣の県に住んでいる。それで渚には訛りがないのだと流れるように理解した。
今理解したことを渚に確認すると渚はやはり肯定をしてくれた。そこでもう一つ理解した。馴れ馴れしいと思っていた渚だが、ここまで縁があるのだとわかればこの態度は納得である。親戚のお兄ちゃんを見るような目なのだろう。すると印象は都合よくも人懐っこいに変わり、愛嬌を感じる。
僕と渚は親戚になるのだろうか? 従妹筋のような気もするけど全く血縁がない。この場合はもう親戚とは言わないのだろうか? 渚は予め僕との関係を聞かされていたようだが、僕は何も知らされずにここへ来ていたのだ。
「お父さんは前妻の親であるお爺ちゃんに幼少期から良くしてもらってたみたいでね」
渚が補足を続けるので、僕は渚の声に耳を傾けた。既に町中を抜けており片側一車線の一本道を走っている。前方に小高い山とその頂上に小さな展望台が見える。
「今でも年一回ここまでお爺ちゃんに会いに来てるの。私も何度も連れて来られたんだけど、お母さんがあまりいい顔をしないから私は二年に一回」
「それで道に慣れてるのか」
「そういうこと。こっちで運転をしたのはさすがに初めてだけど」
フェリーに車を積むこともできるが、高額なので現実的ではない。そもそも本土の港まで運転するなど、僕や渚の居住地から半日はかかる。日中の半日ではなく、二十四時間の半分だから初心者ドライバー一人では酷なことだ。渚は体一つでこの島まで来て、祖父の軽トラックを使って僕を迎えに来たのだとわかる。
◇
日曜日、バスに揺られること一時間。弘志の主導で到着したのは山の麓だった。そこはハイキングコースではない。しかし獣道というにはいささか大げさで、多少は整備された山道が続く、その入り口であった。僕、真緒、弘志、淳、環菜の五人は入り口を抜けるとこの山道を歩き始めた。
夏を前にして日は出ているが、周囲の木々が作る木陰と、その隙間から届く風が程よい心地よさを感じさせてくれる。予め山道を歩くと聞いていたので、五人とも相応に歩きやすい服装だ。
「どのくらい歩くんだ?」
十分も歩くと淳が足元をしっかり見ながらも先頭を歩く弘志に問い掛けた。弘志は前方と足元を確認しながら脇を歩く環菜を気遣っている。
「一時間は掛かるかな」
結構掛かるのだなというのが正直な感想だった。僕は時々歩を緩めながらすぐ後ろを歩く真緒の様子を気に掛けていた。運動が得意ではない真緒は、やや息が乱れ始めているようにも思う。
「ちゃんと真緒の手、引いてあげなよ」
淳を越して環菜が僕にジトッとした目を向けて咎める。そう言いながらも体力に自信のある環菜は、自身はしっかり一人で歩いているのだから逞しい。僕は一度歩を止め、真緒の様子を伺うと真緒も動作を止めた。チューリップハットを深く被っている真緒は大げさに顔を上げ、つばの下から僕を真っ直ぐに見た。
「いい?」
僕は恐る恐る真緒に右手を差し出した。少し硬かった真緒の表情は柔らかくなり、大きく首を縦に振って僕の手を取った。同時にその手を握り合うと僕に真緒の柔らかさが伝わる。真緒が僕の横に並ぶと僕達は小石や小枝を避けながら再び歩を進めた。
一度足を止めたため、他の三人は少しだけ先を進んでいる。僕は真緒のペースに合わせて三人の背中を追った。差は徐々に開くものの、一本道なので迷う心配はなく、何より真緒と手を繋いで、息が切れない程度に会話を挟んで歩くのが嬉しかった。
「昔はよくこうやって歩いたね?」
真緒は俯き加減に歩きながらもやや弾んだ声を覗かせる。記憶を巡らせるまでもなく真緒の言う昔は僕の脳裏に浮かぶ。それは僕にとって恥じらいをも覚える。
「それ小二の時でしょ?」
「違うよ。小三の時だよ」
真緒に訂正されてすぐに僕の記憶は正しく書き換えられた。確かに真緒とこうして手を繋いで歩いたのは小学三年の時だ。
僕は小学二年の時に転校してきたため、相手がいくら人懐っこい真緒とは言えそこまですぐには距離を詰められなかった。それがいつしか手を繋ぐだけの仲にはなったのだが、四年生にも上がると周囲からの冷やかしが始まり、それを気にしてなくなった。
「いいね。こうして歩くの」
真緒がそんなことを言うものだから、ほんの少しだけ握る手の力が強くなった。顔が熱いのでもしかしたら紅潮しているのかもしれないが、これは歩いたことによるものだと言い訳を用意する。帽子で真緒の表情は見えないが、声色から微笑んでいるのだろうとわかる。
◇
やがて僕が運転する軽トラックは目的地の民家に到着した。近くの漁港まで徒歩五分もかからない場所にある民家は祖父の住まいだ。築数十年の木造住宅で、屋根は瓦、外壁は今時のサイディングではなく、木製下地という古い作りなのだが、その表面の塗装は見るも無残に所々剥がれ落ちている。
「ただいまー」
渚は慣れた手つきで玄関の引き戸を開けると大きな声を家の中に響かせた。僕は渚に続いて標準的な声量で「ただいま」と言った。近所の人から友達まで出入り自由と言った鍵の掛かっていない玄関。防犯上都市部では考えられないが、それもこの地域の一つの特徴であり、魅力だと思う。
僕が住んでいた幼少期は台風が来ると瓦が飛ばされた。そのため雨漏りもあった。瓦の下地を土で葺いているからだろう。そして内部の壁も土が下地となった塗り壁なので、ポロポロと表面の素材が壁際の床に落ちる。それは今も変わっていないようだ。
僕と渚は靴を脱ぐと玄関から一番近い部屋に入った。一目で変わっていないなと思う。この家は僕が過ごした幼少期から大きな変化はないようだ。家具も含めほとんどが当時と同じ物を使っていると認識した。
「おじいちゃん、ただいま」
室内にはベッドで横になりながらテレビに目を向けるじいちゃんがいた。薄くなった頭にかろうじて白髪を蓄えたじいちゃんは、ドアの開閉音と渚の声に反応しゆっくり寝返りを打つように僕たちを見た。
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