十 顛末(三)



「お顔の色が優れませんわね。横になられては?」

 黙り込んだ鈴雪りんせつの横顔を見てねい貴妃きひが呟く。病み上がりでこんな話を聞いていたので、疲れが出たのではないか、と心配げに声をかけられるが、鈴雪は首を振った。


「あの、疑問に感じたことなのですけれど」

 すっかり冷めてしまったお茶のお替わりを玉柚ぎょくゆうに頼んでから、二人へ改めて切り出す。

「お二人は、天麗てんれい公主とあん充媛じゅうえんが入れ替わっていたことに、まったくお気づきになられなかったのですか?」


 二人は静かに視線を投げかけ合い、丁度お茶を淹れ直し終えた玉柚へも目を向けた。

 そんな様子に、そうだ、と鈴雪は思い出す。玉柚は鈴雪と共に離宮に移る前は、天麗付きの女官の一人だったのだ。

「玉柚も?」

 天麗が玉柚を指して「薄情なお前は気づいていないと思った」と言っていたが、そうなのだろうか。


 玉柚は少し気不味そうな表情を見せ、言い淀むように唇を噛み締めるが、はい、と頷いた。

「私が天麗公主にお仕えしていたのは、あの方が十になる頃まででした。それ以降は綱紀の取り締まりをする監査部におりましたので、直接お会いするようなことはあまりございませんでした。その頃とは随分とお顔立ちも変わられていて……何度かお声を聞くうちに気づいた程度です」


 それでも初めのうちは信じられなかった。亡くなったとされている公主にそっくりな声音の娘が目の前にいて、しかも側室の一人という立場にあるのだから。


「確信を得たのは、白鷺姫の舞いを見てからです」


 病弱だった天麗は室内にいることが多く、暇潰しの為に絵物語や小説を多く所蔵していた。中でも気に入りだったのが、男女の恋を題材にしたものだった。

 あの舞い姿を目にするまで、まさか安充媛が天麗公主だとは思いもしなかったし、結びつきもしなかった。ただ、聞き覚えのある声によく似ていると思った程度だった。


 玉柚の意見と同じだ、と寧貴妃も頷く。

「天麗公主は、元々あまり出歩かれる方ではありませんでしたし、そもそもお住まいの場所が、私共とはまったく別の場所でしたから、お会いしたのも数える程でした」

 ねえ、と寧貴妃から同意を求められ、黄賢妃も頷いた。


「別の場所? 後宮でお育ちになられたのではなかったのですか?」

 驚いて尋ね返す。天麗は病弱故に降嫁することも適わず、腕のいい御殿医達に見守られながら後宮で暮らしていたのだと聞いていた。

「ああ、この言い方だと、少々語弊があるか……。後宮は後宮でも、妃嬪と、御子達が暮らす場所は別れておる。その上――あまり例はないが、代違いの御子が住み続けることになると、更に別の場所に住まうことになるのだ」

「お母様と、御子は、別々に?」

「そうですわ。人によっては生まれたその日から別れて暮らしますけれど、大抵は十日ほどで子守りと乳母に預けることになります。私は半年程は共にいられるようにして頂いてましたけれど、あまりいい顔はされませんでした」

 生母と御子は離れて暮らし、時折生母の居室に泊まることもあるが、基本的には日に一度、時間を決めて面会するようになっているのだという。

 その慣習に従っていては子と会えない、と寂しく感じた寧貴妃は、どの子も生まれてから半年までは手許に置いて育て、それ以降はしきたりに従って子守りと乳母に養育を任せていた。黄賢妃も同様で、首が据わる頃までは手許で、とふた月程は育てていたのだという。


 子と別居するのは、産後もすぐに王の寝所へ侍れるように、夜泣きをする赤子は遠ざける目的があってのしきたりのようだったが、藍叡らんえいは夜伽を頻繁に命じる王でもなかったので、それが許されていた。

 けれど、先代以前の王の子達は、そのしきたりの通りに生まれて間もない頃から生母とは完全に離れて暮らしており、天麗に至っては、病弱故に体調を崩して母との面会も叶わないことが多く、ただ静かに静かに、後宮の隅の穏やかな環境の局を与えられて過ごしていたということだ。それ故に、異母兄である藍叡でさえも、天麗にはあまり会ったことがなかったのだという。


「それから天麗公主は、人前に出るときには必ずと言っていいほど、薄絹を被いておられたのです。宴の席にいらしても、すぐに退席されてしまわれましたし……。私は、お顔の方はほとんど記憶にございませんでした」

 人前にほとんど姿を見せず、現れても顔を隠していて、はっきりと記憶出来ているのは、その声音くらいだった。

 その通りだ、と黄賢妃も頷いた。

「天麗公主が我等の前にも姿を見せるようになったのは、安充媛がいらっしゃってからだな。年の頃も近く、驚くほどに声音が似ておられて皆で驚いたが、それが契機になったのだろう」

 安琳嬉りんきが充媛として後宮に部屋を与えられてから、天麗はよく彼女の許を訪れるようになったのだという。初めて得た友人だったのかも知れない。

 そこへまた年の頃の近いよう昭儀しょうぎも加わり、三人は親しくなり、時には共に花見を、時にはお茶会を、と楽しげに過ごしていたのだという。


(天麗公主と、安充媛と楊昭儀は、ご友人同士だったの……)

 だから楊昭儀は、天麗のことを慕わしげに語っていたのか、と鈴雪は思い至る。


 それなのに天麗は、そんなにも親しくしていた安充媛を殺してしまったのだ。


(なんと惨いことを……)

 そこまで考えてハッとする。

 頻繁に会って親しくしていた楊昭儀でさえも、天麗と安充媛が入れ替わっていたことに気づかなかったのだろうか。


「この度のこと、楊昭儀のお耳にも入られているのでしょうか?」

 尋ねると、二人は気不味そうに顔を見合わせた。そのまま言葉を探す様子を見せたが、結局黙り込んでしまう。


 どうしたのだろうか、と首を捻ると、玉柚が代わりに口を開いた。

「楊昭儀は恐らく、入れ替わりのことはご存知だったのだと思われます」

 その言葉に鈴雪は双眸を瞠り、寧貴妃と黄賢妃は静かに視線を伏せた。


「七日前に鈴雪様がお倒れになり、天麗公主と加担していた女官達が捕らえられた頃、楊昭儀はお姿を隠されました。行方は今もわかっておりません」

「行方がわからないって……後宮を出て行かれたってことですか?」

「恐らくは。後宮内は衛士達が隈なく捜したようですが、何処にもおられず、お部屋からは玉や簪などの装飾品が多く消えていたということで、後宮の外へ出られたのではないかと思われています」

 後宮に封じられた妃嬪は、生涯をその中で終えることを強く決められている。寡婦となったときには後宮の外に出ることになるが、そのまま王の菩提を弔う為に出家することが決められており、俗世に戻ることはないのだ。

 故に、後宮から許可なく抜け出すことは、たとえ数日のことでも重罪――少なくとも冷宮送りになることが決められている。


 玉などの装飾品を持ち出したのは、交換するなりして、当座の生活資金に充てようと考えてのことだろう。高価な装飾品や衣裳は持っていても、金子自体はあまり持っていない。故に妃嬪が女官などに褒賞を与えようとすると、金子ではなく、装飾品を下賜することが一般的だ。

 持ち出された装飾品は目録を確認すればすぐにわかるし、それを換金したとなれば、そこから足取りを追えることだろう。商店などにも人をやって調べている最中だという。


「今は楊家所縁ゆかりの地所や人を探っているところのようですが、見つかったという話は伺っておりません」

 あの日は朝から鈴雪が倒れたこともあり、後宮内がざわついていた。そこへ、その鈴雪へ危害を加えようとしたとして、元女官長の恵世けいせいと妃嬪の一人を捕らえる為に、衛士が右往左往していたのだ。その混乱から僅かに生まれた隙を突いて、楊昭儀は出奔したのだと見られている。


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