十 顛末(二)
なんという言い種か、と
「お前はそうして、己の恐ろしい行いを正当化してきたのか」
年が離れている故に、藍叡はこの恐ろしい妹のことをよくは知らない。病弱であり、後宮の奥深くで大切に大切に育てられ、王后に相当甘やかされていたということくらいしか、この妹のことは知らないのだ。
何処でどうしてこんなに歪んでしまったのだろう。己の欲望を叶える為だけに、何人もの人間を殺し、そして――
「子を殺したのはどういう理由だ? 余の子など、お前が
第一太子
天麗は途端につまらなさそうな表情になると、呆れたように見つめてくる。
「だって、邪魔だったのですもの」
ややして返って来たのはそんな答えだった。
藍叡は思わず言葉を失う。
天麗がなにを言っているのかわからなかったが、すぐに意味を飲み下し、怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「邪魔――だと?」
震える声で尋ね返すと、そう、と彼女は頷いた。
「私は後宮しか知らないでしょう? だから、他所で暮らすのは嫌なの。たとえ愛しい
「だから?」
「信兄様がこちらに来てくださればいいと思ったの」
その無邪気な幼子のような口調で返された言葉に、竣祥と寧はハッと息を飲む。
先々代王の末子である永清君は、生母と共に離宮のひとつを住居として与えられ、そこで生まれ育った。年に何度か墓参と時候の挨拶の為に王宮を訪れはするが、今もその離宮で生母と共に暮らしている。
代替わりをした妃嬪に後宮への出入りの権限は無に等しく、王の遺児達にもそれは同じだ。後宮への出入りが許される男は、主である当代の王と、妃嬪の親類、護衛と治安を任された衛士の一部だけであり、王以外の者は行動をかなり制限される。
その後宮へ、王族といえども、永清君に自由に出入りする権限はなく、況してや、居住することなど許されることではない。
永清君が王宮へ移り住む為には、あるものを手にしなければならない。
「玉座を与えるか――」
不穏な答えに行きついた竣祥が顔色を失うと、藍叡は苦々しげに呟いた。その言葉に弾かれたように顔を上げ、次いで寧大臣の方を伺った。彼も静かに頷き返す。
天麗は自分が住み慣れた後宮を離れずに済むようにする為、永清君を王に据えようとしていたのだ。
その為には邪魔な藍叡を排除しなければならない。そして、障害となり得るものを確実に排除する為に、まずはその嫡子達を殺した。泣くことしか出来ぬような赤子であろうとも、王の嫡子であれば生母を摂政に立て、その親類を後見とすることで玉座に就くことになる。それすらも阻む為に、まずは無力な幼子達から始末したわけだ。
ぶるり、と竣祥は身が震えた。
あどけない
まるで天気の話でもするかのような口調で、天麗は今までのことを自供する。罪悪感など欠片も感じられない態度で、恐ろしい事実を並べ立てていく。
藍叡は静かに瞼を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「――…
だが、その理由がわからない。鈴雪は後宮内で最も高位の王后ではあるが、帰還したばかりで権限の使い方もわかっていないような状況で、実家も干渉してくるような者達でなく、妃嬪達の中では最も立場が弱い存在である。天麗の言うところの『障害』になるような存在ではないし、子を宿しているわけでもない。
殺す必要など微塵もない。それなのに、確実に仕留めようとしていた。
藍叡が睨むと、天麗は大袈裟に溜め息をついて見せる。
「実家は名門の
もし万が一、鈴雪が子を孕んで男児を産めば、血筋からいっても、それは即世太子となれる子だ。外祖父に当たる宋
いずれ障害となり得る存在であるから、そんな不安の芽は早々に刈り取ることにしたというのだ。当然のことではないの、と天麗は呟く。
「離宮で暮らしていれば幸せだったことでしょうね。その身の罪科を、誰からも責められることなく、ただひっそりと、静かに暮らしていけたでしょうに。可哀想に」
憐れんだ口調で零されたその言葉は、鈴雪の廃位を請願した大臣達の奏上を思い起こさせる。握り締める拳に思わず力がこもり、掌に爪が食い込んだ。
「それもまた、余の所為だと?」
「違うとでも?」
大きな瞳を瞬かせ、不思議そうに小首を傾げる。
もう言い返す気力も、訂正して言い聞かせる気持ちも感じない。
この娘には現実も正論もなにも通じない。彼女が思ってきたこと、行動してきたことだけが正しく、その他のことは間違いなのだ。
これはもう更生は望めまい――藍叡も、竣祥も寧もそう感じた。
「お前の処遇は追って沙汰する。暫時
最後にそれだけを告げ、藍叡は踵を返した。竣祥達もそのあとに続いたが、冷宮の冷え冷えとした石壁には、天麗の笑い声が響いていたという。
***
聞き終えた鈴雪は、小さく溜め息を零した。
「それで、王様は……天麗公主に、どのような処罰を与えられたのでしょうか?」
自分の求めるものの邪魔になるから、と何人もの人を殺し、幼い赤子さえも手にかけてきた恐ろしい女を、どうするつもりなのだろうか。
通常ならば殺人罪は極刑に処される。しかし相手は王族の、しかも公主だ。悪くても流刑の末に幽閉程度で、打ち首ということにはなるまい。
「主上は――天麗公主へは
言い淀んだ様子の両妃嬪に代わり、玉柚が口を開く。
「賜杯?」
聞いたことのない言葉に、鈴雪は怪訝そうに瞬く。
「賜杯とは、妃嬪や王族の子女に与える刑の中では最も重く……毒杯をお与えになるのです」
つまりは死刑だ。鈴雪は双眸を瞠った。
彼女が今までにやってきたことを鑑みれば、確かにそれが妥当な刑罰だろう。しかし、王妹に対してそこまでするとは思わなかった。
「これ以上生かしてはおけぬと判断されたのだ」
僅かに胸の奥に痛みを感じていると、黄賢妃がそう零した。
確かにそうだ。鈴雪は頷く。
天麗はいったい何人の人を傷つけたのだろうか。仕置きや躾けと称して一生消えない傷を負わせた女官は十を超え、安充媛の命を奪い、王の幼い子供達の命も奪った。そして、娘を利用しようとしていた実の母でさえも――
死刑を宣告されたことに対して痛ましげな気持ちを抱く必要はない。彼女はそれでも償いきれないほどの罪を犯していたのだから。
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